神宮寺くんを見る瞳に、たしかな怒りが灯っていた。
 あ、と思った時には遅かった。映は大股で迫ってきたかと思うと、その勢いのまま神宮寺くんの胸倉を掴み上げた。

「はゆ、」

 がたいのいいはずの神宮寺くんを校舎の壁へと押しつけ、鋭い瞳で睨みつける。

「お前なんかが日依のことを勝手に見てるんじゃねぇよ」

 映の声は、怒りに震えていた。
 突然のことに、さっきまでの威勢はどこへいったのか、神宮寺くんは怯え切った目で映を見ている。
 映はこの世のすべてを憎むように言い放つ。

「日依の名前呼ぶな、触れるな。日依のことなにも知らないくせに、あの子を汚すな」

 ぎりりと、シャツが絞り上げられる音が聞こえる。

「日依を傷つける奴は俺が許さない」

 私は思わず映に駆け寄っていた。

「映、やめて……っ」

 映のスイッチが入ってしまった。私に危険が及んだ時だけ入る、映のスイッチ。
 映は私をいじめる男子たちに容赦がなかった。
 でも映に手なんて出させたくなかった。私のせいでこれ以上怒らせたくなかった。だって映は優しいのだ、とっても。

 私の声に、はっと我に返ったように映の手の力が緩む。その隙を見逃さなかった神宮寺くんは、踵が地面に着くなり逃げるように駆けて行った。
 すると映がこちらを振り返り、私の両肩を掴む。そこにいる映は、いつもどおりのちょっと過保護で心配性な彼だった。

「日依、なにもされてないか?」
「うん、大丈夫だよ」

 今になってようやく感情が追いついたのか、じわっと目に涙が滲みそうになる。けれどそれを懸命に散らし、笑顔を作って見せる。映が気に病むようなことはなにもないと示すみたいに。
 すると映は脱力するように私の肩から手を離し、目を伏せた。

「悪い。日依のことになると我を忘れるっていうか手加減できなくなる」
「ううん。助けてくれてありがとう。でもどうしてここに……?」
「帰ろうとしたら、窓からふたりの姿が見えたんだ」
「そっか……」

 そうして駆けつけてくれた映は、わたしのヒーローだ。どんなピンチの時だって、映はいつも駆けつけてくれる。

 それから私は、明るい話題に切り替えるように、それまでの空気を振り払って精いっぱいの笑顔を作る。

「映も帰るところだったんだ。じゃあ一緒に帰ろう」

 そうして肩にかけていたスクールバックの持ち手を握りしめた時、突然映が私に右手を差し出してきた。

「ひよ、手繋ごっか」
「え?」

 ひよ、と彼が呼ぶのは、特別な時だけだった。じっくり心から私に向き合おうとしている大事な時だけ、私のことをそう呼ぶ。
 映はほんの少し眉尻を下げ、何気ないトーンで苦笑して見せる。

「カイロ握って手あっためておいた。手袋持ってきてないんだろ」
「っ……」

 こちらに差し出された大きくて少しごつごつしたその手を、今すぐにでも握りたい。けれど、さっきぶつけられた言葉が鎖となって身動きをとれなくする。

 ――『普通の幼なじみは手繋いだりしねぇから。気持ち悪い』

 私ひとりが気持ち悪いと思われるなら構わない。けれど映までそう思われたら嫌だ。

 そんなさっきの神宮寺くんとのやりとりを、映は聞いていたのだろう。私の心に寄り添うように優しい声で諭す。

「普通なんてどうでもいいんだよ。俺たちには俺たちの距離感があるだろ」

 私はまつ毛を伏せたまま小さく頷き、映の手を握る。私の手をすっぽり覆ってしまうその手はやっぱり温かかった。

 今までなら笑って頷いていたのかもしれない。
 でも、本当にこれでいいのだろうか。そんな思いが胸の中で疼いて心が負の方に引っ張られてしまい、大好きな映の隣を歩いているのに暗く重い感情を振り払えずにいた。
 だって私は、ずっと隣にいることはできないのだ。

 ――『希山さんが弓月のこと縛りつけてるんじゃないの。依存って言うんだよ、そーいうの』

 心配性で私のことを放っておけない映のことを、縛りつけているだけなのかもしれない。そうして人はきっとこれを依存と呼ぶのだ。