ヒルク氏の生家だという屋敷は、トワノライトの西の端にあった。
トワノライトの街は大きく三つの地区に別れている。
北側は厳重に警備されている鉱山区域である。北側にそびえる山に掘削された鉱道こそが精霊石エヴァニウムの原石が採掘される、トワノライトの生命線だ。
東側は商業地域と出稼ぎの労働者たちが住む区域だ。出稼ぎの労働者たちは、この鉱山区域と東側の宿場町を往復する毎日を送っている。
そして、西側がトワノライトの旧市街である。ピーターが鉱脈を発見する前からトワノライトに住んでいた人々と、鉱山の採掘がはじまった当初に尽力した功労者たち……要するにこのトワノライトにおいてある一定以上の地位や財産を有している者たちの居住区だ。
この北・東・西の三区域の境目にある広場にピーターの銅像がある。
「ここね、現場は」
地図と屋敷を何度か見比べて、アキノが大きく頷いた。
アキノに連れられて、ユウキとポチは現場の確認にやってきた。
「しょうきだまり……って、めにはみえないんだ」
「見えるほどの瘴気が溜まっていたら、私たちも無事では済みませんよ」
「そうなんだ」
「はい。街の西側は地形的に瘴気が溜まりやすいのです……風通しが悪かったり、閉め切ったりする場所から、瘴気溜まりになります」
「じゃあ、あきやって……」
「はい、空き家に限らず、家は定期的に清掃しないと気がつかない間に瘴気溜まりになってしまいます」
「そうじしなかっただけでっ!」
ユウキはじっと屋敷の外観を観察してみる。
屋敷にはウネウネと蠢くツタが絡まっていて、周囲にどんよりとした空気が渦巻いている。
(うわあ……これは……)
完全に空気が淀んでいる。
これほどに淀んだ空気は、ユウキが務めていた会社の超繁忙期を前に社員が一人音信不通になり、そのまま退職した……という知らせが人事部から流れてきたとき以来だろうか。
葬式以上に葬式みたいな空気というやつである。
「あれ? 誰かが出てきた」
アキノが訝しげに呟いた。
目をこらすと、屋敷の裏口から何人かの人影が出てきて、破れた塀から外に這い出していった。
三人か、四人くらいの集団だ。なにか焦っているかんじ。
「もしかして、どろぼう?」
「いえ、あのシルエットは……ミュゼオン教団の者でしょう」
そういえば、ヒルクはミュゼオン教団にも相談をしたと言っていた。
「でも、とりあってもらえなかったって」
「盗み聞きをしていた下級聖女あたりが、点数稼ぎに来たんじゃないかなー」
「そういうのがあるの」
「教団のノルマは高利貸しどころじゃないから。魔物化した家財でも捕まえて売れば、上納金の足しになるだろうし」
アキノの口ぶりからすると、彼女はあまりミュゼオン教団とやらを快く思ってはいないようだ。
古びた門をくぐると、庭がある。
手入れをされていた頃には、ちょっとした庭園みたいになっていたのかもしれないけれど、見る影もない。
というか……風もないのに、枯れ草がウゾウゾと動いている。
ユウキは頭の中をひっくり返す。
修行の一環として、『この世界でよく見る魔獣や魔物』をルーシーから教えてもらっていたのだ。
「あれ、ゾンビソウだ」
枯れ草に擬態して吸血する、やっかいなやつだ。
よく見ると、枯れ草の先端が手のように変形してゆらゆらと獲物をまっている。あれで獲物の足をとって、立ち止まったり転倒したりしたところを棘で突き刺して血を吸うのだ。
殺されることはないが、足をやられるのでやっかいだと言っていた。
(俺の背丈だと、首をざっくりいかれるかも……)
ぞわわ、とユウキの背筋が震える。
六才児に迫る危機!
