「でも、」
橋本さんが何か言う前に、いつの間にか来たのか、中学三年生くらいの人らが、ぎゃはは!!と笑った声が聞こえてきた。
「あははっ!!死んでしまう、だってさ!!おぉ死ね死ね!この世からいなくなれ!佳代なんか死んじまえ~!」
大きな声で、死という言葉を繰り返している。
「…」
橋本さんは、黙って彼らを真剣な目つきで見つめていた。
大翔も、そんな彼女の肩を抱き、ぎゅぅっと握っていた。
「…」
月は…足を進めていた。
彼ら達に向けて。
「…あの。すみません…」
「あ?おっ、いい子じゃねぇか。もしかして逆なん?それなら俺らと飲もうぜー!」
「……な」
「は?」
「死という言葉を…死ねっていう言葉を…軽々しく使うな!!」
大きな声で叫んだ月。
周りにいた、黙って彼らを見つめていた奥さん方も、彼女の言葉に、目を見開いていた。
「…な、なんだよお前」
「それで本当に死んだらどうするの。死んだらあんたはどうなの。悲しいでしょ!?」
「…別に、悲しくなんて」
「…生きるなんて言葉は、はかないの!!死にたくなくても、死を選ばされる人だって居るの!!死なんて…死ねなんて言葉…軽々しくつかうなよ!!」
月は叫んだ。
涙を流しながら。
「…死ねなんて、言わないでよ…」
最後は悲しそうに…寂しそうに言った。
そこに、橋本さんが駆け寄って、彼女の手を握る。
「……」
彼らは、もう何も言わなかった。
「…次死ねなんて言ったら、私が容赦しないから」
彼女はそいつらにそう言ってから、橋本さんの手を握って、こっちにずかずかと歩いてきた。
「…大丈夫?美衣」
「う、うん。怖かったけど」
橋本さんは苦しそうに笑った。
月は、先ほどの怖い顔じゃなく、むじゃき笑顔だった。
「ほら!みんなっ!もう遅いしさ。帰ろ!」
その声に、少し安心したのか、二人も笑う。
「うん。帰ろう」
橋本さんが笑顔でわらって答える。
そのあとは、平和なんて言葉以上に、平和だった。
先ほどのくらい雰囲気とは全然違う。
無邪気なものだった―。
「…はぁ」
ベットに寝転がって、今日の写真を映して描いた絵を見る。
いいようにはできたが…何なのだろうか。
彼女の、悲しそうな顔は……。
いくら考えていたってキリがない。
そう考えた俺は、ベットから起き上がって、カメラのフィルムを開く。
まだ描くものがたくさんあるんだ。
こうしちゃ、いられない。
俺は腕まくりをして、よし、書くぞ!と気合を入れた。
―何時間たっただろう。
ついには仕上げまで描き終えた俺の肩はぽきぽき、と音を鳴らしていた。
時計の針は、もう日にちを超え、三時四十二分を指していた。
7時半に学校に行くとして、あと二時間は寝ていられるだろう。
俺はベットに飛び込んで、アラームをセットし、目をつぶる。
頭の中は月ばっかりだったけれど、無理やり忘れようと首を振る。
それでもどうしても忘れられない。
あの、悲しそうな表情。
何かを伝えようと必死な、月の表情を…。
忘れることは、できなかった。
どうしようもなく、忘れられない。
俺は起き上がって、机の電気をつけ、スケッチブックのページを一つ切り取り、鉛筆で下絵を描いていく。
もうこうなったら、意地でも忘れないでやる。
―あの表情を、描きたい。
そこからは戦争のように大変だった。
ときには眠気が襲い、うとうとしそうになりながらも、俺は描いた。
あのときの月を。
本当の君を。
…これほど何かを、誰かを描きたいなんて思ったことがなかった。
今、俺は…胸の高鳴りを、抑えきれない。
窓から日が差し込んでくる。
時計の針は七と十二をさしていて、俺は床に大の字で寝転がっていた。
「……まに、あった…?」
自然と声がこぼれ、笑みをこらえきれない。
出来上がった絵は、結構は仕上がりだった。
あの険悪な雰囲気も、浴衣姿だってちゃんと残してあるし、何より月の…初めて見せた涙だってちゃんとここに描かれてある。
「おはよー!」
教室についたとたん、俺の視界は塞がれた。
「だーれだ?」
こんなの、声を聴いて一発でわかる。
忘れようとしても忘れられなかったのだから。
「…月、おはよ。元気にしてた?」
そう言ってやると、声の主は満足げに、「うんっ!」と元気よく答え、満面の笑みで俺を見てきた。
「ねねっ。昨日の写真の絵、もう完成した?」
「あー。写真に撮ってないほうが完成した、かな」
「えっ?そんなのあったっけ」
うーん?と首をひねる月を見ていると、自然と笑みがこぼれてくる。
「ま、いいやっ。私の目的はそっちじゃないし」
「あきらめ早いな」
そんな風に突っ込んだりしながら、俺たちは席に着く。
「もうすぐ、中間テストでしょ?だから…ダブルデートもかねて、勉強会を開きます。私の、家で!!」
高々と、「中間テスト」「ダブルデート」「勉強会」「私の家で」と、たくさんのキーワードを大きな声で宣言した月は、にやり、と口角を上げ、
「行くよね?」
と微笑んだ。
俺はそんな月の笑みを、挑戦状だと、すぐに理解した。
「…もちろん。受けてたとう」
俺もにぃ、と口角を持ち上げると、月はそりゃあもう嬉しそうに、にっこり、と笑った―。
十時三十五分ちょうど…。
俺はたった一人で、駅のホームで立ち尽くしていた。
五分もたったのに、集合するはずのメンバーたちが、こないためだ。
「…遅い」
待ち合わせ場所、ここであってるか何度も何度も確認しても、メモには駅のホーム、二番乗り場、と書かれてある。
それでも、誰も来ない。
あと五分経てば、十分も待っているということになる。
一応、メールも送っておいたが…既読はつかず。
今日のメンバーは、夏祭りと一緒の、俺、月、橋本さん、あと大翔だ。
月ならまだしも、橋本さんと大翔が遅れるなんてことはあまりないだろう。
何か、会ったんじゃないか。
どくどくと、心臓が鈍い音を立てながらなる。
もし、事故にでもあっていたら、俺はどうなるだろう。
三人まとめて一気に失ってしまったら…
俺は…俺…
「だーれだ?」
そんなことを考えていると、また視界が塞がれた。
心底ほっとした。
事故にあったわけでも、何か緊急事態があったわけでもなさそうな、屈託のない、間抜けな、でも明るい声だったから。
でも、これは違う。
あとから、くすっ、と笑ったような声が聞こえたから。
きっとこれは…
「橋本さん、遅かったじゃないですか」
「あー。バレちゃったか」
うふふ、と笑う橋本さんが、そこにはいて。
大翔もにこやかに微笑みながらこちらに歩いてきていた。
ただ、月だけは、「ちぃ。次はどんな手を使おうか…」と考えていた。
最初のころとは比べ物にならないような性格の一変さに、俺は正直驚いていた。
「じゃっ、行こう!ここから家、近いから」
「え?じゃあ今日、どうして遅れたの」
「あー。えぇっと…」
月は目を背け、上や左や下など、交互に目を回した。
すると、橋本さんがあきれながら言った。
「月ちゃんったら、寝坊しちゃったんだよ。LINEで、十時二十八分に【今起きた!間に合わん】なんて来るものだから、私たち、迎えに行ってたの。ごめんね、LINE見れなくって」
「ああ、そういうこと」
「本当にごめん。ほら、月ちゃんも誤って」
橋本さんと大翔が、一斉に誤ってきたため、俺は半分はあきれ、半分はしょうがないなぁ、と思いながら、「いいよ」と了承した。
「ゴメンなさーい」
そう言って反省しなさそうな月は別だけど。
「今度からは、絶対に寝坊しないでよ」
「えぇ…。私には難しいお願いだねぇ」
そう言ってにぃ、と笑う月に、心底ほっとしたのは秘密だ。
「ここが、私の家!」
駅のすぐそばの、大きな家の前で、月は高々と宣言した。
「わあ、大きい!」
橋本さんがはしゃいだように言って、大翔も「うん、すごいね」と橋本さんと一緒にはしゃぐ。
「ふふん。さあ、どうぞ」
そう言って玄関を開けた先にいたのは…
「あ、こんちわ」
月と何となく似ている、男性だった。
「…えっ、あ、こんにちは」
橋本さんが礼儀正しくいうと、男性も「…あ、初めまして」という。
「月ちゃん、カレシいたの?」
「カレシー!?いるわけないじゃんっ。この人は私のお兄ちゃん!ほら、挨拶してよ、北斗くん!」
「あ、初めまして…。蒼井北斗と言います。お邪魔します」
そう言って家に上がらせてもらった俺は、”お兄ちゃん”をなめるように見ていく。
やっぱり兄弟だから、少し似た体形をしている。
ほっそりした手足、キリリ、とした、元気はつらつな目。
性別は違うけれど、どことなく月に似ている気がする。
「ささ、始めますか!」
水色の壁に囲まれた俺たちは、勉強道具を広げ、コクり、と頷いた。
ここはまさしく、”月の間”だ。
扉の看板にもそう書いてあったし…。
多分、ここは間ではなく、月の部屋ということで認識していいだろう。
「えっと、まずは数学から…」
「あっ、このクロスワードすごい面白そう!ね、こっちをやらない?」
「あっ、私トランプあるよ?こっちからやろう、息抜きで!」
「ねね、人生ゲームやろうよ!楽しいよっ?」
月のゲーム攻撃にて、橋本さんはもう限界らしい。
はぁ、はぁ、と息を整えて、次の文句を言うと思った時。
「やるよ!月ちゃん、一緒にやろう!大翔も、もちろん北斗くんも!!」
こうなる。
ほとんどの人は、月のゲーム攻撃に出会ってしまったら、絶対かなわない。
人生ゲームでは、僕が大逆転勝利、月が負けてしまった。
負けた月は、負けず嫌いなのか、「今のはずるでしょっ。もっかい、もっかい!」と癇癪を起している。
結局、日が暮れるまでゲームを満喫し、帰っていった橋本さんと大翔。
「ばいばい!」と手を振って、二つの影をうっとり眺める月。
「…寂しいの?」
「そりゃあね。台風が去ったようだよ」
「いや、それなら月が台風でしょ」
冷静に突っ込み、「じゃ、僕もこれで…」と、帰ろうとしたとき。
「待って、北斗くん。キミはもうちょっとだけ、いてほしい」
「え?まぁ、あと三十分くらいなら居れるけど…どうしたの、急に」
「…海」
「え?」
いつもなら、はきはきとした口調で言う月が、今日はなんだか縮こまっている。
俺は距離を詰め、耳を澄ませた。
「…海、行きたい」
今度ははっきり聞こえた。
俺はその言葉に、頸を振る理由がなかった。
だから俺は、こういったのだ。
「うん。俺も、今から行きたい。月と二人で」
月はそういうと、はにかむように、小さく笑った。
「涼しいっ。ね、そう思うでしょ?北斗くん!」
「そうだね。すごく涼しい」
本当は、「空気がおいしい」というところだろうが、彼女に合わせて黙っていた。
「…ねぇ、海に比べたら、私たちって、弱くて、ちっちゃいんだろうね」
「うーん。まあ、そうだね」
「…人間の命って、儚いよね。だってカメは、万年だって生きていけるのに、人間はたった百歳超えるかどうかくらいだもん」
「そうだね。そう考えると、ツルも千年で、いいなぁと思うよ」
「…北斗くんは、百歳超えても生きてたいんだ?」
「うーん。どうだろう。そこに愛する人とか、友達とかがいるなら、もっと生きていたいと思うだろうね」
珍しく、彼女の声のトーンが下がったのは、気づかないふりをしようと決めた。
だから、あえて普通に返事を返す。
「…北斗くんは、もし大切な人を失ったら、どうする?」
「え?」
「その人はずぅっと苦しくて、助けてほしくて、キミを求めていたら」
その言葉に、正直俺は、悩みもせずに声を発した。
違う。言葉がすり抜けた。
俺の口から。ストレートに。
「別に、何ともならないんじゃないの?その人が、最後幸せだったのなら、俺はそれで満足だよ」
「…悲しまないの?それは君にとって、すごく大事な人なんだよ?」
「悲しむと思う。それでも、その人はきっと、泣いてほしいなんて思わないだろうから」
「…なんでそんなことを言えるの?だって、その人は本当は腹黒くて、情けなくて、ひ弱で、思ってることちゃんと言えないような人かもしれないんだよ?」
その言葉に、俺の頭には火が付いた。
それはきっと、月のことを言っていると思う。
月には、何らかの危機が迫っていて、助けてほしい、と俺に縋り付いているのだ。
「それでも俺は、その人と居れて、幸せだったと思うよ」
俺は言い放った。いつもの彼女のように、どうどうと。
月はそんな俺を見て、驚いたように目を見開いた、その瞬間。
見たこともないくらいに、にっこり笑ったのだ。
見たこともないくらい、とは、すごく満面の笑みで、という意味ではない。
泣きそうで、弱そうで、もろくて、すぐに壊れてしまいそうな、そんな笑顔。
始めてみたその笑顔に、俺はどうしようもなく鼓動が高まっていた。
―思えば、ここからだったのかもしれない。俺の、初恋は。月菜に対する、恋心は…。
そのあと別れた俺たちは、いつも通りにメールを交わし、次の日だって普通に生活していた。
なのに。異変が起きてしまった。
彼女はだんだんと表情が暗くなっていき、俺が笑ったのと同時に、つらそうに眉を顰めるのだ。
何か理由があるんじゃあないかと考えても、なかなか言い出せずにいる。
「はあ」
ベットうえでため息をついた俺は、月の絵を何枚か仕上げ終わり、疲れていたときだった。
今日は日曜で、一晩中絵に没頭していたからか、なんだか頭がクラクラしている。
今頃、彼女はどうしているのだろうか。
もしかして、あの日の夜のように…泣いているんじゃないか。
不安が俺を押し寄せ、汗が滲み、ベッドのシーツの上に着地した、そのとき。
月のことをぼんやり考えていると、母さんの声が下から聞こえた。
「北斗。大事な、話があるの」
変くらいのいやぁな声色。
俺はしたへと下りようとして、少し立ち止まる。
「…なんの話?」
「……いいから来なさいよ」
母さんの声が、少し強張った。
俺は仕方なく、したへと下りる。
母さんは、リビングのいすに座っていた。
俺は、その真ん前に座る。
「…あのね、この前、月ちゃんに言われたの。そろそろ…北斗にウソをつきたくないって」
「…ウソって」
俺は息をのむ。
変だ。母さんの言葉も、ウソという単語も。
「…あのね。月ちゃんは、精神的な、病気なんだって」
「病気…?」
「えぇ。なんていえばいいのかしらね。感情が生まれないというか…」
感情が、生まれない…?
「そんなわけ…。だって、月はいつも笑ってる。何言ってんだよ、母さん」
「…北斗」
「月だって、こんなこと知ればきっと怒るぞ。ほら、誤るんだろう?電話かけるから」
「北斗」
「母さん。ほら、早く話しなよ」
俺はスマホをタップしながら言った。
「北斗!!!」
ついに、母さんが大声を出した。
俺は、ぴたぁっと手を止める。
「北斗…。ねぇ。これは…これだけは、北斗が信じないと、誰も月ちゃんを救えないの。あんたに、月ちゃんがかかっているのよ。目をそらしちゃダメ」
「…」
知っていた。母さんがウソをつかないことだって、月のことに向き合えるのは、俺だけだということだって。
夏なのに、沈黙の風が、ひんやりと俺のほほをなでる。
扇風機の強めの風が、俺と母さんの髪を揺さぶる。
「…あのね、北斗。これを、読んでみて…?」
母さんが差し出したのは、“蒼井様へ”と書いてある、手紙。
封筒に包まれた、水色の便せん。
そこに、丸っこい、綺麗な字がつづられているのが何か見えた。
「…何、これ」
「月ちゃんのお手紙よ。私のために書いてくれたみたいで、北斗には読んでもらいたくなかったみたいだけどね。北斗にも、読んでもらいたいの」
俺はそれを受け取って、お風呂の方へと歩いていく母さんの後に、自分の部屋に戻り、机に座る。
足がジンジンする。ずっと座っていたからだろうか。
でも、俺はそんなのも気にせず、ふぅっと息をつく。
先ほど母さんから受け取った、便せんを、封筒から取り出す。
蒼井様へと書いてある字は、やはり月の字だ。
俺は、ペラ…と便せんをめくった。
[北斗君のお母さんへ
いきなりすみません。前に一度会ったことが、あると思います。夜空月です―]
そこまで読んで、夜空月という言葉に、安心する。
月だ。これは月が書いた手紙だ。
そう思うと、肩の力が抜けた。
夜空月。漢字で書いてあるため、夜空の月という感覚もあるのが、すごく月らしい。
だけど、敬語というところだけ、月らしくはなかった―。
[親に、聞いたと思います。北斗君には、まだ伝えないでいただきたい、とも、聞いたと思います。それは、私の本心なので、決心ができたら、私から伝えたいな、と思っています]
つたえないでいただきたい。
なんで…なんでだよ。
俺は、心臓を打つのが早くなるのを感じながら、次の便せんを見る。
[変なものですよね。感情がないから、ウソをついて笑って、怒って。言葉で感情をセーブして。
ずるくて、気持ち悪い人間です]
うそ。母さんが言っていたのは、このことなんだろうか。
でも、伝えないで、というのは、どういうことだろう。
ピンでつながっている便せん。
三つ目の便せんは…ぐちゃっとつぶした後があった。
[それに、二つの病気を背負っているのは、多分私だけですよね]
一行離れて書いてある文字は、震えていた。
次の文字も、途中まで震えている。
そして、下の方に、しずくが落ちた後がある。
[北斗君のお母さんに、直接伝えたかったけれど、私はやはり、今すぐ伝えなきゃいけないことがあるんです。
あぁ、手紙を書きながら緊張して、文字が震えてしまいます笑]
視界に現れた、彼女の笑顔。
あぁ、俺も、こんなに月の笑顔を見てしまったのだろう。
見なくても、覚えてしまう。
[私は、北斗さんのことを、慕っていました。
いい人だなぁと思っています。
でも、それ以上に、親しくなりたいと願うようになったのです]
論文のようなその言葉に、思わず笑みがこぼれる。
意味が分からない。どういうことだろう。
俺のことを、どう思っているのだろうか…??
