隠り世にきて二週間が経ち、凍華は暇を持て余していた。

 凛子からはその細い身体をいたく心配され、毎食、雑炊や柔らかく炊いたご飯、ほくほくとした野菜の煮物に魚と、消化の良い食事が品数多く用意された。
 もともと食の細い凍華であったが、残しては失礼だといつも完食し、食事のあとは仕事をして身体を動かそうと思うのだけれど、なぜかロンとコウが寝かしつけにくる。

 二人一緒のときもあるが、用があるからと一人だけのときもある。
 子供がしなければいけない用事とは何だろうと、気になり聞いたこともあるが、それに関しては二人とも口が堅かった。

 食べて寝ては牛になると言っても、凍華はもっと肉を付けなきゃとごろごろすることを強いられる。

(太らせて、食べようというわけではないわよね?)

 凛子のことを疑っているわけではないけれど、この二週間で随分肉付きがよくなったのも事実だ。
 食後には薬草臭いお茶もでてくるが、あれはいったい何だろうと少し怖い。

 今だって、ロンとコウに布団をかけられ、小さな手でポンポンと寝るよう叩かれている。
 立場が逆だとしか思えないし、いつも先に眠るのはロンとコウだ。
 今日も「一緒に寝る?」と聞くと、待っていましたとばかりに二人は布団に入ってきた。凍華の身体は冷たくて良い匂いがすると、頬を擦り寄せ匂いを嗅ぐ。

(尻尾がほわほわ、ふわふわして気持ち良いし、二人からはひだまのようなにおいがする)

 やがて規則的な寝息が左右から聞こえてきて、それにつられるように凍華も微睡むのであった。



「凛子さん、ここに機織りはありますか?」

 食べ終えた昼食の膳を台所にいる凛子に渡しながら、凍華は尋ねた。
 このままぐうたら生活をするわけにはいかないし、お世話になっているお礼もしたい。
 しかし、台所仕事はおろか掃除洗濯もさせてもらえない。叔父の家では作った生糸で機織りもさせられていたので、せめて何か織ろうと思ったのだが。

「ごめんなさい。私達は人間ほど器用ではないから、そういうの物は妖の里にはないの。あるとしたら……」

 そうだ、と手をポンと打つと、凛子は廊下の向こうに消え、間もなく組紐の織機を手にして戻ってきた。
 
「昔、私のご主人だった人が使っていたものだから、かなり古いけれど使えるかしら」
 
 はい、と渡されたのは年季の入った組紐織機。埃をかぶってはいるものの壊れてはいないようだ。
 
「お借りします。以前、凛子さんが働いていた家のご主人様の物でしょうか?」
「いいえ、私の飼い主だった『ご主人』よ」
(……飼い主)
 
 凍華が凛子の頭の上でぴくぴく動く猫耳を見る。白に少し茶が入ったそれとふたつに分かれた尻尾が、言葉の意味を雄弁に語っている。

 糸ももらえたので、さっそく作ろうと準備をしていると、ロンとコウがやってきて、額を突き合わせ見てきた。
 赤と緑の糸を編んでいきながら、「ここをこうしてね、こう」と凍華が教えれば、どんどん前のめりになっていく。

「やる」
「俺もやる」

 案の定、伸びてきた小さな手に糸を持たせ、背後から手を取るように編ませれば、わぁ、きゃぁ、と楽しそうに糸を交差させ始めた。
 何かを作るのが初めてのようで、二人は競い合うように手を動かしていく。慣れたところで手を添えるのをやめ、凍華は二人の間に腰を降ろした。
 すると、ロンとコウがじっと凍華を見てくる。
 珀弧に言われ、顔を上げて過ごすようにしてはいるが、じっと見られるのはやはり苦手だ。