アキノはきっとこういう事態にも慣れているだろうから心配いらないだろうが、念のため先に駆除しておこう。
「よ、よし……」
ルーシーからもらったナイフを、ぎゅっと握りしめる。
ゾンビソウの本体は根っこだ。全滅させるためには、土に対してアプローチしなくてはいけない。専用の瘴気除去剤を撒く必要があるらしい。いわゆる、除草剤みたいなものだ。
(無力化だけなら、根っこに近いところから刈りとるだけでヨシ!)
腰を落として、手早くゾンビソウの根元に近い部分にナイフを入れていく。
ザクザク、という手応えが気持ちいい。
寒冷地である山奥にもゾンビソウの亜種である、ゾンビツララという魔物が発生することがあった。こちらは真下に獲物がやってきた瞬間にとがったつららが落下してくるという死に直結するトラップだった。
「よっ、ほっ!」
身長が小さいちびっこゆえに、こういう地面に近いところへのアプローチはルーシーよりも得意である。といっても、本気になったルーシーはたった一撃地面をぶん殴るか斬りつけるかするだけで、地面ごと根こそぎ殲滅するのだけれど。
「え? ちょ、ユウキ!?」
ゾンビソウをあらかた切り倒したところで、アキノの叫び声に振り返る。
「あえっ」
「ゾンビソウをそんな簡単に刈りとって……というか、瘴気酔いは大丈夫なの!?」
「しょうき、よい」
よく見ると、アキノは三角巾で口元を隠していた。
埃を吸い込まないようにするお掃除スタイルだ。
「もしかして瘴気酔いを知らない……?」
「ご、ごめんなさい。しらない」
「瘴気の濃いところを歩いていて気持ち悪くなったことは?」
「な、ないです」
「嘘でしょ? すごい人だとは聞いてたけど……っ! こんな小さくて可愛いのに」
可愛いのは関係ないでしょうに、とユウキは思った。
というか、瘴気渦巻く魔の山を走り回りながら育ってきたのだ。
経験していてもよさそうだけれど……やはり、ルーシーの特訓でヘロヘロになったことはあれど、それ以外で気持ち悪くなったことはないかも。
「というか、素手でゾンビソウを刈るとか……最悪、死ぬ人もいますよ!?」
「えっ」
ルーシーは「命に別状がないタイプの魔物」と言っていたけれど。
ユウキが絶句していると、アキノはユウキを頭の上から足の先まで嘗め回すようにチェックすると、ほっと胸をなで下ろした。
「とりあえず、怪我はないようね……というか、瘴気酔いを知らないとは……ユウキくらいの年齢だと、これくらいの瘴気でも倒れたり、鼻血を出したり……予防や浄化のための聖水代も馬鹿にならないのよ」
「せーすい?」
「精霊聖水……精霊様の力が宿った水ね。昨今は聖水もかなり手に入りにくくなっているし、高くなっているし……」
「つまり、せーすいをのむと……しょうきにつよくなる? あー……」
それならば、思い当たる節がある。
オリンピアの結界の中で過ごしていた毎日で使っていた水だ。
飲み水も料理に使う水も、風呂もトイレも顔を洗うのも、すべて泉の水を使っていた──精霊オリンピアの祝福をうけた結界に守られた、精霊の泉だ。
生活用水に、そんな貴重なものをつかっていたとは。
「とりあえず、念のため清掃の際には瘴気を吸い込まないように……って、先に注意すればよかったわね」
「は、はぁい」
アキノに身なりを整えてもらって、館の中に向かう。
ポチも念のためにスカーフを口元に巻いてもらって誇らしそうにしている。
(まあ、ポチは魔獣なんだから大丈夫だろうけど)
むしろ、瘴気がある場所の方が元気なのではないだろうか。
屋敷の扉を開けると、中から禍々しい空気が流れ出てきた。
