忙しいときには寝る暇もないほど忙しく、閑古鳥が鳴き始めると鳴き止まない──それが世の常、人の常である。

 いつもほどほどに忙しく、稼ぎの安定している仕事というのはレア中のレアだ。そんなわけで、ミュゼオン教団の見習いサクラ・ハルシオンも大忙しの毎日を送っていた。

「この度、近くにある農村に派遣されることになったのですが……ユウキ様にお手伝いをお願いできませんでしょうか」

「のうそん!」

 ミュゼオン教団トワノライト支部の集会所。ユウキとアキノ、そしてポチが片隅の応接机に座っていた。あちこちに同じような応接机があり、見習いや聖女たちが様々な奉仕依頼の相談を受けている。

 順調に上納金を納めるようになったことで教団の中でも覚えがめでたくなったサクラは、教団の窓口を通して依頼を受けることを許されるようになったらしい。

 うじうじとした言動が目立ったサクラだが、このところは少しだけ自信がでてきたのか明るい雰囲気になったように思う。

 逆にそれを許されるまでは自分の足を使って、街中から案件をとってこないといけないらしい。結果、魔力の切り売りのような状態になるために見習いたちが行き倒れ状態になることが多いのだ。

 底辺から這い上がるのが一番大変で、コネや運や要領のよさがものを言う──ようするに、先輩たちから気に入られて割のいい奉仕案件を回してもらったり、あるいは瘴気溜まりから魔物を持ち出して闇市に売ったりといった行為をしないと、上納金を支払いきれないわけだ。

 アキノが「ふむ」と顎を撫でる。

「近くの農村っていうと、東にあるトオカ村?」

「はい、実は隣接している山に瘴気溜まりが発生したようで、凶暴なアカキバボアが大量発生してしまっているんです」

「あちゃー……こりゃ、またパンが高くなる」

 頭を抱えたアキノに、サクラが大きく頷いた。

 トオカ村はトワノライトにとって重要な農村で、パンの材料になる小麦っぽい穀物を生産しているらしい。

 そこが魔獣に襲われるとなると、一気に食べ物が足りなくなるのだ。

 一応、トオカ村以外にも農村はあるし、備蓄もあるので飢え死にする人が多く出るようなことはない……らしいけれど、嫌な話だ。

「それにしても、最初のアカキバたちの襲撃は逃れたのね? 珍しい、たいがいはじめの段階で畑がやられちゃうのに」

「トオカ村出身で腕の立つ方がちょうど職を失って帰郷されたとかで、最初に山から下りてきた何匹かを追い返してくださったのだそうです」

 それはすごい、とユウキは驚いた。

 魔獣狩りを専門にしていない人が急に応戦してどうにかなることは少ないとルーシーからよく聞かされていた。

 戦い方云々の前に、そもそも魔獣という存在にビビってしまうからだ。それはそうだ、あいつらはたいがい見た目がグロいか、顔が怖いかどちらかなのである。トオカ村に帰ってきた若者とうのは、かなり勇敢な人か、あるいは乱暴者かどちらかなのだろう。

「そ、それってサクラさんがやるしごとなの……?」

「魔獣の駆除ではなくて、防衛柵を作って畑を守ってほしいそうです」

「なるほどね、それなら『手伝い』できるよ」

 アキノが見積書を書き始める。

 今回は重要な案件なので、トワノライトからの助成金が出るはずだ。

「ありがとうございます、私たちはあくまで一時しのぎで、狩人の方をトワノライトが手配してるそうです。そちらには腕利きの聖女様を教団から派遣するとか」

 いわゆる、先行して動き始める鉄砲玉みたいなものか。

 本命の部隊が到着するまで何もしないわけにもいかないし、かといって体勢が整っていないのに下手に動いて教団の評判を傷つけたくない。

 それで、見習いのサクラを派遣して、もしも失敗してしまったとしてもトカゲの尻尾切り──未熟な見習いのせいにできるというわけだ。

(一応、師匠にアカキバボアの対処法は習っておいてよかった……完全に力不足だろうけど、あとでイメトレしておこう)

