「…るな?」
無意識に名前を呼んで、慌てて閉じる。
向こうにいる彼女は、気づいていないみたいだ。
一人で、寒い中、はだしで海の水浴びをしている。
ぴちゃ…と音が鳴った瞬間、彼女の足が、真っ赤に染まった。
彼女は、食いしばっているようにぎぃっと顔を引いた。
それでも、彼女は、スカートを濡らさないように結んで、海の水をばしゃばしゃと泡立て始めた。
俺はすぐに写真を撮ろうとして、止めた。
そして、スケッチブックと鉛筆を取り出し、すぐに彼女を描き始めた。
素早い速度で、絵を描き始めた俺は、もう書き直しができないところまで来ていた。
夕陽が完全に沈んだ時、俺は絵具で色を塗り始めた。
彼女はまだ、俺に気づかない。
「ふぅ」
息をついた時には、もう真っ暗で。
でも彼女は、まだ帰ろうとしなかった。
俺は絵を乾かすため、そっと隣に絵を置いた。
そして、一人で彼女を眺める。
彼女は海辺に座って、足を海に浮かせて楽しんでいた。
数分経過した瞬間、月が海から上がり、ネコヤマの方に歩いていく。
俺も一気にバックして、ネコヤマに向かう。
彼女は、暖かい石にぎゅっと抱きついた。
その瞬間。
彼女の顔に、一滴の水滴が流れた。
「…え?」
間抜けな声を出してしまった俺。
その瞬間、彼女は水滴をぬぐって、俺の姿を確認すると、ネコヤマから離れて、走っていく。
俺も必死に、あとを追おうとして…またバックして、絵を抱きかかえ、彼女を追う。
男性並みの足の速さの月に、追いつくことはできない。
それでも、俺は彼女の姿を確認するだけでも、心のそこから嬉しかった。
「月」
俺が叫んでも、彼女は振り向いてくれなかった。
もう道が続いていない、と感じたとき、彼女はもう、あちらのほうへと走っていく。
「月…!」
叫んでも、必死に走っている彼女には届かない。
「月…!!!月!!」
叫んでも、叫んでも。
彼女には届くことがない。
周りの奴らが動物に見えるくらい、彼女に叫んだ。
「月…!!月!!」
彼女を目で追いながら、俺は叫ぶ。
「…月!!」
「るなっー!!!!」
こんな声を、出したことはあるだろうか。
こんな苦しさを、味わったことはあるだろうか。
ねぇ。ねぇ。
もう一度、キミの声が聞きたい。
ダメかな。なんてもう聞かない。
俺の腕で、精一杯抱きしめたい。
そんなのも、かなわない。
そんなものも、できない俺が……
死にたいほどにくい…!!
「月…」
つぶやいた声は、消えそうで。
もう、どこかへ行ってしまいたくなるような。
そんな声だった…。
何時間立っただろう?
駅のベンチに座り込んで、俺はただ遠くを見つめていた。
ピロピロン♪と、続けてラインがくる。
一通目、二通目も母さんだった。
っていうことは、早く帰ってこいという、母さんのLINEなんだろう。
無意識に見ていた、LINEの画面。
14件着て、ほとんどが母さんだ。
内容は全部同じで、早く帰ってきなさい。だけだった。
俺は文字をタップして、【ごめん、今日は遅くに帰るよ。今、駅にいるんだ。友達に、カラオケに誘われた】
あとから、またごめん。と文字を打って、送った。
すぐに既読がついて、不満そうだけど、わかった、と返ってきた。
ウソをついた。
母さんに、こんなバレバレなウソをつくなんて、初めてだ。
でも、俺はどうしても、一人になりたかった。
夕陽なんて、もう完全に沈んでいた。
真っ暗な夜、電車が来るたびに、どぉっと人が流れていくように去っていく。
「…あの。大丈夫ですか?」
たびたび、女性や、駅員さんが声をかけてきた。
そのたびに、「大丈夫です」と答えた。
どうしたんですか?と聞かれれば、ことごとく無視した俺。
心の中でごめん、と謝るところだろう。
だけど、俺はそんな余裕なんてない。
ぼぉ…と駅をただひたすら見つめていると、ピロン♪とまたスマホが鳴った。
どうせ母さんだろう…と思い、時間を見るついでに、スマホを開く。
時刻は、10時46分だった。
結構立っているなぁ。と思いながらも、俺はLINEを開いた。
「…え?」
俺は宛名をみて、目を光らせた。
“夜空月”
確かに、未読メッセージが届いている、と書いてあるはずなのに、俺は信じきれなかった。
何度も何度も見返して、夢じゃないんだと自覚した。
そして、ゆっくりとメッセージを見ていく。
【こんばんは。起きているかな。ただいま、夜の10時53分です。今日は、逃げてしまってごめんなさい】
最初の文は、謝罪の文だった。
【今、駅にいるでしょう?】
「…え?」
その文で留められたLINE。
なぜ、駅にいるとわかるんだろうか…?
次に送られたLINEに、俺は目を疑う。
【石田さんっていう駅員さんに、紙を持たせているから、聞いてみてくれない?】
石田…??
