蕾生と星弥、二人だけの部員に向かって、永が仰々しい口調で切り出した。
「では、コレタマ部の活動を始めます!」
「コレタマ?」
星弥が首を傾げると、待ってましたと言わんばかりに永が説明した。
「これからの地球環境を考える──略してコレタマ部ね」
「……」
星弥が無反応なので蕾生は渋々捕捉してやった。
「あれからずっとそのあだ名考えてたんだと」
蕾生が目撃したのは午後の授業中、永がノートのはじに何かを書いては頭を捻っていた姿だ。
授業が終わる頃、やっといくつか書いた単語の中のひとつに花丸をグリグリと書いた様を後ろから見ていた蕾生は、何とも言えない気持ちになった。
「そうなんだ、か、可愛いと思うよ」
「まあ、俺はなんでもいい」
どもりながら目を逸らす星弥と無関心の蕾生。
二人の否定的な反応にもめげずに永は続けた。
「ふ、ヒラ部員は黙らっしゃい。ンン、初日の今日はとても重大な議題があります」
咳払いで空気感を変え、神妙な面持ちで言えば、つられて二人も固唾を呑んで永の言葉を待つ。
「リンをこの場にどうやって呼ぶのか? ──であります」
改まったわりに想像の域を出なかった議題に、蕾生も星弥も緊張を解いて唸った。
「あー、それな」
「そうなんだよねえ……」
「一番簡単なのはリモート参加だけど、銀騎家の携帯電話やパソコンは無理でしょ?」
永がそう言うと、星弥も即座に頷く。
「だねえ。電波を傍受されてたら、クラブ作った意味がなくなっちゃう」
「鈴心はこの時間だと何やってるんだ?」
続いて蕾生が質問すると、星弥は小首を傾げながら答えた。
「うーんと、多いのは勉強かな。兄さんが毎日パソコンに課題を送ってくるから、それをやってると思う。ここ数年は研究で忙しくてマンツーマン授業ができなくなったんだよね」
それを聞いた永が前のめりになって尋ねる。
「ふうん。じゃあ、以前よりもリンは自由なんだ?」
「そうだね、活動範囲は自宅と研究所だけなんだけど、好きな時に勉強したり、読書したりしてるみたいだよ。研究所も顔パスでどこでも入れるし」
「それは普通に軟禁状態だろ」
「まあ……」
蕾生の冷ややかな指摘に星弥は苦い顔をしてみせた。
「ふむ。やっぱり研究所の敷地より外には出られない感じ?」
永が問うと、星弥は頷きながら答える。
「難しいと思う、お祖父様から禁止されてるし。わたしから兄さんに頼んでみることも考えたけど──」
「怪しまれるだろうな」
「うん……急にそんなこと言い出したら、ね」
蕾生の的確な言葉を肯定して、星弥は困った表情で眉を寄せた。
「せめてあそこから出られたらなー。その後こっちの学校に忍び込むくらいはリンなら簡単なんだけど」
永もぼやくけれど、良い考えは浮かびそうにない。
「アナログだけど、交換日記くらいしか思いつかないかなあ」
「そうだねえ、メールやメッセージアプリは危険だから、手書きのノートでやり取りするのが一番秘密は守れる」
星弥と永のやり取りを聞いて、蕾生は少し苛立って反応した。
「──めんどくせえな、タイムラグもかなり出来るし」
「でも、それくらいしか……」
「思いつかないよねえ……」
結局この日は良いアイディアが出る事はなく、とりあえず星弥がノートを買っておくことだけが決まって散会となってしまった。
特に何もできないまま週末を迎えようとしている永と蕾生に急転直下の出来事が起きた。
なんとなく沈んだ雰囲気を引きずったまま登校すると、一年生の校舎中がどよめいていた。その騒ぎの原因はどうも星弥のクラスから発生しているらしい。
永と蕾生のクラスメート達が入れ替わり立ち替わりで隣のクラスを見に行っている。そのせいで廊下は興奮のるつぼになっていた。