 話の内容をわかっているのかいないのか、隣に座っているポチがヤル気満々で息を荒くしている。氷の狼王(フェンリル)のくせに血気盛んな相棒である。

「このあたりを拠点にしてる、アカキバボアに対応できる狩人といえば……魔王時代から活躍しているハンス狩猟隊くらい?」

「はい!」

「うへぇ、大物が出てくるな」

「ハンス様はあの魔王を撃破した伝説のグラナダス隊とも肩を並べたことがあるとか! 大急ぎで向かって頂いているそうですよ」

 ユウキはほっと胸をなで下ろす。

 腕の立つオトナが来てくれるならば安心だ。

「じゃあ、明日の朝一番でトオカ村に行きましょう。今回は父さんにも手を貸してもらわなくちゃ」

「はいっ! 今回は私からの協力依頼ですので、皆さんにトワノライトからの喜捨の一部をお支払いできます……やっと恩返しができて、嬉しい……っ!」

 興奮気味のサクラに見送られて、教団の集会室から出る。

 すれ違ったサクラの先輩格の見習いがジロジロとユウキたちを見て、舌打ちをした。

「あーあ、やっぱりお貴族様のコネかぁ」

 うわあ、これ見よがし。

 ユウキはびっくりしてしまう。六才児に聞こえるように嫌味を言うとか、いくらなんでも大人げないにも程がある。

 確実に聞こえていたであろうアキノは、気にした風でもなく伸びをした。

「よーし、明日は力仕事だろうから頑張らなくちゃね! 素直で性格のいいサクラちゃんの手柄をバッチリたててやりましょ〜っ!」

 大きな声は、おそらくすれ違った先輩にも聞こえていただろう。

 極めて大人げないオトナの空中戦である。こわい。



 ◆



 ピーターとアキノ、そしてサクラと一緒にトオカ村にやってきた。

 トワノライトからは馬車で数十分、歩いても数時間の距離だ。

 色々と荷物が多いため、今回は馬車での移動だ。

 乗合馬車ではなくて、ピーターが持っている自家用の荷馬車での移動になっている。馬だけを借りることができる仕組みがあるようだ。

「きちんと管理しないと、馬が瘴気にやられて魔獣になっちゃうの」

「あー……」

 馬は賢くて強い。

 魔獣になったときにとても厄介だ。コオリオオカミも、そういう意味ではかなり手強い魔獣だった……ポチのおかげで、ブラックウルフには遭遇せずに済んだのはラッキーだ。

「おっと、見えてきたよ」

「このあたりの畑は全部、トオカ村の人たちが管理してるんだ」

「たいへんそうだね」

「もちろん、農繁期にはトワノライトからも助っ人が駆けつけるんだけどねー……鉱山に出稼ぎに来てる人間が多いからこそね」

 たしかに、農村という言葉からイメージするよりも畑の面積が広い。

 見えてきた村に暮らしているであろう人だけで、すべての作業を終えられるとは思えない。

 今は比較的、畑に手がかからない時期──のはずだった。

 だからこそ、アカキバボアに襲われた村を守るために割ける人員がいないのだ。農作物というのは、他の作業があったからといって放置することはできない。とても手間がかかるのだ。

「わうっ、わんっ!」

 ポチが嬉しそうにしっぽを振る。

 馬車から飛び降りて駆け出していく先には──。

「おっと! アカキバボアだ!」

 馬を操っていたピーターが叫んだ。

 山から下りてきたアカキバボアが五匹ほど、畑に向かって疾走している。

 罠を張る前に畑に入り込まれては面倒だ。

「あ、ポチさん!? あぶないですよ!?」

 サクラが制止しようとしたが、ユウキ以外に懐かないポチはもちろん無視して猛ダッシュをはじめた。嬉しそうに駆けていくポチが、あっという間にアカキバボアの群れに襲いかかり──。

「うわぁ……ぐろい……」

 一瞬で、コトが終わった。

 たいへん楽しげに尻尾をふって、久しぶりのお腹いっぱいに食べられるフレッシュミートにかぶりついていた。

 弱肉強食、諸行無常。

 ユウキは心の中で手を合わせた。

「ユウキ殿、ポチって一体何者なんだい?」

「えっと……ししょーにも、ないしょです」

「そうか、じゃあ俺が聞くわけにはいかないな」

 一同、唖然だった。

 アキノがぽつりと呟く。

「ねえ。これ、私たち必要……? ポチだけでいいんじゃない」

「そうですね、その……ポチさんも嬉しそうですし……」

「うーん、トオカ村の人たちだけになってもやってけるようにしないと意味がないからね……罠の設置まではしよう」

 ピーターがぽりぽりと頬をかいた。

 たしかにそうなのだけれど、「そうですね」とも言えない感をひしひしと醸し出しているのだった。



 村の入り口にやってくると、村人たちが今か今かと待っていた。

「ありゃあ、すげえ猟犬だなぁ……」

 村人たちは遠目にわずかに見えるポチの勇姿にやや引き気味に感心していた。その中に一人、ひときわ上背の大きな男がいた。

 スキンヘッドで、目つきが悪く、ついでに態度の悪い男。

「あっ」

 トワノライトにやってくるときに、乗合馬車で一緒になった男だ。

 そして、路地裏で倒れていたサクラから身ぐるみ剥ごうとしていた──マイティだ。

 スリ師三人組のうちの一人。

 ほかの二人は見当たらない。

 というか、こそ泥的な犯罪者がどうして農村に?