エヴァニウムを使った灯火だという懐中電灯のようなもので中を照らした。埃だらけで、淀んだ空気が渦巻いている。
瘴気が溜まっていないとしても、かなり酷い状態だ。
「うえっ」
アキノがごほごほと咳き込んだ。
瘴気にあてられたのだろう。
(う……全然、なんともない……)
なんとなく気まずい気持ちになって、瘴気にテンションが上がってしまったのか、楽しそうに駆け回っているポチを追いかけるフリをした。
「危なくなったら、すぐに離脱しますよ〜。本日は被害状況の確認がメイン業務だから、ムリはしない」
「はいっ」
「清掃作業は昼間にやるから、特に瘴気が溜まっている部分がどこかメモをとっておくっと……」
アキノが特徴的なデザインのメガネをかける。
瘴気を可視化する、特別な道具なのだとか。これもエヴァニウムの成分を利用しているというから、驚きだ。
「瘴気が見えるようになるだけで、魔獣や魔物の存在自体がわかるわけではないので気をつけて進みます」
「は、はい……」
「ん? どうしたの、ユウキ。何か?」
「な、なんでもない」
ユウキは咳払いをした。
(なんか……変なデザインの面白サングラスみたいで……笑っちゃダメっておもうと……ぷふっ)
至って真面目な表情のアキノから、ユウキはそっと目をそらした。
夜中には入り込んだ魔獣の数や瘴気によって魔物化してしまった家具が活発になるため被害状況がよくわかるのだそうだ。
ユウキは屋敷の中を歩きながら、目に付いた魔獣を指さしていく。
「あ、あそこに吸血バット……チャバネミタマカブリとショウフグモとカミキリグモと……」
「え、どこ?」
「ほら、あそこ」
「ほんとだ! よくわかるわね……魔獣はまだ虫型くらいしかいないのが救いだけど、とにかく家具や調度品が多いので、魔物化するとやっかいね」
瘴気によって生態が変化してしまった動植物を「魔獣」、無機物が変質してしまった状態を「魔物」という。
ヒルクの屋敷には魔物の気配が濃いようだ。
(うーん、魔物って詳しくないんだよな)
山にいたのは主に魔獣だ。一般的には魔物よりも魔獣のほうが手強く危険な存在とされているのだが、ユウキにとっては馴染みのない魔物のほうが厄介に感じてしまう。
屋敷の中をあちこち見て回っているときだった。
「きゃああああっ!」
悲鳴だ。
どこからどう聞いても悲鳴だ。
「なんです、今の!」
「おくから、きこえた!」
「わう、わんっ!」
ユウキはあわてて駆け出した。
真っ暗な屋敷の中なので、アキノが持っていた灯火がないと視界がないけれど、夜目が利く相棒がいる。
「わんっ!」
ととと、と悲鳴の聞こえたほうに駆け出すポチについていくと、後ろからアキノが追いかけてきた。
「ちょ、待って! 勝手に走ったらあぶないって!」
「でもっ、ひめいがっ」
「だからって、無鉄砲すぎっ!」
もちろん、悲鳴に似た音を立てて獲物を誘き寄せるタイプの魔獣も存在しているのはユウキも知っている。知っているが、森の奥などに分布する魔獣のはずだ。ここにいる可能性は低い。
誰かが助けを求めている可能性の方が高いのならば、躊躇う理由はない。
だが、背後を走るアキノの様子がおかしい。
「というか……ユウキ、本当に平気なの……この辺、瘴気の吹きだまりじゃないの。わ、私……ちょっとキツいかも」
立ち止まって座り込んでしまったアキノに、ユウキは思わず立ち止まる。
「アキノさん、だいじょうぶですかっ」
「うぅ……先輩面しておいて不甲斐ない……」
「どうしよう……とりあえず、そこのまど、あけるよ」
「あっ、でも近隣に瘴気が漏れて……って、え? ええ?」
くい、とアキノが変なメガネをかけ直す。
信じられない、という様子で目をこすっている。
