さっぶ。

 寒い、すっげぇ寒い。

 勇樹が目覚めたときに感じたのは、とんでもない寒さだった。

 おそるおそる目を開ける。

 一面、真っ白な世界。

 金髪ロリの女神様がいた空間の白さとは違う。これは……雪だ。

 それも、地面を覆い尽くすような猛吹雪。

 白、白、白だ。

 地面も枯れ木も雪で真っ白に塗りつぶされて、空を被っているはずの分厚い雪雲すら見えない。

「……ほぎゃ」

 ここ、どこ?

 そう呟こうとしたら、口から赤ん坊みたいな声が出た。

 いや。そうじゃない。

 赤ん坊だ。「みたいな」ではなくて、赤ん坊なのだ。

 周囲を確認する。

 吹雪で煙っていてよく見えないが、雪がまとわりついて真っ白になった枯れ木がたくさん並んでいる。

(いやいやいや、生まれる場所とか時間を選べないって言ってたけど、これはさすがに死んじゃうって)

 赤ん坊が吹雪の中に捨てられている状態だ。

 普通こういうのって、召喚の儀式とかで呼ばれるんじゃないんだ?

 これでも桃とか竹とかの中に生まれるよりはマシなのだろうか、どっちもどっちな気がするけれど。

(でも、不思議と凍えないで済んでるな?)

 凍死待ったなしの状況だけれど、手足は動く。不思議だ。

 ……これが「丈夫な身体」ってことか?

 あの金髪ロリ女神様の加護のようなものだろう、と受け取っておく。

 とはいえ、めちゃくちゃに寒いし、手足の感覚がだんだんなくなってきていることには変わりない。

 もぞもぞ。

 手足を動かしてみるが……ご丁寧におくるみをされている。

(これじゃ動けないなぁ)

 困った。

 こんな山の中で、誰か親切な人が助けてくれるとも思えない。

 もぞもぞと手足を動かしてみる。

「あばっ」

 おくるみが解れた。

 さ、さ、寒い!

 服を脱いだんだから、それはそう。

 手足はちいさくて、立ち上がるのもやっとだ。というか、近くで立ち枯れしていた木を使って掴まり立ちをしてみたが、まだ歩くのは無理そうだ。

 ここに鏡はないけれど、頭でっかちな赤ん坊なのだろう。

 しばらくすると、少しだけ吹雪の勢いが弱まった。

(こ、この隙に、雪を掘って……シェルターとか作れたら……いや、この小さいおててじゃ無理か)

 とかなんとか考えていると、遠くから犬の遠吠えが聞こえた。

 ウォーン、ワォーン、という鳴き声がどんどん近づいてくる。

 やがて、妖しく光る赤い光が無数に浮かび上がる。

「ふぎゃーっ!」

 狼だ。

 しかも、デカい。

 さらには、群れだ。

 狼たちは小さめの熊くらいのサイズで、筋肉質なうえに牙を剥き出しにしている。奴らは「ご馳走発見!」とでも言わんばかりに、よだれを垂らしながらこっちにやってくる。

(おわった……)

 我ながら、なんて運がないんだろうか。

 生まれ変わって即、悲しく死ぬことになるなんて。

(せめて痛くありませんように!)

 と、心から願った。

 観念して目をつぶった俺に迫り来る、でっかい狼たち。

 そのときだった。

「──失せろ」

 乾いた声が聞こえた瞬間、地面が破裂した。

 分厚く降り積もった雪が爆散する。

 凶暴な狼たちが吹っ飛ばされて、もんどりうって倒れた。

「おぎゃあああっ!」

 ユウキは泣いた。

 狼の群れを一撃で吹っ飛ばす存在である、怖すぎる。

 雪煙の向こうから姿を表したのは……人間だった。

 拳を地面に突き立てている。

 魔法か爆薬か、そういうものを使ったのだと思ったのだけれど、どうやら『地面をぶん殴った衝撃波で狼を撃退した』ようだ。バケモノすぎる。

 いや。いやいやいや。

 パワーって。この威力をパワーのみでお出ししてるって、怖い。

 爆風になびく分厚いローブの隙間から、簡単な革製の籠手やボディアーマーがチラチラと見える。冬の雪山で狼に立ち向かうにしては、あまりに軽装だ。

(やばい世界に来てしまった!)