俺は立ち上がり、駅員さんを探す。
すると、ネームプレートに、“石田”とはっきり書いてある人を見つけた。
「あのぉ。石田さんですか?」
「え?」
石田さんは、びっくりしたように言った。
「えぇっと、蒼井さまでしょうか?」
「えぇ。まぁ、はい」
俺は頷いた。
「あのぉ。夜空様…えっと、夜空月さんから、手紙を追わずかりしております」
俺はありがとうと言って、差し出された手紙を受け取った。
ベンチに座り直し、俺は手紙を開いた。
〔次のミッションを記す。ネコヤマに隠した手紙を見つけて―〕
俺はネコヤマに向かった。
夜の海は、本当に静かであった。
ネコヤマを手探りで探していくと、ひらりと舞う紙をつかみ取った。
〔次のミッションは、自分の家に行って、ポストの中を確認してね〕
俺は急いで自分家に向かい、ポストの扉を開いた。
中には、ほかにもたくさんの新聞や、紙が挟まっていたが、同じ形の、同じ文字の手紙を見つけた。
〔次のミッションは、家に来て〕
この手紙が最後だろうとわかった。
俺はすぐに月の家へといった。
「よっ」
彼女はにぃっと笑った顔だった。
「ねぇ、ノート預かったでしょう?」
「うん」
俺はリュックからノートを取り出し、彼女に見せた。
「…っ。えっ?どうしてこれ、こんなにチェックがついているの?」
「俺が、絵を描いたんだ」
俺は持ってきた絵を見せた。
「…え?」
そりゃあそうだろう。
絵の中の“キミ”は、いろんな表情を浮かべていた。
それから、駅で少しだけ描いた、鉛筆画。
彼女の涙顔だ。
「…俺は、これからも、キミだけを描く」
もう、胸を張って言える。
俺は、叫ぶように言った。
「…」
その時見た、彼女の涙の笑顔は…幻覚だったのだろうか――。
「…ねえねえ、北斗くん!じゃあ次は、この絵を描いて!」
「はいはい」
あれから俺たちは、絵を描く、ただの集団という漢字になった。
彼女の願いノートも、結構埋まってきた。
「ねぇ北斗くん。一ページは終わったって安心しきれているみたいだけど、そんなことはないんだよ?」
「え??」
一ページというのは、月の願いノートのことだ。
「どう見たって、一ページ俺は絵を描いたよ?」
「違うよ」
一ページまるまる絵を描き終わったため、緑のチェックがつくところが多くなってきた。
「ほら、ここ」
ノートに指をさした月。
俺はその指の先を見つめ、ハッと息をのむ。
「い、いや…。大阪はさすがに遠いんじゃ」
「え?福岡より、全然遠くなんてないよ」
そこに書いてある願いは…
【大阪のユニバーサル遊園地で遊びまくって、ジェットコースターで叫んでいるわたし】
と書いてあった。
「いや、ユニバーサルって…。さすがにお金がないでしょ」
「お母さんが出してくれるよ?それに、遊園地なんて言ったことないんだもの。いいでしょう?少しくらいはしゃいでも」
「…でも、まだ学校中だぞ?」
「もうすぐ冬休みでしょう?そのころに行きたいの。4泊5日で!」
「はぁ!?そんなに止まんの?」
「もちろんだよ!」
彼女は、今日も笑っていた。
「…で、いいでしょうか?」
月のお願いに、またしても母さんはあきれる。
「いえ、二泊三日や、一泊二日ならわかるわよ?でも、四泊五日ってなると…お金が心配なの。わかるでしょう?月ちゃんだって」
「お金はすべて、私が出します。北斗くんには、遊ぶ時のためのお金だけ用意してくれればいいんです。ホテル代は心配しないでください。一番高いところを取っていますので」
当たり前のように言う月。
母さんは、オーラに押しつぶされそうになりながら、にがわらいした。
「…でも、さすがに私でもいやよ。愛する息子と、少しでも長くいたいもの。私も、もう先が長くないんだから」
母さんの言葉に、俺はドキッとした。
「母さん!」
俺は椅子から立ち上がる。
さすがに、死という言葉は、友達の前で言うもんじゃあない…。
「私は、お母さんより早くに、この世から消え散るでしょうね」
月は笑って言った。
母さんは、ハッとして、息を止めた。
「私のお母さん、今年で42才なんです。父さんは、46才です。結構離れていますよね。お父さんは、もう死ぬとわかりきっている。と言っていますが、私はきっと、父さんより早くに死んでしまうでしょう…」
月は、たんたんとした声で言った。
「え…?どういうことだよ」
俺は口をはさんでいった。
こらえきれない。こんな、“死”ということばを扱った会話なんて……。
「…ふふ。何本気にしているの、北斗くん。もしもの話だってば」
彼女は笑った。
それで俺も安心した。
俺たちの会話をみて、母さんはふぅっとため息をついた。
「…いいでしょう。ですが、冬休みですよ。うちは、一切責任を取りませんからね」
母さんはそう言い残し、リビングの方へ消えていった。
俺は彼女にグーを突きつけ、コツンと手を合わせた。
「とうとう…冬休みだぁー!!」
二人きりの教室で、彼女はめちゃくちゃに叫んだ。
「月、すこしうるさいよ。結構くらい時間までいちゃったから、先生たちに怒られるかもってさっき言っただろ」
「えへへ!でも、もうすぐ遊園地行けるんだもん。そう考えると、すごく楽しみじゃない?」
ウキウキの彼女に、俺は苦笑いをこぼす。
窓から外を見ると、もう真っ暗だ。
「でも、先生たちにバレないようにいかなきゃいけないから。静かにして」
俺は冷たく言ったはずなのに、彼女は嬉しそうにうなずいた。
コツ…コツ…
下の光がともされているだけの、暗い廊下。
窓の外も、もう真っ暗だ。
しかも、凍るように寒い。
いつも元気な彼女が、鼻水を啜るくらいだ。
「うぅ。寒いね」
「静かにして」
足音だけでも、すごく音が鳴るのに。と続けると、彼女はえへへ。と笑って、しぃっと指を口元に寄せた。
それがあまりにも色っぽくて。でもそれが似合ってなくて。
俺は苦笑してしまった。
