(はるか)を担いだまま無我夢中で蕾生(らいお)は走る。
 いつの間にか踏みしめるものが土からアスファルトに変わったと知覚した時、耳をつん裂くようなサイレンがとっくに止まっていることを知った。
 
「ライくん……もういい。おろして」
 
 永の声はとてもか細く沈んでいたが、語尾が元に戻っていたので蕾生は抱えていた体をその場でおろした。
 自分達の周りを見回したが構内は静まり返っており、追ってくる者なども見えなかった。
 
「どうなってるんだ……?」
 
 あんなにけたたましく鳴っていたサイレンがまさか誰にも気づかれていないとは思えなくて、蕾生は首を傾げる。
 
「きっとリンがうまくやってくれたんだろう」
 
「永、あの子は一体──」
 
 問いかけようとして永の方を見ると、その表情は暗く、怒りさえ携えているようで、蕾生の知る永とは異様な空気感をまとっていた。
 その雰囲気に飲まれ、二の句が出てこない蕾生に緩く微笑みかけて永は静かに言った。
 
「ごめん、驚いたよね」
「……」
 
 蕾生の心持ちは複雑だった。とても驚いたし、戸惑いもしている。
 けれどあの少女の存在は何故かすんなりと受け入れているような気がしていて、その理由がわからない自分に納得できない変な感覚だった。
 
「とにかく今は食堂に戻ろう?後でちゃんと説明はするから」
「……わかった」
 
 落ち着きを取り戻した永について食堂まで戻ると、中では何事もなかったように他の客達は談笑していて、職員数人もその場にいたが戻ってきた永と蕾生を特に気に留める素振りもなかった。
 
「あれだけの騒ぎに何も対処してこないなんてことがあるのか……?」
 
 蕾生の呟きに、永は小声で短く返す。
 
「つまり、ここはそういうところってことだよ」
 
 その言葉は軽蔑を孕んでおり、この研究所に対して永が抱いていたのは実は逆だったのだと蕾生は思い知る。
 永はたまにそういう一面を見せる。興味のある振りをして近づいて目的を達成した後、その対象をボロクソに言う。
 今回もその例だったのだ。それにしては随分と長いこと騙されていた気がするが。