「ほらっ。やっぱり、もう人が来てた!」
遊園地の入り口に、人がたくさん並んでいる。
彼女は荷物検査を通り抜け、列に並んだ。
俺も慌てて通り抜け、列に並ぶ。

数十分並ぶと、列が進み始めた。
園の中に入ると、もうそこは“夢の国”という雰囲気に似合っていた。
「…わぁっ!すごいっ!ハワイみたいだね!」
噴水の地球を見ながら、月が叫ぶ。
「そうだな。写真、一枚撮ろうか?」
「うんっ!」
月が、噴水の前で、にこやかにピースした。
今日は、“この笑顔”なんだ、と感じながら、俺はシャッターを切った。
「ありがとう!」
月が、シャッター音に気付くと、嬉しそうに俺に近寄ってきた。
さぁ、行こう。
俺は人込みをかき分け、月が一番行きたい!と言っていた、アトラクションに向かった。

数時間はたっただろう。
少なくとも、2時間はここにいる。
何個もアトラクションに乗った俺たちは、寒い中、ベンチに座りこんで、お菓子を食べていた。
だけど、「ジュース買ってくるっ!」と言って、自動販売機に走っていった月が、数分経っても、数十分たっても、帰ってこないのだ。
メールだって、電話だってしたのに、彼女は出てくれなかった。
嫌な予感がして、俺もベンチから離れ、近くの自動販売機へと行く。
でも、そこには彼女は、いなかった。

「あのっ!すみません!」
俺はキャストに話しかけた。
帽子をかぶっているキャストさんは、優しそうに、「はい」と答えた。
「どうなさいましたか?」
「あの…夜空月っていう、中学三年生の人を見かけませんでした!?」
「えっ…?特徴を言ってくださいませんか?」
「えっと、銀髪の髪に、空色の瞳です。手袋と、暖かそうなジャンバーに、セーターを着ています!!」
「セーターの色は、何色ですか?」
「雪のような、真っ白なセーターです。セーターは長く、太ももくらいはあると思います。そして、その下に、青色の、長いスカートをはいています」
俺はカメラに保存されている、月の写真を、キャストに見せた。
「あ、あぁっ!この子。先ほど、小さいお子さんずれの親子に、写真を撮ってあげていましたよ」
「そ、それでっ!どちらの方向に行きましたか!?」
「え、えぇ。えぇっとですね、西方面に行ったかと思います。西方面っていうのは、お土産屋さんの方です」
お土産…!?
俺はすぐに、お礼を言って、そちらに走り出す。
「…はぁっ。はぁっ」
次第に、雪が降ってきた。
数分で下には、数ミリの雪が積もっている。
寒くて、指先が冷たくなり、足も、あまり動かしにくくなった。
それでも、俺は走った。
心配で、苦しくて。

「月っ!!」
お土産屋さんの中に入った俺は、月の名前を、思いっきり叫んだ。
「ふへっ!?」
すると、レジの前で、袋を持っている、月を発見した。
「る、な…?」
「ど、どうしたの!?北斗くんっ!!そんなに慌てて。っていうか、手、冷たいよ!?」
焦りながら、俺にマフラーを着せ、背中をさする月。
「よ、よかった…。どうして遅かったんだよ。心配したんだぞ…?」
「えっ?心配してくれたの?」
「…まぁ。それで、何を買ったんだよ?」
俺は彼女が持っていた袋を覗き込んだ。
「色違いの幸せ守りと、おそろいのスノードームだよ。北斗君と、半分ずつ持っていこうと思って。ごめんね?遅れちゃった」
「…うん。心配したんだからな」
「うんっ…。ごめんね、本当に」
月が俺の顔を伺いながら答えた。
俺はふぅっと息をついて、お土産屋さんを出た。