無事に学校から出られて、正門まであと数メートルというとき…。
「お前ら!!何してんだよ!」
後ろからドでかい声が聞こえてきた。
俺たちは、ゆっくりと後ろを振り向く。
すると、体育の熱血教師、山田貴之先生がいた……。
そして、こちらに向かって、全速力で走ってくる。
「…ねぇ、北斗くん」
「…あぁ」
俺は頷いて…
「走れ!!」
叫んだ。
全速力で猛ダッシュした俺たち。
そのまま正門を抜け、俺たちは先生が追いかけて来ないくらいまで行って、二人で笑った。
「ふふふっ!面白かったね。っていうか、明日先生に怒られないかなぁ?」
「いや、明日から冬休みだろ。っていうか、遊園地行きたい!って言っていたくせに、忘れてるのか?」
「あっ、そっか」
彼女は笑った。
「ねぇ、明日、楽しみ?」
彼女を家まで送り届け、玄関の前で手を振った俺に、月がゆっくりと語りかけた。
「…うん。なんていったって、月と一緒だからね。カメラと絵は、絶対持っていくよ」
「…うん!私も、すっごく楽しみ」
ばいばい、と言い残し、彼女は扉の奥へと消えていった。
真っ暗な夜、一人で歩いていると、どこか孤独を感じてしまう。
家は、まだまだ先だ。
俺はスマホの明かりを灯しながら、家へと向かう。
駅からは、たくさんの人がたびたび出てくる。
今日はさむいなぁと感じながら、俺はふぅっと息をつく。
一度、自動販売機に近寄り、ブラックコーヒーを買う。
ゴクッ…と飲み干したコーヒーは、ほろ苦く、少し甘い。
俺は一服して、また歩き出した、少し先、俺のスマホがうぅーっと鳴った。
俺はポケットのスマホを取り出して、LINEを開く。
「…ん?」
あて名は、るなだった。
【一人で寂しくない?私今からキミの家の近くのコンビニに行くから、一緒に行かない?】
俺はハッとして、文字を急いで打つ。
【夜も遅いから、来なくていいよ。近くのコンビニを使えよ。風邪でも引いたら、大変だぞ?】
俺はすぐに送信して、既読がつくのを待った。
数秒後、既読がついたが…そこからは何も来なかった。
俺はボタンをタップして、彼女に通話をかけた。
一コール、二コールと、どんどん時間が過ぎていく。
サンコール目で、ピッと音がしたかと思うと、すぐに彼女の声が聞こえた。
〔もしもし?北斗くん?〕
「あ、あぁ。っていうか、来なくていいからな?」
〔…えぇ。でも…〕
「いいから。一応、駅にはいるけど、来なくていいから」
〔えっ!私も駅にいるの。三階にいるの?〕
「えっ?ち、違うよ。えぇっと、俺もう行くから!」
俺は真っ赤のボタンをタップして、急いで歩き始めた。
「あっ、ちょっと待ってよ~!」
すると、奥の方から、月の声が聞こえた。
俺はもっと早く歩き始める。
「待ってよっ」
ポンッと肩をたたかれ、びくっと体を震わせる。
「えへへっ。ほら、一緒に行こっ?」
俺は頷くことしかできなかった……。
「寒いねー」
「そうだな」
制服姿の、薄着の彼女は、寒そうに笑った。
「…そうだな」
俺はそういいながらも、彼女に自分のジャージをかぶせる。
「っ…。いいの?」
「俺、今寒くないし。いいよ」
俺はずびぃっと鼻水を吸って答えた。
かっこ悪いなぁと思いながら、俺は歩く速さを早めた。
「ちょっと待ってよ。北斗くんだって寒そうにしているじゃない!風邪をひかれたら困るのはこっちもだよ」
彼女はえへへ…と笑って、耳につける、フェッドホンのようなものを俺にかぶせ、赤くなった耳を温めてくれた。
そして、ぬくもりを感じるマフラーを、俺の首に巻き付けた。
「…いいのか?」
「うん。だって、あまりにも寒そうなんだもん」
彼女は肩をすくめて、あきれたよう笑って言った。
「ごめん」
「うん。感謝してね」
彼女は笑って、俺の腕を組み、俺よりも早く歩き始めた。
「…でも、二人とも手がつめたいね」
俺の指先をなでながら、月が言った。
あまりにもつらくて、俺の顔は、きゅうっと赤くなった。
「寒いね。手が冷たいだけで、全体が冷たい気がする」
月が鼻をすすりながら言った。
「私のジャージにも、服にも、スカートにも、手を入れられるほどのポケットなんてないし。あーあ。寒いなぁ」
こんどは、にやにやしながら彼女は笑った。
「…それってさぁ…」
「えぇ?私は何も言ってませんけどー?ただ、寒いなぁって思っただけだけど、何か~?」
…。
俺はまた、月に泳がされるまんまだ。
「…ねぇ。ゲームしようよ」
彼女はにやりと笑って、俺の目を見つめた。
「ゲーム…?」
「うん。一〇〇秒ゲーム。一〇〇秒目をつむるの。相手にいろんなところを触られるけど、声を上げなかったら勝ち。どう?」
「いや…そんなの無理だよ」
「えー?あっ、わかった。なんか、やらしいこと考えてるでしょ」
彼女はうげぇっという顔をして、俺から距離をとる。
「そんなんじゃ…」
「ならいいでしょう?」
俺は、いたずらっぽい笑みを浮かべた月に、頷くしかできなかった。
「じゃ、私からさわるね。上半身だけだから」
彼女はウインクした後、目を閉じて、とささやいてきた。
俺はぎゅぅッと目をつむる。
そして、一、二…と心の中で数え始めた。
すると、するする…と脇腹を触られた。
思わず、ぷぅっと笑いそうになったけれど、俺は頑張って耐えた。
「…おっ、耐えたね」
彼女は笑った。
すると、次は、頬を触られた。
くぅっと歯を食いしばり、耐えた…と安心していると、彼女のすぅっと息を吸う声が、俺の耳に届く。
「ちなみに、負けた人が、勝った人の手をあっためるっていうのはどう?」
その言葉に、気を抜いた俺。
「すきありっ!」
月が、俺の脇をくすぐった。
「うっ…はははっ!!ちょっ…!」
笑ってしまった。
「あーあ。まだ開始から、六二秒しかたっていないよ。次は、私の番ね」
彼女は数歩あるいたところで、ぎゅっと目をつむった。
「…」
俺は負け確実。