[どうか、どうか。最初で最後の私の願いを、かなえてほしいと思っています。
それがダメなら、少しでいいです。一時間でも、一日でもいい。
彼が私のことを、少しでも見ていてくれれば、それだけで私は―]
途切れた、三枚目。
まだ行はあるのに、そこには続きがない。
俺は、最後の便せんをめくった―。
[それだけで私は、安らかに眠れますから―]
最初の行に書いてあった、眠るという言葉――。
どういう、ことだ。
彼女は、命にかかわらないのだろう?
…あ、あぁ。そうか。
寿命が尽きても、幸せに死ねる、という意味だろう。
俺は、目を、下へとスライドさせた。
[この便せんは、北斗さんには見せないようにお願いします。
私の気持ちは、あなたが抱いていてくれれば、それで満足なので。
私がもしいなくなっても、きっとあなたが最後に願い、彼に言葉を伝えてくれれば、それだけで― 夜空月]
最後の、“それだけで”という文字も、震えている。
…月は、どんな気持ちで、どんな表情で、これを書いたんだろう。
俺は、そんな疑問を抱きかかえながら、今日を終わらせるために眠った。
「…えっ?」
「だから、母さんに手紙書いたんだろう?あれって、どういう意味なんだ?」
次の日、決心を決め、俺は手紙のことを、月に伝えた。
移動教室だったため、廊下には、人であふれている。
ただ、日直の俺と、彼女だけは、教室に残っているため、俺は“秘密”をしゃべることができた。
シーンと静まり返った教室。
彼女も、俺もしゃべらない。
俺は彼女に背を向けたまま、教室の黒板の文字を消した。
「…なんでキミがそれを知っているの?」
やっとのことで出した声のように、彼女は言葉を発した。
「…母さんに、北斗にも読んでほしいって言われたんだよ。最初は、断ろうとしていた。だけど、どうしても、気になって」
「…」
彼女は、またしゃべらなくなった。
彼女は、笑っているわけない。
後ろを向いているため、表情は見えない。
だが、きっと複雑な顔なんだろう。
そう、想像しながら、俺は仕事をおわらせた。
「行こうか」
この言葉を言いながら後ろを向き、彼女に向き直る。
「っ…え?」
彼女は…月は、笑っていた。
どんな時でも、彼女は笑う。
あの、ケンカの時だけしか、涙を流さなかった。
“怒る”という、表情だって、あの時だけ。
だから…彼女は、こんな時も、悲しそうに笑っていた。
「…あのね。私、笑うしかできないの…。笑うしか、表情が表れないの」
「でも。あの時は、怒っていたよね?涙さえ、流してたよ」
「…それは、多分病気の発作みたいなものだと思う。生きるとか、死ぬとか、そういう言葉を聞いちゃうと、感情がコントロールできなっちゃうの」
信じることは、できない。
いや、信じられないんじゃない。
信じるのが、怖いのだ。
いつか、月を失ってしまうんじゃないか、なんて考えてしまうから。
「ねぇ。北斗くん」
「…なに?」
「気味が悪くて、バカで、アホで。ブスな私を描いてて、楽しい?」
「…」
「…私なんて、描いてても、楽しくないと思うの。キミのモデルは、私で…いいの??」
「・・・」
俺は、即答ができなかった。
彼女をこのまま描いていて、いいのか。と考える自分がいたのだ。
「…まだできない。決められない。俺には、もう…」
彼女は笑った。
窓から差し込んだ光が、彼女の目からあふれ出たしずくを照らした―。
月は、移動教室の、音楽の授業中に熱が上がって、早退してしまった、と橋本さんに聞いた。
あの後、俺は正直後から教室に行った。
けれど、班行動だったため、隣の席同士でも、会話ができなくなるどころか、姿も見えなくなった。
でも、そんな騒動が起きているなんて、思いも知らなかった。
橋本さんによると、38,9もあったらしい。
橋本さんは、おびえたように涙をためながら、顔を青くして去っていった。
俺は、何をしているんだろう。
屋上で空を見上げなら、ふと思う。
俺が絵を描くのは、月のためじゃないか。
彼女が病気でも、なんでもいい。
俺は彼女の絵描きで、彼女は俺のモデルじゃあないか。
それなのに、勝手に彼女を傷つけ、自分の都合で彼女を突き放す。
サイテーだ。
そんなの。
月のことを大切にしようと決めたじゃないか。
いつも北斗くんて呼んでくれた月を、あんなふうに傷つけて突き放すなんて。
俺は震えていた手のひらを握りしめ、月の笑顔を、月の言葉をもう一度頭のなかで浮き出させた。
あやまろう。
俺は決意を固め、もういちど、青空を見上げる。
どうか、どうか待っていてくれ。
俺はもう一度、キミの絵を描くんだ。
キミだけが、俺の絵の、モデルなのだから。
もう一度だけ、俺にチャンスをくれ。
そう願いながら、俺はもう一度、強く手のひらを、握りしめた。
「月!」
春には桜がたくさん咲いていた、丘の上の桜の木の下。
彼女はそこに座り、目の前の夕陽と、海を見ていた。
そして、俺が名前を呼ぶと、嬉しそうに、ゆっくりと振り向いて、笑った。
「…遅かったね。自分で呼び出しておいて。もう夕陽が落ちちゃうよ」
いつも通りの月に、涙が出そうになって、慌ててこらえる。
「ごめん…」
「どうしたの。北斗くんは何も悪くないでしょう?空気悪くなっちゃうからやめてよね」
「俺、自分のことばっかりだった…」
「人はみんな自分が一番だよ?私だって自分のことを、ここに残してほしくて、北斗くんに絵を描いてもらっているんだよ」
「…でも、月の気持ちも考えなかった」
「そんなこと考えてくれてたんだね。それだけでうれしいよ」
俺がぽつぽつと、雨のように残した言葉を、彼女は虹に変えていく。
「…ありがとう。北斗くん」
「…何が」
「私なんて、描かなくて、いいんだよ。こんな、薄汚い、私なんか…」
「俺はキミの…月の絵描きだ」
「…」
「月のために…月を描くために、俺は絵を描くんだ」
「でも」
「月は、俺のモデルだ」
そう。そうだよ。
俺のモデルは、月だけだ。
「…ねぇ」
「なに?」
俺は月の隣に座った。
「私を、描いてくれる?」
俺は笑って、深く、頷いた。
「約束しよう」
俺は近くにあった、小さな白い花を、彼女に差し出す。
月は、不思議そうに首を傾げた。
「なぁに。これ。くれるの?」
「これ、約束の証ね」
「ふふ。証って。言葉で伝わるじゃない。別に、お花で証明しなくても方法があるでしょう?」
「この花が枯れる時は、俺たちが壊れる時だ」
「え…。でも、いつか花もかれちゃうよ」
「そうだ。いつかは俺らも壊れてしまうだろう?」
「…」
「その時まで。お互い持って居よう」
彼女は黙った。
夕陽がかんぜんに落ちた、その瞬間。
「ねぇ、北斗くん。これ変だから、海の方で貝を見つけて、それをお守りにしよう!」
ザザーと、波が打つ。
俺は暑い砂の上で、砂を掘って、水色の貝を探す。
噂によると、青と水色の貝を一つずつ持つと、永遠の仲となる、という伝説があるらしい。
「あっ!」
すると、向こうの方で、彼女が大きな声を出した。
「何々?」
俺は暑い砂を踏みながら、彼女に近づく。
「水色の貝あったよ~!」
半分の貝は、淡い水色だ。
「確かにそれだね。でも、よく見つけたね」
「ふふふ。昔ね、伝説に憧れて、こういうのを見つけたら、そこのネコヤマのところにためてあるの。青色の貝もあるかもしれないから、見てくるね」
“ネコヤマ”というのは、ずっと前からある、猫が良く集まる岩のことだ。
「…ありがとう」
ネコヤマか。
昔よく、そこで海を夕陽を眺めていたな。
「あったよ~!真っ青な貝!」
月は嬉しそうに、青色の貝を俺に持たせた。
「これで、約束成立ね―」
「ねぇねぇ、見てよ~!」
休日、ネコヤマに呼び出された俺は、彼女が持ってきたノートを見つめた。
「…何、これ」
「ふふふっ!表紙を見てみてよ~!」
差し出されたノート。
変なノートだなぁと思いながら、ノートを裏返すと、
“るなの夢ノート!”と書いてある。
一ページを開くと、次々に、夢がえがかれている。
[夕陽と私]
[北斗くんとの初めてのツーショット]
[北斗くんにもらったアクセサリーをつけて、屋上の青空と一緒に]
[ジェットコースター!]
[秘密の屋上と夜空]
などと、月がのぞんだものが次々に描かれ、その横にチェックがつけられる枠がある。
「ふぅん」
「どう?この絵ぜーんぶ。描いてくれる??」
俺は自信に満ちた顔で頷いた。
「もちろんだよ。俺は、月を描くために、絵を描いているんだから」
ようやく、これを胸張って言えるようになったこと。
彼女がそれを聞いて、嬉しがっていることが、すごく嬉しかった。
「ねぇ。貝はまだ持っているでしょう?」
「うん。約束の貝だしな」
「持ってきてない??」
「あ…」
俺はリュックの小箱に手をつっこんだ。
「一応、今日ももってきておいたんだ」
「ナイスっ!じゃあカメラは?」
「もちろん持ってきているよ」
俺がそういうと、満足そうに月が笑顔を浮かべた。
「じゃあさ、その貝殻と一緒に撮ろう?」
「え?これを絵にするの?」
「ううん。違うよ。私のお守りにするんだよ。お守り?」
「うん。そうすれば、ずぅっと北斗くんを忘れないでしょう?」
月は笑顔で、カメラをこちらに向けてきた。
そして、俺の肩を寄せて、貝を片手に、笑顔でシャッターを切った―
「ふふ。北斗くん、変な顔しているね。取り直そうか」
「いや、いいよ…。どうせ、誰にも見られるもんじゃないんだろう?月だけが見てくれれば、それでいいからさ」
「ふふ。かっこいい言葉なんだけどなぁ…」
月が困った顔で苦笑いした。
やっぱり彼女は、今日も笑う――。
「…え??」
「ですから、このままでは危ないんです。月さんは、一か月以内に、亡くなってしまうでしょう…」
「北斗っ…くん。最後の絵、描いてよぉ…」
「ありが、とう…。大好き、だよ…」
「うぅっ…うぅっ…」
「っ!!」
ハッと目が覚めた。
窓から光が差し込む。
いつも通りの、少し涼しくなった温度の日。
もう夏も終わるというそんな時に、冷や汗をかいてしまった俺は、滴りそうな汗を、ぐっと拭った。
嫌な夢だ。しかも、鏡を見れば、クマが広がっている。
俺はベットから起き上がり、今日の夢を消そうと、頭をふるふると振る。
でも、いつもの様にはいかない。
どうしても、その夢は、忘れられない。
「北斗??遅れるわよー?」
母さんの大声で、俺は制服に着替え、学校に行く。
「北斗、ごはんは?」
「…いや、今日はいいや。お腹すいてないから」
俺は母さんのトーストを断って、学校へ向かう。
「おはよ!北斗くん」
今日も月は、俺に笑いかけて机に座る…はずなのに。
「…おはよ、月」
「うん、おはよ、北斗くん」
今日は何か、元気がない…。
もしかして、と思って、俺は反射的に、彼女に手をつかんだ。
「どうしたの?北斗くん」
「…いなく、なんないよね?」
「ふふっ。そんなわけないじゃん。どうしたのよ、北斗くん」
「いや…」
俺は彼女の手を放して、頬杖をついた。
「あ、もしかして。私が落ち込んでいたからかな?」
「あ、あぁ・・・」
「あのね、今日、私が落ち込んでいたのは、席替え、だからだよ」
俺は、そのことばにハッと息をのむ。
「えっ。今日席替えだっけ!?」
「うん。そうだよ。聞いてなかった?昨日のホームルームで言っていた気がするんだけどね」
「なっ…」
すると、そのことばをいう前に、担任が教室に入り、大きな声で宣言した。
「今から、席替えをする!!」
俺のクジは、三四番。
四列ある中の、二番目の列。
そして、前から二つ目の席なのだ―。
「わぁ。北斗くんと離れちゃったなぁー」
「月はどこなの?」
「えぇっとね、四列目の、一番前」
「…結構離れてんな」
「だよね。まぁ、授業中話すことはなくなっちゃうけど、放課後絵を描くのは変わりないからねっ!」
俺たちは笑って机を自分の席へと動かした。
「よろしくね、蒼井くん」
「え、あ、うん。よろしく」
隣の席は、男子に少し人気があると噂の、吉村さんだ。
「あーあ。佐々木くんと離れちゃったなぁ~」
「え?佐々木と隣になりたかったの?」
「うん…。まあね。でも、しょうがないよね。クジで当たっちゃったし…」
「えぇっと、佐々木と隣なのって……」
「えっと、夜空さんじゃなかったけ?」
よぞ、らって。
「月のこと!?」
「え、う、うん。夜空月さんでしょう?いいよね。変わってほしいなぁ~」
その言葉に、俺は立ち上がった。
「変わりたいの!?」
「え…。う、うん。どうしたの?蒼井くん」
「い、いや、月に聞いてこようかなー、なんて」
「えっ!?ほんと!?」
吉村さんも立ち上がって、やった~!とはしゃいで笑った。
そして、俺は緊張しながら、月の席に近づいた。
「でさ~」
「へ~!そんなこともあったんだねっ!すごぉい!」
月が笑顔で笑っているところが見えてきた。
「ねぇ、月ちゃんってすごくかわいいよね。俺の親友とかならない?」
佐々木の言葉に、俺はハッとして、気づいたときには、月の手をつかんでいた。
「っ…。ど、どうしたの、北斗くん」
「えっ、い、いや。吉村さんが、佐々木の隣になりた…じゃ、なくて!吉村さんが変わってくれないかなぁって言ってて」
「えっ?あ、そうなんだ。えっと、吉村さんの隣って誰だっけ??」
「えっと、俺だよ。もしかして、また同じ人なんて嫌?」
「え!?北斗くんなの!?やった~!!」
そういって、吉村さんのようにはしゃぎまわる月。
それから、また机を移動させた彼女たち。
そして、俺の横にストンッと腰を下ろした彼女。
「やった。また北斗くんの隣だー!」
月がにやにやしながら言った。
「そうだな」
俺も笑って、彼女を見つめた――――
秋に入り、セーラー服の上に、カーディガンを着る人が多くなってきた時期だ。
しかも、三連休が多い月だった為、あまり月と直接話すことも少なくなってきた。
家でダラダラする日々。
そんな日が続いた、日曜日。
「…ほ、ほくとぉっ!!」
「え?どうしたのさ、母さん」
午前…10時ごろ、だっただろうか。
母さんが血相を変えて、俺の部屋に飛び込んできた。
「る、るな…月ちゃんがぁ…!!」
「月が…!?」
俺は母さんに聞いた言葉を繰り返してから、家を飛び出す。
プルルル…
電話の音が、車のブレーキとエンジンの中に鳴り響く。
[もしもし?]
っ…。いつも通りの普通の声が、電話の奥から聞こえた。
「月!!体調は大丈夫か!?」
それでも俺は、血相を変えて彼女に聞く。
[えっ。体調って。私はいたって元気です!っていうか、また今度、ネコヤマ集合しようよ。いいよね?]
…やっぱり、いつも通りだ…。
どうして。
「今から、そっちに行ってもいい?」
[うん。もちろんいいよ]
俺は彼女の家へと走っていく。
「はぁっ…はぁっ…」
俺は、彼女の家のチャイムを押した。
「はーい!!」
すると、いつもの彼女の声が聞こえてきた。
そして、次の瞬間、ガチャとドアが開いて、満面の笑みの月が表れた。
俺は反射的に、その小さな体に抱きついた。
「…どうしたの?北斗くん」
「…」
俺は黙っていた。
彼女が身体を離そうとしても、俺は彼女を離さなかった。
顔を見られたくなかったからだ。
少しばかり涙をこぼしていた俺は、絶対に、彼女には見せたくなかったのだ。
「月」
やっとのことで涙を拭いて、顔を上げた俺は、彼女の名前を呼んだ。
「なあに?」
「…いなく、ならないよな?」
俺は言った。
言わずにはいられない。
母さんのあの言葉を聞いて、飛び出してきた俺は、汗だくだし、匂うかもしれないし、もしかしたら、気持ち悪い男としか思われていないかもしれない。
それでも…それでも俺は、聞くことしかできなかった。
だって、彼女の痛みだって、苦しさだって、俺は知らない。
彼女の悲しみも、孤独さも、俺にはわからない。
だから、聞くしかない。
まだ生きていてくれるか。
まだ、死なないか。
俺の前から、いなくならないか。
そんなのは、俺には知らない。わかれないんだ…。
どんなにわかりたくても。
「……ねえ」
「…なに?」
「………ごめんね」
その言葉に、俺はハッとして、彼女をまた抱きしめようとする。
でも、それは彼女に停められてしまう。
「ねっ?今日の私、どこか違くない?」
そういわれ、俺は彼女からサッと離れた。
変なところ・・・・。
違う、ところ…??
「……」
「はいっ!タイムアップ!」
「えぇ!?」
思いのほか、なぜか元気な彼女に、違和感を覚えたが、月はそんなの気にせずに、言葉をつづけた。
「せーかいはね……」
月の指が…顔に移った。
「あ、メイク?」
「違うよ」
え…?
確かに、メイクは…薄いのしかしていないみたいだ。
じゃあ、何だ…。
そう思った時、ハッ…と気が付いた。
我ながら、なんてバカだったんだろう。
毎日、月の顔を見ているだろう。
母さんにも、言われただろう!?