「窓を開けただけで瘴気が……浄化……ええっ?」
ユウキは次々に廊下の窓を開けていく。
夜風が流れ込んできて気持ちがいい。
「ユウキの周囲だけ瘴気が消えている……」
「アキノさん、きぶんはどう?」
「あ、えっと。かなり楽になってきたかも……」
アキノが立ち上がって、深呼吸をした。
「なんか、見た目によらずに本当にすごい子なのね」
「そ、そうなの?」
結界の中でぬくぬくと修行していただけなのに。
アキノとユウキは周囲に警戒しながら、さらに奥に進んでいく。
事前に間取りを頭に叩き込んできたらしいアキノが表情を曇らせる。
「この奥は、たしか図書室ね」
「としょしつ」
「古書にしても蒐集品にしても、魔物化しやすい……かなり危険よ」
悲鳴の聞こえた先にあった扉が半開きになっているのを見て、アキノがぶるぶると体を震わせた。
「や、やっぱり一度帰って、増援を呼ぶべきよ。ユウキを危険にさらすわけにはいかないし……お父さんに相談しましょう」
「ておくれになっちゃうかもだけど、それでもいいのかな」
「うっ、そ、それはそうだけど」
さっきの悲鳴を聞くと、あまり悠長なことは言っていられなさそうだ。
ユウキは返事を待たずに、扉を開け放った。
「うわっ」
魔物化した本が、まるでコウモリのように飛び回って蠢いている。
ギチギチギチ、ギチギチギチ、と不気味な
図書室の片隅に、縮こまっている人影があった。ユウキより少し年上の、十代前半の女の子だ。
怯えきっている少女の姿に見覚えがあった。
「サクラさん?」
「ひゃっ!」
桃色の髪に白いローブ、床には木の棒きれみたいな杖──昼間に出会ったサクラだった。
「だ、だいじょうぶ?」
「は、はい……せ、先輩方と一緒に来たのですが……急に扉を閉められてしまって……暗くて動けなくて……」
かなり怯えている様子だ。
見たところ怪我もないし、魔物や魔獣に襲われている様子もない。
(でも、どうしてこんなところに?)
ユウキが首を捻っていると、アキノが扉の外から声をかけてきた。落ち着きを取り戻しているのか、頼もしい声色だ。
「ミュゼオンの見習いさんですかね、立てますか?」
「は、はい……なんとか」
「そうしたら、急いでここを離れましょう」
「サクラさん、こっち」
ユウキは怯えているサクラに手を差し伸べる。
ずっと年下の子どもに誘導されるのは恥ずかしいかもしれないけれど、暗闇で転ぶよりはいいだろう。
屋敷の外に出ると、サクラはぺこりと頭を下げて慌ててその場を立ち去ってしまった。
「ありがとうございました、あの、また!」
「あっ、まって」
「放っておいていいですよ、さっさと寮に帰らないと罰則になるはずだし」
アキノが肩をすくめた。
「事情もあるんでしょうけど……ミュゼオン教団の子たちが勝手に仕事に割り込んでくることも多くて、正直困るんですよね」
「のるまのせい、かな?」
「たぶん、瘴気溜まりに発生する魔物を捕まえて、闇市で売りさばくつもりなのかも。表向きのご奉仕だけじゃ、上納金を払えない子もいると聞くしね」
「それはひどいねぇ……」
「そう。ひどいのよ……でも、教団があるからこそ生活できる女の子もいるし、瘴気への対応や病人や怪我人が助かってるの。必要悪ってやつかしら」
アキノが溜息をついた。
色々と複雑そうだ。
「私たちも今夜は帰りましょう。屋敷の状況もよくわかりましたし……というか、私だけだったら今夜だけでは調査が終わらなかったわよ」
ピーターの家に帰って、その日は就寝することになった。
しっかり昼寝をしていたユウキだけれど、さすがに疲れていたので六才児の得意技である布団に入って五秒で就寝をキメたのであった。