二人は最初は静観していたが、教室に帰ってきたクラスメートの会話から星弥の名前が聞こえてきたので、とうとう廊下に出ることにした。
すると丁度その場にいる生徒達の興奮が最高潮に達したところだった。そこに集まった大勢の視線は、星弥とその隣で俯きながら居心地悪そうに歩く黒髪の少女へと注がれている。
「──」
「──」
永も蕾生もその姿を見て言葉を失った。星弥の隣を歩いていくのは間違いなく制服を着た鈴心だった。
呆けている二人に気づいた星弥が通り過ぎながら小声で二人に言う。
「放課後、クラブで」
永と蕾生はただ頷くことしか出来なかった。
星弥と鈴心が行ってしまうと、他の生徒達もざわつきながらも各々の教室に帰っていく。その波に従って永と蕾生も自教室へ戻った。
「ラ、ラララ、ララララ」
「落ち着け、永」
瞳の焦点が合っていない永をとりあえず席に座らせ、蕾生が宥める。
永は肩で深呼吸をした後、しどろもどろで動揺を口走った。
「ふー、ふー! え、何? 何がどうなってんの?」
「なんで鈴心が学校に来てんだ?」
「しかもウチの制服着てたよね? なんで? リンてまだ十三だよね?」
「全然わかんね……」
混乱したまま、気持ちの整理もつかないまま、朝のホームルームが始まってしまった。
その後の授業内容はもちろん頭に入るはずもなく、昼に食べた弁当の味もよくわからないまま、午後の授業も上の空で過ごし、やっと放課後を迎える頃には二人ともへとへとに疲れてしまっていた。
◆ ◆ ◆
「という訳で、転入生の御堂鈴心ちゃんです!」
コレタマ部の部室で星弥の努めて明るい声が響く。
その隣で佇む鈴心は今の所借りてきた猫のように、何も言わずに居心地が悪そうにしている。
あらためて超弩級の衝撃的光景を目の当たりにして、永は目を細めたまま蕾生の腕を引っ張った。
「ちょっとライくん、ほっぺつねってよ。僕は都合の良過ぎる夢を見てるんだ」
「夢じゃねえけど、お望みなら」
素直な蕾生は永の頬をつねると言うより伸ばすように引っ張る。
「──ひててて!」
「ライ、やめなさい!」
永の悲鳴に、鈴心がたまらず蕾生を叱る。
蕾生は少し白けた気持ちで指を離した。糸でも摘むようにそっと行ったつもりだが、永の頬はかなり赤くなっていた。
「やっぱりリンがいるうー、なんでー? なんでー?」
大袈裟ではなく腫れた頬を摩りながら、永は涙目で現状に疑問を呈す。ただし語彙を失っているのでいつもの様にはいかない。
「周防くんがショックのあまりバカになっちゃった……」
斜に構えた様な態度の永しか知らない星弥にはそれが至極新鮮に映ったようで、純粋に珍しいものを見る目をしている。
収集がつかなくなってきた空気を何故俺が、と思いながら蕾生は頭をガシガシ掻きながら星弥に説明を求めた。
「おい、銀騎、どう言う事だ」
「うん、わたしもよくわかんないんだけど──」
そうして星弥は数日前の自宅での出来事を語り始めた。
コレタマ部を作った帰り、星弥は駅前まで足を延ばしてスーパーマーケットに行き、鈴心が喜びそうな可愛らしいノートをいくつか見繕った後帰宅した。
「ただいまあ」
玄関に入ると、母親が弾んだ声で星弥を迎え、急かすように手招きをしている。
「おかえり、星弥! こっちこっち!」
「お母様? どうかしたの?」
促されるまま応接室に入ると、部屋の中央で鈴心が今自分が着ているものと同じ服を着させられて立っていた。
傍らでは銀騎家お抱えのテイラーが、まち針を巧みに操って鈴心の着ている制服を調整している。
「──」
人間は驚き過ぎると何も言葉が出てこないし、思考もうまく回らない。十六年生きてきて、星弥はその事をこの日思い知った。