だけど、彼女を道ずれにだってできる。
「…」
俺は、彼女と同じように、脇を触った。
でも、彼女は動じない。
俺は、ほほを触った。
でも、彼女は嬉しそうに笑うだけで、声も出してくれなかった。
次に、俺はお腹を触る。
「うっ…くっ…」
月は、笑いをこらえるように言った。
でも、もう一度触ると、あははっと笑いだした。
「あーあ!二人とも笑っちゃったね」
彼女は残念そうに笑って言った。
「そうだな。で、二人とも温めないってことで」
「え?そんなわけないでしょう?二人とも、温めるの!」
「えぇ?」
「どうせもうすぐ家なんだから、少しくらいいいじゃない?キミだって寒いでしょう?」
その言葉に、俺は、仕方なくうなずいた。
そして、そっと彼女の手に触れる。
「ね?冷たいでしょう?キミも冷たいけどね」
彼女はふふっと笑った。
そして、月も、俺の手を握り返してくれた。
「あったかい…」
最後の信号の前で、月がぽつっとこぼした言葉。
「…そう?」
「うん。すごく温かい。ありがとう」
家の前でも、彼女はありがとう!と叫んで、コンビニへと走っていった。
「遅かったわね?宿題は済ませたの?」
「今日はないよ。明日から」
「ふぅん。っていうか、明日から遊園地でしょう?早く準備しなさいよ」
「あぁ。うん」
俺は頷いて、リュックを手に取った。
本を数冊と、服を手にとり、リュックに詰め込む。
そして、ほかの袋に、絵具と色鉛筆、画用紙を詰め込んだ。
カメラも入れようとして、ふと、カメラの記録を見てみると…今とは違う、いろんな表情の彼女がいた。
怒ってる顔に、今のように笑った顔。
…やっぱり、キミはきれいだ。
“写真の中の月”にいう。
あぁ、俺はバカらしいなぁ……。
俺は、カメラも一緒にカバンに詰め込んだ。
スマホは充電器に差し、充電しておく。
お金も、ありったけのものをつかみ取り、財布に入れる。
財布もリュックに押し込んで、俺はふぅっと息をついた。
ほとんどの準備はそろっている。
でも、数冊の本と、カメラ、絵具だけじゃ、きっと暇つぶしにもならないだろう。
新幹線に乗る、と言っていたし、ねる時間は沢山あるけれど…勉強する時間はあまりない。
帰りの時にもできるように、数枚、宿題を持っていくか…。
俺は月に、宿題を数枚持って行った方がいい、と送り、スマホの電源を落とした。
その日は、うまく眠れなかった。
まだ温かい手に、彼女の体温が伝わってくるから。
でも、寝不足だなんてできなかった。
だって、明日から遊園地に行かなきゃいけないから。
俺はふぅっと息をつき、また目を閉じた。
「遅いよ~!」
「ごめん。つい寝過ごしちゃってさ」
「もうっ!」
月が怒ったように、俺に顔を近づける。
「まぁ、いいけれど。ほら、早く行こう?」
「うん」
俺は頷いて、新幹線に乗るところへと向かう。
「初めてなんだよね、新幹線って」
「俺も。でも、一応予習してきたから大丈夫」
俺は手順通りに、新幹線に乗った。
「うわ。ドキドキするね」
もうすぐ動き出す…というとき、月が声を上げた。
「うん。そうだね。思ったより緊張するよ」
俺も、同じように頷いた。
「…えっ?でも…」
「なに?」
「う、ううん。何でもない」
彼女は、あはは、と笑った。
「…ふぅん。っていうか、机出してもいい?」
「えっ?うん、いいけどどうして?」
「宿題をするためだよ。スマホに書いただろう?」
「えっ…、あ、あぁ。そうだったね!」
彼女はあは…と笑って、俺と同じドリルを取り出した。
「今やるの?」
「もちろんだよ。遊園地ではできないだろう?」
「うん、そうだね。じゃ、始めよ」
彼女はドリルのページを開き、俺もドリルを解き始める。
数時間立っただろうか。
俺たちは、問題を解いては、交換して〇つけをしていく。
俺は数十問間違えてしまっていたが、月はノーミス、つまり、何も間違えていなかったのだ。
「すごいな。ここまでノーミスだぞ」
「えっ?ほんと?やった!いつもは成績悪いんだけどな」
彼女は嬉しそうに笑って、俺も笑顔を浮かべた。
「もうすぐ着いちゃうね」
「なんだよ、ついちゃうって。つく方が嬉しいだろ?」
「うん、まぁ、そうなんだけど。私は、もう少し…」
彼女は机に寄りかかり、腕の上に頭をのせた。
「…私はもう少し、北斗くんと二人きりが良かったな」
にこっと笑った彼女。
俺は顔が真っ赤になって、目を背けた。
「……そ、それは。別にいつでも二人になれるじゃないか」
「うーん。そうだね。でも…部屋べつべつだし」
「えっ…?そうなの?」
「あれれ~?スマホで送ったはずなんだけどなー?」
彼女はにやにやして、スマホを見せてきた。
確かにそこには、既読はついていないが、【部屋べつべつだよー】と書いてある文章を送っていた。
「…本当だ」
「でしょう?だから、スマホは絶対重要だから、充電しておいてね」
「…わかったよ」
俺は頷いて、新幹線がとまったことを確認して、新幹線から降りた。
「ここが大阪!」
月はすぅっと息を吸った。
「ほら、早くいかなきゃ。チェックイン、四時だから、急いで」
俺はそんな月を急かし、早歩きで、地図通り進んだ。
「…お、おっきいね!」
「そうだな。これだけ大きいとは思わなかったよ」
目の前に現れた“遊園地”は、ドームくらいの敷地。
「あっ…ほら。早くいこ?」
次は俺が急かされる番。
「あ、そうだな」
俺も頷いて、ホテルへと向かう。
「わぁっ。大きなベットだ」
自分の部屋のベットに寝転んだ月。
「じゃあ俺も、別の部屋に行くよ」
「うんっ!また明日ね!」
俺は彼女の部屋のアイカギをポケットに入れて、自分の部屋にカギを回し、入った。
「…すごい」
ぽつ…とこぼした声。
俺はあわてて荷物をほどいた。
もう、外は真っ暗だ。
俺は風呂の沸かし方もわからなかったため、ベットに寝転んで、そのまま目を閉じた―。