 この世界の人、強すぎる。

 出で立ちからして、たぶん猟師さんとかだろう。一般の猟師で「これ」っていう事実が、この世界の過酷さを勇樹に思い知らせる。

 これくらいできないと、この世界では生きていけないんだ!

 もうだめだ、おしまいだ!

(俺、この世界でやってけるのか!?)

 バケモノ──もとい、この世界で出会った人間さん第一号がゆっくりと立ち上がる。

 そして、勇樹のほうへ歩いてきた。

 狼たちは圧倒的な暴力から逃走するべく、すでに姿を消している。

 一体、どんな筋骨隆々の男なのか。

 呆然とする勇樹の前に立ったバケモノは、ゆっくりと顔を隠すほど深く被っていたローブを脱いだ。

「……うそだろ、赤ん坊?」

 姿を表したのは、妙齢の女性だった。

 年齢は三十代後半くらいか、もうすこしだけ上に見える。

 掠れたハスキーボイスだ。

「コオリウルフの群れ……魔王討伐時に取り逃がしたフェンリルの影響か?」

 ぼそぼそと独り言をこぼす女のローブから覗いている頬には大きな十文字の傷。長い旅をしているのか、肌は少しほこりっぽい。

 でも。それを補ってあまりあるほどに、オーラのある顔立ちだ。

 年齢を重ねてもなお瑞々しさが残っている。

 若い頃はさぞ美人だったのだろう。

「どうしよう、こんなところに、どうして……とうか、本当に人間だよな? 人間型の端末でエサを誘き寄せるタイプのモンスターなんてことは……」

 眉をハの字に下げて、明らかに困っている。

 勇樹をそっと抱きあげて、周囲をきょろきょろと見回している。

 悪い人ではなさそう、どころか。

(この人、お人好しだ)

 ちょっと勇樹と同族な感じがする。

 雪山にいる不審な赤ちゃんこと勇樹を心配して、おろおろとしている。

 俺をおくるみで包み直すと、寒くないようにローブの中にしまい込んだ。

 女の人のいい匂いはしなくて、少しの汗とお線香のような香り、それと使い込まれた色々な道具の匂いがした。けれど、不快感はなくて……俺に頼れる親父がいたら、こんな匂いがしたのかもしれない。

「くそ……あいつに頼るのは気が引けるが、仕方ないか」

 女の人は駆け出した。

(あったかい……)

 極寒からの一肌のぬくさに、赤ん坊が逆らえるはずもない。

 かくんと寝落ちしたけれど、がっしりと抱っこしてもらっていたので不安はなかった。



 ◆



 次に目が覚めたときには、天国あるいは楽園にいた。

 楽園っていうのはイメージの問題。

 泉からは綺麗な水が湧き出ていて、若葉の茂る木や花々がたくさん生えている──勇樹のイメージする天国あるいは楽園そのものだ。

「あ、起きました。可愛いですねぇ」

 勇樹を見下ろして微笑んでいるのは、青い髪の毛をなびかせた女だった。

 優しげな表情にたわわなボディ、鈴の転がるような声。

「世話をかけるな、オリンピア」

 ハスキーボイスが聞こえた。

 少し離れたところに、勇樹を拾ってくれた女狩人が座っている。

 明るいところで見ると、やっぱりかなりの「イケメン」だ。

「いいの。マリィが私を頼ってくれるなんて、とびきり嬉しいです」

「高位精霊なんだから、あちこちの人間がお前を頼るだろう?」

「そうでもない。というか、『魔の山』のとびきり奥地に引きこもっている精霊なんて、尋ねてくる人はいないですもの」

 女狩人の名前は、マリィというらしい。

 で、浮遊しているのはオリンピア……精霊、らしい。

(わーお、ごりごりのファンタジーじゃないか)