「ねえ? 可愛いでしょ?」
ウキウキでルンルンの母に尻込みしながら、星弥はなんとか現状について問いかける。
その様を鈴心は居心地悪そうに頬を赤らめながら見ていた。
「あ、う……な、何事?」
「すぅちゃんがね、高校に通うことになったのよ。あなたと同じ一年生で!」
「え!? だってすずちゃんはまだ中学生でしょ?」
母からの突拍子もない説明に驚いていると、すぐ後ろで補足が聞こえてきた。
「──中学の過程はとっくに終えてるからね」
「兄さん!」
振り返ると皓矢がそこに立っており、母親同様に上機嫌だった。
「うん、鈴心、よく似合ってるよ」
「どうも……」
鈴心はますます顔を赤らめて一言呟く。ニコニコの兄に、星弥は改めて聞いた。
「兄さん、どういうこと?」
「うん、ここ最近、僕の研究が忙しくて鈴心にろくに教えてあげられていないからね。最近は体調も安定してるし、学校に行かせたらどうかとお祖父様がね」
「お、お祖父様が!?」
星弥は直感でヤバイと思った。祖父が突然そんなことをするなんて、確実にあの二人が関係しているせいだ。
「とは言え、たった一人で中学校へ行かせて体調を崩したら大変だから、星弥と同じ高校に編入手続きをとったんだよ。飛び級の帰国子女ってことにしてね」
「──」
どうする、反対するべきか。それともこれを逆に利用するのか。周防くんならどうするだろう、唯くんはどう思うだろう。
色々なことが瞬時に星弥の頭を駆け巡っているうちに、皓矢が先んじて結論を突きつけた。
「だから星弥、よろしく頼んだよ?」
「星弥、私からもお願いね」
しかも母の後押し付きで。
こうなっては星弥に状況を覆すことなどできない。そもそも祖父の意向に逆らえるはずもない。
そうしてあれよあれよという間に、今日を迎えてしまった。
「──という訳で、美少女転入生の御堂鈴心ちゃんです!!」
説明し終わった星弥はやぶれかぶれの勢いで、もう一度明るく鈴心を紹介した。
その様に鈴心も蕾生も溜息しか出ない。
「……おっかしい」
永が首を傾げて言うと、星弥はにこやかに凄んで言う。
「すずちゃんが美少女ではない、と?」
「いやそれに異論はないけど」
──ないんだ、と蕾生は心の中でつっこんだ。永と星弥は蕾生の手の届かない次元で言葉を交わしている。こういう時は放置が正解だろうと最近は思うことにしている。
「どうせ罠なんだろ? 絶対おかしいよ」
「デスヨネー」
永の疑いは当然で、星弥もそれを棒読みで肯定した。その空気感に耐えられなくなったのだろう、やっと鈴心が口を開く。
「まあ、タイミングがあれなんで、私もそう思います」
「鈴心はなんか聞いてんのか?」
蕾生が尋ねると鈴心は小さく首を振った。
「いえ。ほんの数日前にお兄様から『学校に行く気はあるか』と聞かれたので、ある、と答えたらトントン拍子に」
「あのジジイ、何考えてんだ……」
永は歯噛みしながら宙を睨んでいた。
「家の外に出られさえすれば、中学に行くふりをしてハル様の所に馳せ参じることができると思ったので承知したら、まさか──」
「全部お膳立てされたって訳ね」
「はい」
そこまで聞いて蕾生からも感想が漏れる。
「バカの俺でもなんかあると思うな」
「そうですね……」
鈴心の相槌になにか含みを感じた蕾生は、思わず掘り下げてしまった。
「おい、今バカを肯定したか?」
「ああ、はい」
悪びれずに頷く鈴心に頭にきて、挑発に乗ってしまう。
「クソガキ、そこに座れ。説教だ」
「冗談でしょう。貴方に説かれる教えなんてある訳がない」
スンとした態度の鈴心に、どうしてくれようかと蕾生が歯を食いしばった所で星弥からタオルが投げられる。