バカだ。
俺は、なんてバカなんだ…。
「…るな」
「なあに?」
「なんで…なんでさっきから、そんな笑顔しか見せないんだ…??」
「…よく気づいたねっ!せ~かい!」
そういいながらも、彼女は同じ顔のままだ。
「……母さんが言っていた、大変なことってさ…」
「ごめんね、北斗くん」
俺が言葉を言う前に、月が俺に誤った。
そんな時でも、“笑顔”のまんまだった…。
まるで、笑顔を張り付けたような顔。
完璧な、“笑顔”。
彼女は、その顔しか見せない。
いつもの、怒った顔や、悲しそうな顔。
俺だけに向けてくれる、嬉しそうな、優しい笑顔なんて、その顔には、いつまでたっても現れなかった。
「…ごめんね」
彼女はもう一度誤ってきた。
変な笑顔を張り付けたまま…。
「…もう、私を描けないね」
彼女は笑った。
先ほどまでの笑顔ではなく、目を閉じようと踏ん張っているような感じだ。
「そんなわけ…」
「ごめんね。もう私、この顔しかできない。こんなの描いてても、面白くないし、楽しくもないでしょう?」
「…」
「…キミは、ほかのモデルを見つけたほうがいいかもしれないよ」
その言葉に、俺は首を振った。
「違う。違う!俺のモデルは、月だけだ!!」
「…ねえ、北斗くん」
俺はハッとなって、声を上げた。
「ご、ごめん。月」
「ううん。北斗くんのせいじゃないよ。全部、全部私のせいだから」
「…」
違う。月のせいじゃない。
…とでも、言えればよかったのに、何も言えない俺に、ひどく腹が立った。
なんだよ、月に慰めもできないのか。
「…どうしてそうなったのか…教えてくれない?」
おこがましいだろう??
でも、俺は知るしかできない。
分かる、なんて言っちゃいけない。
だから…せめて知らなきゃいけない。
彼女のすべてを。
「うん」
彼女はにっこり、頷いた。
「…昨日の夜ね、お母さんたちに、笑顔を浮かべていたの。妹にも、兄にも、ずっと笑顔、笑顔笑顔。そしたら…兄に浮かべていた笑顔が、張り付いちゃったの」
彼女は笑う。
口角が、少し上がった気がした。
「…発作かな。見て、この薬のビン」
彼女は、玄関に置かれていた、茶色のビンを手に取り、発作…と書いてあるところを指さした。
“発作:顔が固まる。100/1の確率。 吐き気や、痛みが襲うことがある”
そう書いてある。
でも、百分の一、だろう。
「ウソ、だろう?」
「違うよ。ウソじゃない」
信じられない。
やはり無理だ…。
俺には、無理だ…。
「…だから、ばいばい」
小さな声で言った彼女の眼は、やはり笑っていた……。
ガチャと、玄関が閉まっていく。
彼女の身体が、見えなくなった。
奥から、ガタッと奥から声が聞こえてきた。
でも、その後何もきこえなくなり、見捨てられたのだ…と感じると、足を後ろへ向け、帰ろうとした瞬間。
「…ぅっぅぅ…」
すすり泣く声が聞こえてきた…。
え…?
今のって。
俺はあわてて玄関へと駆け寄り、すぐに扉へ耳を押し付けた。
周りの人が変な目で見てきたことは分かった。
視線が、俺へと突き刺さっては消えて、突き刺さって、また消える…。
その繰り返しでも、俺は、車のブレーキ音や、信号の音。
そして、人がしゃべっている声。
そんなのも、すべて聞こえないように、耳をぎゅーっと押し付けた。
「うぅ…えぅっ……うぅっ…」
今度は、小さな声なんかじゃない。
普通の、月の声だった。
涙をこぼしているような、そんなすすり声。
「る…・」
いや…俺は行ってもいいのだろうか。
彼女のことを、何にも知らない俺なんかに慰められたって、嬉しくないんじゃないだろうか…。
そんな考えが、ぐるぐると頭を回る。
一応、ドアノブをひねってみた。
すると……ギィィと、きしんだ音が聞こえた後、外側に少し開いたドア。
あ、開いた…。
今なら、行ってもいいんだろうか。
彼女に、言えるだろうか。
―無理だ。
逆に、彼女をかなしませてしまうだろう…。
でも今、月を助けられるのは、俺しかいない……。
それでも、俺には荷が重い。
無理だ…。
彼女は、俺を突き放したんだ。
だから、俺はできない。
行けない…。
俺は、ドアノブを、反対側にひねり、ドアを奥まで押し込んだ。
そして、ゆっくりと足をくつがえした。
ゆっくりと歩いているつもりなのに、チラチラと家の方に目を向けると、どんどん遠くなっていく。
まるで、もう一生たどり着かない、天と地の差だと思うほどに、遠のいていく家。
そして、信号を渡って、ゆっくりと後ろを振り向いて、家に目をやった、その瞬間。
俺と同い年か、その上くらいの男が、彼女の家の扉を開けて、月の存在に気付くと、彼女を抱きしめ、そのまま抱き上げて、そのまま家の中へと入っていった。
思わなかった男の行動に、呆然と立ち尽くした―。
その日は、ねむれなかった。
月の笑顔なんて、もう忘れて、今日の男と、月の関係が気になって、ねむれないのだ……。
俺は布団を上へと押し上げ、ベットから起き上がり、机の電気の電源ボタンを押し、明かりをつけた。
ぼぉ…と光った光は、儚く、輝いている光だった……。
「きれいだ、」と、無意識に言葉を放った。
でも、電球には、ごみや、くずがついていた。
なのに、こんなにも綺麗な光が灯った。
…それって……と思ってしまう。
彼女は笑っている。
ただそれだけで、“絵”になるはずなのに。
俺は…なんてことをしてしまったんだろう…。
俺はすぐにスマホを手に取り、時計を確認する。
時間は、午前3時47分。
彼女は起きていないだろう。
でも、俺は自分でも気づかないうちに、指を動かしていた。
プルルル…と、部屋に音が響き渡る。
サンコール、ヨンコール…といった時、ガチャ…と、スマホの奥から音が聞こえ、はぁい…と小さく声が、あたりに響き渡った―
「…月?」
〔っ…え?も、しかして…〕
「あぁ。ごめん、こんな深夜に」
〔ううん!いいの、いいの!私もあんまり寝れないし〕
「っていうか、どうして俺だってわからなかったの?」
〔えっ…もう関わらないって思っていたから。連絡、切ってたの〕
「……え」
正直、心苦しい。
そんなに嫌わなくったっていいじゃないか…。
〔…ごめんね。消さないほうが、よかったよね。えっと、電話番号、また教えてくれない?〕
「……あぁ」
俺は彼女に番号を教えて、会話をまた始める。
〔それで、どうしたの?〕
「…俺さ、まだキミを描きたい。描かせてくれないか…?」
〔……ねぇ。言ったでしょう?私のことを描いてても、楽しくないんだって…〕
「でもキミは、また見せてくれるだろう?俺はその可能性を信じているんだ…」
〔でも…無理だよ〕
「キミは、モデルになりたくないのか?」
〔そんなわけ…。私はただ…私なんか、もう終わりなんだよ…?〕
「違う。キミは、終わりなんてない…!!」
〔…〕
「キミは、その表情だって、キレイだ」
〔綺麗なんかじゃないよ…。キミは、何も知らないから言えるの…!私は…私は、もう無理なんだってば……〕
「……」
〔ごめんね…。でも、私はもう、終わるの…。これで、最後にしよう??〕
「そんな…」
〔…今までありがとう。ばいばい〕
ブツッと切られた電話。
ツー、ツー。と、真っ暗な夜に、また違う音が響いた。
最期まで、彼女は、“北斗くん!”と、俺のことを呼んではくれなかった。
それほど、俺を避けたいんだろう。
正直、傷ついたというほどの問題ではないほど、深く傷ついた。
時間は、3時を過ぎ、あと数分で、4時になるほどの時刻だ。
今日も学校はあるし、寝なきゃいけないって思ったのに。
俺はどうしても、寝付けなかった…。
「おはよ~!」
寝不足で学校に登校した俺は、元気な声で、目を覚ました。
―月だ。
俺は、ガタッと音を立てながら、席を立った。
「えー?どうしたの?蒼井くん!」
横では、彼女がふふっと笑っている。
昨日とは、また違う顔だ。
蒼井くんと言われたショック。
そして、違う顔だという、小さな幸せ。
「…違う顔になったんだね」
そういって、下におろした顔を上げた。
すると…。
やっぱりさっきの、ふふっと笑った、顔だった。
「…もしかして」
「何がー?っていうか、国語のノート貸してくれないかな?私、今日忘れちゃって。いいよね?蒼井くんっ!」
…ダメだ。
彼女は、やはりもう無理なんだ…。
「…いいよ」
俺は国語のノートを彼女に手渡す。
「ありがと!」
月はさっきのように笑って、国語のノートを写し始めた。
ピーンポーン
あたりにチャイム音が鳴る…という表現さえもできなかった。
車や、ほかの人のおしゃべりで、かき消されたチャイム音。
でも、奥からはーいと言いながら、見覚えがある顔が表れた。
「っ…え?」
「すみません、えぇっと。どちら様ですか?」
彼は…月の家にいた…。
放課後、俺は月の家へと来ていた。
そんな時、あの日、月の家へと入っていた、男の人が表れたんだ…。
「…あの、俺は、蒼井北斗と言います。夜空月さんのお宅は、ここですか?」
そう聞くと、彼は、ハッとして、快く俺を家へと入れてくれた。
「どうぞ…」
差し出された湯呑を片手にしたとき、彼は、俺の真ん前に座った。
「…月から聞いています。月の絵描きをしてくれているようですね。月がいつも、よくキミのことを話しています」
「…そうなんですか」
彼女との関係はどうなんですか、なんて聞けるわけない…。
「…あの。俺は夜空シンです。月の…兄です」
その言葉を聞いて、おれはハッとする。
「だからあの時、家に…」
「え?」
「い、いえ。何でもないです」
俺は首を振って、彼の言葉を待つ。
「…月はいつも、嬉しそうに笑っていました。キミに絵を描いてもらった時なんて、満面の笑みでキミのことを話してくれましたよ」
「……」
「えぇっと、一番嬉しかったのは、確か…福岡まで行ったとき、描いてくれた絵…と言っていたような気がします。後は…そうですね。線香花火の時、だと言っていたような」
花火の、時…。
「…あの、これを」
俺が黙っていると、お兄さんは、ささ…とノートを見せてきた。
「え…?」
これ…。
ネコヤマで、見せてもらった、ノート。
るなの夢ノート!とでかでかと書いてあるノートは、やっぱり見覚えがありすぎた。
「“もし北斗くんが来てしまったら、これを渡してほしいの”と言われたので。どうでしょう。もらってくれますか?」
お兄さんは、悲しそうに俺の顔を見つめた。
俺は…頷くしかできなかった……。
帰って、リュックを放り出してベットに寝ころぶ。
でも、どうしてもあのノートが気になって、ノートを片手に、持った。
そして、るなの夢ノート!と書いてある文字を、人差し指でなぞる。
そして、一ページ開いた。
やはりそこには、彼女の夢がえがかれている。
「…あぁ」
俺は絵を描き始めた。
何枚も、何枚も…。
母さんに、もう寝なさい!!と怒号されるまで、俺は絵を描き続けた。
学校なんて忘れ、俺は絵を描いた。
一週間が経過したとき、もう外は寒くなっていて、みんな厚着のジャンバーなどを着ている。
ふぅっと一息つき、余っている水を一気に飲み干す。
絵筆が、カチャカチャと音を立てて、机の上に置かれた。
―今まで、一番の出来だ。
心の中でそう呟いて、写真に撮って、絵を机で乾かしておく。
誰もいない家。
小学生がキャッキャと公園へと走っていく姿が、窓からちらほら見えてきた。
俺は月に電話をかけようとして…指を止めた。
…ダメだ、よな。
一週間も放置しておいて、急にしおらしく家に来てほしい、なんて。
俺は立ち上がって、一週間ぶりに外に出る。
外は、凍るように冷たく、吐いた息が真っ白く外に飛び散った。
もう冬だなぁと感じる。
マフラーを巻いて、ネコヤマに向かう。
冬の海は、ほかの寒さとはわけが違った。
全身が凍るように冷たく、痛い。
彼女は、ネコヤマにもいなかった。
って。何してんだよ、俺。
月を探したって、もういいんだ。
もう…。
俺はネコヤマを通りすぎて、桜の木を見に行った。
木は、へなぁっとしていて、春とは大違いだ。
俺は桜の木の下に座り込んで、持ってきたノートを開く。
バカみたいに大きく書いてある文字に、笑みがこぼれるのは当たり前。
俺は描いた絵のところにチェックをつけた。
そして、ノートをパタッと閉じた。
夕陽が沈む…というとき、ハ…と、目をそらせなくなった。
それくらい、目を引く姿。
彼女は、今日も笑っていた…。
「…るな?」
無意識に名前を呼んで、慌てて閉じる。
向こうにいる彼女は、気づいていないみたいだ。
一人で、寒い中、はだしで海の水浴びをしている。
ぴちゃ…と音が鳴った瞬間、彼女の足が、真っ赤に染まった。
彼女は、食いしばっているようにぎぃっと顔を引いた。
それでも、彼女は、スカートを濡らさないように結んで、海の水をばしゃばしゃと泡立て始めた。
俺はすぐに写真を撮ろうとして、止めた。
そして、スケッチブックと鉛筆を取り出し、すぐに彼女を描き始めた。
素早い速度で、絵を描き始めた俺は、もう書き直しができないところまで来ていた。
夕陽が完全に沈んだ時、俺は絵具で色を塗り始めた。
彼女はまだ、俺に気づかない。
「ふぅ」
息をついた時には、もう真っ暗で。
でも彼女は、まだ帰ろうとしなかった。
俺は絵を乾かすため、そっと隣に絵を置いた。
そして、一人で彼女を眺める。
彼女は海辺に座って、足を海に浮かせて楽しんでいた。
数分経過した瞬間、月が海から上がり、ネコヤマの方に歩いていく。
俺も一気にバックして、ネコヤマに向かう。
彼女は、暖かい石にぎゅっと抱きついた。
その瞬間。
彼女の顔に、一滴の水滴が流れた。
「…え?」
間抜けな声を出してしまった俺。
その瞬間、彼女は水滴をぬぐって、俺の姿を確認すると、ネコヤマから離れて、走っていく。
俺も必死に、あとを追おうとして…またバックして、絵を抱きかかえ、彼女を追う。
男性並みの足の速さの月に、追いつくことはできない。
それでも、俺は彼女の姿を確認するだけでも、心のそこから嬉しかった。
「月」
俺が叫んでも、彼女は振り向いてくれなかった。
もう道が続いていない、と感じたとき、彼女はもう、あちらのほうへと走っていく。
「月…!」
叫んでも、必死に走っている彼女には届かない。
「月…!!!月!!」
叫んでも、叫んでも。
彼女には届くことがない。
周りの奴らが動物に見えるくらい、彼女に叫んだ。
「月…!!月!!」
彼女を目で追いながら、俺は叫ぶ。
「…月!!」
「るなっー!!!!」
こんな声を、出したことはあるだろうか。
こんな苦しさを、味わったことはあるだろうか。
ねぇ。ねぇ。
もう一度、キミの声が聞きたい。
ダメかな。なんてもう聞かない。
俺の腕で、精一杯抱きしめたい。
そんなのも、かなわない。
そんなものも、できない俺が……
死にたいほどにくい…!!
「月…」
つぶやいた声は、消えそうで。
もう、どこかへ行ってしまいたくなるような。
そんな声だった…。
何時間立っただろう?
駅のベンチに座り込んで、俺はただ遠くを見つめていた。
ピロピロン♪と、続けてラインがくる。
一通目、二通目も母さんだった。
っていうことは、早く帰ってこいという、母さんのLINEなんだろう。
無意識に見ていた、LINEの画面。
14件着て、ほとんどが母さんだ。
内容は全部同じで、早く帰ってきなさい。だけだった。
俺は文字をタップして、【ごめん、今日は遅くに帰るよ。今、駅にいるんだ。友達に、カラオケに誘われた】
あとから、またごめん。と文字を打って、送った。
すぐに既読がついて、不満そうだけど、わかった、と返ってきた。
ウソをついた。
母さんに、こんなバレバレなウソをつくなんて、初めてだ。
でも、俺はどうしても、一人になりたかった。
夕陽なんて、もう完全に沈んでいた。
真っ暗な夜、電車が来るたびに、どぉっと人が流れていくように去っていく。
「…あの。大丈夫ですか?」
たびたび、女性や、駅員さんが声をかけてきた。
そのたびに、「大丈夫です」と答えた。
どうしたんですか?と聞かれれば、ことごとく無視した俺。
心の中でごめん、と謝るところだろう。
だけど、俺はそんな余裕なんてない。
ぼぉ…と駅をただひたすら見つめていると、ピロン♪とまたスマホが鳴った。
どうせ母さんだろう…と思い、時間を見るついでに、スマホを開く。
時刻は、10時46分だった。
結構立っているなぁ。と思いながらも、俺はLINEを開いた。
「…え?」
俺は宛名をみて、目を光らせた。
“夜空月”
確かに、未読メッセージが届いている、と書いてあるはずなのに、俺は信じきれなかった。
何度も何度も見返して、夢じゃないんだと自覚した。
そして、ゆっくりとメッセージを見ていく。
【こんばんは。起きているかな。ただいま、夜の10時53分です。今日は、逃げてしまってごめんなさい】
最初の文は、謝罪の文だった。
【今、駅にいるでしょう?】
「…え?」
その文で留められたLINE。
なぜ、駅にいるとわかるんだろうか…?
次に送られたLINEに、俺は目を疑う。
【石田さんっていう駅員さんに、紙を持たせているから、聞いてみてくれない?】
石田…??