「わぁっ。ゆきっ?」
「あぁ…そういえば、雪ふっていたなぁ」
「わぁっ。すごいすごいっ」
月は耳を赤くしながら、嬉しそうに笑った。
「でも…寒いだろう?」
「うん。ちょっとだけどね」
俺はまたお土産屋さんに入り、販売されていてたキャラクターマフラーを買った。
「その恰好で大丈夫?キミ、あんまり着こんでこなかったよね」
俺はその言葉にうなずいて、歩き始めた。
「ねえ、そろそろ帰ろっか」
「え?もう?」
その後、三個の乗り物にも乗って、時刻は二十時を過ぎていた。
彼女の言葉に、俺は驚きながら、ピタッと足を止めた。
「うん。かえって、今日撮った写真を、絵に描いてほしいの」
「でも、俺はもう少しここにいたいんだけど」
「遊園地はまた明日も来れるでしょう?“また明日”があるんだから。大丈夫」
「…わかった」
彼女のしゃべり方に、少し意味を感じたけれど、スルーをして、俺はゆっくり頷く。
「暗いね。足元、よく見えないよ」
ホテルへの帰り、月が心配そうに言った。
園の中は明るかったし、足下も見えた。
でも、真っ暗闇の中で、ホテルへと帰るのは、かなり心配だ。
光と言えば、たびたび、そろそろと走っていく、車のバックライトだけ。

「疲れたね」
なんとか部屋に戻り、俺はさっそく絵を描き始めた。
月は、ソファで、何かの本を開いて、くつろぎながら読み始めた。
半分まで描き、俺は筆を止めた。
「もう仕上げに入るよ?」
「うんっ。よろしくね」
月はこちらに一瞬目を向け、にこりと笑う。
そのあと、また視線を本のページに移し、目で文字をたどっていた。
「…何を呼んでいるんだ?」
俺は立ち上がって、彼女のもとに歩み寄る。
本の題名に目を向けると、そこには『生きる』と書かれていた。
「見たこともない本だな」
「そうだね。これ、昔に買った本だもん」
「ふぅん。どういう物語なの?」
「もうすぐ死んじゃうって言われた女の子が、学校の男の子に、“無理に笑わなくていいよ”と言われ、恋に落ちてしまう。でも、彼女はその恋もかなえぬまま、死んでしまうっていう物語」
「…悲しい系か」
「そうだね。でも、どの本よりも、素敵だと思わない?」
「…どうだろう。でも、ほかにもいい小説だってあるだろう?」
「あるよ。もちろん。でも…命について考える、この小説を書いた人が、とてもすごいと思っているの」
俺は面白くない、とその時感じた。だってそうだろう。
その人は何も、悪いわけでもないのに、俺はどうしてもそいつに腹が立ってしかたなかった。
「……」
その時、わかった。
俺の中で、月が、思った以上に、大きな存在になっていたということを。
「…?どうしたの?北斗くん」
「…い、いや。別に」
すきだと伝えたら、キミはどんな顔をするんだろう。
いつものように笑うのかな。
悲しそうにうつむくのかな。
それともウザいと嫌われてしまうかな。
いや、月はそんなことはしないだろう。
“ウザい”なんて、絶対彼女は言わない。
きっと、悲しそうに…優しく笑ってくれるだろう。
その日は、久しぶりにぐっすり眠れた。
目が覚めたのは、午前四時だった。
俺は鉛筆を手に取り、新しい画用紙に描き始めた。

「もう、起きているの?」
六時を少し過ぎたころ、彼女は眠そうにして、俺の部屋へと入ってきた。
そのころには、仕上げも完成させていた俺は、画用紙をたたんでいた。
「あれ?絵を描いていたの?」
「うん、さっきまでね」
「ふうん。今日も行くでしょう?あっち」
「もちろんだよ。そのためにここに来たんだろ?」
俺はカバンを持って、部屋を出た。
もう準備をしていた月は、レッツゴー!と両手を上げて、歩き出した。
数時間後。
「あぁっ…疲れた!!」
俺におんぶされながら、疲れたように言った月。
「だからはしゃぎすぎんなって言っただろう」
「だって楽しいんだもん…」
彼女は微笑みながら答えた、気がした。
「じゃあ、またね。おやすみなさい」
月の部屋の前につき、俺たちは分かれた。
すぐ隣の部屋へと移動した俺は、ベッドにすぐ飛び込んだ。