「ストップ、ストーップ! 興奮しないの! すずちゃんたら、いつになくご機嫌だね?」
「すみません、つい」
今のがご機嫌? わかりにくい! ──と蕾生がやり場のない苛立ちを持て余していると、やっと冷静な声音の永が戻ってきた。
「つまりは、向こうも動き出したってことか」
すると鈴心も蕾生を華麗に無視して永に向き直る。
「はい、真意は掴めていませんが。早急に探ります」
「うん、でもあまり目立つなよ? しばらくは大人しく銀騎さんと一緒に学校に通うだけにしな」
「御意」
このガキには後で必ず思い知らせてやると蕾生は密かに誓う。
「駆け引きはもう始まってる。ライ、気を抜くな」
蕾生に向ける永の目はいつにも増して主君然としていて、それだけで蕾生の気を引き締めるには充分だった。
「ああ、わかってる」
おそらく罠なのだろうが、リンがこちらに帰ってきたことを今は喜んでいよう、と言う永に従い蕾生はまた誓いを改める。
鈴心と星弥も含めて四人で協力していく。そして自分は皆の盾になる、と。
この時期にしては珍しく晴れた日の放課後。コレタマ部の面々は裏庭に集合していた。
「第一回、ボランティアたいかーい!」
永が威勢よく宣言すると、星弥もそれに乗って歓声とともに拍手を送る。
そんな二人をよそに、ジャージ姿の蕾生と鈴心は気がのらず白けていた。
「やっぱ、こういうのもやるのか」
蕾生が肩を落として溜息を吐くと、軍手を手渡しながら永が軽快にそれを打ち消そうとする。
「まあね、たまにはやっとかないと部室取り上げられたら大変じゃない──と言う訳で、今日は校内草むしりをしまーす!」
「さすがハル様、尊い精神です」
言葉と裏腹に鈴心の顔は強張っている。
「お前、真顔でお世辞言うのやめろ」
「失礼な。私は本心から言ってます」
憮然とした表情で睨み合う蕾生と鈴心の間に星弥が割って入った。
「すずちゃん、わたし達はあっちの植え込みやろう」
「いえ、私はライと組みます」
「──は?」
思いもよらない鈴心の言葉に、蕾生は思わず声がうわずった。
驚いたのは星弥も同様だったが、意外にもすんなり納得して蕾生の二の腕を叩く。
「そっか、わかった。唯くん、くれぐれもよろしくね!」
「あ、ああ……」
蕾生がとまどっていると、鈴心が顎でついて来いとでも言うように歩き出す。
「僕らは組まなくてもいいか」
あてが外れたのは永も同様で、星弥と目が合ったけれども特に感情を出さずに確認した。
「うん、そうだね」
星弥も短く返答して、永とは別の方向を目指す。
そんな二人のやり取りを見た鈴心は心配そうに蕾生に尋ねた。
「ライ、二人は仲が悪いんですか?」
「いや……合わないだけだろ」
その話題を掘り下げることはなく、鈴心はしゃがんで草をむしり始めた。蕾生もそれに倣って隣で草を摘んでいった。
「で? 何か用かよ」
蕾生は視線は地面に置いたままで、鈴心に自分と組んだ意を問う。
「ええ。貴方と認識の擦り合わせをしたくて」
「ふうん」
「今回はどうなんですか、力の方は」
「なんでお前知ってるんだ?」
唐突に直球で聞かれて、思わず蕾生は手を止めて鈴心の方を向く。
「あ、すみません。ハル様はそれもまだ貴方に伝えてないんですね。ええと、大丈夫ですか?」
鈴心も些かの驚きを隠せずに、やや動揺した後蕾生を気遣った。
「何が? 永もお前も心配し過ぎじゃねえの?」
「まあ、それは慎重にやらないといけないので。でも、そうですね、大丈夫そうですね。ハル様には後で謝らないと」
永も同じようにそうやって蕾生をいちいち気遣うが、当の本人は食傷気味になっている。だが不満を言っても仕方ないので、蕾生は続きを促した。