「あ……?」

 不機嫌と不信感を隠そうともせずに、マイティが舌打ちをした。

「な、な、坊主、なんでお前がここに来たんだよ」

 威嚇しつつも、明らかにユウキに対して怯んでいる様子だ。

 前回はたまたま大事にならなかったけれど、こうして並んでみるとフィジカルの格の違いが際立つ。

(いやいや、こっちのセリフなんですけど)

 マイティは、ユウキたち一行を値踏みするように睨む。

「ったくよぉ、俺たちは魔獣退治ができる腕利きを頼んだんだ、ガキと女とおっさんの寄せ集めは帰れや」

 イキった中学生のような言い草であった。

(えええ……気まずいよ、これは)

 ユウキが戸惑っていると、ピーターが割り込んでくれた。

 柔和な笑みには有無を言わさず「オトナの話をしよう」という圧が感じられた。マイティがピーターの圧に負けて、口をつぐんだ。

 やっぱりすごい人だ、とユウキは感心した。

 どうやら(何故か)村人を代表しているらしいマイティが、ピーターと話をし始めた。

 近くで聞き耳を立てる。

 どうやら、スキンヘッドのマイティはこの村の出身らしい。

「トワノライトでやってた仕事をクビになって、田舎に帰ってきてみたらコレだ……ったく、たまたま俺様がいてよかったなぁ」

「へえ、それじゃアカキバボアを追い払った腕の立つ勇敢な若者っていうのは、もしかして君なのかい?」

「ま、まあな!}

 大げさに褒めそやすピーターの言葉にふふんと自慢げに鼻を鳴らすマイティに、周囲の村人はクスクスと笑っている。

 嫌な感じの笑い声ではなくて「あの子が大きくなって」というタイプの声色だ。巨体のマイティだが、村人にとっては近所の坊やだったのだろう。

 ごほん、と大きな咳払いでマイティが村人のおじさんやおばさんを黙らせようとするが、上手くいっていないようだった。

「昔から悪ぶってたけど、ガキ大将気質なんだよねぇ……張り切っちゃってまぁ!」

「困ったところもあるけど、頼もしいもんだね。、マイちゃんは」

「な、なあ! 今、俺は大事な話してるんだって! あとマイちゃんはやめろってずっと言ってるだろうが!」

「ははは、村の皆さんからの人望が厚いなぁ」

「そ、そうか? まあ、昔から泥棒やっつけたりしてたしな? ま、まぁ家でしてからえは俺の方が……ごほん! まあいい、やつらをやっつける罠の話だ!」

「はい、その件ですが──」

 順調に商談が進んでいる間に、アキノが馬車から積み荷を降ろしている。

 ちなみにポチはいまだにお食事中だと思われる。

 手持ち無沙汰になったサクラがおずおずとユウキに耳打ちしてきた。

「あの……さっきの方、私を見てなんだか変な顔をされてましたけれど……」

「あ、えっと」

 ユウキは口ごもった。

 伝えるべきか、伝えないべきか。

 サクラに変に不安を与えるのもうまくない。

 どうしようかしら、と迷っていると村の入り口にもう一台の馬車がやってきた。中から降りてきたのは、髭の男とトンガリ帽子だった。

 彼らにマイティが「げっ!」と声をあげる。

「アベル、スティンキーっ!?」

 トンガリ帽子のスティンキーが、へにゃりと笑った。

 その横でアベルがむすっとした顔で腕組みをしている。

「よかった! やっぱり村に帰ってたんだ」

「なんだよ、俺はクビだろうが」

「マイティ、話はまだ終わっていないぞ」

「はぁ? いや、勝手なことするなら出ていけって……」

「勝手なことをするな、という話をしていたんだ! 出ていけという話をしたわけじゃない!」

 マイティに食ってかかるアベルを見た村人たちが、またニコニコとした。

「おやおや、マイちゃんのお友達?」

「ち、ちがう! 仕事仲間だ! あとマイちゃんはやめろって!」

 もう、めちゃくちゃである。

 これはもう、誰かがまとめないとどうしようもない。

 頼みの綱のピーターは、マイティとの商談が終わった途端に周囲を村人のおじさまおばさまたちに取り囲まれていた。

 狩人やミュゼオン教団関係者はともかく、トワノライトからやってきた「お手伝い屋さん」というのは物珍しいらしく、あれこれと質問攻めにされている。

 ポーラはすでに積み荷を降ろし終わって次の作業に取りかかっているし、サクラはおろおろとしている。