夢の中で金髪ロリ女神にやたらと「我に感謝せよ?」とドヤドヤされたので、ちょっとうなされてしまったのだけが大変に遺憾だった。
トワノライトの街は大きく三つの地区に別れている。
北側は厳重に警備されている鉱山区域である。北側にそびえる山に掘削された鉱道こそが精霊石エヴァニウムの原石が採掘される、トワノライトの生命線だ。
東側は商業地域と出稼ぎの労働者たちが住む区域だ。出稼ぎの労働者たちは、この鉱山区域と東側の宿場町を往復する毎日を送っている。
そして、西側がトワノライトの旧市街である。ピーターが鉱脈を発見する前からトワノライトに住んでいた人々と、鉱山の採掘がはじまった当初に尽力した功労者たち……要するにこのトワノライトにおいてある一定以上の地位や財産を有している者たちの居住区だ。
この北・東・西の三区域の境目にある広場にピーターの銅像がある。
「ここね、現場は」
地図と屋敷を何度か見比べて、アキノが大きく頷いた。
アキノに連れられて、ユウキとポチは現場の確認にやってきた。
「しょうきだまり……って、めにはみえないんだ」
「見えるほどの瘴気が溜まっていたら、私たちも無事では済みませんよ」
「そうなんだ」
「はい。街の西側は地形的に瘴気が溜まりやすいのです……風通しが悪かったり、閉め切ったりする場所から、瘴気溜まりになります」
「じゃあ、あきやって……」
「はい、空き家に限らず、家は定期的に清掃しないと気がつかない間に瘴気溜まりになってしまいます」
「そうじしなかっただけでっ!」
ユウキはじっと屋敷の外観を観察してみる。
屋敷にはウネウネと蠢くツタが絡まっていて、周囲にどんよりとした空気が渦巻いている。
(うわあ……これは……)
完全に空気が淀んでいる。
これほどに淀んだ空気は、ユウキが務めていた会社の超繁忙期を前に社員が一人音信不通になり、そのまま退職した……という知らせが人事部から流れてきたとき以来だろうか。
葬式以上に葬式みたいな空気というやつである。
「あれ? 誰かが出てきた」
アキノが訝しげに呟いた。
目をこらすと、屋敷の裏口から何人かの人影が出てきて、破れた塀から外に這い出していった。
三人か、四人くらいの集団だ。なにか焦っているかんじ。
「もしかして、どろぼう?」
「いえ、あのシルエットは……ミュゼオン教団の者でしょう」
そういえば、ヒルクはミュゼオン教団にも相談をしたと言っていた。
「でも、とりあってもらえなかったって」
「盗み聞きをしていた下級聖女あたりが、点数稼ぎに来たんじゃないかなー」
「そういうのがあるの」
「教団のノルマは高利貸しどころじゃないから。魔物化した家財でも捕まえて売れば、上納金の足しになるだろうし」
アキノの口ぶりからすると、彼女はあまりミュゼオン教団とやらを快く思ってはいないようだ。
古びた門をくぐると、庭がある。
手入れをされていた頃には、ちょっとした庭園みたいになっていたのかもしれないけれど、見る影もない。
というか……風もないのに、枯れ草がウゾウゾと動いている。
ユウキは頭の中をひっくり返す。
修行の一環として、『この世界でよく見る魔獣や魔物』をルーシーから教えてもらっていたのだ。
「あれ、ゾンビソウだ」
枯れ草に擬態して吸血する、やっかいなやつだ。
よく見ると、枯れ草の先端が手のように変形してゆらゆらと獲物をまっている。あれで獲物の足をとって、立ち止まったり転倒したりしたところを棘で突き刺して血を吸うのだ。
殺されることはないが、足をやられるのでやっかいだと言っていた。
(俺の背丈だと、首をざっくりいかれるかも……)
ぞわわ、とユウキの背筋が震える。
六才児に迫る危機!