「で? 俺の怪力って毎回出てる力だったのか?」
「いえ、最初からではありません。私達の尺度ですけど、あなたが剛力を持って生まれてくるようになったのはごく最近です」
「へえ、そうなのか」
永から聞かされていない情報が聞けるかもしれないと、蕾生は少し緊張した。
「最初は人より少し力が強い程度でしたが、ここ数回の転生のうちにどんどん力が強くなってきていました」
「へー」
それでも永に釘をさされているので、蕾生は平静でいようと努める。指先で雑草を摘みながら相槌を打った。
「今回もだいぶ強そうですね」
そんな蕾生の作業を見ながら鈴心がそう評する。
「まあな、俺は比較できねえし、だいぶ前に永に力は使うなって言われてここまできたからマックスはわかんね」
「一番古い記憶では?」
「ええ? そうだな、ガキの頃──親父の単車くらいは余裕で持ち上げたかな」
そこまで掘り下げるかと思いながらも蕾生は古い記憶を辿る。幼少の頃、父親のオートバイをふざけていじり、自分に倒れてきたので思わず掴んで放り投げた事を思い出した。
おかげでバイクは大破してしまったが、父はそんな蕾生の力を恐れることもなく、真っ当にこっぴどく叱って夕飯を食べさせてもらえなかった。
「親御さんはそれをご存知で?」
「ん。まあ、でも、別に普通に暮らしてる。しょっちゅうドアとか壊すけど」
思えば両親は蕾生の怪力に困ることはあるが恐れることはない。だから蕾生は永に会うまで自分の力が人と違うことを知らなかった。それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
「そうですか。前にハル様を片手で持ち上げていたので、今回も強そうだなとは思っていました」
「ああ、あん時な。そういえば、途中ででかい植木はどかしたな」
鈴心の言葉に初めて会った時の事を思い出す。あんなに焦ったのはバイク事件以来かもしれないと蕾生は思った。
「重かったですか?」
「全然」
植木の重さなど今となってはさっぱり思い出せない。
「そうですか……」
鈴心はそう相槌を打った後、押し黙った。
「俺からも聞いていいか?」
「ものによりますが、なんです?」
蕾生は、永に聞く機会を逃していることを鈴心に聞いてみた。
「雷郷ってどんなヤツだった?」
「──気になるんですか?」
鈴心は少し目を丸くして聞き返す。
「そりゃあな。俺は記憶がねえんだ、前世の情報は聞けるもんなら聞きたい」
「ライは今のままでいい、とハル様ならおっしゃると思いますよ」
「そういうことじゃねえ。俺はこれからどう行動すればいいのか、その根拠になり得る事実を少しでも知っておきたいんだ。永のために」
はぐらかそうとする鈴心の瞳を見据えて、蕾生はそう主張する。
その心を汲み取ったのか、鈴心は息を吐いて少し笑った。
「私に聞いて正解ですよ、ライ。ハル様のため、と言われたら教えない訳にはいかない」
「おう、教えてくれ」
「ハル様には内緒ですよ。少しだけですからね」
そう念を押すと、鈴心は思い出を語るように少しずつ話し始めた。
「雷郷は──確か当時の私より四つか五つ程年上でした。私と同じ境遇で治親様に仕えるようになったと聞いています」
「ああ、それは永から少し聞いた。戦争孤児だったんだろ?」
「そうですね、農民の出だとも言っていました。ですが、私が治親様に拾われた頃にはすでに郎党衆の筆頭のような位置にいました」
「それってすごいのか?」
少し蕾生が期待をこめて聞くと、鈴心は言いにくそうに語る。