時は経て、もう帰る時間だ。
「楽しかったね、遊園地」
「そうだな」
帰りの新幹線も、俺は机を広げ、宿題を勧める。
「…疲れちゃった。ねぇ、私、宿題しなくてもいいかなぁ?」
「えぇ。でも、あとから後悔するよ?あと5日しかないんだからさ」
「えぇ…じゃあ、北斗くんが教えてくれるならいいよ」
ドンッとぶつかりながら近寄ってきた月。
俺の心臓は、どうしようもなく早く打ち合っていた。
「?どうしたの?昨日から少し怪しいよ、北斗くん」
「…いや、何にも?」
「ふうん?っていうか、じゃあここ教えてよっ」
「え、あ、あぁ」
残りの一時間、どうか、どうかこの時間を邪魔しないでほしい。
この時間だけは、二人きりの時間を、満喫したい。
もし神や仏がいるのなら…どうか今だけは気の利いた感情で、どうか。
この時間を、邪魔しないで…。

「もう着いたんだね。キミと話してたら楽しくて、時間なんて早いって感じちゃう」
月は今日も笑顔を浮かべた。
優しく笑う月。
新幹線から降りて、二人で荷物を抱えながら、ネコヤマに向かう。
「……綺麗だね」
夜空を見上げながら、月が言った。
「…月の方がきれいだよ」
「そうかな?ありがとう」
月が照れくさそうに言った。
「好きっていえば、月も同じ気持ちになってくれる?」
気づけばそんな言葉を漏らしていた。
きっと、この空がなければ…ネコヤマじゃなかったら。
俺はどうしようとしたって、告白なんてしかなかっただろう。
「…えっ?」
恥ずかしくて、顔を見られないのはしょうがないと思ってほしい。
「北斗くんは…私のこと好いてくれているの?」
「……好きだよ」
もう、後戻りはできない。
俺は月に向き合って、彼女の目を見つめる。
空色の瞳は、困惑したように揺れていた。
「…私も、好き、だったよ」
“だった”
その言葉に、俺は震えた。
あぁ、人生初の恋は、失恋に終わってしまったんだ。
「…もう今は、好きじゃない」
俺はその言葉を聞いて、ぎゅっと目をつむった。
もう、聞きたくないんだ…。
「ごめんね…ごめんね…」
月は、泣きそうな顔のまま、笑っていた。
彼女は、目に涙をためたけれど、その涙はもう引っ込んでいて、海をまっすぐと見つめている。
「にゃあ~ん」
猫が一匹、彼女に近寄った。
彼女はそれを、大事そうに抱きかかえ、優しくなでた。
「……ねぇ、北斗くん」
「何…?」
真っ暗な夜の中、身体が触れ合うこともない、夜の中。
彼女は静かに言ったんだ。
「ばいばい、しても、いい……?」
「…」
俺はゆっくりと頷いた。
だって、しょうがないだろう?
振られた相手のいうことを逆らうなんて、できっこない。

部屋に戻って、ベットに飛び込んだ俺。
泣いちゃいけない。絶対泣かない。
俺がないちゃいけないんだ。
彼女はもう、俺に言うことはない。
俺が望んだ言葉なんて、きっともう言ってくれない。
“好き”と言ってくれる日は、もう来ないのだから……。
「っ…」
それでも、それでも。
どうしようもなく、月が好きだ。
あーあ。
どうすれば、彼女とまた、普通に話せるようになるのだろう…。

冬休みが明けた。
もうすぐクリスマスなので、クリスマス会があったのに、彼女は来なかった。
彼女は、電話も、LINEだって、返事をしてくれなかった。
既読スルーをされ、電話も一切出てくれない日々が続いた。
あの日彼女が言った、“ばいばい、してもいい?”という言葉は、このことだったんだろうか、と思う。
先生だって、“月は体調が悪いようだ”と言って、教えてくれなかった。