「おはよー!!」
午前…五時ごろだっただろうか。
月が大声で俺の部屋へと上がり込んできた。
「っ…」
まだ眠い…なんて思っていたって、もう眠気なんて覚めてしまった。
「る、月…?」
「うんっ!ほら、早く並ぼ?朝ごはんは、遊園地で食べたら大丈夫だから!」
「ちょちょ!待って!」
ぎゅうぎゅう引っ張られた腕を、反対側に引っ張り、彼女の動きを止めた。
「なになにっ?どうしたの?」
「いや、俺着替えてないし…カメラも持ってないよ?」
「えっ!?そういうのは事前に準備しておかなきゃだよ!?」
「今起きたんだよ。しょうがないだろ」
俺は少し怒り気味で、自分の部屋へと戻った。
着替えて、カメラを持って、スマホをポーチに入れ、部屋を出た。
「おかえり!ほら、早くいかなきゃ!並ぶ時間、ながいんだからね!?」
月が急いで俺の腕をつかみながら、ホテルの廊下を走り出した。
「ちょっ…!早いって」
そんな言葉を発しながら。でも、笑顔が絶えない俺たちは、いろんな人の注目の的になってしまい、顔が赤くなったのは言うまでもない。
無意識に名前を呼んで、慌てて閉じる。
向こうにいる彼女は、気づいていないみたいだ。
一人で、寒い中、はだしで海の水浴びをしている。
ぴちゃ…と音が鳴った瞬間、彼女の足が、真っ赤に染まった。
彼女は、食いしばっているようにぎぃっと顔を引いた。
それでも、彼女は、スカートを濡らさないように結んで、海の水をばしゃばしゃと泡立て始めた。
俺はすぐに写真を撮ろうとして、止めた。
そして、スケッチブックと鉛筆を取り出し、すぐに彼女を描き始めた。
素早い速度で、絵を描き始めた俺は、もう書き直しができないところまで来ていた。
夕陽が完全に沈んだ時、俺は絵具で色を塗り始めた。
彼女はまだ、俺に気づかない。
「ふぅ」
息をついた時には、もう真っ暗で。
でも彼女は、まだ帰ろうとしなかった。
俺は絵を乾かすため、そっと隣に絵を置いた。
そして、一人で彼女を眺める。
彼女は海辺に座って、足を海に浮かせて楽しんでいた。
数分経過した瞬間、月が海から上がり、ネコヤマの方に歩いていく。
俺も一気にバックして、ネコヤマに向かう。
彼女は、暖かい石にぎゅっと抱きついた。
その瞬間。
彼女の顔に、一滴の水滴が流れた。
「…え?」
間抜けな声を出してしまった俺。
その瞬間、彼女は水滴をぬぐって、俺の姿を確認すると、ネコヤマから離れて、走っていく。
俺も必死に、あとを追おうとして…またバックして、絵を抱きかかえ、彼女を追う。
男性並みの足の速さの月に、追いつくことはできない。
それでも、俺は彼女の姿を確認するだけでも、心のそこから嬉しかった。
「月」
俺が叫んでも、彼女は振り向いてくれなかった。
もう道が続いていない、と感じたとき、彼女はもう、あちらのほうへと走っていく。
「月…!」
叫んでも、必死に走っている彼女には届かない。
「月…!!!月!!」
叫んでも、叫んでも。
彼女には届くことがない。
周りの奴らが動物に見えるくらい、彼女に叫んだ。
「月…!!月!!」
彼女を目で追いながら、俺は叫ぶ。
「…月!!」
「るなっー!!!!」
こんな声を、出したことはあるだろうか。
こんな苦しさを、味わったことはあるだろうか。
ねぇ。ねぇ。
もう一度、キミの声が聞きたい。
ダメかな。なんてもう聞かない。
俺の腕で、精一杯抱きしめたい。
そんなのも、かなわない。
そんなものも、できない俺が……
死にたいほどにくい…!!
「月…」
つぶやいた声は、消えそうで。
もう、どこかへ行ってしまいたくなるような。
そんな声だった…。
何時間立っただろう?
駅のベンチに座り込んで、俺はただ遠くを見つめていた。
ピロピロン♪と、続けてラインがくる。
一通目、二通目も母さんだった。
っていうことは、早く帰ってこいという、母さんのLINEなんだろう。
無意識に見ていた、LINEの画面。
14件着て、ほとんどが母さんだ。
内容は全部同じで、早く帰ってきなさい。だけだった。
俺は文字をタップして、【ごめん、今日は遅くに帰るよ。今、駅にいるんだ。友達に、カラオケに誘われた】
あとから、またごめん。と文字を打って、送った。
すぐに既読がついて、不満そうだけど、わかった、と返ってきた。
ウソをついた。
母さんに、こんなバレバレなウソをつくなんて、初めてだ。
でも、俺はどうしても、一人になりたかった。
夕陽なんて、もう完全に沈んでいた。
真っ暗な夜、電車が来るたびに、どぉっと人が流れていくように去っていく。
「…あの。大丈夫ですか?」
たびたび、女性や、駅員さんが声をかけてきた。
そのたびに、「大丈夫です」と答えた。
どうしたんですか?と聞かれれば、ことごとく無視した俺。
心の中でごめん、と謝るところだろう。
だけど、俺はそんな余裕なんてない。
ぼぉ…と駅をただひたすら見つめていると、ピロン♪とまたスマホが鳴った。
どうせ母さんだろう…と思い、時間を見るついでに、スマホを開く。
時刻は、10時46分だった。
結構立っているなぁ。と思いながらも、俺はLINEを開いた。
「…え?」
俺は宛名をみて、目を光らせた。
“夜空月”
確かに、未読メッセージが届いている、と書いてあるはずなのに、俺は信じきれなかった。
何度も何度も見返して、夢じゃないんだと自覚した。
そして、ゆっくりとメッセージを見ていく。
【こんばんは。起きているかな。ただいま、夜の10時53分です。今日は、逃げてしまってごめんなさい】
最初の文は、謝罪の文だった。
【今、駅にいるでしょう?】
「…え?」
その文で留められたLINE。
なぜ、駅にいるとわかるんだろうか…?
次に送られたLINEに、俺は目を疑う。
【石田さんっていう駅員さんに、紙を持たせているから、聞いてみてくれない?】
石田…??