「まあ……治親様は変わり者だったので、私達のような後見のいない者でも、功を立てればそれなりの待遇を与えてくださいましたから。ただ、腕っぷしで上がっただけなので、私達に武家の部下のような発言権はありませんでした」
「そりゃそうだな」
けれど、と前置いて鈴心は柔らかな表情で言う。
「雷郷は常に治親様のお側に仕え、どんな戦場でも必ず武勲を上げていました。事実上、貴方は右腕だったんです──今のように」
「──そっか」
その言葉に蕾生は満足感を覚える。
「だからそんなに変わりませんよ。貴方は常にハル様のために行動してきた。今回もそれをすればいいだけです」
だが、漠然と「それ」と言われても、蕾生にはピンと来なかった。
「その行動ってのを具体的に知りてえんだ。で、その後は?」
「その後、とは?」
鈴心が小首を傾げているので、蕾生はもどかしくなって急かす。
「だから、鵺が出てきた後は?鵺を倒した時のことも教えろよ」
すると鈴心の表情が途端に曇った。
「……貴方が止めを刺したことは聞いていますね?」
「ああ、だから俺が一番呪いを強く受けてるんだろ?」
「ならば、私から言えることはまだありません」
突然の遮断だった。このまますんなり聞けそうだと思っていた蕾生はあてが外れて落胆する。
「えー、お前までそれかよ」
「それ以上はハル様がお話してくださるのを待ちなさい」
「いつまでだよ?」
「さあ、それは……」
鈴心が言葉を濁していると、後方から永の声が聞こえた。
「おーい、そろそろ終わりにしようかー」
「──時間切れですね」
それを受けて鈴心は立ち上がり、膝についた泥を払った。
「おい、結局たいした話は聞けてねえぞ」
蕾生が不満をぶつけると、涼しい顔で鈴心は答える。
「そうですか? 私は一応満足ですが」
「くそぉ」
悔しがる蕾生に、よく通る声で付け加える。
「時が来ればいずれ知ることになります。それまでにもっと強くなりなさい」
「はあ?」
「その時、貴方がどうするかで私達の運命が決まる」
「それ、どういう……」
酷く抽象的な言葉の意味を蕾生が理解できるはずもなく、もっと聞き出そうと思った所で星弥がこちらに駆けてきた。
「すずちゃん、お疲れ様! お膝汚れちゃったね、着替えよ?」
「星弥、子ども扱いしないでください。草むしりしたんです、膝くらい汚れます」
あからさまに嫌がる鈴心にも、星弥は動じずに笑顔でその肩を掴んで連れていこうとする。
鈴心も結局は諦めているのだろう、それ以上文句を言うこともなく星弥に従った。
「うんうん、わかった。じゃあ唯くん、また後でね」
「あ、ああ……」
鈴心が連れ去られる姿を見送りながら呆けていると、永がニヤニヤしながら近づいてくる。
「有意義なおしゃべりはできたかな?」
「いや、全然」
「そう? リンは楽しそうだったよ?」
「あの仏頂面でか?」
蕾生が憎まれ口を叩いても、永は笑顔で返す。
「うん、とっても」
「──俺にはわかんねえな」
わからない。
永を守るにはこれからどうしたらいいのか。
鈴心が言う「強くなれ」とはどれくらいなのか。
鵺は、どこまで近づいているのか。
蕾生にはまだ何もわからない。
雨が続く週の半ば。ここ最近の天気は部室に引き篭もるには最高だと言う理由で、コレタマ部の会議が開かれた。
「さあて、野外活動も一回やったし、しばらく部室に引きこもっても大丈夫だろう、ということで……これからの本格的な話し合いをします!」
永は部長らしくその場を仕切り、クラブ発足人の星弥も笑顔で返事をするなど付き合いの良さを発揮している。
鈴心は背筋を延ばして前のめりで永の言葉を真面目に聞いていた。
自分の隣でそんな姿勢でいられると少し窮屈さを蕾生は感じる。そもそも部室も机も椅子も、蕾生にはどれもサイズが小さい。
