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「それじゃ、今日の授業はここまで。今日やった範囲はよく復習しておくように」
4時間目の古文の先生が、剣呑な口調でそう言って教室を出て行く。
この先生が授業の始まりと終わりで号令をかけないことは分かっていたから、4時間目終了――つまり昼休みに切り替わった瞬間、あらかじめスタンバイしていたすべての荷物を持って、みんなの注目を浴びないうちに教室を駆け出た。
グレーが滲んだ寒空の下の校門前。昼休みになったばかりでまだひとけがないその場所に、いつ教室を抜け出したのかその姿はあった。
吐き出した白い靄の行く先を見つめていたというのに、私が近づけばいつだって真っ先に私をその瞳に捉えるその姿の正体は、言わずもがな映だ。
「お待たせ……!」
「日依、なんだよ。急に呼び出して。それに逃避行って……」
映が事態を飲み込めないというように、私に問いかける。
避けられているのは、否定のしようがない事実だった。今朝も、委員会があるからとメッセージが送られてきて、先に登校してしまった。ひとりで登校するのは、記憶する限り初めてのことだった。
でもそうとなれば、私から呼び出すだけだ。
『逃避行するから、4時間目が終わったら校門前に来て』
詳細は伏せたままメッセージでそれだけ送り、映を呼び出すことに成功した。
こう書けば、心配性で過保護な映は私を放っておかないと思ったのだ。今回ばかりは打算的な考えをしてしまったことを許してほしい。
「逃避行ゲームだよ。行き先は決めてない。切符を買って終点まで行って、また終点から次の終点に乗り継ぎ続けるの」
「は?」
「ほら、行くよ」
つい癖で、映の手を取りそうになる。でもそこにはしっかりと手袋がはめられていて、私には触れないという無言の意思を察してしまう。手袋なんて、手が繋げなくなるからと言って、今まで着けなかったくせに。
苦い思いを奥の歯で噛みしめ、私は歩き出した。映はなにも言わずに着いてくる。
こうして映との行き先のない"逃避行"は幕を開けた。