俺は立ち上がり、駅員さんを探す。
すると、ネームプレートに、“石田”とはっきり書いてある人を見つけた。
「あのぉ。石田さんですか?」
「え?」
石田さんは、びっくりしたように言った。
「えぇっと、蒼井さまでしょうか?」
「えぇ。まぁ、はい」
俺は頷いた。
「あのぉ。夜空様…えっと、夜空月さんから、手紙を追わずかりしております」
俺はありがとうと言って、差し出された手紙を受け取った。
ベンチに座り直し、俺は手紙を開いた。
〔次のミッションを記す。ネコヤマに隠した手紙を見つけて―〕
俺はネコヤマに向かった。
夜の海は、本当に静かであった。
ネコヤマを手探りで探していくと、ひらりと舞う紙をつかみ取った。
〔次のミッションは、自分の家に行って、ポストの中を確認してね〕
俺は急いで自分家に向かい、ポストの扉を開いた。
中には、ほかにもたくさんの新聞や、紙が挟まっていたが、同じ形の、同じ文字の手紙を見つけた。
〔次のミッションは、家に来て〕
この手紙が最後だろうとわかった。
俺はすぐに月の家へといった。
「よっ」
彼女はにぃっと笑った顔だった。
「ねぇ、ノート預かったでしょう?」
「うん」
俺はリュックからノートを取り出し、彼女に見せた。
「…っ。えっ?どうしてこれ、こんなにチェックがついているの?」
「俺が、絵を描いたんだ」
俺は持ってきた絵を見せた。
「…え?」
そりゃあそうだろう。
絵の中の“キミ”は、いろんな表情を浮かべていた。
それから、駅で少しだけ描いた、鉛筆画。
彼女の涙顔だ。
「…俺は、これからも、キミだけを描く」
もう、胸を張って言える。
俺は、叫ぶように言った。
「…」
その時見た、彼女の涙の笑顔は…幻覚だったのだろうか――。
「…ねえねえ、北斗くん!じゃあ次は、この絵を描いて!」
「はいはい」
あれから俺たちは、絵を描く、ただの集団という漢字になった。
彼女の願いノートも、結構埋まってきた。
「ねぇ北斗くん。一ページは終わったって安心しきれているみたいだけど、そんなことはないんだよ?」
「え??」
一ページというのは、月の願いノートのことだ。
「どう見たって、一ページ俺は絵を描いたよ?」
「違うよ」
一ページまるまる絵を描き終わったため、緑のチェックがつくところが多くなってきた。
「ほら、ここ」
ノートに指をさした月。
俺はその指の先を見つめ、ハッと息をのむ。
「い、いや…。大阪はさすがに遠いんじゃ」
「え?福岡より、全然遠くなんてないよ」
そこに書いてある願いは…
【大阪のユニバーサル遊園地で遊びまくって、ジェットコースターで叫んでいるわたし】
と書いてあった。
「いや、ユニバーサルって…。さすがにお金がないでしょ」
「お母さんが出してくれるよ?それに、遊園地なんて言ったことないんだもの。いいでしょう?少しくらいはしゃいでも」
「…でも、まだ学校中だぞ?」
「もうすぐ冬休みでしょう?そのころに行きたいの。4泊5日で!」
「はぁ!?そんなに止まんの?」
「もちろんだよ!」
彼女は、今日も笑っていた。
「…で、いいでしょうか?」
月のお願いに、またしても母さんはあきれる。
「いえ、二泊三日や、一泊二日ならわかるわよ?でも、四泊五日ってなると…お金が心配なの。わかるでしょう?月ちゃんだって」
「お金はすべて、私が出します。北斗くんには、遊ぶ時のためのお金だけ用意してくれればいいんです。ホテル代は心配しないでください。一番高いところを取っていますので」
当たり前のように言う月。
母さんは、オーラに押しつぶされそうになりながら、にがわらいした。
「…でも、さすがに私でもいやよ。愛する息子と、少しでも長くいたいもの。私も、もう先が長くないんだから」
母さんの言葉に、俺はドキッとした。
「母さん!」
俺は椅子から立ち上がる。
さすがに、死という言葉は、友達の前で言うもんじゃあない…。
「私は、お母さんより早くに、この世から消え散るでしょうね」
月は笑って言った。
母さんは、ハッとして、息を止めた。
「私のお母さん、今年で42才なんです。父さんは、46才です。結構離れていますよね。お父さんは、もう死ぬとわかりきっている。と言っていますが、私はきっと、父さんより早くに死んでしまうでしょう…」
月は、たんたんとした声で言った。
「え…?どういうことだよ」
俺は口をはさんでいった。
こらえきれない。こんな、“死”ということばを扱った会話なんて……。
「…ふふ。何本気にしているの、北斗くん。もしもの話だってば」
彼女は笑った。
それで俺も安心した。
俺たちの会話をみて、母さんはふぅっとため息をついた。
「…いいでしょう。ですが、冬休みですよ。うちは、一切責任を取りませんからね」
母さんはそう言い残し、リビングの方へ消えていった。
俺は彼女にグーを突きつけ、コツンと手を合わせた。
「とうとう…冬休みだぁー!!」
二人きりの教室で、彼女はめちゃくちゃに叫んだ。
「月、すこしうるさいよ。結構くらい時間までいちゃったから、先生たちに怒られるかもってさっき言っただろ」
「えへへ!でも、もうすぐ遊園地行けるんだもん。そう考えると、すごく楽しみじゃない?」
ウキウキの彼女に、俺は苦笑いをこぼす。
窓から外を見ると、もう真っ暗だ。
「でも、先生たちにバレないようにいかなきゃいけないから。静かにして」
俺は冷たく言ったはずなのに、彼女は嬉しそうにうなずいた。
コツ…コツ…
下の光がともされているだけの、暗い廊下。
窓の外も、もう真っ暗だ。
しかも、凍るように寒い。
いつも元気な彼女が、鼻水を啜るくらいだ。
「うぅ。寒いね」
「静かにして」
足音だけでも、すごく音が鳴るのに。と続けると、彼女はえへへ。と笑って、しぃっと指を口元に寄せた。
それがあまりにも色っぽくて。でもそれが似合ってなくて。
俺は苦笑してしまった。
無事に学校から出られて、正門まであと数メートルというとき…。
「お前ら!!何してんだよ!」
後ろからドでかい声が聞こえてきた。
俺たちは、ゆっくりと後ろを振り向く。
すると、体育の熱血教師、山田貴之先生がいた……。
そして、こちらに向かって、全速力で走ってくる。
「…ねぇ、北斗くん」
「…あぁ」