「まず何をするんだ?」
蕾生が問うと、永は明るい調子で答えた。
「ライくんには少し話したけど、まずは萱獅子刀を探します!」
「って言うと、あれか、英治親が鵺を退治した褒美にもらったっていう──」
「そう、その刀!」
まるでクイズ番組の司会のような仕草で蕾生を指さす永の隣で星弥が首を傾げていた。
「カンジシ……?」
「漢字ではこう書きます」
鈴心は阿吽の呼吸でノートを取り出し、文字を書いて星弥に見せた。チラと目に入ったノートが小学生の雑誌のおまけでつくような可愛過ぎるもので、それを見た蕾生は思わず目を逸らす。ふと永の方を見ると口を開けて笑いを堪えていた。
「へー」
それを買い与えたであろう人物は、何でもないような顔をして鈴心が書いた文字をしげしげと見つめていた。
「その刀はなんで必要なんだ?」
ノートをいじっても話題が進まないので、蕾生は余計なことは無視して永に続きを促した。
「うん、萱獅子刀の存在は『鵺を退治した』っていう事象の完結を表していてね」
「ジショウのカンケツ……?」
今度は蕾生が首を傾げる番になった。その予想はしていたのだろう、永はゆっくりとした口調で説明する。
「噛み砕いて説明すると、『鵺を退治した』から萱獅子刀を持ってる──ということは、言い換えれば『萱獅子刀を持つ』ことは『鵺を退治した』ことを意味しているんだ」
「全然わからん」
だがそれもむなしく、蕾生には何を言ってるのか理解できなかった。
「つまり、『鵺を退治した』という未来をその刀を持つことで引き寄せる──ってこと?」
星弥が言い換えてみせると、永もにっこり笑って答える。
「当たり。そういうアイテムを僕らが持つことで鵺の弱体化を図ろうってわけ」
「う……ん?」
蕾生が理解に苦しんでいると鈴心も助け舟を出す。
「呪術ではよくそういう考え方をします。私達も昔ある方にそう教わって、できるだけ慧心弓と萱獅子刀を揃えようとしてきました」
「ケイシン、何だって?」
理解する前にもう新しい単語が出てきて、蕾生の頭はさらに混乱した。
「リン! いきなり新しいワードを出さないの!」
「申し訳ありません……」
シュンとして縮こまる鈴心を他所に、星弥が興味津々で聞く。
「キュウっていうと、弓かな? もしかして鵺を射抜いた弓?」
「そうそう、さすがは銀騎サマ! 慧心弓は英治親が持っていた弓で、鵺を射抜いたもの。こっちの方がわかりやすいかな?」
永が蕾生に向き直り尋ねる。鵺を最初に仕留めたのは弓矢だったことを蕾生は思い出した。
「鵺を倒した武器ってことか? それがあったら倒せるってのはなんとなくわかる」
「そうそう。つまりね、鵺を倒した弓と鵺を退治した証の刀、手段と結果を手にすることで、もう鵺は滅ぶしかないよねっていう状況を作ろうってこと」
「ふうん?」
どうしてそんなにややこしい言い方をするんだと思うが、自分以外はわかっていそうなので蕾生はわかったような振りを試みる。
「──なるほど」
星弥は落ち着いて頷いていた。やはり本物の陰陽師の末裔と、オカルトを聞きかじっただけの一般人とは、天と地ほどの差がある。
「ようするに、その弓と刀でもって鵺と戦ったら勝てるってことだな?」
「シンプルに言えばそう」
「なら最初からそう言ってくれ」
蕾生はなんだかどっと疲れた。その姿を見て永は苦笑いしていた。
「唯くんの言うことももっともだけど、武器の背景を知ってた方がそれを扱う時の力がより強くなると思うよ」
「そういうもんなのか?」
「うん」
普通の女子高生に見える星弥が、時折見せる「普通じゃない」雰囲気。それを改めて蕾生は感じていた。