俺は立ち上がり、駅員さんを探す。
すると、ネームプレートに、“石田”とはっきり書いてある人を見つけた。
「あのぉ。石田さんですか?」
「え?」
石田さんは、びっくりしたように言った。
「えぇっと、蒼井さまでしょうか?」
「えぇ。まぁ、はい」
俺は頷いた。
「あのぉ。夜空様…えっと、夜空月さんから、手紙を追わずかりしております」
俺はありがとうと言って、差し出された手紙を受け取った。
ベンチに座り直し、俺は手紙を開いた。
〔次のミッションを記す。ネコヤマに隠した手紙を見つけて―〕
俺はネコヤマに向かった。
夜の海は、本当に静かであった。
ネコヤマを手探りで探していくと、ひらりと舞う紙をつかみ取った。
〔次のミッションは、自分の家に行って、ポストの中を確認してね〕
俺は急いで自分家に向かい、ポストの扉を開いた。
中には、ほかにもたくさんの新聞や、紙が挟まっていたが、同じ形の、同じ文字の手紙を見つけた。
〔次のミッションは、家に来て〕
この手紙が最後だろうとわかった。
俺はすぐに月の家へといった。
「よっ」
彼女はにぃっと笑った顔だった。
「ねぇ、ノート預かったでしょう?」
「うん」
俺はリュックからノートを取り出し、彼女に見せた。
「…っ。えっ?どうしてこれ、こんなにチェックがついているの?」
「俺が、絵を描いたんだ」
俺は持ってきた絵を見せた。
「…え?」
そりゃあそうだろう。
絵の中の“キミ”は、いろんな表情を浮かべていた。
それから、駅で少しだけ描いた、鉛筆画。
彼女の涙顔だ。
「…俺は、これからも、キミだけを描く」
もう、胸を張って言える。
俺は、叫ぶように言った。
「…」
その時見た、彼女の涙の笑顔は…幻覚だったのだろうか――。
「…ねえねえ、北斗くん!じゃあ次は、この絵を描いて!」
「はいはい」
あれから俺たちは、絵を描く、ただの集団という漢字になった。
彼女の願いノートも、結構埋まってきた。
「ねぇ北斗くん。一ページは終わったって安心しきれているみたいだけど、そんなことはないんだよ?」
「え??」
一ページというのは、月の願いノートのことだ。
「どう見たって、一ページ俺は絵を描いたよ?」
「違うよ」
一ページまるまる絵を描き終わったため、緑のチェックがつくところが多くなってきた。
「ほら、ここ」
ノートに指をさした月。
俺はその指の先を見つめ、ハッと息をのむ。
「い、いや…。大阪はさすがに遠いんじゃ」
「え?福岡より、全然遠くなんてないよ」
そこに書いてある願いは…
【大阪のユニバーサル遊園地で遊びまくって、ジェットコースターで叫んでいるわたし】
と書いてあった。
「いや、ユニバーサルって…。さすがにお金がないでしょ」
「お母さんが出してくれるよ?それに、遊園地なんて言ったことないんだもの。いいでしょう?少しくらいはしゃいでも」
「…でも、まだ学校中だぞ?」
「もうすぐ冬休みでしょう?そのころに行きたいの。4泊5日で!」
「はぁ!?そんなに止まんの?」
「もちろんだよ!」
彼女は、今日も笑っていた。
「…で、いいでしょうか?」
月のお願いに、またしても母さんはあきれる。
「いえ、二泊三日や、一泊二日ならわかるわよ?でも、四泊五日ってなると…お金が心配なの。わかるでしょう?月ちゃんだって」
「お金はすべて、私が出します。北斗くんには、遊ぶ時のためのお金だけ用意してくれればいいんです。ホテル代は心配しないでください。一番高いところを取っていますので」
当たり前のように言う月。
母さんは、オーラに押しつぶされそうになりながら、にがわらいした。
「…でも、さすがに私でもいやよ。愛する息子と、少しでも長くいたいもの。私も、もう先が長くないんだから」
母さんの言葉に、俺はドキッとした。
「母さん!」
俺は椅子から立ち上がる。
さすがに、死という言葉は、友達の前で言うもんじゃあない…。
「私は、お母さんより早くに、この世から消え散るでしょうね」
月は笑って言った。
母さんは、ハッとして、息を止めた。
「私のお母さん、今年で42才なんです。父さんは、46才です。結構離れていますよね。お父さんは、もう死ぬとわかりきっている。と言っていますが、私はきっと、父さんより早くに死んでしまうでしょう…」
月は、たんたんとした声で言った。
「え…?どういうことだよ」
俺は口をはさんでいった。
こらえきれない。こんな、“死”ということばを扱った会話なんて……。
「…ふふ。何本気にしているの、北斗くん。もしもの話だってば」
彼女は笑った。
それで俺も安心した。
俺たちの会話をみて、母さんはふぅっとため息をついた。
「…いいでしょう。ですが、冬休みですよ。うちは、一切責任を取りませんからね」
母さんはそう言い残し、リビングの方へ消えていった。
俺は彼女にグーを突きつけ、コツンと手を合わせた。
「とうとう…冬休みだぁー!!」
二人きりの教室で、彼女はめちゃくちゃに叫んだ。
「月、すこしうるさいよ。結構くらい時間までいちゃったから、先生たちに怒られるかもってさっき言っただろ」
「えへへ!でも、もうすぐ遊園地行けるんだもん。そう考えると、すごく楽しみじゃない?」
ウキウキの彼女に、俺は苦笑いをこぼす。
窓から外を見ると、もう真っ暗だ。
「でも、先生たちにバレないようにいかなきゃいけないから。静かにして」
俺は冷たく言ったはずなのに、彼女は嬉しそうにうなずいた。
コツ…コツ…
下の光がともされているだけの、暗い廊下。
窓の外も、もう真っ暗だ。
しかも、凍るように寒い。
いつも元気な彼女が、鼻水を啜るくらいだ。
「うぅ。寒いね」
「静かにして」
足音だけでも、すごく音が鳴るのに。と続けると、彼女はえへへ。と笑って、しぃっと指を口元に寄せた。
それがあまりにも色っぽくて。でもそれが似合ってなくて。
俺は苦笑してしまった。
無事に学校から出られて、正門まであと数メートルというとき…。
「お前ら!!何してんだよ!」
後ろからドでかい声が聞こえてきた。
俺たちは、ゆっくりと後ろを振り向く。
すると、体育の熱血教師、山田貴之先生がいた……。
そして、こちらに向かって、全速力で走ってくる。
「…ねぇ、北斗くん」
「…あぁ」
俺は頷いて…
「走れ!!」
叫んだ。
全速力で猛ダッシュした俺たち。
そのまま正門を抜け、俺たちは先生が追いかけて来ないくらいまで行って、二人で笑った。
「ふふふっ!面白かったね。っていうか、明日先生に怒られないかなぁ?」
「いや、明日から冬休みだろ。っていうか、遊園地行きたい!って言っていたくせに、忘れてるのか?」
「あっ、そっか」
彼女は笑った。
「ねぇ、明日、楽しみ?」
彼女を家まで送り届け、玄関の前で手を振った俺に、月がゆっくりと語りかけた。
「…うん。なんていったって、月と一緒だからね。カメラと絵は、絶対持っていくよ」
「…うん!私も、すっごく楽しみ」
ばいばい、と言い残し、彼女は扉の奥へと消えていった。
真っ暗な夜、一人で歩いていると、どこか孤独を感じてしまう。
家は、まだまだ先だ。
俺はスマホの明かりを灯しながら、家へと向かう。
駅からは、たくさんの人がたびたび出てくる。
今日はさむいなぁと感じながら、俺はふぅっと息をつく。
一度、自動販売機に近寄り、ブラックコーヒーを買う。
ゴクッ…と飲み干したコーヒーは、ほろ苦く、少し甘い。
俺は一服して、また歩き出した、少し先、俺のスマホがうぅーっと鳴った。
俺はポケットのスマホを取り出して、LINEを開く。
「…ん?」
あて名は、るなだった。
【一人で寂しくない?私今からキミの家の近くのコンビニに行くから、一緒に行かない?】
俺はハッとして、文字を急いで打つ。
【夜も遅いから、来なくていいよ。近くのコンビニを使えよ。風邪でも引いたら、大変だぞ?】
俺はすぐに送信して、既読がつくのを待った。
数秒後、既読がついたが…そこからは何も来なかった。
俺はボタンをタップして、彼女に通話をかけた。
一コール、二コールと、どんどん時間が過ぎていく。
サンコール目で、ピッと音がしたかと思うと、すぐに彼女の声が聞こえた。
〔もしもし?北斗くん?〕
「あ、あぁ。っていうか、来なくていいからな?」
〔…えぇ。でも…〕
「いいから。一応、駅にはいるけど、来なくていいから」
〔えっ!私も駅にいるの。三階にいるの?〕
「えっ?ち、違うよ。えぇっと、俺もう行くから!」
俺は真っ赤のボタンをタップして、急いで歩き始めた。
「あっ、ちょっと待ってよ~!」
すると、奥の方から、月の声が聞こえた。
俺はもっと早く歩き始める。
「待ってよっ」
ポンッと肩をたたかれ、びくっと体を震わせる。
「えへへっ。ほら、一緒に行こっ?」
俺は頷くことしかできなかった……。
「寒いねー」
「そうだな」
制服姿の、薄着の彼女は、寒そうに笑った。
「…そうだな」
俺はそういいながらも、彼女に自分のジャージをかぶせる。
「っ…。いいの?」
「俺、今寒くないし。いいよ」
俺はずびぃっと鼻水を吸って答えた。
かっこ悪いなぁと思いながら、俺は歩く速さを早めた。
「ちょっと待ってよ。北斗くんだって寒そうにしているじゃない!風邪をひかれたら困るのはこっちもだよ」
彼女はえへへ…と笑って、耳につける、フェッドホンのようなものを俺にかぶせ、赤くなった耳を温めてくれた。
そして、ぬくもりを感じるマフラーを、俺の首に巻き付けた。
「…いいのか?」
「うん。だって、あまりにも寒そうなんだもん」
彼女は肩をすくめて、あきれたよう笑って言った。
「ごめん」
「うん。感謝してね」
彼女は笑って、俺の腕を組み、俺よりも早く歩き始めた。
「…でも、二人とも手がつめたいね」
俺の指先をなでながら、月が言った。
あまりにもつらくて、俺の顔は、きゅうっと赤くなった。
「寒いね。手が冷たいだけで、全体が冷たい気がする」
月が鼻をすすりながら言った。
「私のジャージにも、服にも、スカートにも、手を入れられるほどのポケットなんてないし。あーあ。寒いなぁ」
こんどは、にやにやしながら彼女は笑った。
「…それってさぁ…」
「えぇ?私は何も言ってませんけどー?ただ、寒いなぁって思っただけだけど、何か~?」
…。
俺はまた、月に泳がされるまんまだ。
「…ねぇ。ゲームしようよ」
彼女はにやりと笑って、俺の目を見つめた。
「ゲーム…?」
「うん。一〇〇秒ゲーム。一〇〇秒目をつむるの。相手にいろんなところを触られるけど、声を上げなかったら勝ち。どう?」
「いや…そんなの無理だよ」
「えー?あっ、わかった。なんか、やらしいこと考えてるでしょ」
彼女はうげぇっという顔をして、俺から距離をとる。
「そんなんじゃ…」
「ならいいでしょう?」
俺は、いたずらっぽい笑みを浮かべた月に、頷くしかできなかった。
「じゃ、私からさわるね。上半身だけだから」
彼女はウインクした後、目を閉じて、とささやいてきた。
俺はぎゅぅッと目をつむる。
そして、一、二…と心の中で数え始めた。
すると、するする…と脇腹を触られた。
思わず、ぷぅっと笑いそうになったけれど、俺は頑張って耐えた。
「…おっ、耐えたね」
彼女は笑った。
すると、次は、頬を触られた。
くぅっと歯を食いしばり、耐えた…と安心していると、彼女のすぅっと息を吸う声が、俺の耳に届く。
「ちなみに、負けた人が、勝った人の手をあっためるっていうのはどう?」
その言葉に、気を抜いた俺。
「すきありっ!」
月が、俺の脇をくすぐった。
「うっ…はははっ!!ちょっ…!」
笑ってしまった。
「あーあ。まだ開始から、六二秒しかたっていないよ。次は、私の番ね」
彼女は数歩あるいたところで、ぎゅっと目をつむった。
「…」
俺は負け確実。
だけど、彼女を道ずれにだってできる。
「…」
俺は、彼女と同じように、脇を触った。
でも、彼女は動じない。
俺は、ほほを触った。
でも、彼女は嬉しそうに笑うだけで、声も出してくれなかった。
次に、俺はお腹を触る。
「うっ…くっ…」
月は、笑いをこらえるように言った。
でも、もう一度触ると、あははっと笑いだした。
「あーあ!二人とも笑っちゃったね」
彼女は残念そうに笑って言った。
「そうだな。で、二人とも温めないってことで」
「え?そんなわけないでしょう?二人とも、温めるの!」
「えぇ?」
「どうせもうすぐ家なんだから、少しくらいいいじゃない?キミだって寒いでしょう?」
その言葉に、俺は、仕方なくうなずいた。
そして、そっと彼女の手に触れる。
「ね?冷たいでしょう?キミも冷たいけどね」
彼女はふふっと笑った。
そして、月も、俺の手を握り返してくれた。
「あったかい…」
最後の信号の前で、月がぽつっとこぼした言葉。
「…そう?」
「うん。すごく温かい。ありがとう」
家の前でも、彼女はありがとう!と叫んで、コンビニへと走っていった。
「遅かったわね?宿題は済ませたの?」
「今日はないよ。明日から」
「ふぅん。っていうか、明日から遊園地でしょう?早く準備しなさいよ」
「あぁ。うん」
俺は頷いて、リュックを手に取った。
本を数冊と、服を手にとり、リュックに詰め込む。
そして、ほかの袋に、絵具と色鉛筆、画用紙を詰め込んだ。
カメラも入れようとして、ふと、カメラの記録を見てみると…今とは違う、いろんな表情の彼女がいた。
怒ってる顔に、今のように笑った顔。
…やっぱり、キミはきれいだ。
“写真の中の月”にいう。
あぁ、俺はバカらしいなぁ……。
俺は、カメラも一緒にカバンに詰め込んだ。
スマホは充電器に差し、充電しておく。
お金も、ありったけのものをつかみ取り、財布に入れる。
財布もリュックに押し込んで、俺はふぅっと息をついた。
ほとんどの準備はそろっている。
でも、数冊の本と、カメラ、絵具だけじゃ、きっと暇つぶしにもならないだろう。
新幹線に乗る、と言っていたし、ねる時間は沢山あるけれど…勉強する時間はあまりない。
帰りの時にもできるように、数枚、宿題を持っていくか…。
俺は月に、宿題を数枚持って行った方がいい、と送り、スマホの電源を落とした。
その日は、うまく眠れなかった。
まだ温かい手に、彼女の体温が伝わってくるから。
でも、寝不足だなんてできなかった。
だって、明日から遊園地に行かなきゃいけないから。
俺はふぅっと息をつき、また目を閉じた。
「遅いよ~!」
「ごめん。つい寝過ごしちゃってさ」
「もうっ!」
月が怒ったように、俺に顔を近づける。
「まぁ、いいけれど。ほら、早く行こう?」
「うん」
俺は頷いて、新幹線に乗るところへと向かう。
「初めてなんだよね、新幹線って」
「俺も。でも、一応予習してきたから大丈夫」
俺は手順通りに、新幹線に乗った。
「うわ。ドキドキするね」
もうすぐ動き出す…というとき、月が声を上げた。
「うん。そうだね。思ったより緊張するよ」
俺も、同じように頷いた。
「…えっ?でも…」
「なに?」
「う、ううん。何でもない」
彼女は、あはは、と笑った。
「…ふぅん。っていうか、机出してもいい?」
「えっ?うん、いいけどどうして?」
「宿題をするためだよ。スマホに書いただろう?」
「えっ…、あ、あぁ。そうだったね!」
彼女はあは…と笑って、俺と同じドリルを取り出した。
「今やるの?」
「もちろんだよ。遊園地ではできないだろう?」
「うん、そうだね。じゃ、始めよ」
彼女はドリルのページを開き、俺もドリルを解き始める。
数時間立っただろうか。
俺たちは、問題を解いては、交換して〇つけをしていく。
俺は数十問間違えてしまっていたが、月はノーミス、つまり、何も間違えていなかったのだ。
「すごいな。ここまでノーミスだぞ」
「えっ?ほんと?やった!いつもは成績悪いんだけどな」
彼女は嬉しそうに笑って、俺も笑顔を浮かべた。
「もうすぐ着いちゃうね」
「なんだよ、ついちゃうって。つく方が嬉しいだろ?」
「うん、まぁ、そうなんだけど。私は、もう少し…」
彼女は机に寄りかかり、腕の上に頭をのせた。
「…私はもう少し、北斗くんと二人きりが良かったな」
にこっと笑った彼女。
俺は顔が真っ赤になって、目を背けた。
「……そ、それは。別にいつでも二人になれるじゃないか」
「うーん。そうだね。でも…部屋べつべつだし」
「えっ…?そうなの?」
「あれれ~?スマホで送ったはずなんだけどなー?」
彼女はにやにやして、スマホを見せてきた。
確かにそこには、既読はついていないが、【部屋べつべつだよー】と書いてある文章を送っていた。
「…本当だ」
「でしょう?だから、スマホは絶対重要だから、充電しておいてね」
「…わかったよ」
俺は頷いて、新幹線がとまったことを確認して、新幹線から降りた。
「ここが大阪!」
月はすぅっと息を吸った。
「ほら、早くいかなきゃ。チェックイン、四時だから、急いで」
俺はそんな月を急かし、早歩きで、地図通り進んだ。
「…お、おっきいね!」
「そうだな。これだけ大きいとは思わなかったよ」
目の前に現れた“遊園地”は、ドームくらいの敷地。
「あっ…ほら。早くいこ?」
次は俺が急かされる番。
「あ、そうだな」
俺も頷いて、ホテルへと向かう。
「わぁっ。大きなベットだ」
自分の部屋のベットに寝転んだ月。
「じゃあ俺も、別の部屋に行くよ」
「うんっ!また明日ね!」
俺は彼女の部屋のアイカギをポケットに入れて、自分の部屋にカギを回し、入った。
「…すごい」
ぽつ…とこぼした声。
俺はあわてて荷物をほどいた。
もう、外は真っ暗だ。
俺は風呂の沸かし方もわからなかったため、ベットに寝転んで、そのまま目を閉じた―。
「おはよー!!」
午前…五時ごろだっただろうか。
月が大声で俺の部屋へと上がり込んできた。
「っ…」
まだ眠い…なんて思っていたって、もう眠気なんて覚めてしまった。
「る、月…?」
「うんっ!ほら、早く並ぼ?朝ごはんは、遊園地で食べたら大丈夫だから!」
「ちょちょ!待って!」
ぎゅうぎゅう引っ張られた腕を、反対側に引っ張り、彼女の動きを止めた。
「なになにっ?どうしたの?」
「いや、俺着替えてないし…カメラも持ってないよ?」
「えっ!?そういうのは事前に準備しておかなきゃだよ!?」
「今起きたんだよ。しょうがないだろ」
俺は少し怒り気味で、自分の部屋へと戻った。
着替えて、カメラを持って、スマホをポーチに入れ、部屋を出た。
「おかえり!ほら、早くいかなきゃ!並ぶ時間、ながいんだからね!?」
月が急いで俺の腕をつかみながら、ホテルの廊下を走り出した。
「ちょっ…!早いって」
そんな言葉を発しながら。でも、笑顔が絶えない俺たちは、いろんな人の注目の的になってしまい、顔が赤くなったのは言うまでもない。
「ほらっ。やっぱり、もう人が来てた!」
遊園地の入り口に、人がたくさん並んでいる。
彼女は荷物検査を通り抜け、列に並んだ。
俺も慌てて通り抜け、列に並ぶ。
数十分並ぶと、列が進み始めた。
園の中に入ると、もうそこは“夢の国”という雰囲気に似合っていた。
「…わぁっ!すごいっ!ハワイみたいだね!」
噴水の地球を見ながら、月が叫ぶ。
「そうだな。写真、一枚撮ろうか?」
「うんっ!」
月が、噴水の前で、にこやかにピースした。
今日は、“この笑顔”なんだ、と感じながら、俺はシャッターを切った。
「ありがとう!」
月が、シャッター音に気付くと、嬉しそうに俺に近寄ってきた。
さぁ、行こう。
俺は人込みをかき分け、月が一番行きたい!と言っていた、アトラクションに向かった。
数時間はたっただろう。
少なくとも、2時間はここにいる。
何個もアトラクションに乗った俺たちは、寒い中、ベンチに座りこんで、お菓子を食べていた。
だけど、「ジュース買ってくるっ!」と言って、自動販売機に走っていった月が、数分経っても、数十分たっても、帰ってこないのだ。
メールだって、電話だってしたのに、彼女は出てくれなかった。
嫌な予感がして、俺もベンチから離れ、近くの自動販売機へと行く。
でも、そこには彼女は、いなかった。
「あのっ!すみません!」
俺はキャストに話しかけた。
帽子をかぶっているキャストさんは、優しそうに、「はい」と答えた。
「どうなさいましたか?」
「あの…夜空月っていう、中学三年生の人を見かけませんでした!?」
「えっ…?特徴を言ってくださいませんか?」
「えっと、銀髪の髪に、空色の瞳です。手袋と、暖かそうなジャンバーに、セーターを着ています!!」
「セーターの色は、何色ですか?」
「雪のような、真っ白なセーターです。セーターは長く、太ももくらいはあると思います。そして、その下に、青色の、長いスカートをはいています」
俺はカメラに保存されている、月の写真を、キャストに見せた。
「あ、あぁっ!この子。先ほど、小さいお子さんずれの親子に、写真を撮ってあげていましたよ」
「そ、それでっ!どちらの方向に行きましたか!?」
「え、えぇ。えぇっとですね、西方面に行ったかと思います。西方面っていうのは、お土産屋さんの方です」
お土産…!?