アキノはきっとこういう事態にも慣れているだろうから心配いらないだろうが、念のため先に駆除しておこう。
「よ、よし……」
ルーシーからもらったナイフを、ぎゅっと握りしめる。
ゾンビソウの本体は根っこだ。全滅させるためには、土に対してアプローチしなくてはいけない。専用の瘴気除去剤を撒く必要があるらしい。いわゆる、除草剤みたいなものだ。
(無力化だけなら、根っこに近いところから刈りとるだけでヨシ!)
腰を落として、手早くゾンビソウの根元に近い部分にナイフを入れていく。
ザクザク、という手応えが気持ちいい。
寒冷地である山奥にもゾンビソウの亜種である、ゾンビツララという魔物が発生することがあった。こちらは真下に獲物がやってきた瞬間にとがったつららが落下してくるという死に直結するトラップだった。
「よっ、ほっ!」
身長が小さいちびっこゆえに、こういう地面に近いところへのアプローチはルーシーよりも得意である。といっても、本気になったルーシーはたった一撃地面をぶん殴るか斬りつけるかするだけで、地面ごと根こそぎ殲滅するのだけれど。
「え? ちょ、ユウキ!?」
ゾンビソウをあらかた切り倒したところで、アキノの叫び声に振り返る。
「あえっ」
「ゾンビソウをそんな簡単に刈りとって……というか、瘴気酔いは大丈夫なの!?」
「しょうき、よい」
よく見ると、アキノは三角巾で口元を隠していた。
埃を吸い込まないようにするお掃除スタイルだ。
「もしかして瘴気酔いを知らない……?」
「ご、ごめんなさい。しらない」
「瘴気の濃いところを歩いていて気持ち悪くなったことは?」
「な、ないです」
「嘘でしょ? すごい人だとは聞いてたけど……っ! こんな小さくて可愛いのに」
可愛いのは関係ないでしょうに、とユウキは思った。
というか、瘴気渦巻く魔の山を走り回りながら育ってきたのだ。
経験していてもよさそうだけれど……やはり、ルーシーの特訓でヘロヘロになったことはあれど、それ以外で気持ち悪くなったことはないかも。
「というか、素手でゾンビソウを刈るとか……最悪、死ぬ人もいますよ!?」
「えっ」
ルーシーは「命に別状がないタイプの魔物」と言っていたけれど。
ユウキが絶句していると、アキノはユウキを頭の上から足の先まで嘗め回すようにチェックすると、ほっと胸をなで下ろした。
「とりあえず、怪我はないようね……というか、瘴気酔いを知らないとは……ユウキくらいの年齢だと、これくらいの瘴気でも倒れたり、鼻血を出したり……予防や浄化のための聖水代も馬鹿にならないのよ」
「せーすい?」
「精霊聖水……精霊様の力が宿った水ね。昨今は聖水もかなり手に入りにくくなっているし、高くなっているし……」
「つまり、せーすいをのむと……しょうきにつよくなる? あー……」
それならば、思い当たる節がある。
オリンピアの結界の中で過ごしていた毎日で使っていた水だ。
飲み水も料理に使う水も、風呂もトイレも顔を洗うのも、すべて泉の水を使っていた──精霊オリンピアの祝福をうけた結界に守られた、精霊の泉だ。
生活用水に、そんな貴重なものをつかっていたとは。
「とりあえず、念のため清掃の際には瘴気を吸い込まないように……って、先に注意すればよかったわね」
「は、はぁい」
アキノに身なりを整えてもらって、館の中に向かう。
ポチも念のためにスカーフを口元に巻いてもらって誇らしそうにしている。
(まあ、ポチは魔獣なんだから大丈夫だろうけど)
むしろ、瘴気がある場所の方が元気なのではないだろうか。
屋敷の扉を開けると、中から禍々しい空気が流れ出てきた。
エヴァニウムを使った灯火だという懐中電灯のようなもので中を照らした。埃だらけで、淀んだ空気が渦巻いている。