「…ねえ、北斗くん。最近の北斗くん、なんだか変だよ。どうかした?」
「え?そんなに俺、変かな」
月が来なくなって、一週間が経過した、ある日の昼休み。
橋本さんが、泣きそうな、心配そうな顔で俺の机に寄ってきた。
確かに、食欲が出なくてご飯はあまり食べていないし、普段、月に連れまわされてばかりだったから、運動にもなったけれど、その必要もなくなり、痩せて腕に前より力が入らなかったりとするけど、まさかそこまで変になっていたとは。
「…やっぱり、月ちゃんのことでしょう。最近、来ないもんね。理由を聞いても、風邪だからとか、インフルエンザにかかったから、とか、いろんな言い訳してくるの」
「…あ、そうなんだ」
「えっ?聞いてなかったの?北斗くんなら、なんでも月ちゃんのことわかってると思ってたのに…」
「…俺も、まあいろいろあるんだ。最近連絡とってなくて」
俺がそう答えると、橋本さんはますます困ったように口角を下げた。
「2人そろって変になっちゃったら、私、どうすればいいの…」と、なにやらぶつぶつ言っているが、俺は気にしないことにした。
だって、しょうがない。
月は俺のことを完全に嫌っている。
そうじゃないと、こんなのありえない。
やはり、気持ちを伝えたのが間違いだったのだ。
それで彼女を…月を傷つけた。
やっぱり俺は、サイテーな人間だ。
自然と涙がこぼれそうになって、慌ててこらえる。
それでも、涙は止まることを許さなかった。
まるで、「思う存分泣け」と言っているようで。
俺は涙に身を任せ、橋本さんにこの状況も一緒に任せた。
ああ、つらい。
俺は…どうていつもこうなのだろうか。
月のことを好きだと言ったのは、本当に間違いだったのだろうか。
それでも、好きだ。
月のことを、誰よりも愛している。その自覚はある。
…月、キミは今、どこにいる?
どんな思いで、今何をしている?
知りたい。彼女のすべてを。
彼女の、秘密を…。

「ねえ、北斗。最近、月ちゃんと話していないんじゃない?」
次の日の朝、まるで橋本さんのように母さんが言った。
「…どうしてわかるの」
「最近、北斗…悲しそうだし、つらそうなんだもの。学校、休む?いいのよ、きつかったら言ってくれても」
母さんの表情は、殴られたように痛々しい。
「…ううん。いいんだ」
なのに俺は、その情を断り、学校に向かった。
授業がはじまる少し前、俺は屋上へ向かう。
今日も、青い空を見ながら、俺はふぅっと息をつく。
「…会いたい」
俺が出したため息は、誰の耳にもとどかない。
そうして、今日も彼女がいない学校が終わりを告げた。
「ねぇ北斗!今日は健康診断よ。早くいきましょう?」
「えっ?」
帰ってくるなり、母さんが俺に飛びつきながら、玄関へ押し込む形として、そう言った。
内容は…どうやら健康診断に行こう、というもの。
「いや、クリスマス過ぎてからって言っただろう…??」
「ううん、早めてもらったのよ。ほら、早くいきましょう??」
「…いや、自分で行くよ。それくらい俺だって行けるし」
「えぇ、でも…」
母さんはつまんなそうにくちびるをとがらせたが、俺にはそんなもの通用しない。
「じゃあ俺、行ってくるから。保険証くれる?」
「…えぇ。じゃあ、行ってらっしゃい」
母さんに保険証をもらった俺は、すぐに病院へ向かう。
家から一番近い病院は、なんでも受け付けている、すごい病院だ。
もちろん、健康診断だって、重い病だって直せる病院だ。
「えぇっと、予約の蒼井様ですね!すみません、今立て込んでいて。数分待ってくれませんか?」
「わかりました」
俺は番号を書いた札を受け付けの看護師にもらって、ベンチに座る。

