問いかけるフクの声が聞こえ、その瞬間、まるでしゃぼん玉が割れるようにぱちんと暗闇が弾けた。

 はっとして息を呑む俺のまわりには、先程までの病室の景色が広がっていた。
 慌てて手の中を見れば、そこにはたしかに親父のブレスレットが握られている。あれはやはり夢じゃなかった。ということはつまり……。

 するとその時、不意に日依の瞼が揺らいだ。そして瞼の下から澄んだ瞳が姿を現す。

『日依……?』
『映……』

 日依が俺の声に応える。俺を見つめるその瞳を見た瞬間、涙の予感がせり上がってきて、喉を詰まらせた。

 無性に泣きたくなって、俺は半ば当たり散らすように上擦った声を走らせていた。

『なんで助けたんだよ。あんなことしたら危ないだろ……っ。鉄パイプが落ちてきた時、少し遅れてたら日依が下敷きになってた。なんであんな無茶なこと……』

 怖かった。日依を喪う恐怖に怯えていた。家族を無くしたときのように、俺は情けないほどに無力だから。
 けれど日依は太陽の光を反射させるように晴れやかな微笑を浮かべ、なんの躊躇いもなく真っ直ぐに言い切ってしまうのだ。

『だって映だから。映のことは命に代えたって守るよ』
『……っ』

 言葉が詰まった。それは多分、とどめの一撃だった。



 
 その後、どうやって病院を出たか覚えていない。
 気づけば俺は、雨が降りしきる中、ひとりふらふらと大通りを歩いていた。
 雨粒が体中にまとわりついて前に進むのを阻んでくる。肺を満たす酸素が重くて息がしづらい。

 すぐそばを走り抜けていく車の走行音は、こちらの都合などお構いなしに止むことがない。歩道にいる俺に水を撥ねていくことには、多分気づいてすらいない。

 雨の中立ち尽くし、俺は虚空を見上げた。頭上からは、弓矢のように止むことのない雨が降り注いでくる。

 ……俺は、死ぬことよりも、君のいない明日の方が怖いよ。

『日依……』

 雨粒を顔面に受けながら瞳を閉じ、瞼の裏に君を思った。

 ――『大切な人の命を奪うことでしか生きられないとしたら、貴方はどうしますか』

 その答えは最初からひとつだけ。
 俺だって、君のことを命に代えても守りたい。だって俺の生きる理由は、いつだって君だったから。
 日依の余命を知った日から心に決めていた。俺のすべてをかけて、君のために生きてみせると。

 ごめんな、日依。ごめん。
 俺には君を置いて行くことしかできないみたいだ。

 君はどんな大人になるのだろう。どんなふうに夢を描いて行くのだろう。
 願わくば、その姿を隣でずっと見ていたかった。

 雨に打たれ、残酷な現実にのまれ、悲しみに胸が焼け。

 泣いた。