俺はすぐに、お礼を言って、そちらに走り出す。
「…はぁっ。はぁっ」
次第に、雪が降ってきた。
数分で下には、数ミリの雪が積もっている。
寒くて、指先が冷たくなり、足も、あまり動かしにくくなった。
それでも、俺は走った。
心配で、苦しくて。
「月っ!!」
お土産屋さんの中に入った俺は、月の名前を、思いっきり叫んだ。
「ふへっ!?」
すると、レジの前で、袋を持っている、月を発見した。
「る、な…?」
「ど、どうしたの!?北斗くんっ!!そんなに慌てて。っていうか、手、冷たいよ!?」
焦りながら、俺にマフラーを着せ、背中をさする月。
「よ、よかった…。どうして遅かったんだよ。心配したんだぞ…?」
「えっ?心配してくれたの?」
「…まぁ。それで、何を買ったんだよ?」
俺は彼女が持っていた袋を覗き込んだ。
「色違いの幸せ守りと、おそろいのスノードームだよ。北斗君と、半分ずつ持っていこうと思って。ごめんね?遅れちゃった」
「…うん。心配したんだからな」
「うんっ…。ごめんね、本当に」
月が俺の顔を伺いながら答えた。
俺はふぅっと息をついて、お土産屋さんを出た。
「わぁっ。ゆきっ?」
「あぁ…そういえば、雪ふっていたなぁ」
「わぁっ。すごいすごいっ」
月は耳を赤くしながら、嬉しそうに笑った。
「でも…寒いだろう?」
「うん。ちょっとだけどね」
俺はまたお土産屋さんに入り、販売されていてたキャラクターマフラーを買った。
「その恰好で大丈夫?キミ、あんまり着こんでこなかったよね」
俺はその言葉にうなずいて、歩き始めた。
「ねえ、そろそろ帰ろっか」
「え?もう?」
その後、三個の乗り物にも乗って、時刻は二十時を過ぎていた。
彼女の言葉に、俺は驚きながら、ピタッと足を止めた。
「うん。かえって、今日撮った写真を、絵に描いてほしいの」
「でも、俺はもう少しここにいたいんだけど」
「遊園地はまた明日も来れるでしょう?“また明日”があるんだから。大丈夫」
「…わかった」
彼女のしゃべり方に、少し意味を感じたけれど、スルーをして、俺はゆっくり頷く。
「暗いね。足元、よく見えないよ」
ホテルへの帰り、月が心配そうに言った。
園の中は明るかったし、足下も見えた。
でも、真っ暗闇の中で、ホテルへと帰るのは、かなり心配だ。
光と言えば、たびたび、そろそろと走っていく、車のバックライトだけ。
「疲れたね」
なんとか部屋に戻り、俺はさっそく絵を描き始めた。
月は、ソファで、何かの本を開いて、くつろぎながら読み始めた。
半分まで描き、俺は筆を止めた。
「もう仕上げに入るよ?」
「うんっ。よろしくね」
月はこちらに一瞬目を向け、にこりと笑う。
そのあと、また視線を本のページに移し、目で文字をたどっていた。
「…何を呼んでいるんだ?」
俺は立ち上がって、彼女のもとに歩み寄る。
本の題名に目を向けると、そこには『生きる』と書かれていた。
「見たこともない本だな」
「そうだね。これ、昔に買った本だもん」
「ふぅん。どういう物語なの?」
「もうすぐ死んじゃうって言われた女の子が、学校の男の子に、“無理に笑わなくていいよ”と言われ、恋に落ちてしまう。でも、彼女はその恋もかなえぬまま、死んでしまうっていう物語」
「…悲しい系か」
「そうだね。でも、どの本よりも、素敵だと思わない?」
「…どうだろう。でも、ほかにもいい小説だってあるだろう?」
「あるよ。もちろん。でも…命について考える、この小説を書いた人が、とてもすごいと思っているの」
俺は面白くない、とその時感じた。だってそうだろう。
その人は何も、悪いわけでもないのに、俺はどうしてもそいつに腹が立ってしかたなかった。
「……」
その時、わかった。
俺の中で、月が、思った以上に、大きな存在になっていたということを。
「…?どうしたの?北斗くん」
「…い、いや。別に」
すきだと伝えたら、キミはどんな顔をするんだろう。
いつものように笑うのかな。
悲しそうにうつむくのかな。
それともウザいと嫌われてしまうかな。
いや、月はそんなことはしないだろう。
“ウザい”なんて、絶対彼女は言わない。
きっと、悲しそうに…優しく笑ってくれるだろう。
その日は、久しぶりにぐっすり眠れた。
目が覚めたのは、午前四時だった。
俺は鉛筆を手に取り、新しい画用紙に描き始めた。
「もう、起きているの?」
六時を少し過ぎたころ、彼女は眠そうにして、俺の部屋へと入ってきた。
そのころには、仕上げも完成させていた俺は、画用紙をたたんでいた。
「あれ?絵を描いていたの?」
「うん、さっきまでね」
「ふうん。今日も行くでしょう?あっち」
「もちろんだよ。そのためにここに来たんだろ?」
俺はカバンを持って、部屋を出た。
もう準備をしていた月は、レッツゴー!と両手を上げて、歩き出した。
数時間後。
「あぁっ…疲れた!!」
俺におんぶされながら、疲れたように言った月。
「だからはしゃぎすぎんなって言っただろう」
「だって楽しいんだもん…」
彼女は微笑みながら答えた、気がした。
「じゃあ、またね。おやすみなさい」
月の部屋の前につき、俺たちは分かれた。
すぐ隣の部屋へと移動した俺は、ベッドにすぐ飛び込んだ。
時は経て、もう帰る時間だ。
「楽しかったね、遊園地」
「そうだな」
帰りの新幹線も、俺は机を広げ、宿題を勧める。
「…疲れちゃった。ねぇ、私、宿題しなくてもいいかなぁ?」
「えぇ。でも、あとから後悔するよ?あと5日しかないんだからさ」
「えぇ…じゃあ、北斗くんが教えてくれるならいいよ」
ドンッとぶつかりながら近寄ってきた月。
俺の心臓は、どうしようもなく早く打ち合っていた。
「?どうしたの?昨日から少し怪しいよ、北斗くん」
「…いや、何にも?」
「ふうん?っていうか、じゃあここ教えてよっ」
「え、あ、あぁ」
残りの一時間、どうか、どうかこの時間を邪魔しないでほしい。
この時間だけは、二人きりの時間を、満喫したい。
もし神や仏がいるのなら…どうか今だけは気の利いた感情で、どうか。
この時間を、邪魔しないで…。
「もう着いたんだね。キミと話してたら楽しくて、時間なんて早いって感じちゃう」
月は今日も笑顔を浮かべた。
優しく笑う月。
新幹線から降りて、二人で荷物を抱えながら、ネコヤマに向かう。
「……綺麗だね」
夜空を見上げながら、月が言った。
「…月の方がきれいだよ」
「そうかな?ありがとう」
月が照れくさそうに言った。
「好きっていえば、月も同じ気持ちになってくれる?」
気づけばそんな言葉を漏らしていた。
きっと、この空がなければ…ネコヤマじゃなかったら。
俺はどうしようとしたって、告白なんてしかなかっただろう。
「…えっ?」
恥ずかしくて、顔を見られないのはしょうがないと思ってほしい。
「北斗くんは…私のこと好いてくれているの?」
「……好きだよ」
もう、後戻りはできない。
俺は月に向き合って、彼女の目を見つめる。
空色の瞳は、困惑したように揺れていた。
「…私も、好き、だったよ」
“だった”
その言葉に、俺は震えた。
あぁ、人生初の恋は、失恋に終わってしまったんだ。
「…もう今は、好きじゃない」
俺はその言葉を聞いて、ぎゅっと目をつむった。
もう、聞きたくないんだ…。
「ごめんね…ごめんね…」
月は、泣きそうな顔のまま、笑っていた。
彼女は、目に涙をためたけれど、その涙はもう引っ込んでいて、海をまっすぐと見つめている。
「にゃあ~ん」
猫が一匹、彼女に近寄った。
彼女はそれを、大事そうに抱きかかえ、優しくなでた。
「……ねぇ、北斗くん」
「何…?」
真っ暗な夜の中、身体が触れ合うこともない、夜の中。
彼女は静かに言ったんだ。
「ばいばい、しても、いい……?」
「…」
俺はゆっくりと頷いた。
だって、しょうがないだろう?
振られた相手のいうことを逆らうなんて、できっこない。
部屋に戻って、ベットに飛び込んだ俺。
泣いちゃいけない。絶対泣かない。
俺がないちゃいけないんだ。
彼女はもう、俺に言うことはない。
俺が望んだ言葉なんて、きっともう言ってくれない。
“好き”と言ってくれる日は、もう来ないのだから……。
「っ…」
それでも、それでも。
どうしようもなく、月が好きだ。
あーあ。
どうすれば、彼女とまた、普通に話せるようになるのだろう…。
冬休みが明けた。
もうすぐクリスマスなので、クリスマス会があったのに、彼女は来なかった。
彼女は、電話も、LINEだって、返事をしてくれなかった。
既読スルーをされ、電話も一切出てくれない日々が続いた。
あの日彼女が言った、“ばいばい、してもいい?”という言葉は、このことだったんだろうか、と思う。
先生だって、“月は体調が悪いようだ”と言って、教えてくれなかった。
「…ねえ、北斗くん。最近の北斗くん、なんだか変だよ。どうかした?」
「え?そんなに俺、変かな」
月が来なくなって、一週間が経過した、ある日の昼休み。
橋本さんが、泣きそうな、心配そうな顔で俺の机に寄ってきた。
確かに、食欲が出なくてご飯はあまり食べていないし、普段、月に連れまわされてばかりだったから、運動にもなったけれど、その必要もなくなり、痩せて腕に前より力が入らなかったりとするけど、まさかそこまで変になっていたとは。
「…やっぱり、月ちゃんのことでしょう。最近、来ないもんね。理由を聞いても、風邪だからとか、インフルエンザにかかったから、とか、いろんな言い訳してくるの」
「…あ、そうなんだ」
「えっ?聞いてなかったの?北斗くんなら、なんでも月ちゃんのことわかってると思ってたのに…」
「…俺も、まあいろいろあるんだ。最近連絡とってなくて」
俺がそう答えると、橋本さんはますます困ったように口角を下げた。
「2人そろって変になっちゃったら、私、どうすればいいの…」と、なにやらぶつぶつ言っているが、俺は気にしないことにした。
だって、しょうがない。
月は俺のことを完全に嫌っている。
そうじゃないと、こんなのありえない。
やはり、気持ちを伝えたのが間違いだったのだ。
それで彼女を…月を傷つけた。
やっぱり俺は、サイテーな人間だ。
自然と涙がこぼれそうになって、慌ててこらえる。
それでも、涙は止まることを許さなかった。
まるで、「思う存分泣け」と言っているようで。
俺は涙に身を任せ、橋本さんにこの状況も一緒に任せた。
ああ、つらい。
俺は…どうていつもこうなのだろうか。
月のことを好きだと言ったのは、本当に間違いだったのだろうか。
それでも、好きだ。
月のことを、誰よりも愛している。その自覚はある。
…月、キミは今、どこにいる?
どんな思いで、今何をしている?
知りたい。彼女のすべてを。
彼女の、秘密を…。
「ねえ、北斗。最近、月ちゃんと話していないんじゃない?」
次の日の朝、まるで橋本さんのように母さんが言った。
「…どうしてわかるの」
「最近、北斗…悲しそうだし、つらそうなんだもの。学校、休む?いいのよ、きつかったら言ってくれても」
母さんの表情は、殴られたように痛々しい。
「…ううん。いいんだ」
なのに俺は、その情を断り、学校に向かった。
授業がはじまる少し前、俺は屋上へ向かう。
今日も、青い空を見ながら、俺はふぅっと息をつく。
「…会いたい」
俺が出したため息は、誰の耳にもとどかない。
そうして、今日も彼女がいない学校が終わりを告げた。
「ねぇ北斗!今日は健康診断よ。早くいきましょう?」
「えっ?」
帰ってくるなり、母さんが俺に飛びつきながら、玄関へ押し込む形として、そう言った。
内容は…どうやら健康診断に行こう、というもの。
「いや、クリスマス過ぎてからって言っただろう…??」
「ううん、早めてもらったのよ。ほら、早くいきましょう??」
「…いや、自分で行くよ。それくらい俺だって行けるし」
「えぇ、でも…」
母さんはつまんなそうにくちびるをとがらせたが、俺にはそんなもの通用しない。
「じゃあ俺、行ってくるから。保険証くれる?」
「…えぇ。じゃあ、行ってらっしゃい」
母さんに保険証をもらった俺は、すぐに病院へ向かう。
家から一番近い病院は、なんでも受け付けている、すごい病院だ。
もちろん、健康診断だって、重い病だって直せる病院だ。
「えぇっと、予約の蒼井様ですね!すみません、今立て込んでいて。数分待ってくれませんか?」
「わかりました」
俺は番号を書いた札を受け付けの看護師にもらって、ベンチに座る。
五分ほどたっただろうか。
もう一人終われば、俺の番だ。
「えぇっと。次の方は…夜空さん!」
看護師さんの大きな声が聞こえ、俺は目を見ひらく。
慌ててベンチから腰を上げ、すぐに看護師さんへ視線を送る。
すると、しろいセーターを着た女性が、看護師さんに連れられて行った。
俺も看護師さんに連れられて、すぐに病室の待合室のベンチに座る。
すると…ドアの向こうで、銀髪に、白セーター…そして、空色の瞳が見えた。
「えっ…?」
急いでドアを開け、外をのぞく。
やはりそこには、小柄な彼女の姿があった。
「る…」
るな、と呼ぼうとして、ハッとした。
今話しかけたって、逃げられて終わるだろう。
俺は伸ばしかけた手を引っ込め、待合室にもどった。
「はい、なんともないですね。質問とかありますか?」
「あ…えっと」
健康診断が終わり、先生に言われた言葉で、彼女の姿を思い出す。
「あの…夜空月さんってこの病院に通っているんですか…?」
「えっ?夜空、さん?うーん。あまり患者のことは話せないんですよ。夜空さんを知っているんですか?」
「同じクラスなんです。最近…俺と話してくれなくて」
「うぅん…。そう、ですね。夜空さんは、よくこの病院に来ますよ。実は…月さんは、重い病気にかかってしまっていて。オペが必要なんですよ」
「えっ!?」
びょう、き…??