俺は頷いて…
「走れ!!」
叫んだ。
全速力で猛ダッシュした俺たち。
そのまま正門を抜け、俺たちは先生が追いかけて来ないくらいまで行って、二人で笑った。
「ふふふっ!面白かったね。っていうか、明日先生に怒られないかなぁ?」
「いや、明日から冬休みだろ。っていうか、遊園地行きたい!って言っていたくせに、忘れてるのか?」
「あっ、そっか」
彼女は笑った。
「ねぇ、明日、楽しみ?」
彼女を家まで送り届け、玄関の前で手を振った俺に、月がゆっくりと語りかけた。
「…うん。なんていったって、月と一緒だからね。カメラと絵は、絶対持っていくよ」
「…うん!私も、すっごく楽しみ」
ばいばい、と言い残し、彼女は扉の奥へと消えていった。
真っ暗な夜、一人で歩いていると、どこか孤独を感じてしまう。
家は、まだまだ先だ。
俺はスマホの明かりを灯しながら、家へと向かう。
駅からは、たくさんの人がたびたび出てくる。
今日はさむいなぁと感じながら、俺はふぅっと息をつく。
一度、自動販売機に近寄り、ブラックコーヒーを買う。
ゴクッ…と飲み干したコーヒーは、ほろ苦く、少し甘い。
俺は一服して、また歩き出した、少し先、俺のスマホがうぅーっと鳴った。
俺はポケットのスマホを取り出して、LINEを開く。
「…ん?」
あて名は、るなだった。
【一人で寂しくない?私今からキミの家の近くのコンビニに行くから、一緒に行かない?】
俺はハッとして、文字を急いで打つ。
【夜も遅いから、来なくていいよ。近くのコンビニを使えよ。風邪でも引いたら、大変だぞ?】
俺はすぐに送信して、既読がつくのを待った。
数秒後、既読がついたが…そこからは何も来なかった。
俺はボタンをタップして、彼女に通話をかけた。
一コール、二コールと、どんどん時間が過ぎていく。
サンコール目で、ピッと音がしたかと思うと、すぐに彼女の声が聞こえた。
〔もしもし?北斗くん?〕
「あ、あぁ。っていうか、来なくていいからな?」
〔…えぇ。でも…〕
「いいから。一応、駅にはいるけど、来なくていいから」
〔えっ!私も駅にいるの。三階にいるの?〕
「えっ?ち、違うよ。えぇっと、俺もう行くから!」
俺は真っ赤のボタンをタップして、急いで歩き始めた。
「あっ、ちょっと待ってよ~!」
すると、奥の方から、月の声が聞こえた。
俺はもっと早く歩き始める。
「待ってよっ」
ポンッと肩をたたかれ、びくっと体を震わせる。
「えへへっ。ほら、一緒に行こっ?」
俺は頷くことしかできなかった……。
「寒いねー」
「そうだな」
制服姿の、薄着の彼女は、寒そうに笑った。
「…そうだな」
俺はそういいながらも、彼女に自分のジャージをかぶせる。
「っ…。いいの?」
「俺、今寒くないし。いいよ」
俺はずびぃっと鼻水を吸って答えた。
かっこ悪いなぁと思いながら、俺は歩く速さを早めた。
「ちょっと待ってよ。北斗くんだって寒そうにしているじゃない!風邪をひかれたら困るのはこっちもだよ」
彼女はえへへ…と笑って、耳につける、フェッドホンのようなものを俺にかぶせ、赤くなった耳を温めてくれた。
そして、ぬくもりを感じるマフラーを、俺の首に巻き付けた。
「…いいのか?」
「うん。だって、あまりにも寒そうなんだもん」
彼女は肩をすくめて、あきれたよう笑って言った。
「ごめん」
「うん。感謝してね」
彼女は笑って、俺の腕を組み、俺よりも早く歩き始めた。
「…でも、二人とも手がつめたいね」
俺の指先をなでながら、月が言った。
あまりにもつらくて、俺の顔は、きゅうっと赤くなった。
「寒いね。手が冷たいだけで、全体が冷たい気がする」
月が鼻をすすりながら言った。
「私のジャージにも、服にも、スカートにも、手を入れられるほどのポケットなんてないし。あーあ。寒いなぁ」
こんどは、にやにやしながら彼女は笑った。
「…それってさぁ…」
「えぇ?私は何も言ってませんけどー?ただ、寒いなぁって思っただけだけど、何か~?」
…。
俺はまた、月に泳がされるまんまだ。
「…ねぇ。ゲームしようよ」
彼女はにやりと笑って、俺の目を見つめた。
「ゲーム…?」
「うん。一〇〇秒ゲーム。一〇〇秒目をつむるの。相手にいろんなところを触られるけど、声を上げなかったら勝ち。どう?」
「いや…そんなの無理だよ」
「えー?あっ、わかった。なんか、やらしいこと考えてるでしょ」
彼女はうげぇっという顔をして、俺から距離をとる。
「そんなんじゃ…」
「ならいいでしょう?」
俺は、いたずらっぽい笑みを浮かべた月に、頷くしかできなかった。
「じゃ、私からさわるね。上半身だけだから」
彼女はウインクした後、目を閉じて、とささやいてきた。
俺はぎゅぅッと目をつむる。
そして、一、二…と心の中で数え始めた。
すると、するする…と脇腹を触られた。
思わず、ぷぅっと笑いそうになったけれど、俺は頑張って耐えた。
「…おっ、耐えたね」
彼女は笑った。
すると、次は、頬を触られた。
くぅっと歯を食いしばり、耐えた…と安心していると、彼女のすぅっと息を吸う声が、俺の耳に届く。
「ちなみに、負けた人が、勝った人の手をあっためるっていうのはどう?」
その言葉に、気を抜いた俺。
「すきありっ!」
月が、俺の脇をくすぐった。
「うっ…はははっ!!ちょっ…!」
笑ってしまった。
「あーあ。まだ開始から、六二秒しかたっていないよ。次は、私の番ね」
彼女は数歩あるいたところで、ぎゅっと目をつむった。
「…」
俺は負け確実。
だけど、彼女を道ずれにだってできる。
「…」
俺は、彼女と同じように、脇を触った。
でも、彼女は動じない。
俺は、ほほを触った。
でも、彼女は嬉しそうに笑うだけで、声も出してくれなかった。
次に、俺はお腹を触る。
「うっ…くっ…」
月は、笑いをこらえるように言った。
でも、もう一度触ると、あははっと笑いだした。
「あーあ!二人とも笑っちゃったね」
彼女は残念そうに笑って言った。
「そうだな。で、二人とも温めないってことで」
「え?そんなわけないでしょう?二人とも、温めるの!」
「えぇ?」
「どうせもうすぐ家なんだから、少しくらいいいじゃない?キミだって寒いでしょう?」
その言葉に、俺は、仕方なくうなずいた。
