その次の合田さんとシフトが被っている日も、合田さんは休みだった。
 その次も、その次も、その次も、その次も。
 そこにいるはずの合田さんは、いなかった。

 通知も来ていないのにメッセージアプリを開いて、既読のつかない合田さんとのやりとり画面を見てしまう。
 特に今日みたいな休日だと、1日中気にしてしまう。

 あの日からずっとこうして、もう3週間程合田さんのことを考えている。
 彼氏でもないのに。ただのバイト仲間なのに。
 執着に近いほど心配して、我ながら気持ち悪い。

 ピコンと通知音が鳴って、すぐにスマホを手に取った。
 勉強中だというのに、すっかりスマホ依存症だ。

 合田さんなんじゃないか、なんて思った。
 実際はバイト先から、来月のシフト表が送られてきただけだった。

 早速確認しておこう、と通知をタップする。
 自分の出る日を確認するより、日数を確認するより速く、違和感に気がついた。

 ……合田さんが、いない。

 合田さんの名前が、どこにもなかった。
 端までスクロールしても、1つもない。

 「……バイト、辞めちゃったのかな。」

 何も言わずに、急に辞めてしまったのか。
 あっけなく、合田さんとの繋がりが絶たれてしまった気がした。

 俺が原因だったり、するのだろうか。
 嫌われていた気がしないが、誰にでも分け隔てなく接することができる合田さんなら、嫌いな俺にも優しくしてくれていた可能性だって、十分にある。

 メッセージアプリも、ブロックされてたりするのだろうか。
 ギフトを送って確かめる方法もあるらしいが、そこまでする気はない。
 そんなことをして、嫌われたことが確定してしまったら、悲しくなるだけだ。

 もしそうなら、この心配だって鬱陶しいだけだ。
 ただの迷惑になる。

 ならばもう、忘れたフリをして、今まで通りに過ごそう。
 学校に行って、バイトをして、たまに友達と遊んで、勉強して。
 ほら、合田さんがいてもいなくても、俺の日常は、何ら変わりない。

 気持ちさえ落ち着けてしまえば、何もない。

 そう自分に言い聞かせて、スマホの画面を消そうとすると――
 電話が、かかってきた。
  画面に表示された文字は、"合田 月渚"。

 驚きすぎて、固まってしまった。
 合田さんだ。
 約3週間ぶりの、合田さんからの連絡。

 緊張してしまう。
 嬉しいとか安心したとか、そんなことすら考えられない。

 何やってるんだ、早く出ないと。
 合田さんを待たせるな。
 少し震える指で応答をタップし、スマホを耳にあてる。

 「はい。」

 「……星宮、凪沙さんですか?」

 返ってきた声は、合田さんのものではなかった。
 合田さんによく似ている、しかし合田さんよりも落ち着いた印象の声だ。

 「……はい。」

 誰だろう、と少々不安に思いながらも、静かに肯定する。
 スマホの向こうから安堵のような、小さな息が聞こえてきた。

 「失礼しました、月渚の母です。」

 「あっそうなんですか。」

 予想外の人物に、少々失礼な態度を取ってしまった。
 合田さんの声じゃないなとは思ったが、まさかお母さんだったとは。

 お母さんが俺に何の用だろうか。
 なぜ合田さんが直接かけてこないのだろうか。

 「娘が……月渚が、あなたに会いたがっているんです。」

 「合田さん、どうしたんですか? 何かあったんですか?」

 俺が聞くと、合田さんのお母さんはしばしの沈黙の後――はっきりとした声で言った。

 「月渚は――――」

 その言葉を聞いた瞬間、通話は終わっていないというのに、席を立っていた。
 合田さんのお母さんの声を聞きながら、上着を羽織る。
 鞄を肩にかけて、玄関でスニーカーに足を入れる。

 一部始終を話し終えた合田さんのお母さんに、一言だけ告げる。

 「――すぐに行きます。」





 合田さんのお母さんが言った場所は、電車で30分程行った先にある、大きな病院だった。
 走ってやってくると、入り口前で1人、スマホを触っている人がいる。
 合田さんとよく似た、綺麗な黒い髪の女の人。

 「……すみません。」

 俺が声をかけると、女性は顔を上げた。
 俺の方を見た瞳は夜空のようで、やっぱり合田さんに似ている。
 合田さんが大人になったらこんな感じかな、と思った。

 「あっ、星宮さんですか?」

 「そうです、星宮凪沙です。」

 目を丸くして俺を見た人に、ぺこりと頭を下げる。
 すると女性も丁寧に礼をしてきた。

 「初めまして。月渚の母です。」

 「初めまして。」

 ニコッと笑うと、ますます合田さんに似ている。
 親子揃って美人なんだな、なんてどうでもいい感想が浮かんだ。

 「着いてきてください。」

 「わかりました。」

 歩き出した合田さんのお母さんに続いて、病院の中に入る。
 こんな大きな病院、初めて入った。
 物珍しさに、つい辺りを見回してしまう。

 「月渚の我儘に付き合ってくださったそうで、すみません。ありがとうございます。」

 「えっあ、いえ。俺も、星を見るのは好きなので。」

 暫く無言の時間が続いた後。
 前を見て歩いたまま、合田さんのお母さんは話し出す。

 「むしろ、遅くまで連れ出してしまってすみません。」

 「いいんですよ。月渚は言っても聞かないので。」

 後ろを着いていく形なので、お母さんの顔は見えない。
 けれど声色は暖かくて、笑っている気がした。

 「月渚は、バイトがすごく楽しかったみたいで、帰ってきたら嬉しそうに話してくれました。星宮さんのことも、よく伺っていました。」

 「そうなんですか。」

 合田さんは確かに、いつも楽しそうに笑っていた。
 けれど家族にまでバイトの話はともかく、俺の話もしていると思うと、何だか照れる。

 「あそこでのバイトはもう辞めさせたのですが、これからも仲良くしてくださると嬉しいです。」

 「はい。こちらこそです。」

 合田さんのお母さんは少しだけ振り返って、にこりと柔らかく笑った。
 そのまま立ち止まって、ドアの方を見る。
 入院患者用の、個室だった。

 「ここです。」

 合田さんのお母さんは、俺にドアを開けるよう促した。
 俺が取手に手をかけると、合田さんのお母さんは眉を下げて笑った。

 「では、私は失礼しますね。母がいると、話しづらいでしょうから。」

 深々と頭を下げた合田さんのお母さんは、来た道を戻っていく。
 後ろ姿に「ありがとうございます!」と礼を言って、ドアに向き直った。

 ふーっと深呼吸をして、コンコンコンと軽くノックする。
 「どうぞー。」と、中から返事が帰ってきた。

 意を決して、ゆっくりとドアを開ける。
 視界に入ったのは、大きな窓から光の差し込む、明るい病室。

 ベッドに座って本を読んでいたと思われる少女が、こちらを向いて、ニコッと華やかに笑った。
 夜空のような瞳を閉じて、柔らかく笑った。 

 「合田さん……久しぶり。」

 ずっと会いたかった、合田さんが、そこにいた。
 合田さんの姿は、何故かあの日の流星群を想起させる。

 会えただけ。見舞いに来ただけ。
 それなのに嬉しくて、何だか涙が出そうだった。