あり、えない。
「あ、ありえません。いつも元気で、笑っている、月が…??」
「最初は、感情がなくなる、という第二段階だったんです。でも、別の病気も発症されていることが分かりました」
「月は…月は助かるんですよね?そうですよね?」
「……今のところは保証できません」
ガンッと頭に衝撃が走った。
「あのっ!!月はまだいますよね!?」
カウンターの看護師さんに、俺は叫んだ。
「ちょっ、お静かに…!えっと、夜空さんでしょうか」
「はいっ!!お願いします、教えてください!!」
「…えっ。で、でも」
「おねがいします!!」
俺が頭を下げると、看護師さんはしぶしぶ…というように、答えた。
「先ほど…本当に、十秒前くらいに、帰っていきましたよ」
「ありがとうございます!」
俺は急いで、病院を走り出した。
すると、向こうの方で、月が歩いている姿を見つけた。
「月!」
俺が叫びだすと、月はこちらを一瞬振り向いて…あの日のように、逃げ出した。
俺も速度を上げて、走り出す。
「る…」
「来ないでっ…!」
信号が赤くなって、追い詰められた月。
悲しそうにうつむいた月は、俺をキッと睨みつけた。
「っ…」
「おねがい…、来ないで!」
両手を突きつけ、顔を伏せた月。
「…そんなに俺は嫌われることを、したか…?」
「っ…」
「俺は気持ちをつたえただけだ。それも…気持ち悪いと思うのか…?」
「…」
月は黙ったまま、両手を下へとおろした。
「…わかった。俺も、ごめん。迷惑だっただろう?」
「………うん」
突きつけられた現実。
悲しい真実。
確かな事実。
「なぁ。一つ、言わせてくれ」
「…」
「俺のこと、もう忘れてくれ…」
今度は、俺の番だ。
一番大好きな…キミを、俺から突き放す。
それが一番楽。
それが一番の、安心なんだ。
クリスマスまで、あと一週間というとき、月は学校に来るようになっていた。
でも、あのにっこりと笑った顔は、もう見られなかった。
「ねえ月ちゃん。一緒に…ご飯食べない?」
「…うんっ!いいよ」
取り繕ったような、曲がった笑顔。
「ねえ、橋本さん。最近、月変だと思わないの?」
「えっ?別に普通じゃない?北斗くんったら、月ちゃんへの愛が強すぎじゃない?」
「…そんなもんなのかな」
「そんなもんよ、きっと。ほら、早くご飯食べちゃおうよ」
「いや、俺、今日も屋上で食べるから…」
「そっかぁ。寒いのにすごいね。じゃ、また、次の授業で」
橋本さんは、笑って月に駆け寄り、教室を出て言った。
俺も弁当をつかみ、屋上への階段を上った。
屋上は、相変わらず寒く、もう冬だから、息を吹くと、白いけむりがふわぁっと飛び散った。
いつものように弁当を食べ終わった俺は、静かに教室に戻る。
「あっ、おかえり、北斗くん。ねえ、月ちゃん、来年から違う学校行っちゃうんだって…。嫌だよね。最悪だよね…。お別れ会も含めて、家でパーティしない?」
「……」
来年から、転校…?
病気なのに…?
「…月、ちょっと今いい?」
「……忘れてって言ったのはキミでしょう?」
小さな声で帰ってきた返事。
俺は、何も言えず黙っていた。
「どうしたのよ、二人とも?ねえ、いいでしょう?北斗くんも、来るよね?」
「…うん」
俺はゆっくりと頷いた。
「ねえ、お別れ会なんだけど…クリスマスイブがいいな」
「え?どうして?クリスマスでいいじゃない」
「ううん。イブがいいの。ほら、サンタさんが来るのはその日の夜でしょう?私、毎年その日は、一人で居るんだ。その習慣は、ちゃんと守りたいの」
「ふうん。一人で居たい…ってこと?」
「うん。ごめんね」
「ううんっ。いいよ」
クリスマス、イブ。
どうしてその日なんだろう?
彼女はいつも、一人じゃない。
いつも笑って、楽しそうで。
ウソだ。
こんな話は、ウソだ…!
そんなことを考えていながら、当日まで言えなかった俺は、なんてみじめなんだろう。
今日は本当の本当の、“クリスマスイブ”だった。
「月ちゃん、今までありがとー!!」
橋本さんの合図で、手作りのクラッカーが、パンッ!と音を出して、飛び出さした。
「ありがとうっ、みんな!」
月は真ん中で、優しく笑っている。
会場では、果物や、おやつがたくさん並んでいて、みんなでジュースを飲みながら、昔話などをしていた。
「もうそろそろ、七時になっちゃう」
「もっと一緒にいたいよ~!!」
誰かが叫んだ。
「ごめんね」
月は笑顔で答えた。
「ばいばいっ!」
何もしてないない俺は、ただ彼女が去っていく背中を見ていくしかなかった。
あっという間にパーティーは終わり、俺もいつもの路地についていた。
何も考えず、ふらふらと歩いているだけで、自分の家についた。
ああ、だるい。ベットで横になりたい。
そんなことを考えながら、俺はカギを回し、扉をくぐった。
「母さん、ただいま」
玄関から大声を出した俺。
「っ…」
母さんは、リビングで目に涙をためていた。
「か、母さん…?どうしたの?」
「ほく、と…」
「っ…どうしたんだよ」
「る…るな、月ちゃんっ…」
「…?月がどうしたんだよ?」
「る、月ちゃんが…明日…しゅづつを受けるって」
「しゅづつ?うん、知ってるけど。でも、助かるんだろう?ちゃんと助かるんだろう?きちんと、また笑えるようになるんだろう…?」
おい北斗。病院の先生から言われた言葉、覚えてるかー?
頭の中の、誰かが言った気がした。
それでも、うそだと思いたかった。
ううん、うそであってほしかった。
彼女は、きっと…!
「…このしゅづつに失敗してしまえば……もう、月ちゃんは…」
「…っ。は?」
思わず口から零れ落ちた、俺の声とは思えない低い声。
「どういう、意味…?」
「……死んじゃうの。月ちゃん…死んじゃうっ…!」
突然言われた、“死”という言葉。
―大切な人は、明日も、明後日も、生きている。
―それが当たり前だと思ってしまう。
―でもそれは、“当たり前”なわけがない。
―約束されたものじゃない。
―明日も死なないよ、なんて言われるわけじゃない。
―もしかしたら、突然死んでしまう人だっているかもしれない。
明日も、明後日も、来年も、再来年も、彼女は生きている。
そう、思ってしまうんだ。
いや…違う。
どうしようもなく、思いたいんだ。
寝床に寝転がったって、どうしても眠れない。
明日が、彼女の命日かもしれない。
彼女が、死んでしまうかもしれない。
ピロロン♪
ブルルルとスマホが鳴った。
画面に表示された、“月”という文字。
俺は急いでスマホを開き、送られたメッセージを見つけた。
【会いたい】
そのあとどうしたと思う?
もちろん走った。
思い切り。
絵具と鉛筆、そしてスケッチをリュックに押し詰めながら。
早くいかなきゃ…彼女はもう、遠くへ行ってしまう気がして、怖かった。
きっと彼女は、あそこにいるだろう。
寒い風が、俺のはだをつきさす。
やっぱり彼女はそこにいた。
猫をなでながら、優しく笑っていた。
「…月」
今日はもう、逃げられない。
「久しぶり、北斗くん」
「…うん」
あぁ、なんであの時、あんなことを言ったんだろう。
いまさら後悔しても、もう遅い。
「忘れてって言われたのに、結局、いっつも頼っちゃうなぁ。キミのこと」
「っ…」
彼女は静かに笑った。
「ごめんね。北斗くん。やっぱり、キミを忘れることなんてできなくて…」
「いいんだ!いいんだ。忘れないで…」
それは、か細い声だった。
忘れないでほしい。なんて、かっこ悪いにもほどがある。
告白と言い、セリフといい…かっこ悪い。
「…うん。忘れない。絶対忘れないよ」
月は嬉しそうに答えた。
「……もう、会えないかもしれないの。だから…いいよね?」
「…会えないかもしれないって……」
「聞いたんでしょう?お母さんから。明日…しゅづつを受けるんだ。これが、最後かもしれないんだ」
「……」
やっぱり、そうだ。
夢なんかじゃなかった。
「…ウソって言ってほしかった」
「……うん」
「明日も、生きててほしい」
「…うん」
「まだ、月と一緒に居たかった…」
「うん」
「まだ、月のことが好きなんだ…」
「…」
「だから…」
「なんで、そんなこと言うの…?」
「…っ」
「私だって、一緒に居たい。私だって、北斗くんのこと、大好き…!」
月は悲しそうに言った。
でも、それでこそ月は泣かなかった。
「…ねえ、北斗くん」
「…なに?」
「大好き、だよ」
「…うん」
きっとそれは、俺と同じ意味ではない。
きっと、俺だけと同じ、言葉じゃない。
「……もう、さよならだから…描いてよ。最後の、私を」
月はにこりと笑って、猫に視線を落とした。
俺は鉛筆を握って、スケッチブックに芯を押し付けた。
これがきっと、最後の絵。
「私もノート、持ってきたんだ」
もう何時間たっただろう?
ようやく絵が描き終わって、彼女は“月ノート”を取り出し、一ページを開いた。
「結構埋めたね」
「そうだな」
「嬉しい。ありがとう、こんなに描いてくれて」
「…うん」
「たったの一年しか一緒に居ないんだね、私達って」
一年…。
長いような、短いような感覚。
でも、俺にとっては、短い一年だったと思う。
「…もう、ばいばいしなきゃ」
「え?」
彼女が言った言葉は、衝撃的過ぎて、頭に入ってこなかった。
「じゃあ…ばいばい。北斗くん」
「っ…」
またね、と言ってくれなかったことが、またつらい。
「…あのね」
浜辺で向かい合ったたち。
月は、微笑みながら言った。
「絵が、ほしいの」
「えっ?」
「キミが描いた、絵が欲しいの」
「で、でも…家にあるんだけど」
「うん。それでもいいから」
俺は家へ一度かえって、月に絵を渡す。
「ありがとう。これで…病室に飾れるよ」
「…」
そうだ。
彼女は、今頃病室に居なきゃいけない時間だろう…?
「っていうか、どうして今ここにいるんだ?病室に行かなきゃいけないだろう…?」
「あー。抜け出してきたんだ。北斗くんに、会うために」
「っ…」
俺の、ため…。
「ねえ、ギュってしてよ」
「…え?」
ギュってって…ハグって意味…??
「えっ、と…それって」
「ハグってこと。してくれる?」
「い、いや…でも……」
俺はたじろいでしまう。
だって、好意もない相手に、ハグなんてされていいのだろうか?
いくら月だって、嫌に決まっている。
「…北斗くんなら、いいんだよ。私の最後のお願い、聞けないの?」
“最後のお願い”
その言葉を聞いて、俺は衝動で彼女を優しく抱き込んだ。
「…あったかい」
月の声を合図に、俺はふぅっと息をつき、彼女を離した。
「…じゃあ、ばいばい」
最期まで、彼女は、笑っていた。
自分が死ぬというのに…。
もう誰にも会えないかもしれないというのに…。
「…北斗。大丈夫?」
「…うん」
俺は頷いて、部屋へと戻って、ベッドに寝転がる。
視線はなぜか、すぐに時計へと止まった。
時計の針は、午前二時を指していた。
俺が目を閉じると、いつの間にか眠ってしまった。
目を開け、再度時計を見ると、午前九時を指していた。
しゅづつはもう始まっている時刻だ。
「母さん!!」
「…北斗。どうしたの」
「月、月は…!?」
「…月ちゃんねぇ。もうすぐしゅづつが、終わるの」
「っ…」
俺は昨日のカバンをつかみ、すぐに家を飛び出した。
「る、月は…夜空月さんは…!?」
「は、はい…。三階の、突き当りの治療室にいらっしゃいますよ。今はしゅづつ中なので…あと十分ほどで面会できると思います」
「ありがとうございます…!」
俺は急いで治療室へと向かう。
ランプが赤く染まっている。
文字には、“しゅづつ中”と書いてある。
数分経つと、終了…と緑のランプに変わっていた。
病室から、先生のような人ができてきた。
「…あのっ!月は!?」
周りには人がいなかった。
月のお兄さん、お母さんたちですら。
「………」
先生は、視線を床に落として、ゆっくりといった。
悪い予感がしていた。
言われれる前に、そんなことを思ってしまう。
胸が苦しい。
気持ちが悪い……!
「…すみません…夜空さんの命は…あと二時間も持たないでしょう……」
「…」
すみませんで済まされることなら、とっくに俺だって、いろんなことをその言葉で乗り切っている。
すみませんで命を失うなら、家のばあちゃんだって、死なないだろう。
「………面会って、できますか?」
いつもの俺なら、きっと先生に殴りかかって、月に飛びついて。
俺だって死のうとしてしまうかもしれない。
それでも、俺の口から出た言葉は、静かで…落ち着いていた。
「…できますよ。今、月さんを病室に運びます」
まもなく、うっすら目を開けた月が、ベットの上で、運ばれながら病室に向かっていた。
俺もその後に続いて、病室に駆け込む。
どうしてだろう?
月が、死んでしまう、というのに。
涙さえ、出て来ない。
「…北斗、くん?」
「うん。月…気分どうだ?」
「……いいよ、すごくね」
彼女はにこりと笑った。
「ウソ、だろう…?」
「ウソじゃ、ない、よ」
「…」
月は…かわいそうだ。
死に際だって…ウソをついて、笑わなきゃいけない。
自分が死ぬというのに、泣くこともできない。
「…月」
「なあに?」
「泣けよ」
「…え?」
「泣いて、いいんだから。笑わなくて、いいんだから…」
「っ…」
月は驚いたようにこちらを向いた。
俺だって、わかってる。
もう月は…ダメなんだ。
月は、もう。
「…泣いて。あの日みたいに」
「……むり、だよ」
「むりじゃない。こらえているだろう?」
「……でも…泣いたら」
「誰も、嫌いにならない。泣いたからって言って、離れたりしない」
「…」
月は悲しそうだった。
それでも、優しく笑ってた。
「ちょっと、散歩しよう!」
数分経って、彼女は元気よく宣言した。
病室から出て、月は陽気に歩きながら、かつて向日葵が咲いていた場所へ足を運んでいた。
その場所へついたとき、もう向日葵は咲いていなかった。
変わりに、空からぽつぽつと、雪が降ってきた。
「もう、クリスマスイブなんだね」
「…そうだな」
「イルミネーション、見たかったなぁ」
「…見れるよ。俺が絵を描いて、キミに見せるから」
「……ねえ、私の仏壇にさ、キミの絵を飾ってほしいの」
“仏壇”
「うん。どれがいい?」
「たくさんあるんだよねぇ。飾りたい絵。でも…やっぱりあれかな。有明海の絵かなぁ…。やっぱり」
「……わかった。っていうか、知ってるか?冬休みの宿題で、絵のコンクールがあったこと」
「えーそんなのあったの?北斗くんは応募したんでしょう?」
「明日…わかるんだ。結果がね。キミに伝えたい」
「うん。一番に伝えてね」
「……だから」
「うん」
泣くな。泣くな…!!
俺が泣いていいことじゃない…!
「死ぬ、な」
やっと出た声は、震えていた。
こんなこと言ったって、月が困るだけなのに…。
「…わがまま言ってもいい?」
月は空を見上げたまま、静かに言った。
真っ白な髪が、ひらひらと、雪のように舞っている。
「…北斗くんは、きっとすごい画家になるよ」
声を張り上げた月の声は、震えていた。
まるで、空に声を張り上げるように。
「私が保証する!」
本音なんだなぁと思った。
ぽろぽろと、俺の目じりから、涙があふれでた。
月はいつでも、笑っていた。
「そろそろ、戻ろっか」
月が笑って言った。
「…」
これが最後だと、何となく思う。
「…じゃあ、月」
またばいばい、と言われるのだろうか。
もう会えないから、またね、と言ってくれないのだろうか…。
「…またねっ、北斗くん!」
月はそう言って、笑ってくれた。
「…また」
俺も笑った。
泣いてしまう。
あれほど泣いたというのに。ああ、最近俺は泣いてばかりだなぁ、と、つくづく思う。
俺の片目から、涙が零れ落ちた。
しばし笑いあった俺たちは、言葉を交わすことも、ましてや何かポーズをすることもなく、ただ突っ立って笑っていた。
周りの人たちが、怪訝な表情で俺らを見ていたとしても、この時間が俺たちにとって、どれだけ大切で、どれだけ愛に満ちているか、知らないだろう。
確かにそこには、強いきずながあった。
どうしようもない、愛おしさがあふれていた。
彼女は、去り際にも笑っていた。
枯れることを知らない俺の涙は、どんどん流れてきたけれど。
月は、それでも笑っていた―。
それから三十分後…“月が死んだ”という知らせを聞いた……。
彼女は最後まで、笑っていたようだった。
にこりと微笑みながら、去っていった、と知らされた。
母さんは泣いていた。
学校中のみんなが泣いていた。
橋本さんなんて、大声をあげて泣いて、泣いていた。
授業中だって、涙があふれながらも、ちゃんと勉強していた。
そのくらい、月はみんなにとって、大事な存在だった。
「蒼井くん…当選、しましたよ。美術館に、飾られています」
「…そうですか。ありがとうございます」
あれから、俺は、ずいぶん暗くなったと思う。
月の葬式が終わった後から、月の夢ノートをもらい、交換で海の写真を預けた。
でも…月のノートは、開けなかった。
開きたくなかった。
もうあの日から、一週間が経過したというのに…。
絵の中の彼女を見ると、あの日のように、優しく笑ってくれるんじゃないか、と考えてしまう。
今より元気そうで、優しく笑う月に、会いたいと思ってしまう。
だから、開きたくなかったんだ。
「…ねえ、北斗。そろそろ、開いたら?」
一週間と二日経ったその日、母さんが俺の部屋に入ってきて、ノートを手に取った。
「…でも…」
「月ちゃんは、きっと見てほしいと思っているわよ」
母さんの言葉に、ハッとした。
…そしたら、俺が一人で開いたら、月はいないと、突きつけられたように思ってしまうから、俺は開かなかった…開けなかったのだと。
母さんが去っていったあと、俺は置かれたままのノートを手に取った。
「…月。ねえ、見ても、いいか…?」
風がふわりと舞って、俺の耳をなでた。
俺は一ページをそっと開いた。
四角い枠に、二人で行ったところ、一つ一つにチェックがついていた。
次のページは、ほとんどついていない。
また次のページは、すべてついていなかった。
最後のページを開くと、追伸のような文と、手紙が挟まれていた。
手紙は机に置いて、文を読み始めた。
【久しぶり!きっと北斗くんのことだから、あんまりこれを開けなかったんじゃないかなー?当選はどうだった?北斗くんのことだから、きっと当選されているよね!見たかったなぁ。私、本当にキミの絵、大好き!】
そこで途切れた文。
何かを書こうとして、止めた印があった。
次に、手紙に封筒を開いた。
その時、ポトンッと落ちたカセット。
ラジオに移せるのだろうか…?