 ユウキは悟った。

 俺しかいない、この場所をおさめられるのは。

「あ、あ、あのっ!」

 六才児の声に、オトナたちが振り向いた。

「これ、どういうじょーきょーなんですかっ! せいりさせてください」



 ◆



 つまりは、こういうことだった。

 数日前。路地裏に倒れていたサクラから身ぐるみ剥がそうとしたマイティに対して、アベルは改めてぶち切れた。

「俺たちがやるのは、裕福そうな旅人からちょっとばかり路銀や食べ物を拝借する『再分配』だ。倒れてるミュゼオンの見習いから身ぐるみ剥ぐことじゃない……そんな馬鹿な考え、二度と起こすなよ」

 アベルが憤慨したのをうけて、マイティはトワノライトを離れた。

 行く当てもないし、故郷であるトオカ村に魔獣が出たという噂を聞きつけたのもあって里帰りをすることにした。

 アカキバボアを撃退したマイティは、あれよあれよという間に村の青年会の対策チームのリーダーに祭り上げられたというわけだ。

 対策チームに呼ばれてやってきたミュゼオン教団のサクラとお手伝い屋であるピーターたち一行。

 そして、逃げ出したマイティを追いかけてきたアベルとスティンキー。

 それが偶然にも鉢合わせをしてしまったわけだ。

「ほら、ちゃんと謝れ」

 アベルに促されて、マイティがサクラに頭を下げた。

「……すまなかった、二度としない」

「い、いえ! 私は覚えていませんし! というか、むしろユウキ様に助けて頂くきっかけになったというか……むしろ感謝です!」

「いや、感謝にはならないだろう」

「へへ、俺たちが縁になったって……なんだか嬉しいな、アベル」

「スティンキー、お前は脳天気すぎるんだ。だから能力があるのに蔑まれるんだぞ」

 アキノが耐えかねたようにツッコミを入れる。

「いやいや、スリも追い剥ぎもダメでしょ!」

 本当にそう、とユウキは思った。

 しかも、この人たち隙がありまくりだし……いつか怖い人にボコボコにされていたのではないだろうか。たとえば、ルーシーとか。

「……まあな。つーか、若い頃は腕っ節で名を上げてやるんだってトオカ村を飛び出してぶらぶらしてたけどよ……この村にも、俺の腕っ節が必要なのがわかったし、しばらくはここにいることにするぜ」

 マイティの言葉に、村人たちがほっこりとした笑顔になる。

 うんうん、とユウキは頷いた。ともあれ、まっとうに生活するようにしてくれたのならば、いいことだ。

「いい話風にまとめてるが、その坊主に力負けして腰抜かしただけだろ」

「え、ぼく?」

「アベル! ち、ちげーよ、別に俺はビビってねぇし」

「マイティ、気持ちはわかるよ。俺、あの犬が怖くて何日かうなされちゃったもん」

 笑うスティンキーの背後で、お食事を終えて村にやってきたポチが吠えた。

「わんっ!」

「ぎゃああああっ!」

 腰を抜かしたスティンキーが、マイティの影に隠れてしまった。

 ユウキは焦った。

 なにって、ビジュアルがよくない。

 ポチの口のまわりが「今まさにお食事を終えてきました」という状態になっているのだ。

「ポチ、おどかしちゃだめだろ」

「わふわふ」

 魔獣の王フェンリルとしての面影はなく、可愛い柴犬ほどの大きさとはいえ鳴き声はそれなりに迫力があるのだ。

「で、あんたたちがアカキバボアの対策をしてくれるって?」

 トオカ村青年会魔獣対策チームのリーダーであるマイティの問いかけに、アキノが大きく頷いて、持ってきた大きなネットを広げてみせる。

 これをすでに村人が立ててくれている畑の周囲の柵に絡ませるそうだ。

 柵はアカキバボアの突進力の前では無力で、あちこちが破壊されているので修復作業も同時に進めなくてはいけない。

「討伐は難しいけれど、とにかく畑に侵入しないように罠をしかけることはできるわ」

「アカキバボアが嫌がる光をエヴァニウムを使って出す仕組みです」

「ほほぉ〜」

 ネットには小さな電球のようなものが絡みついている。

 マイティが「こんなもんで化けイノシシが倒せるか?」と文句を言いながらネットを広げている。危険察知能力に長けていて、手先が器用なスティンキーが「危ないよ」と声をあげた。