 勇樹がやっていたオンラインゲームは、いわゆる西洋ファンタジー的な世界観だったので親しみがある存在だ。

 マリィとオリンピアは、かなり親しげな様子だ。

 昔なじみ、という雰囲気だ。

「あの山の中にいたのに平気な顔して……何か強い加護があるのかしら」

 ぷにぷに、とオリンピアが勇樹のほっぺたをつつきながら言う。

 赤ちゃんのほっぺたの感触に、オリンピアはにっこりと微笑んだ。

 そして、不意に真顔になったかと思うと目を閉じる。

 勇樹の身体から何かを感じ取っているようだ。

「さあ……たしかに、捨て子にしては不自然だが」

「ふむ、このとびきり不思議な魔力……あなた、この世界の子ではないのね」

「どういうことだ?」

「おそらく、彼方の世界からの旅人さん……たまにあなたみたいな人がやってくるって聞いてるわ」

「この世界の者ではないということか、どこからどう見ても、普通の赤ん坊にしか見えんが」

「精霊にはわかるのよ」

 オリンピアは、勇樹を抱き上げる。

「あぶぅっ」

「よしよし、いいこですね」

 豊かな胸に埋もれて、思わずジタバタと手足を動かす。

 精霊とはいえ、ちゃんと体温があって柔らかい。さらに、なぜか花のようないい香りがした。

「安心してね。私たちがあなたを立派に育てますから!」

「私たち(・・)?」

「ええ、私たち」

「オリンピアと……誰だ」

「ルーシーと私で、この旅人さんを育てるの!」

「は、はぁ!?」

 ルーシーが立ち上がって、オリンピアに詰め寄った。

「待て待て待て、たしかに男児ではミュゼオン教団の孤児院にも預けられないが……私たちが育てるって、冗談だろう!?」

「ほら、見て。とびきり可愛い」

「私はそういうつもりでお前を頼ったわけじゃないぞ! あくまでも、一時的な保護を──」

「一時的って、その先は? 考えてないんでしょ。ルーシーがそういうつもりじゃなくても、私はそういうつもりになったの!」

 勇樹を抱えたままくるる、くるる、と空中で踊るように回っていたオリンピアがルーシーに向き直る。

「だって、よく考えて。この世界にはこの子の親はいないのよ?」

「……む」

「しかも、魔王が死に際に放った瘴気のせいで世界の秩序はとびっきりめちゃくちゃになったまま……この子、私たちが育てないと死んじゃうわ」

 がんばれ、オリンピア。

 勇樹は全力で精霊を応援した。

(さっきのルーシーさんのパワー……この世界ではあんなかんじじゃないと生き抜けないってんなら、捨てられたら即死だ!)

 この場所は少なくとも、さっきの雪まみれの場所よりは安全そうだ。

 どうにかして、ここで養ってもらいたい。

 少なくとも、この世界で生きていく準備ができるまでは。

「そんな子を、ルーシーは見捨てるの?」

「うぐっ」

「それにほら! この子、こんなに可愛いです! 人間の赤ちゃんの手足ってこんなにちいちゃいのね……ふふ、たまりません」

「……わかった。そこまで言うなら、お前に任せる」

 ルーシーが呟いた。

「任せる? 私だけじゃダメよ、ルーシーも一緒に子育てするの!」

「なっ」

 ルーシーが何か言い返す前に、オリンピアは勇樹を抱えたままで楽園の隅にある小さな小屋に飛び込んだ。

 オリンピアがぱちんと指を鳴らすと、窓の外から果物が飛び込んできて木でできた器の中ですりおろした状態になる。

(魔法だ!)

 さすが精霊。こういうのもあるのか。

 勇樹は「おお〜っ」と声を上げた。

 人間も魔法を使えるのだろうか。ルーシーのように強いのがこの世界の「オトナ」ならば、この世界の仕組みをもっと知っておかないといけないだろう。

「さあ、ごはんよ。旅人さん」

 すりおろした果物をスプーンで差し出された。

 腹ペコだったのでありがたく頂戴する。

 とても甘くて瑞々しい、爽やかな酸味が赤ちゃんのフレッシュな味覚を刺激する。思わず小さなおててで拍手をしてしまう。

「んん〜っ、んまっんまっ」

「上手に食べられましたね、とびっきりのいいこちゃん!」

 褒められて、思わず頬が緩む。

 ごはんを食べるだけで褒められるなんて、なんだか罪悪感すら覚えてしまう。……いや、万が一にも「おっぱいをどうぞ」なんて言われるよりはマシか。