今からおよそ九百年前、(はなぶさ)治親(はるちか)と言う名の武士がいた。名門の出身ではあったがあまり出世に欲がなく、戦で親を亡くした子どもを拾ってきてばかりいるので、奥方や家臣にはあきれられていた。
 
 ある時、帝が病にかかってしまう。その原因は夜な夜な紫宸殿に現れる物の怪のせいであった。毎晩帝の寝所の上から聞こえる恐ろしい声。その声に帝はすっかり怯えてしまい、とうとう寝込んでしまわれた。

 困り果てた大臣達が会議した結果、武士に警護をさせることになった。様々な候補の中から、昔、鬼を退治したことのある先祖を持つ英治親が選ばれた。
 弓の名手であった彼は、すぐに先祖代々に伝わる弓と矢を持って紫宸殿に参内した。帝のお召しと言っても、物の怪退治などは武士の仕事ではないので、有力な家臣はその矜持ゆえに随伴を嫌がった。

 そのため、英治親は身分の低い部下の雷郷(らいごう)とリンを連れていった。尤も、彼が一番信頼をおいているのは、戦災孤児出身のその二人だったのだが。
 
 寝所を警護していると、東の森の方角から黒い雲が広がってきて、いよいよ紫宸殿の屋根の上にかかる。黒雲の中から怪しげな恐ろしい声が聞こえてくる。

 英治親は弓に矢を番え、黒雲の中を狙いを定めて射った。するとその矢は黒雲を晴らす。すかさず二の矢を射る。金切声を上げて獣のようなものが屋根に当たった後地面に落ちた。
 獣の胴体に矢が刺さっていることを見た雷郷はそれに飛びかかり、持っていた短刀で喉元を刺した。血飛沫があがり、獣はすぐに動かなくなった。
 リンが灯りを持って近づく。するとその異形の姿にその場にいた誰もが驚いた。
 
 斃されたその獣は頭は猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎という姿だった。そして帝がおっしゃるには声は(ぬえ)という鳥に似ていたという。

 それから一年後、鵺を倒した武将とその郎党は戦に巻き込まれて不遇の死を遂げた。
 以来、彼ら三人は若くして何らかの不幸により死亡し、また生まれ変わる。それを延々と繰り返している。




 

 (はるか)はそこまで説明すると蕾生(らいお)の様子を気にかける。
 
「大丈夫? ライくん」
 
「あ、ああ……」
 
「今の話に出てきた武士が僕のことで──」
 
「雷郷っていう家来が俺……?」
 
「そう。何か覚えてることある?」
 
 尋ねる永の瞳は微かに怯えたような色を帯びていたが、蕾生が首を振るとほっと息を吐いた。
 
「いつもね、そうなんだ。君は何も覚えてない。君だけは記憶がリセットされている」
 
「永は、全部覚えてるのか……?」
 
 どんなに考えを巡らせても、蕾生には今の自分が「(ただ)蕾生(らいお)」であることしかわからない。
 だが永はそうではないというのだろうか。自分以外の自分の記憶があるという状態は果たしてどれだけの負担があるのだろう。
 
「さすがに全部は覚えてないよ。古い時代の事は結構忘れちゃってる」
 
 困ったような顔で少し笑った後、永は遠くを見るような目をして続ける。
 
「けど、英治親だっていう自覚はずっとある。鵺に呪われた()()()のことは鮮明に覚えてる」

「鵺に呪われたから、俺達は転生を繰り返してるのか?」

「あー……えっと……」

 蕾生の問いに、永はそれまで饒舌だった言葉を急につまらせた。

「そう……なのかもしれないけど、鵺の呪いの本質はそこじゃないと僕らは考えてる」

()()?」

 それは自分のことを指していないと直感した蕾生が聞き返した。
 すると永も、蕾生が呪い云々より先にそちらを気にしたことに苦笑する。

「ライくんはいつも記憶がないから、主に僕とリンがね。転生するたびに少しずつ分かってきている事もある」

「それって?」

「んー……例えば、君がいつも記憶がない状態で転生するのは、僕らよりも濃い呪いがかけられているから……とかかな」

 相変わらず永は歯切れが悪かった。いちいち言葉を選んで喋るなど、普段の澱みなくまくし立てる永からはほど遠い。

「そうなのか?」
 
「さっき話したとおり、鵺にとどめを刺したのは君なんだ。君が一番多く鵺の血を浴びた。その辺りが関係してると思う」

 化物を倒すといった種類の説話はたいていが英雄譚として語られるが、中には化物を倒したために災いがふりかかるという結末のものもある。
 幼い頃に聞くような御伽噺が、急に現実味を帯びて蕾生の目の前に現れたようで鳥肌がたった。