瘴気が溜まっていないとしても、かなり酷い状態だ。
「うえっ」
アキノがごほごほと咳き込んだ。
瘴気にあてられたのだろう。
(う……全然、なんともない……)
なんとなく気まずい気持ちになって、瘴気にテンションが上がってしまったのか、楽しそうに駆け回っているポチを追いかけるフリをした。
「危なくなったら、すぐに離脱しますよ〜。本日は被害状況の確認がメイン業務だから、ムリはしない」
「はいっ」
「清掃作業は昼間にやるから、特に瘴気が溜まっている部分がどこかメモをとっておくっと……」
アキノが特徴的なデザインのメガネをかける。
瘴気を可視化する、特別な道具なのだとか。これもエヴァニウムの成分を利用しているというから、驚きだ。
「瘴気が見えるようになるだけで、魔獣や魔物の存在自体がわかるわけではないので気をつけて進みます」
「は、はい……」
「ん? どうしたの、ユウキ。何か?」
「な、なんでもない」
ユウキは咳払いをした。
(なんか……変なデザインの面白サングラスみたいで……笑っちゃダメっておもうと……ぷふっ)
至って真面目な表情のアキノから、ユウキはそっと目をそらした。
夜中には入り込んだ魔獣の数や瘴気によって魔物化してしまった家具が活発になるため被害状況がよくわかるのだそうだ。
ユウキは屋敷の中を歩きながら、目に付いた魔獣を指さしていく。
「あ、あそこに吸血バット……チャバネミタマカブリとショウフグモとカミキリグモと……」
「え、どこ?」
「ほら、あそこ」
「ほんとだ! よくわかるわね……魔獣はまだ虫型くらいしかいないのが救いだけど、とにかく家具や調度品が多いので、魔物化するとやっかいね」
瘴気によって生態が変化してしまった動植物を「魔獣」、無機物が変質してしまった状態を「魔物」という。
ヒルクの屋敷には魔物の気配が濃いようだ。
(うーん、魔物って詳しくないんだよな)
山にいたのは主に魔獣だ。一般的には魔物よりも魔獣のほうが手強く危険な存在とされているのだが、ユウキにとっては馴染みのない魔物のほうが厄介に感じてしまう。
屋敷の中をあちこち見て回っているときだった。
「きゃああああっ!」
悲鳴だ。
どこからどう聞いても悲鳴だ。
「なんです、今の!」
「おくから、きこえた!」
「わう、わんっ!」
ユウキはあわてて駆け出した。
真っ暗な屋敷の中なので、アキノが持っていた灯火がないと視界がないけれど、夜目が利く相棒がいる。
「わんっ!」
ととと、と悲鳴の聞こえたほうに駆け出すポチについていくと、後ろからアキノが追いかけてきた。
「ちょ、待って! 勝手に走ったらあぶないって!」
「でもっ、ひめいがっ」
「だからって、無鉄砲すぎっ!」
もちろん、悲鳴に似た音を立てて獲物を誘き寄せるタイプの魔獣も存在しているのはユウキも知っている。知っているが、森の奥などに分布する魔獣のはずだ。ここにいる可能性は低い。
誰かが助けを求めている可能性の方が高いのならば、躊躇う理由はない。
だが、背後を走るアキノの様子がおかしい。
「というか……ユウキ、本当に平気なの……この辺、瘴気の吹きだまりじゃないの。わ、私……ちょっとキツいかも」
立ち止まって座り込んでしまったアキノに、ユウキは思わず立ち止まる。
「アキノさん、だいじょうぶですかっ」
「うぅ……先輩面しておいて不甲斐ない……」
「どうしよう……とりあえず、そこのまど、あけるよ」
「あっ、でも近隣に瘴気が漏れて……って、え? ええ?」
くい、とアキノが変なメガネをかけ直す。
信じられない、という様子で目をこすっている。
「窓を開けただけで瘴気が……浄化……ええっ?」
ユウキは次々に廊下の窓を開けていく。
