「母さん、入るよ」
 
 ノックとともに部屋のドアを皓矢(こうや)が開けると、憔悴した顔でベッドの横に座る婦人がこちらに向かって顔を上げた。
 
「ああ、皓矢。この方達が……?」
 
「うん、きっと星弥(せいや)を助けてくれる。これから処置を始めるから、母さんは下で休んでいて」
 
「どうか、よろしくお願いします……」
 
 深々と頭を下げて部屋を出るその姿はとても儚げで、今にも消え入りそうだった。
 ベッドに寝かされた星弥を見ると、穏やかに眠っているだけのように思える。死に瀕しているなんて到底見えなかった。それが却って痛々しい。
 そんな母娘を見て、蕾生(らいお)は絶対に助けると意を決した。
 
「じゃあ、二人は手を握って。後……」
 
 皓矢が指示する前に、鈴心(すずね)が星弥の右手、それに倣って(はるか)が左手を握った。
 蕾生はどうしたものか、あと女の子の体で触っていい所はどこだ、と懸命に考えた結果、額に手を添えることにした。額から感じる体温も特に熱くもなく、平常な温度に思えた。
 
「うん、それでいい。では始めよう。目を閉じて、元気な時の星弥を思い出してほしい」
 
 三人は言われた通りに目を閉じて、各々の抱くありし日の星弥の姿を思い浮かべる。戻ってきて、と願いながら。
 
沈幽(ちんゆう)鴇送(ときにおくる)……」
 
 皓矢がほとんど聞き取れないくらいの声量で何か言葉を唱え始める。
 
「……紅至(くれないにいたれ)……」
 
 けれどその言葉が体中を巡っていくかのような感覚があった。
 
「……心緒(しんのしょ)──ッ!」
 
 皓矢が力強く右手を振ったのが空気圧でわかった気がした。術が終わったのだと直感した三人はゆっくりと目を開ける。
 
「……星弥?」
 
 一瞬だけその体がぼうっと光ったがすぐに消え、鈴心の声にも反応がない。星弥は目覚めなかった。
 
「だめだ、足りない。僕の力不足だ。父の術式まで君達の因子を届けられない……」
 
 肩で息をしながら、苦しげに皓矢は吐き捨てるように悔しさを吐露した。額には汗が滲んでいる。力を出しきったのは蕾生の目からもよくわかった。
 
銀騎(しらき)はどうなるんだ?」
 
「このままでは……」
 
 疲れが滲んだ顔を更に白くして皓矢が焦る。それを見て永は最悪の結果を考えた。
 
「まさか──」
 
 その後の言葉は恐ろしくてとても口にできない。
 
「星弥、起きて……目を覚ましてください!」
 
 鈴心が泣きながら星弥の体を揺する。けれど眠ったまま動くことはなかった。
 
萱獅子刀(かんじしとう)……」
 
「え?」
 
「お祖父様の萱獅子刀があれば届くかもしれない」
 
「なんで?」
 
 呟くような皓矢の言葉に永が問うと、皓矢は眉をひそめ少し迷った後、観念して白状する。
 
「お祖父様は君達に嘘をついている。先日見せたものは本物の萱獅子刀ではない。お祖父様がキクレー因子の制御装置として新たに造ったレプリカなんだ」
 
 それを聞いた鈴心も蕾生も驚いた。
 
「なっ……」
 
「マジかよ」
 
 だが永だけは「またか」と溜息を吐いた後、怒りを露わにした。
 
「ああもう、ほんっと大人って汚いよねえ!? ジジイは絶対ぶっ殺す!!」
 
「本当にすまない……」
 
 術が失敗したこともあって、皓矢は力無く項垂れて謝った。
 
「でもお兄様、それではお祖父様にこの事を報告しなければならないのでは?」
 
「そうだ。仕方ない……」
 
「でも、ハル様は──」
 
 鈴心が不安げに永を見たが、永は勢いよく拳を握って宣言した。
 
「心配するな、リン。あのジジイをせめて一発ぶん殴るまでは帰らない!」
 
「そうだな、落とし前つけてもらわねえと」
 
 蕾生も拳で左手を叩いて永に賛同する。
 
「殴らせる訳にはいかないけれど、では皆でお祖父様の所へ行こう」
 
 少し悲壮な雰囲気を漂わせ、それでも瞳に光を灯して皓矢は立ち上がった。