五分ほどたっただろうか。
もう一人終われば、俺の番だ。
「えぇっと。次の方は…夜空さん!」
看護師さんの大きな声が聞こえ、俺は目を見ひらく。
慌ててベンチから腰を上げ、すぐに看護師さんへ視線を送る。
すると、しろいセーターを着た女性が、看護師さんに連れられて行った。
俺も看護師さんに連れられて、すぐに病室の待合室のベンチに座る。
すると…ドアの向こうで、銀髪に、白セーター…そして、空色の瞳が見えた。
「えっ…?」
急いでドアを開け、外をのぞく。
やはりそこには、小柄な彼女の姿があった。
「る…」
るな、と呼ぼうとして、ハッとした。
今話しかけたって、逃げられて終わるだろう。
俺は伸ばしかけた手を引っ込め、待合室にもどった。

「はい、なんともないですね。質問とかありますか?」
「あ…えっと」
健康診断が終わり、先生に言われた言葉で、彼女の姿を思い出す。
「あの…夜空月さんってこの病院に通っているんですか…?」
「えっ?夜空、さん?うーん。あまり患者のことは話せないんですよ。夜空さんを知っているんですか?」
「同じクラスなんです。最近…俺と話してくれなくて」
「うぅん…。そう、ですね。夜空さんは、よくこの病院に来ますよ。実は…月さんは、重い病気にかかってしまっていて。オペが必要なんですよ」
「えっ!?」
びょう、き…??
あり、えない。
「あ、ありえません。いつも元気で、笑っている、月が…??」
「最初は、感情がなくなる、という第二段階だったんです。でも、別の病気も発症されていることが分かりました」
「月は…月は助かるんですよね?そうですよね?」
「……今のところは保証できません」
ガンッと頭に衝撃が走った。
「あのっ!!月はまだいますよね!?」
カウンターの看護師さんに、俺は叫んだ。
「ちょっ、お静かに…!えっと、夜空さんでしょうか」
「はいっ!!お願いします、教えてください!!」
「…えっ。で、でも」
「おねがいします!!」
俺が頭を下げると、看護師さんはしぶしぶ…というように、答えた。
「先ほど…本当に、十秒前くらいに、帰っていきましたよ」
「ありがとうございます!」
俺は急いで、病院を走り出した。
すると、向こうの方で、月が歩いている姿を見つけた。
「月!」
俺が叫びだすと、月はこちらを一瞬振り向いて…あの日のように、逃げ出した。
俺も速度を上げて、走り出す。
「る…」
「来ないでっ…!」
信号が赤くなって、追い詰められた月。
悲しそうにうつむいた月は、俺をキッと睨みつけた。
「っ…」
「おねがい…、来ないで!」
両手を突きつけ、顔を伏せた月。
「…そんなに俺は嫌われることを、したか…?」
「っ…」
「俺は気持ちをつたえただけだ。それも…気持ち悪いと思うのか…?」
「…」
月は黙ったまま、両手を下へとおろした。
「…わかった。俺も、ごめん。迷惑だっただろう?」
「………うん」
突きつけられた現実。
悲しい真実。
確かな事実。
「なぁ。一つ、言わせてくれ」
「…」
「俺のこと、もう忘れてくれ…」
今度は、俺の番だ。
一番大好きな…キミを、俺から突き放す。
それが一番楽。
それが一番の、安心なんだ。