俺はカセットを横におき、入っていた手紙を読んだ。
【ここには、最後のお願いを記します!私が死んでも、泣かないでほしいんだ。
それと、笑って生きてほしいんだ。一緒に入っていたカセットはね、キミを勇気づけるために入れたの。きっと落ち込んでいるだろうから。それと、自分の絵も見てないでしょう?当選しただろうから、ちゃんと見てほしいな。っていうかね、私も当選したの!ごめんね、キミにウソついちゃった。
だから、ぜひ見てほしいな。
キミのために描いた絵だもん】
そこで終わった文字。
カセットのことも書いていたから、きっと彼女の声が記されているんだろう。
俺はカセットを近くのラジオにセットして、再生ボタンを押した。
〔北斗くんのアイドルっ!月だよぉ!って、なんか変だよね〕
笑った声が聞こえてきた。
これは、いつ撮ったものだろう?
〔これは、キミに告白されて、少し経ったときに撮ったものなんだ〕
久しぶりに彼女の声が聞こえて、安心した。
〔あのね…前好きだったっていうのは、ウソなんだ。病気持ちの私が、恋なんてして、彼氏でもできちゃったら…死んじゃうの、嫌になっちゃうから〕
悲しそうな声だった。
〔ねえ、大好きだよ!北斗くんっ!〕
「…うん」
思わず答えてしまった。
それくらい、安心してしまったから。
〔北斗くんは、北斗くんを生きて。死なないでね〕
…生きれるかな。
俺は、今まで通りの人生を、ちゃんと生きれるかな。
心の中で月に問い、俺は残り1分のカセットを、もう一度再生した。
〔…ほんとはね〕
すると、突然くらい声になった月が、ぽつり、とつぶやいたように言った。
〔わがまま、言いたかったの〕
〔甘え、たかった〕
〔ほんとのこと、言いたかった〕
〔君になら、いいかな〕
まるで涙のように、すれ違ったようにそういった月は、すぅ、と一度息を吸った音と共に、こういった。
〔本当はね…死にたくない〕
…ああ、本心なんだな、と思った。
始めて、本当の月と話したような気分だ。
〔…もっとキミと、一緒に居たかったの〕
泣いているのだろうか。
ぐすっと鼻をすする音と、うぅ、という嗚咽が聞こえてくる。
〔お母さんにね、もっともっと甘えたかった。このお洋服買って、とか、恋したから相談のって、とか〕
〔お兄ちゃんのお嫁さんの晴れ姿、見たかった。お兄ちゃんってば、勉強も運動もできるし、ギターも弾けるのに、自慢一つせず、一人で居るんだもん。もっと励ましたかったし、結婚式にも出席したかった〕
喉の奥から、何かの感情がこみあげてくる。
〔…もっとキミに、絵を描いてほしかった。もっとキミと、いろんな場所に行きたかった。私の絵だって、見てほしかった…!!〕
最後は荒々しく言い放った月は、もう一度鼻をすすって、こういった。
〔生まれ変わったら、絶対キミのお嫁さんになる。それが私の、ゆめだから〕
まるで最後に言うかのようなセリフに、安心感は一気に消え去っていく。
…消えるな。
止まるな。絶対に、このカセットを止めないで。
心の中でそう叫びながら、俺はつぅ、と息を吸う。
〔あ、そうそう。いつか話した、私の初恋の話、覚えてる?〕
「覚えてるに決まってるだろ」
無意識にそんなことを言いながら、あの時の話を思い出す。
確か、キミはきれいだと、言ってくれた男がいる…と。
〔あれ、実は君のことなんだよ。後から名前を聞いたら、北斗君っていう名前なんだって知ったんだ。それでまた再会したとき、運命みたいって思ったの。まあ、私の運命なんて、しぬことだけだけどね〕
あはは、と笑っているかのような声が聞こえてくる。
でもきっと今、彼女の顔は涙で濡れているんだろう。
〔もう一度再開したとき、キミは少し根暗になっていて、驚いたよ!あの時のさわやかさとは大違いっ!でも、キミだって確信してた。だから、いろいろ話しかけたりしたんだ。あー、そういえば、最初のころは不登校だったよね、私。あれ、実は海外の病院入ってて、なかなかこっちもどってこれなかったんだ。迷惑かけたよね、ごめんね〕
ああ、本当に迷惑かけたよ。
俺の隣が不登校だなんて、噂になってばかりで、最初のころはなれなかったんだから。
胸の奥で突っ込み、俺は笑った。
〔思えば、ずぅっと私、キミに片思いしてたんだね。あ、それはキミもか。病院で会ったって子、私だもん〕
サラッ…とネタ晴らしをしてくる月に、殴りかかりそうな勢いで、俺はずっこけた。
きっと月が今ここに居れば、俺はすぐさま、「そんな大事なこと、もっと早く教えてほしかった」というだろう。
〔…最後になるけれど、今までずっとありがとう。ずっと言えなかったこと、受け止めてくれてありがとう。もうあと数秒で容量一杯になっちゃうから、切るね。私の絵、ちゃんと観に行ってよねー!〕
ぐすっ、とまた鼻をすすったことが分かる音が聞こえ、俺の目からも、涙があふれ出た。
〔じゃあ、切るね。今まで、ありがとう。北斗くん。大好きっ!〕
そこでブツリと切れたカセット。
…終わったんだ。
もう、俺と月の関係は。
終わってしまったんだ。
ようやく、受け入れられた気がした。
月はまだ生きていて、またにこりと笑ってくれるんじゃないか、と考えてしまう。
でも、もうないんだ。そんな、ありえないことは……!
俺はその日、一人で泣いた。
月との、約束も守らずに…
次の日曜日、美術館に足を運んだ俺。
俺の絵は、特別室に飾られている。
周りにはたくさんの人がいた。
だけど俺は、迷わずその部屋にたどり着くことができた。
真っ赤なカーペットが敷いてある部屋は、どう見ても一流が描いた絵が飾られているようだった。
すぐに見つけた、俺のたったひとつの絵。
金の額縁に包まれた絵は、“大賞”と大きく書かれていた。
それは…まぎれもなく月だった。
優しい笑顔を張り付けながらも、一筋の涙を流している、“月”をそのまま描いた。
自分の表情をちゃんと表せて、にこりと笑う月。
それが、俺が夢に見た月の顔だった。
泣きたいときは泣いて、つらいときはつらいって言える、そんな月になってほしいと願いながら、描いた作品だ。
彼女の後ろの背景は、夕陽にした。
俺が彼女の絵を描くときは、決まってというわけではないけれど…よく夕陽だったからだ。
「…月。これを見てほしかったんだよな…?」
一人で勝手につぶやいて、そっとそこを離れようと、後ろを向いた俺の瞳に吸い付くような絵。
銀色の額縁に包まれた絵は、優秀賞と書かれていた。
名前欄には、“夜空 月”と書かれていて、思わず笑みがこぼれた。
「なんだ…自分だって絵、うまいじゃないか…」
それは、俺だった。
優しく笑った、俺がいた。
彼女がえがいた絵も、背景は夕陽だった。
周りの人が、「カップルの絵かしら?」と噂しているのが聞こえてくる。
まぁ、そう思われたって、しょうがないだろう。
ある意味同じ絵がらだったのだから。
でも。
もう月は、死んだ。
カップルも友達もないのだ。
もう、終わりなのだから。
俺は静かに、美術館を出た。
すると、俺の前に立ちはだかった、一つの影。
「あっ。蒼井北斗さんですか?」
それは、女の人だった。
面影が、月に似ている。
「…はい。えっと、月の親族の方、ですか?」
「あれ、月から聞いていたんですか?私はてっきり、聞いていないものかと」
「いえ…。面影が似ていたので」
「…そうですか。月から、渡してほしい、と手紙を渡されていましたので」
「…手紙?」
月は手紙を何枚書いたんだろうか。
俺は手紙を受け取って、すぐに紙を広げた。
[北斗くんへ。 きっと北斗くんは泣いてばかりでしょう?私の願いを、かなえてくれないでしょう?わかってるよ。北斗くんが大好きだもん。
でも約束を破るのはおかしいんじゃないかなー?
なーんちゃって。これが最後の手紙になっちゃうけど。
北斗くんは、あたらしい素敵な人を見つけて、幸せになってね。
幸せに消えていく月]
最後の手紙
その文字を何度も何度も読み返し、泣かないようにぎゅっと目をつむる。
なんでこんなにたくさんの手紙を、俺に一通も手渡ししないまま、死んでしまったんだろう。
本当に月は、頑固で、優しくて、まじめな人だ。
「北斗くん、これで私は失礼するわね」
いつの間にか手紙を覗き込んできていた女性は、ヒールの音を鳴らして去っていった。
俺は数分そこに立ち尽くしていたが、やがてふらり、と足を動かし…
あの場所へ、来ていた。
「月…。俺はどうすればいい?」
いつの間にか日は落ちていて、真っ暗な夜に、俺の声だけが響いた。
でも、月が死んでから、一度も来たことはなかった。
風がそよそよ拭いている。
寒いな、もう帰らなければ、母さんを心配させてしまう。
俺はネコヤマから立ち上がり、そっと、海辺をあとにしようとした、その時。
「もう帰るんですか?」
すると、どこからか声が聞こえてきた。
「え?」
俺はすぐに体制をとって、あたりを見回す。
「警戒しないでくださいよ。まるで猫の私の様ですね」
“猫の私”
猫…!?
俺は不意にしたを向くと、美しい真っ白な…月のような、雪のような猫がいた。
そうだ…こいつだけ、ネームプレートを下げている、品がある猫だ。
なんだか珍しかったので、外見だけでも、と思って絵に描いたことを覚えている。
名前のところには、“ゆき”と書かれていた。
「…おまえ、ゆきっていう猫なのか?」
「そうですよ」
にゃあんという言葉と一緒に、俺の耳に届いた、慌ただしいような声。
どうして猫と口が利けるのだろう、なんて思ったけれど、これはきっと夢だ、と思い、無視することに決めた。
「北斗さん。月さんはきっと、北斗さんに会いたいと思っていますよ」
「…そうかな」
「そうです。きっとそうです!月さんと会いたいと思いませんか?」
「…思う。だけど俺は…月に会えばきっと、抱き着いて泣きじゃくって、死んでも止めたくなってしまう」
「でも、後悔しますよ。きっと」
猫のいうことなんて、信用できない。
帰ろうか、と言ってやろうと思っていたけれど、猫の言葉に、ハッとして、足を止めた。
「月さんに、会えますよ。ついてきてください」
―猫が足を止めた場所は、桜の木のふもとだった。
「…ここで月に会えるとは思わないけど」
「いえ、信じていれば会えますよ。私も父を亡くしたとき、ここで父に会いましたから」
ニコニコと笑ったように、にゃあと答えたゆきは、ぴょんっと後ろに下がって、歩いて行った。
「ちょ…!」
「邪魔者は退散しますから。もうすぐ日の出ですね。日の出が完全に出てしまえば、もう月さんには会えないと思ってください」
そういって去っていったゆき。
俺は指名された桜の木の下に座り、彼女のことを…月のことを思い出す。
『君が好き』
『…二人っきりだね』
『北斗くん』
『ほ・く・と・くん』
『北斗くん~?』
『北斗くんっ!』
「会いたい」
思わず言ってしまった、その言葉。
考えると止まらなくなってしまう。
愛らしい声で俺を呼ぶ、月を。
会いたい。会いたい。会いたい。
月に、会いたい。
朝日が少し上ってきたころ、ガサ…と後ろから音が聞こえ、ばっとふりむいた。
息をのんだ。すべての時間が、時計が、一瞬止まったように思えた。
息だって、しているかどうか関係ない。
だってここには、彼女がいる。
そこには、会いたくて会いたくてたまらない、月がいたんだ…。
「月…!!!」
こんなこと、おこるはずない。
夢だと思う。
それでも、今だけは…
今だけは…!!
この時間だけは、月と一緒に居たい。
「ただいま、北斗くん」
優しく笑った月に、俺はぎゅぅと胸を締め付けられた。
「月…月…!!」
「ふふ。北斗くん、泣いてばっかりだね。もう。私の手紙をよんだくせにさ」
あはは、と笑った月は、やっぱり本物の月だった。
「月は、生き返ったのか…!?生きていたんだよな?だから今ここにいるんだろう?」
「…ごめんね。私は生きてるわけじゃないんだ」
俺は月に手を伸ばそうとして…止めた。
「……私に、生きててほしかった?」
沈黙の中、ボソッと月が言った。
「…」
本当は、うん、と答えたい。
生きていてほしかった、と言いたかった。
それでも、そんなこと言えば、きっと月は悲しいと思うだろう。
そんなこと言われても…と俺でも思ってしまうから。
「月の笑顔が見れなくなるのは、寂しい」
震えた声で、月に言った。
「…そっか」
月は笑った。
ニコリと、あの、優しい笑顔で。
「もうすぐ朝だね」
月がつぶやいたように言った。
「会えてうれしかったよ。北斗くん。ばいばい」
軽い感じで手を振った月に、俺はこらえきれなかった。
「月…」
「なあに、北斗くん」
「月」
「なあーに」
呼べば答えてくれる、月がいる。
優しく笑ってくれる、月がいる。
「る…」
「好きって言ったら、キミも好きって言ってくれる?」
遮られた言葉に、重なった言葉。
これが最後なんだな、と思った。
日が俺の後ろに来て、俺の目の前に影がでた。
俺は優しく笑って、うん、と答えた。
「……これが、最後だよ」
月がつぶやいて、悲しそうに笑った。
そのあとは、全然覚えていない。
うろ覚え、という感じだった。
月と俺は笑いあっていた。
気づくと月は消えていた。
ニコリ、と笑った月の顔が、今でも鮮明にわかる。
気づけば、ゆきが座り込んでしまった俺の膝に乗っていた。
「会えましたか?月さんに」
「…ゆき。どうすればいいだろう」
「どうしたんですか」
「……月に会いたいんだ。どうしようもなく」
ぽつりとこぼした言葉は、海に落ちていった。
「北斗さんは生きるんでしょう?」
「…生きる。生きるよ」
すぅっと息を吸う音と共に、風が俺のほほをなでた。
なぁ、月。俺はキミがいない世界で、うまく生きられるかな。
キミがいない、真っ暗な世界で、また愛する人と出会えるかな。
たびの奥、ずぅっと先で、キミは待っていてくれているのかな。
俺はまたキミと会うとき、笑って会えるだろうか。
ナーン
猫が鳴いた。
その瞬間、パッと俺の頭に、涙を流しながら笑った、月の顔が浮かび上がった。
そして、“大丈夫。キミならできる”と耳元で聞こえてきた言葉。
大丈夫。
そうだ。俺ならできる。
きっと、月にまた会えるんだ…。
この物語は、つらい、苦しいと思っているときに書いた小説です。
少しでも、誰かの心に響きますよう、願っています。
「もう、長くはないでしょう」
申し訳なさそうに言う病院の先生。
ごくり、とお兄ちゃんが息をのむ音。
その瞬間、私の時間が、すべて止まった気がした。
そのあとは、少し強引に母に海外に向かわされ、治療も何回も受けた。
それでも治ることのないこの病気に、母は、「ただ金を使わせる最悪な病気」と言っていたのを聞いた。
だから、家では明るく振舞った。
そんな家族を、少しでも笑顔にさせれるように。
それでも、お母さんは一度も笑わなかった。
お兄ちゃんは、少しふざけたりしたら、笑ってくれることもあったけれど、それでもただの愛想笑いだけ。
なによ、それ。
私の心の中は、不満でいっぱいだった。
本当につらいのは、私なのに。
ずっと一人で居るなんて、寂しいと思わないの。
みんなに迷惑をかけてるのは、本当に私なの?
私って、生まれてこないほうが、よかった…?
何度も自分に聞いては、ことごとく答えを見るのを拒否される。
そんな、暗い毎日だった、はずなのに。
ある日私は、海外から戻って、引っ越してきた家から抜け出した。
つらくて、苦しくて。
だから、元居た学校に行こうと思った。
きっと友達が、慰めてくれる。
久しぶりの学校の廊下は、前よりひんやりと冷たかった。
朝のホームルーム中に、ただひたすらに廊下を進んでいる女子生徒を、不思議な目で見ない生徒は、一人もいなかった。
それでも私は歩いた。
本当の、私がいるべきところへ。
「…あのぉ。二年三組って、ここですか?」
ほんとの自分を押し殺して、私はクラスに声をかけた。
するとたちまち人が集まって、傷ついた私の心を癒してくれるようになった。
そして…。
「蒼井北斗の隣だよ」
北斗、という言葉に、ハッとした。
ずっと私が恋していたのは、キミだったんだって。
しかも、放課後私を描いていてくれた、なんて知って、家に帰って飛び上がって喜んで。
何度もガッツポーズして。
絵を描いてもらうたび、彼への恋心は高まっていって。
いつしか、どうしようもなく、愛していた。
彼を、心から。
でも、そんな幸せな日々にも、終わりが訪れた。
「…あと、もって数ヶ月です。来年の冬は、越せないと思ってください」
「っ…そんなっ」
突きつけられた現実。
突きつけられた事実。
しにたくないって思ってしまう。
どうしようもなく。
彼ともっと居たい。
ずっと一緒に生きていたい。
…でも、どうやら私には、もう時間は残っていないみたい。
彼に告白された日、どれだけ私の心が破裂しそうだったか。
もう悔いはないって、思ったことか。
それでも私は、うそをついた。
彼を、守るための、大切な役割を持つウソ。
「今はもう、好きじゃない」
自分でいったくせに、グサッと胸に突き刺さってしまった。
その日の夜、いろいろ遊んでいたのがお母さんにバレて、また私は牢獄の中へ入れられた。
寒くて、つらくて、どうしようもなくて。
日が昇って、また落ちて、そんな日々が続いた。
そんな日、病院に行っていたのがばれてしまい、追い詰められた。
本当に、今でも最低なことを言ってしまっていたと自覚している。
どれだけ彼を傷つけたか、考えるだけで恐ろしい。
忘れてくれ、と言われたとき、どれだけ絶望感を感じたか。
キミは知らないでしょう?私の思いを。
こんなにもキミを愛しているというのに、キミは知らん顔で絵を描いているんだもん。
文句の一つも言いたくなる。
キミは思ってたより根暗で、地味で、ひよわだった。
そして、キミは思ってたように、優しくて、勇気があって、格好良くて。
気づけばもう、これを恋だと呼べなくなり、愛というようになってしまって。
「大好きだよ」
カセットテープに保存した私の声。
テープをノートに入れて、そっと閉じる。
ねえ、キミは。私が死んだら、どういう顔をするんだろう?
