「……先輩は、高校卒業したらどうするか、決めてんですか?」

 空を見たまま、問いかけてきた。
 合田さんはまだ1年生だから、あまり進路に関する授業はないだろう。
 高2の俺は少し前からそういった授業が増えてきて、進学先だの将来の夢など、意思決定を急かされている。

 「……決めてないよ。」

 だけど俺は、まだ決まっていない。

 「そうなんですか?てっきり医療系か福祉系かと思ってました。」

 「俺も。」

 はははっと笑って、短く返す。

 俺の母は医者で、父は介護士をやっている。
 だから俺も、どちらかの道に進むのかな。なんて、漠然と考えてはいた。

 けれどいざ真剣に考えてみると、どちらもしっくりこないのだ。
 俺がやりたいことなのか、わからない。
 俺がやりたいことが、わからない。

 だから進路も決められず、とりあえずがむしゃらに全教科勉強をしていたりする。
 勉強さえしていれば、将来の夢がどうなろうと、どんな大学、専門学校に進学したくなっても、どうにかなりそうな気がした。

 本当にこの考えが合っているのかはわからないが、努力しないよりはマシだと思いたい。
 ただの足掻きでも、何かをしなければ気が済まなかった。

 「合田さんは?」

 「私は、まだ全然決めてません。」

 あははっと声をあげて笑いながら、合田さんはあっけらかんと答えた。

 「まだ1年だし、いいかなって。それに来年、再来年の自分に何ができるかって、まだわからないじゃないですか。」

 「確かに。そうだね。」

 軽いノリで言った合田さんは、ふうっと白い息を吐いた。
 紺色の空に昇っていった白は、すぐに見えなくなる。

 「あーあ、大人になりたくないっ!」

 合田さんはばっと両手を高く上げて、星を掴むように握って、降ろした。
 ぐっと伸びをして、目を閉じて、また目を開けて、空を見た。

 「――このまま、時間が止まっちゃえばいいのになって……すごく思います。」

 空を見上げたまま、目を細めてそう言った。
 俺もそう思った。このままずっと、彼女と並んで星を見ていたかった。

 「明日なんて、来なければいいのに。」

 微笑んだまま、そう呟いている。

 けれど時間は、刻一刻と進んでいく。
 とっくに補導されそうな時間だが、流石に日付が変わるまでには解散しなくてはいけない。

 シンデレラのように……いや、シンデレラよりもいい子を独り占めできるのは、12時までだ。

 時間を止めることはできない。
 ずるずるといつまでも星を見続けることはできない。

 俺達は帰らなくてはいけない。帰らなくても、いずれ朝が来る。

 けれど、もう1度、こうして星を見ることはできるじゃないか。
 終わってしまうなら、もう1度始めればいい。

 「……明日、流星群なんだ。」

 「そうなんですか!?」

 俺が零すように呟くと、星に向いていた視線が、ようやく俺を捉えた。
 ばちっと目が合って、反射的に逸らしたくなる。
 けれど逸らせない。輝く深い色の瞳に、魅入られている。

 「見たいです!……あの、もし先輩がよかったらなんですけど……一緒に見ませんか? ここで、今日みたいに。」

 『一緒に見ようよ。』と俺が誘うよりも早く、合田さんは遠慮がちに言った。
 ここに連れてきたのは俺なのに、女の子に、後輩に誘わせてしまった。

 「……俺も、誘おうと思ってたんだ。」

 「――じゃあ、決まりですね!」

 俺が答えると、合田さんは柔らかく、星が煌めくような華やかな笑みを浮かべた。

 元々楽しみにしていた流星群が、ますます楽しみになってしまった。
 俺は流れ星と比べても、彼女の方が綺麗だ、と感じるのだろうか。
 折角の流れ星よりも、彼女の瞳を見つめるのだろうか。

 本当のところは、明日になってみないとわからない。
 けれどなんとなく、そうなる予感がした。

 明日は俺も彼女もシフトだから、今日みたいにバイト後、合田さんを誘ってここに来よう。
 合田さんの綺麗な顔が、今日以上に綻ぶ様子が目に浮かぶ。

 「じゃあ、今日はもう解散しようか。」

 本音を言えば、まだここにいたい。
 そんな思いをぐっと抑えて声をかける。
 ここで切り上げなかったら、ずるずるといつまでも、ここにいてしまいそうだった。

 「……そうですね! 途中まで一緒に帰りましょ!」

 合田さんの顔が、一瞬寂しそうに曇ったように見えた。
 けれどすぐにいつも通りの笑顔になって、跳ねるように身体を起こした。

 寂しい気持ちになるくらい、ここが気に入ってくれたのだろうか。
 そう考えると、勝手に嬉しくなってしまった。




 翌日、バイト先にやってきた俺は、スタッフルームのドアを開けた。

 「――あれ、合田さんは?」

 「まだ来てないぞ。」

 もうほとんどみんな集まっているのに、合田さんはまだ来ていなかった。
 みんな「珍しいなー。」と話し始める。

 いかにも優等生といった様子の合田さんは、いつも誰よりも早くやってくる。
 今日みたいに俺が来てもいなかったことなんてなくて、驚いてしまった。

 まあ、合田さんだって学校で居残りがあったり、他の用事があったりして、すぐに来られないこともあるだろう。

 もう少ししたら来るかな、なんて楽観的に考えていたのに、開店時間になっても合田さんは来なかった。

 遅刻かな、なんて思いながら働いて。
 そのまま勤務時間が終わって。
 どうしても気になった俺は、着替える前に店長に聞いてみた。

 「ああ、合田さんなら、今日は休みだよ。」

 何故か気まずそうに一瞬目を逸らして、店長は答えた。
 休みなら最初に言ってくれればよかったのに。

 エプロンを脱いで、スマホの通知を確認する。
 合田さんからの連絡は何も来ていない。

 『大丈夫? 今日来れる?』

 と、メッセージを送ってみる。
 すぐに既読がつく――なんてことはなかった。

 もしかしたらあの場所に、もういるんじゃないかなんて、ありもしない期待をしてしまう。

 そう長くない道を、全力で自転車を漕いで走り抜ける。
 漕いで、漕いで、漕いで、いつもより5分も早く、あの場所に着いた。

 はぁ、はぁっと自分の荒い息が聞こえて、視界に白い息が写る。

 誰もいない静かな場所には、やっぱり誰もいない。
 倒れ込むように寝転がって、空を見上げる。
 深い藍色の空に、白い筋が流れた。

 ――どうして今日、来なかったんだろうか。

 流れた星は、後で燃えて消えてしまうけれど。
 心に流れた俺の不安は、消えることなく積もっていった。