そして、そっと彼女の手に触れる。
「ね?冷たいでしょう?キミも冷たいけどね」
彼女はふふっと笑った。
そして、月も、俺の手を握り返してくれた。
「あったかい…」
最後の信号の前で、月がぽつっとこぼした言葉。
「…そう?」
「うん。すごく温かい。ありがとう」
家の前でも、彼女はありがとう!と叫んで、コンビニへと走っていった。
「遅かったわね?宿題は済ませたの?」
「今日はないよ。明日から」
「ふぅん。っていうか、明日から遊園地でしょう?早く準備しなさいよ」
「あぁ。うん」
俺は頷いて、リュックを手に取った。
本を数冊と、服を手にとり、リュックに詰め込む。
そして、ほかの袋に、絵具と色鉛筆、画用紙を詰め込んだ。
カメラも入れようとして、ふと、カメラの記録を見てみると…今とは違う、いろんな表情の彼女がいた。
怒ってる顔に、今のように笑った顔。
…やっぱり、キミはきれいだ。
“写真の中の月”にいう。
あぁ、俺はバカらしいなぁ……。
俺は、カメラも一緒にカバンに詰め込んだ。
スマホは充電器に差し、充電しておく。
お金も、ありったけのものをつかみ取り、財布に入れる。
財布もリュックに押し込んで、俺はふぅっと息をついた。
ほとんどの準備はそろっている。
でも、数冊の本と、カメラ、絵具だけじゃ、きっと暇つぶしにもならないだろう。
新幹線に乗る、と言っていたし、ねる時間は沢山あるけれど…勉強する時間はあまりない。
帰りの時にもできるように、数枚、宿題を持っていくか…。
俺は月に、宿題を数枚持って行った方がいい、と送り、スマホの電源を落とした。
その日は、うまく眠れなかった。
まだ温かい手に、彼女の体温が伝わってくるから。
でも、寝不足だなんてできなかった。
だって、明日から遊園地に行かなきゃいけないから。
俺はふぅっと息をつき、また目を閉じた。
「遅いよ~!」
「ごめん。つい寝過ごしちゃってさ」
「もうっ!」
月が怒ったように、俺に顔を近づける。
「まぁ、いいけれど。ほら、早く行こう?」
「うん」
俺は頷いて、新幹線に乗るところへと向かう。
「初めてなんだよね、新幹線って」
「俺も。でも、一応予習してきたから大丈夫」
俺は手順通りに、新幹線に乗った。
「うわ。ドキドキするね」
もうすぐ動き出す…というとき、月が声を上げた。
「うん。そうだね。思ったより緊張するよ」
俺も、同じように頷いた。
「…えっ?でも…」
「なに?」
「う、ううん。何でもない」
彼女は、あはは、と笑った。
「…ふぅん。っていうか、机出してもいい?」
「えっ?うん、いいけどどうして?」
「宿題をするためだよ。スマホに書いただろう?」
「えっ…、あ、あぁ。そうだったね!」
彼女はあは…と笑って、俺と同じドリルを取り出した。
「今やるの?」
「もちろんだよ。遊園地ではできないだろう?」
「うん、そうだね。じゃ、始めよ」
彼女はドリルのページを開き、俺もドリルを解き始める。
数時間立っただろうか。
俺たちは、問題を解いては、交換して〇つけをしていく。
俺は数十問間違えてしまっていたが、月はノーミス、つまり、何も間違えていなかったのだ。
「すごいな。ここまでノーミスだぞ」
「えっ?ほんと?やった!いつもは成績悪いんだけどな」
彼女は嬉しそうに笑って、俺も笑顔を浮かべた。
「もうすぐ着いちゃうね」
「なんだよ、ついちゃうって。つく方が嬉しいだろ?」
「うん、まぁ、そうなんだけど。私は、もう少し…」
彼女は机に寄りかかり、腕の上に頭をのせた。
「…私はもう少し、北斗くんと二人きりが良かったな」
にこっと笑った彼女。
俺は顔が真っ赤になって、目を背けた。
「……そ、それは。別にいつでも二人になれるじゃないか」
「うーん。そうだね。でも…部屋べつべつだし」
「えっ…?そうなの?」
「あれれ~?スマホで送ったはずなんだけどなー?」
彼女はにやにやして、スマホを見せてきた。
確かにそこには、既読はついていないが、【部屋べつべつだよー】と書いてある文章を送っていた。
「…本当だ」
「でしょう?だから、スマホは絶対重要だから、充電しておいてね」
「…わかったよ」
俺は頷いて、新幹線がとまったことを確認して、新幹線から降りた。
「ここが大阪!」
月はすぅっと息を吸った。
「ほら、早くいかなきゃ。チェックイン、四時だから、急いで」
俺はそんな月を急かし、早歩きで、地図通り進んだ。
「…お、おっきいね!」
「そうだな。これだけ大きいとは思わなかったよ」
目の前に現れた“遊園地”は、ドームくらいの敷地。
「あっ…ほら。早くいこ?」
次は俺が急かされる番。
「あ、そうだな」
俺も頷いて、ホテルへと向かう。
「わぁっ。大きなベットだ」
自分の部屋のベットに寝転んだ月。
「じゃあ俺も、別の部屋に行くよ」
「うんっ!また明日ね!」
俺は彼女の部屋のアイカギをポケットに入れて、自分の部屋にカギを回し、入った。
「…すごい」
ぽつ…とこぼした声。
俺はあわてて荷物をほどいた。
もう、外は真っ暗だ。
俺は風呂の沸かし方もわからなかったため、ベットに寝転んで、そのまま目を閉じた―。
「おはよー!!」
午前…五時ごろだっただろうか。
月が大声で俺の部屋へと上がり込んできた。
「っ…」
まだ眠い…なんて思っていたって、もう眠気なんて覚めてしまった。
「る、月…?」
「うんっ!ほら、早く並ぼ?朝ごはんは、遊園地で食べたら大丈夫だから!」
「ちょちょ!待って!」
ぎゅうぎゅう引っ張られた腕を、反対側に引っ張り、彼女の動きを止めた。
「なになにっ?どうしたの?」
「いや、俺着替えてないし…カメラも持ってないよ?」
「えっ!?そういうのは事前に準備しておかなきゃだよ!?」
「今起きたんだよ。しょうがないだろ」
俺は少し怒り気味で、自分の部屋へと戻った。
着替えて、カメラを持って、スマホをポーチに入れ、部屋を出た。
「おかえり!ほら、早くいかなきゃ!並ぶ時間、ながいんだからね!?」
月が急いで俺の腕をつかみながら、ホテルの廊下を走り出した。
「ちょっ…!早いって」
そんな言葉を発しながら。でも、笑顔が絶えない俺たちは、いろんな人の注目の的になってしまい、顔が赤くなったのは言うまでもない。