「私の目、やっぱりおかしい?」

 妖の里では目の色は様々だ。珀弧は琥珀色だし凛子は紫だから、青色だって珍しくないだろうと思うも、顔を見られると目を伏せてしまう。

「違う違う、凍華、元気になってきた」
「元気?」

 もともと病気ではなかったけれど、と首を傾げれば、今度はコウが凍華の頬をぷにっと摘んだ。
 小さな手でムニュムニュと揉まれると、なんだか心がほっこりする。

「顔色良くなった。ほっぺもちょっと詰まめる」
「ずるい、俺もする、俺も」

 負けじとロンが膝によじ登れば、コウが凍華にしがみつく。
 ふわふわの耳が頬に触れ、くすぐったい。
 と、突然心地よい低音が聞こえた。

「おい、お前達何をやっているんだ」

 えっ、と三人揃って振り返ると、袂に腕を入れ組んだ珀弧が立っていた。
 慌てて座り直す凍華をよそに、ロンとコウは左右からまだ頬をぷにぷにと突いている。

「珀弧様、凍華ふっくらした」
「ほっぺ、柔らかい」
(それは、太ったということよね)

 珀弧の前で肉付きのことを言われ、頬が赤くなり俯いてしまう。
 食べて寝てのだらしない生活を知られるようで恥ずかしく、頬を隠したいのに二人は手を離す様子がない。

「珀弧様も触る?」
「そうだな」
「えっ!?」

 聞き間違いかと顔を上げれば、大きな手が伸び凍華の頬に当てられた。
 ロンやコウのように引っ張ることはないその手は、優しく頬を包む。

「少しは元気になったようだな。顔色も良い。だが、まだ健康的とは言えない身体だ。今夜からは食事の品数をあと数品増やすか」
「そ、そんな、これ以上は不要でございます。命を助けていただいた上に、寝るところや着物まで用意していただき、ありがとうございます」
 
 指をついて頭を下げれば、珀弧はいつぞやのように凍華の前に座り胡坐をかいた。

「助けたからには放っておけない。それより、ずっとこの部屋にいるのも息苦しいだろう。今から裏山に出かけるが一緒に来ないか」
「私……外に出ても良いのですか?」

 叔父たちの許可なく外出したことがない凍華は、戸惑うように瞳を揺らす。
 寝て食べてを強いられていたこともあるが、外に出るという考えそのものがなかった。
 凍華の反応に、珀弧は僅かに眉間に皺を入れる。

「今まで、外を歩くのにいちいち許可をとっていたのか?」
「そ、それは……、私はこの目の色ですから仕方ありません。近所の人に顔を見られないよう外に出るときはいつも頰被りをしておりました。出かけるのは用を言われたときだけです」

 許可を取るのではない、用を命じられたときだけ外に出られるのだ。
 その答えを聞いた珀弧の眉間の皺が、さらに深くなる。明らかに怒りを孕んだ目に、凍華は反射的に身を竦めた。

「分かった。それなら尚更でかけよう。山は俺の持ち物だから好きに歩けば良い」

 珀弧は立ち上がると、衣紋掛けに掛かっていた羽織を凍華に手渡す。
 濃い赤色の羽織は、初めてここに来たとき長襦袢の上に羽織らされていたもので、屋敷の中が温かいこともあり、今までそこに掛けたままになっていた。

 着物は数着用意されていて、今着ているのは淡い水色の地に黄色い水仙の柄が裾に入っている。小紋とはいえ立派な品で、山を歩けば汚れるかもしれない。

「あの、私が着ていた着物はありますでしょうか。あれなら山歩きで汚れても大丈夫です」
「汚れなど気にする必要はないし、あれは凛子が捨てたと言っていた。それより、羽織だけでは寒いな。肩掛けも持っていくか」

 珀弧がロンとコウに肩掛けと履物を玄関に用意するよう伝えると、二人は先を競うように走っていった。
 続くように玄関に向かえば、可愛らしい草履がすでに用意されており、コウの手には、藤色の肩掛けがある。どちらも山歩きに相応しいとは思えない高価なもので、凍華は本当に自分が使ってもいいのかと戸惑ってしまう。

「あ、あの。これ……」
「凍華のものだ。気に入らないか?」
「そんな事ございません。寧ろ私なんかが使ってよいのかと思うほどです」
「それなら気にせず使え。できれば日が暮れるまでに山の上まで行きたいから急ごう」

 珀弧は草履を履くと玄関扉を開けた。屋敷の中とは違う冷たい冷気が頬を撫で、凍華はコウから受け取った肩掛けをしっかりと羽織る。寒いからではなく、風で飛ばないようにだ。