クリスマスまで、あと一週間というとき、月は学校に来るようになっていた。
でも、あのにっこりと笑った顔は、もう見られなかった。
「ねえ月ちゃん。一緒に…ご飯食べない?」
「…うんっ!いいよ」
取り繕ったような、曲がった笑顔。
「ねえ、橋本さん。最近、月変だと思わないの?」
「えっ?別に普通じゃない?北斗くんったら、月ちゃんへの愛が強すぎじゃない?」
「…そんなもんなのかな」
「そんなもんよ、きっと。ほら、早くご飯食べちゃおうよ」
「いや、俺、今日も屋上で食べるから…」
「そっかぁ。寒いのにすごいね。じゃ、また、次の授業で」
橋本さんは、笑って月に駆け寄り、教室を出て言った。
俺も弁当をつかみ、屋上への階段を上った。
屋上は、相変わらず寒く、もう冬だから、息を吹くと、白いけむりがふわぁっと飛び散った。
いつものように弁当を食べ終わった俺は、静かに教室に戻る。
「あっ、おかえり、北斗くん。ねえ、月ちゃん、来年から違う学校行っちゃうんだって…。嫌だよね。最悪だよね…。お別れ会も含めて、家でパーティしない?」
「……」
来年から、転校…?
病気なのに…?
「…月、ちょっと今いい?」
「……忘れてって言ったのはキミでしょう?」
小さな声で帰ってきた返事。
俺は、何も言えず黙っていた。
「どうしたのよ、二人とも?ねえ、いいでしょう?北斗くんも、来るよね?」
「…うん」
俺はゆっくりと頷いた。
「ねえ、お別れ会なんだけど…クリスマスイブがいいな」
「え?どうして?クリスマスでいいじゃない」
「ううん。イブがいいの。ほら、サンタさんが来るのはその日の夜でしょう?私、毎年その日は、一人で居るんだ。その習慣は、ちゃんと守りたいの」
「ふうん。一人で居たい…ってこと?」
「うん。ごめんね」
「ううんっ。いいよ」
クリスマス、イブ。
どうしてその日なんだろう?
彼女はいつも、一人じゃない。
いつも笑って、楽しそうで。
ウソだ。
こんな話は、ウソだ…!

そんなことを考えていながら、当日まで言えなかった俺は、なんてみじめなんだろう。
今日は本当の本当の、“クリスマスイブ”だった。
「月ちゃん、今までありがとー!!」
橋本さんの合図で、手作りのクラッカーが、パンッ!と音を出して、飛び出さした。
「ありがとうっ、みんな!」
月は真ん中で、優しく笑っている。
会場では、果物や、おやつがたくさん並んでいて、みんなでジュースを飲みながら、昔話などをしていた。
「もうそろそろ、七時になっちゃう」
「もっと一緒にいたいよ~!!」
誰かが叫んだ。
「ごめんね」
月は笑顔で答えた。
「ばいばいっ!」
何もしてないない俺は、ただ彼女が去っていく背中を見ていくしかなかった。
あっという間にパーティーは終わり、俺もいつもの路地についていた。
何も考えず、ふらふらと歩いているだけで、自分の家についた。
ああ、だるい。ベットで横になりたい。
そんなことを考えながら、俺はカギを回し、扉をくぐった。
「母さん、ただいま」
玄関から大声を出した俺。
「っ…」
母さんは、リビングで目に涙をためていた。
「か、母さん…?どうしたの?」
「ほく、と…」
「っ…どうしたんだよ」
「る…るな、月ちゃんっ…」
「…?月がどうしたんだよ?」
「る、月ちゃんが…明日…しゅづつを受けるって」
「しゅづつ?うん、知ってるけど。でも、助かるんだろう?ちゃんと助かるんだろう?きちんと、また笑えるようになるんだろう…?」
おい北斗。病院の先生から言われた言葉、覚えてるかー?
頭の中の、誰かが言った気がした。
それでも、うそだと思いたかった。
ううん、うそであってほしかった。
彼女は、きっと…!
「…このしゅづつに失敗してしまえば……もう、月ちゃんは…」
「…っ。は?」
思わず口から零れ落ちた、俺の声とは思えない低い声。
「どういう、意味…?」
「……死んじゃうの。月ちゃん…死んじゃうっ…!」
突然言われた、“死”という言葉。
―大切な人は、明日も、明後日も、生きている。
―それが当たり前だと思ってしまう。
―でもそれは、“当たり前”なわけがない。
―約束されたものじゃない。
―明日も死なないよ、なんて言われるわけじゃない。
―もしかしたら、突然死んでしまう人だっているかもしれない。
明日も、明後日も、来年も、再来年も、彼女は生きている。
そう、思ってしまうんだ。
いや…違う。
どうしようもなく、思いたいんだ。