夜風が流れ込んできて気持ちがいい。
「ユウキの周囲だけ瘴気が消えている……」
「アキノさん、きぶんはどう?」
「あ、えっと。かなり楽になってきたかも……」
アキノが立ち上がって、深呼吸をした。
「なんか、見た目によらずに本当にすごい子なのね」
「そ、そうなの?」
結界の中でぬくぬくと修行していただけなのに。
アキノとユウキは周囲に警戒しながら、さらに奥に進んでいく。
事前に間取りを頭に叩き込んできたらしいアキノが表情を曇らせる。
「この奥は、たしか図書室ね」
「としょしつ」
「古書にしても蒐集品にしても、魔物化しやすい……かなり危険よ」
悲鳴の聞こえた先にあった扉が半開きになっているのを見て、アキノがぶるぶると体を震わせた。
「や、やっぱり一度帰って、増援を呼ぶべきよ。ユウキを危険にさらすわけにはいかないし……お父さんに相談しましょう」
「ておくれになっちゃうかもだけど、それでもいいのかな」
「うっ、そ、それはそうだけど」
さっきの悲鳴を聞くと、あまり悠長なことは言っていられなさそうだ。
ユウキは返事を待たずに、扉を開け放った。
「うわっ」
魔物化した本が、まるでコウモリのように飛び回って蠢いている。
ギチギチギチ、ギチギチギチ、と不気味な
図書室の片隅に、縮こまっている人影があった。ユウキより少し年上の、十代前半の女の子だ。
怯えきっている少女の姿に見覚えがあった。
「サクラさん?」
「ひゃっ!」
桃色の髪に白いローブ、床には木の棒きれみたいな杖──昼間に出会ったサクラだった。
「だ、だいじょうぶ?」
「は、はい……せ、先輩方と一緒に来たのですが……急に扉を閉められてしまって……暗くて動けなくて……」
かなり怯えている様子だ。
見たところ怪我もないし、魔物や魔獣に襲われている様子もない。
(でも、どうしてこんなところに?)
ユウキが首を捻っていると、アキノが扉の外から声をかけてきた。落ち着きを取り戻しているのか、頼もしい声色だ。
「ミュゼオンの見習いさんですかね、立てますか?」
「は、はい……なんとか」
「そうしたら、急いでここを離れましょう」
「サクラさん、こっち」
ユウキは怯えているサクラに手を差し伸べる。
ずっと年下の子どもに誘導されるのは恥ずかしいかもしれないけれど、暗闇で転ぶよりはいいだろう。
屋敷の外に出ると、サクラはぺこりと頭を下げて慌ててその場を立ち去ってしまった。
「ありがとうございました、あの、また!」
「あっ、まって」
「放っておいていいですよ、さっさと寮に帰らないと罰則になるはずだし」
アキノが肩をすくめた。
「事情もあるんでしょうけど……ミュゼオン教団の子たちが勝手に仕事に割り込んでくることも多くて、正直困るんですよね」
「のるまのせい、かな?」
「たぶん、瘴気溜まりに発生する魔物を捕まえて、闇市で売りさばくつもりなのかも。表向きのご奉仕だけじゃ、上納金を払えない子もいると聞くしね」
「それはひどいねぇ……」
「そう。ひどいのよ……でも、教団があるからこそ生活できる女の子もいるし、瘴気への対応や病人や怪我人が助かってるの。必要悪ってやつかしら」
アキノが溜息をついた。
色々と複雑そうだ。
「私たちも今夜は帰りましょう。屋敷の状況もよくわかりましたし……というか、私だけだったら今夜だけでは調査が終わらなかったわよ」
ピーターの家に帰って、その日は就寝することになった。
しっかり昼寝をしていたユウキだけれど、さすがに疲れていたので六才児の得意技である布団に入って五秒で就寝をキメたのであった。
夢の中で金髪ロリ女神にやたらと「我に感謝せよ?」とドヤドヤされたので、ちょっとうなされてしまったのだけが大変に遺憾だった。