悲しむかな。
寂しがるかな。
それとも、笑って生きてくれるかな。
考えるだけで、涙があふれてきちゃう。
ほんとは私が、ずっと一緒に居たいくせに。
ふふっ、と微笑んで、私はもう一度だけつぶやく。
「大好きだよ、北斗くん」
今度はキミの名前も入れて。
ねぇ、北斗くん。
本当に、私は幸せだったよ。
だから今度はキミの番。
絶対に、幸せになってね。
そう思いながら、瞼を閉じた私。
それから、一生覚めることはない眠気に襲われた。
それでも、私はきっと彼の絵の中で、生き続ける。
彼の心の中で、ずっと生き続けられる。
そう確信して、私は笑った。
それは、私が生きてきて、一番の、”本当の、笑い“だった。
―ねぇ、北斗くん。世界で一番、キミが大好きだったよ。
「…月?」
もう今はない感覚の中、いとおしい彼の声が聞こえる。
ゆっくり瞼を開けると、彼は涙を流して、座り込んでいた。
地面に立っている感覚もない私は、ニコリ、と彼に微笑みかけ、神様にありがとう、と感謝した。
「ただいま、北斗くん」
ただ、今だけは。
今だけは、神様、ちゃんと見ていてね。
手違いで、消えさせちゃわないでよ。
あの朝日が昇るまで、私はきっとうそをつく。
ニセモノの笑顔を張り付けて。
それでも彼はきっと、私を愛してくれる。
ずっと彼の心の中に、私をいさせてくれる。
これからも、彼は私を描いてくれる。
だから、これだけは、彼に伝えさせて。
目を見て、きちんと言いたい。
私は口を開いて、あのときのように、“本当の笑み”を浮かべた。
「大好きだよ…、北斗くん」
さようなら。
今日も明日も来年も、キミはちゃんと生き続けてね。
それじゃあ、ばいばい。
私はもう一度目を閉じて、彼とお別れした。
さようなら。私が大好きなキミへ―。
って、ちょっと終わりそうな感じ出したけど、あとちょっとだけ、時間ください!!
北斗くん!!聞こえてますか?あなたが愛した夜空月だぞー!
もちろん覚えているよね。キミの初恋の相手だもんね。
ささ、本題に移りましょう!!
さっき、「ほかの誰かを描いても―」みたいなこと言ったけど、アレ撤回!!
キミのモデルは私だけ!
私を描く画家はキミだけ!
だからぜったい、ほかの人なんか描かないで。
私だけを描いてね!!
分かった?わかったね。じゃあ、最後に。何度も言ったけど。
「…大好きだよ。つらいけど、明日もちゃんと生きて、何十年後かに、私に胸を張って会いに来てね!私、ずぅっと天国で待ってますから!」
なーんちゃって。ってことで、この物語はこれでお終い。
続きが見たいなーって方は、ぜひ私を推してね!
それじゃ、ほんとに最後に。
私の思いを聞いてくれてありがとうございます。
最期まで読んでいただいて、本当にありがとうございます!
…息子の様子がおかしくなったのは、ずっと学校に来なかった子が、二年生に上がって初めて来た日からだった。
息子は帰ってくるなりそのことをはなし、そしてその子のことをずっと気にかけているようだった。
「あれは…恋ね」
お風呂の中で、一人つぶやいた声は、湯気と共に消えていく。
もう北斗も、恋をする時が来たのね。
母親として、これはちゃんとしておかなきゃ、なんて思いながら、私はふぅ、と息を吸って、北斗の部屋に入る。
「北斗ー?宿題終わったのっ…」
いつものように、寝落ちしてしまう北斗を起こそう。と考えていただけなのに。
私は、見てしまった。
息子が、ベットの上で寝ていて、隣にある机にあったはずの鉛筆を握りしめていた。
そして机には、見たこともないくらい美しい、ショートカットの女の子がえがかれている紙が広げてあった。
私は突然のこともあったけれど、数十秒、ううん、数分間、その絵を凝視していたと思う。
息子の才能は、これほどまでに育っていたのか。
しかも、その才能に気づけなかった私は、なんてバカなのだろうか、なんて思ってしまう。
「…ん。あれ…?母さん?どうして、ここに」
「あっ、ああ、えっと。お風呂沸いたわよ。早く入ってらっしゃい。それと、宿題したの?」
いつものようにそういって、いつものように、「げっ」という返事が返ってくるかと、そう思っていた。
なのに息子は、平然としたように、まるで普通のことだろう、というように言った。
「もう終わったよ。お風呂、抜いちゃっていいよ。明日シャワーだけ浴びるから」
…まるで、別人のような息子の変わりように、私は息をのんだ。
「…そう。じゃあ、もう寝るのね?」
「ううん。この絵を完成させなくっちゃ」
「…わかったわ。早く寝るのよ」
「はあい」
私は口を開けたまま、北斗の部屋を出て、扉をしめた。
その瞬間、身体のチカラがすべて抜けたように、へにょり、と床に座り込んでしまった。
「…北斗」
あの子に、あの絵の中の子に恋したのかしら。
そうに違いない。
あんなにきれいな子なんだもの。
私はそう確信して、自分の部屋に移動した。
ねようとベットに寝転がり、毛布を頭でかぶる。
それでも、どうしえても眠れない。
…なんでだろう、いつもならすぐに眠りにつくはずなのに。
いつまで目を閉じていてもきりがないため、私はベットから起き上がり、そぉ、と机の電気をつけた。
いすに座りながら、最近買ったばかりのスマホの画面をタップして開く。
「だいぶ操作にも慣れてきたわね」
そう呟いた後、いくつか届いていたメッセージを拝見し、また電気を消し、ベットに寝転がる。
北斗の恋を、応援しようと決めたのに、複雑な気持ち。
他のお母さんたちも、こんな気持ちだったのかしら…。
そう思いながら、ちらり、と昔北斗が描いてくれた絵を見つめる。
「ねえ、雄介さん。もう北斗は、大人なのかも、しれないわね」
いつしか愛していた彼の名前を呼び、私は今度こそ、眠りについた。
相手の子は、いったいどんな子なんだろう。
北斗を、どんな大人にしてくれるんだろうと考えながら。
そして、いつしか北斗にとって、とても大事な、人生のパズルのピースになるであろう人物を想像しながら。
どうやら、あの時の私の読みは、的中したらしい。
私はふふ、と笑って、どんどん上に行く北斗の背中を見ながら、思う。
「…ねえ、北斗。月ちゃん、今元気にわらっているかしら」
クルッと愛する息子が半回転してこちらを向く。
そして、満面の笑みでこう言ってのけたのだ。
「もちろん。今月はきっと、大活躍している俺の絵で、大喜びしているだろうさ。まさか自分が、全世界の人に見られるなんて、思ってもみないだろうけど」
あはは、と笑った北斗を見ながら、私は、「変わったわね」とお決まりの言葉をこぼす。
そう。こんな風に北斗を笑わせてくれたのは、きっと月ちゃんだろう。
今世界で一番北斗に愛されているのだって、きっと月ちゃんだ。
「ありがとうね、月ちゃん」
今はもういない月ちゃんに向かって、私はひっそりと笑みを向けた。
私が大好きだった親友が亡くなって、一週間。
私は特に何をしているわけでもなく、彼氏との充実な関係を築き上げている、というわけでもなかった。
カレシ…大翔とは、私の親友、月ちゃんのお葬式の日以来、あっていない。
時々スマホがピロリ、となるのはきっと、大翔がメッセージを届けてくれているからだろう。
「はあ…」
彼女が亡くなってから、何度目かわからないため息をこぼし、私はベットに飛び込んだ。
温かい感触と、ヒリヒリと痛む目じりを交互に感触した私は、「はあ」ともう一度ため息をついた。
―今日も私は、泣いている。
月ちゃんが死んでから、私はすぐ泣くようになってしまった。
例えば、月ちゃんを描いていた北斗くんとの写真を見たときとか、月ちゃんと一緒に撮ったプリクラとか、そういうのを見てても、涙がいまだにあふれてくる。
お母さんにも心配をかけているけれど、今の私は前の不登校だった月ちゃんのように、学校を休みがちになっていた。
もうすぐ、月ちゃんが亡くなってから一週間がたとうとしているが、立ち直る気はさらさらない。
「…大翔」
こんなとき、大翔と会えたら。
あって、大丈夫だよって、慰めてくれたら。
じり…とまた涙があふれそうになって、慌ててこらえる。
わかってる。
泣いていいのは私じゃなく、北斗くん何だったこと。
私は泣く方じゃなくって、北斗くんを元気づける方なんだってことも。
全部、全部わかってるくせに、私はどうしても、泣くことをやめられなかった。
大翔も、一度だけ家に来てくれた時があるけれど、こんなメイクもしていないような自分を見せるわけにもいかず、冷たく突き放してしまった。
すべてがどん底に落ちている。
深い谷底からのし上がってくるのには、たくさんの年月が必要そうだ。
人生初カレシも、このままじゃわかれちゃうのかなぁなんて考えるていると、ふいにスマホがブルブル、と震え、私の大好きだった歌のメロディーが流れてくる。
驚いて私はベットにうずめていた顔を上げ、スマホを見て、目を見開いた。
…スマホの画面に表示されたのは、「大翔」という名前だったから。
私はすぐに応答ボタンを押し、「ひ、ろと…?」と嗚咽のような声を発した。
〈久しぶり、美衣。元気にしてた?〉
スマホから愛らしい大翔の声が聞こえた途端、私の目からまた、涙があふれ出た。
「ひ、ろとっ…久しぶりっ。大翔こそ、元気だったの?」
〈うん。ごめん、急に電話して〉
申し訳なさそうにそういう大翔の声は、なんだか少し震えているようにも思えた。
〈どうしても…美衣と、話がしたくて〉
その言葉に、「うん」と言葉を返した私。
〈よかった〉
と大翔は言った。
本当に、嬉しそうな声で-
〈…月ちゃんのこと、美衣は知ってたの?〉
「ううん。当日になってから、学校から連絡が入ったの。そしたら…月ちゃんが」
思い出すだけでも、涙があふれる。
受話器を片手に泣いた私は、お母さんに背中をさすってもらいながら、一晩中泣いていた。
〈俺も。…驚いたよね、急に死んだって言われてもっ…て〉
「…本当に、ずるい話だよね。死んじゃった直後に電話かけてくるとか…」
〈大変なのは、北斗らしいよ。まるで、抜け殻になったみたいに、ずぅっと閉じこもってるんだってさ〉
「えっ…そうなんだ」
北斗くん、そうとう参っているだろうな。
あれだけ仲がいい二人の片方が死んじゃったなんて、信じたくないもん…。
〈友達として、励まさなきゃってわかってるのに…言葉が出て来ないんだよ。悪いことしたなぁ〉
「そんなこと、ないよ…。私も、ずっと悲しくて、不登校の生徒にまでなっちゃったんだもん。ごめんね、大翔にも、心配かけたね」
大翔と話していると、自然と涙が止まった。
どうしてだろう。
大事な親友が死んじゃったというのに…私、今すごく…
安心、しちゃってる。
「…大翔。どうしよう」
〈え?何が?〉
「…私今、大翔の声聞いて、安心しちゃってる」
〈え?〉
画面の奥から、驚いたような、焦ったような声が聞こえる。
「大事な親友が、しんじゃったのに…わたし、安心してる。私…最低だっ…!」
〈それは違うよ!!美衣は何も悪くない〉
大翔の声は、少々荒かった。
相当焦っているよう。
「ねえ、どうして大翔はそんなに立ち直れているの?私は、もう、無理かも…」
そう言った私の声は、もう震えていて、小さくて、聞こえずらかったと思う。
大翔も何となく理解したのか、言葉を詰まらせていた。
でも。数十秒沈黙が流れたとき、大翔が私へ優しい口調で言った。
〈…もしかして美衣、メール、読んでないの?〉
「えっ…?メール?」
〈ほら、四人で作った、グループメールの中の、三人メール。北斗も入れようとしたら、なんかバグって、三人だけのグループLINEになっちゃったやつ〉
そう言われて、私はうん、と頷く。
確か一番最初、月ちゃんがみんなで作ろう、と言い始めたけれど、なぜか一度失敗して、三人だけのメールになっちゃって、北斗くんの寂しい視線を感じたんだっけ…。
〈メール、読んでないでしょ〉
「…そんな暇、なかったんだもん」
〈なら、読んでみるといい。きっと美衣も、それで立ち直ることができると思うよ〉
「そんなわけ…」
〈いいから。じゃあ、切るね。美衣、負けないで〉
そう言って、プツリ、と切れた通話。
私は大翔に言われた通り、グループメールを開いた。
そこにはまだ、月ちゃんのアカウントもあった。
下へ、下へスクロールしていった私は、一番下まで行って…目を見開いた。
五日前、つまり、クリスマスパーティが行われ、解散したあとに、月ちゃんが書いたメールが、送信されていたのだ。
あのとき、片づけとか、月ちゃんが死んだ、という騒ぎによって、メールを見る時間がなくて、見れていなかったんだ。
月ちゃんが最後に送ったメールは、文章でも、写真でもなく、URLだった。
青く光ったそれをタップすると、いきなり知らないアプリに飛んで、そこには写真と、文章がつづられていた。
一番最初の行に、【美衣様、大翔さまへ】と書かれていたため、私たち宛だとすぐにわかる。
きっとこれは、月ちゃんが書き残した、最後のメール。
私は震える手で、その文章を読み、スクロールしていった。
【…久しぶり。元気だったかな。多分二人とも、私が死んでから結構時間たった後、これ見てるよね。急に死んじゃってゴメンね。二人にありがとうも、ごめんね、も言えなかったこと、後悔してる】
そんな三行で始まった分は、月ちゃんらしくない、硬い言葉。
でも、それくらい熱心になって書いたんだな、と伝わってくる。
【二人は、急に私が死んだこと、怒ってる?最後に何も言えずにいたこと、むかついてる?正直に吐き出していいよ】
「むかついたよ。怒ってるよ」
私は正直に吐き出した。
ため込んでいた思いを。
【二人とは、たくさんの思い出ができたね。私、二人が親友でよかったって、今心から思ってる。こんな私を、いつもそばで見ていてくれて、ありがとう。短いけど、これでこの文章は終わり。最後に、私の愛しの北斗くんの写真張り付けとくぜっ☆いつまでも長生きしてね!ばいばい!】
最後だけ騒がしく書かれているなんて、月ちゃんらしいな、と思った。
さらに下にスクロールすると、かつて私が好きだった、彼のドアップ写真が張り付けてある。
すべてを読み終えた後、パチリ、とスマホの電源を落とした私は、泣いていた。
「…バカ。立ち直っちゃったじゃん…」
今、月ちゃんに会ったら伝えたいことが山ほどある。
だから、もう一度だけ彼女にあう、その時まで、精一杯生きよう。
私はそう硬く決意した。
「大翔っ、お待たせ」
「おはよ、美衣。早く行こう」
一か月後、私は今、大翔と幸せな学校生活を続けている。
桜も満開の季節、新学期を迎えた私たちは、そっと桜に向かって、微笑みかけた。
―ねえ、月ちゃん。私、もう一度あなたに会えるまで、胸を張って生きることにしたの。だから、必ず見ていてね。
私は心の中でそうつぶやき、今日もどこかで街を見下ろしているであろう彼女に、そう語りかけた―。
十代のあなたは、隣の席の人を、どう思っていますか?
時には、「好きな人」や、「気になる人」かもしれません。
しかし、「嫌いなやつ」とか、「うるさい人」と思っているかもしれません。
それか、普通に「友達」とか、「元気がいい人」とか、そんなうすい思いの人もいると思います。
人はみな、自分のことでせいいっぱいです。
学校の先生たちは、「周りの人たちのことを一番に」などを言いつけているかもしれません。
ですが、その言いつけを守っているのは、はたしてこの世にどのくらいいるのでしょうか。
自分はちゃんと周りを見てる、と思っていても、自分より大きな悩みを抱えていたり、本当に死にたい、と思っている人が、近くにいるかもしれません。
もう少し、周りに気を配り、相手の気持ちを知りたいと思うような大人に、私はなりたいです。
これは私個人の感想であり、ほかのだれかの意見ではありません。
私の思いを「はぁ?」と思う人だっているかもしれません。
それでも、少しでも私の思いに向き合ってくれる人と出会いたいです。
あなたはあなたの綺麗な部分を見せてください。
人はだれしも、汚い部分はあるけれど、綺麗な部分も必ずあります。
自分のことを卑下しないでください。
復讐は何も生まないとよく言われますが、私はそうは思いません。
確かに復讐は悪いことですが、それでもそれほどひどいことをした相手を私は問い詰めたいです。
例えば、家族を失ったらあなたはどうしますか?
それこそ、復讐したいと思う人だっていると思います。
それと同じで、人はみな苦しくつらいことがあると、何かに八つ当たりしたくなる。
だから人を傷つけ、それがまたループしていく。
そういうものがあるから戦争だって起きるんだと思います。
ですからどうか、皆さんだけはいつも正しいと思うものを選んでほしいと思います。
最後に。
「死にたい」と思っている人へ向けて言います。
人はみな、一度はそう思うことがあるでしょう。
けれど、そんなときはこの物語の主人公、「月」のようなひとをおもいうかべてください。
もっと生きたいと願いながら死んだ月が、どれだけかわいそうか知ってください。
そして、命は永遠じゃないことを、十分に理解してください。
これは、私の心からの願いです―
これはフィクションであり、私が考えた物語です。
これからも、mioをよろしくお願いします。