「アカキバボアがネットに触れると、微弱な魔力波が出ます。ビリッと!」

「ぎゃっ!」

 ポーラの説明にあわせて、まるでデモンストレーションのようにマイティが倒れた。微弱とはいえ、アカキバボアを追い払える程度の威力はあるのだ。

「こりゃすごいな……」

「実はユウキさんから教わった方法なんですよ」

 アキノの言葉に、村人からの注目が集まる。

 六才児の発案だが、威力はさきほどマッチョなマイティが身をもって体験してくれている。

「よく考えるなぁ……さすがミュゼオン教団でいっとうすご腕の見習いさんが連れてくるだけあるよ」

「ホントにねぇ」

「あ、あはは……」

 ユウキとしては、別に何もしていないので褒められても困ってしまうのだけれど……まあ、いいか。

(田舎のじいちゃんが電流流れる柵使ってたから、その話をしただけなんだけどね! 仕組みを考えたのはアキノさんだし!)

 電流が流れる仕組みのほかに、ポチの匂いを残してアカキバボアが寄りつかないようにしたりと、とにかく「村人だけになっても対処ができる」状態にすることがピーターの考えの根幹だった。

「まあ、なんていうか……英雄がいなくなってから、あれこれと問題が噴出しちゃ意味がないんだよ」

 なんて、含みのある言い方をして。

 罠の設置は村人総出で行われた。ユウキは村の子どもたちと一緒に、低い位置の網を固定する作業などをした。

 終わり次第、まわりの大人たちの応援をする。

 スリ師三人組も汗水を垂らして体を動かしていた。

「お疲れ様です、マイティさん」

「うが!?」

 サクラがマイティに魔力を譲渡する。

 相手の手を握って歌を口ずさむ。それがミュゼオン教団の魔力譲渡の秘術らしい。ユウキは無意識に行っていたことだが、本来は複雑な呪歌を覚えなくてはいけない技術らしい。

「うお!? なんだこれ、すげぇ元気になってきやがった」

「ふふ、よかったです。とても頑張っていらっしゃるので」

「お、おい。別に頼んでねぇぞ?」

「でも、ずっと休憩されていませんよね? ムリしちゃいけませんよ」

 にっこりと笑うサクラにマイティはすっかり困り果てる。

「なあ、あんたさっきの話聞いてたか? 俺は……行き倒れているあんたから、持ち物やら何やらを身ぐるみ剥がそうとしたんだぜ?」

「はい。でも、実際はそうはされませんでしたし、今後もしないでしょう?」

「そのつもりだが……嬢ちゃん、あんた本当にお人好しだな。立派な聖女様になるぜ」

「いえ、立派だなんて! 私なんてクズ……、いえ。なんでもないです。自分を貶めてはいけないって、ユウキさんに教えてもらったのでした」

 ピーターとアキノの人当たりのよさ。

 マイティたちはじめ村人たちの働きと、サクラのサポート。

 何かわからないことがあると、なぜかみんながユウキに判断を仰ぎにやってくる。どうして六才児に、と思うけれど罠の仕組みを考えた神童という扱いをうけてしまっているようだった。

「ごみはぜんぶかたづけてね? え、そとにおちてるボアのほねは……そのままにしておいて。こわがって、まじゅうがちかづかなくなるよ」

 ポチの食べてしまったボアの骨も有効活用しよう。

 師匠であるルーシーに教わった魔獣対策を思い出しながら、村人たちにあれこれとお願いごとをしていく。

 山から下りてくる獰猛なアカキバボアに怯えていた村人の表情が、畑を守る罠や柵が完成して行くにつれて朗らかになっていく。

「よし、山側の罠は完成だ!」

 マイティが拳を突き上げる。

 ほとんど日が暮れてしまった。かがり火をたいての作業だ。

 ポチが村の外をパトロールしてくれているので、山からアカキバボアが降りてくる気配もない。

 順調な作業に興奮した村人たちが、さらに作業を続けようとする。

「夜通し作業して、とっとと完成させようぜ。明かりを焚いて寝ずの番を立てて──」

「まって、まって!」

 ユウキがあくび混じりで止めに入った。

「よるは、ちゃんとねたほうがいいよ」

「ん? 心配するな。坊主は寝てていいぜ、見習いの嬢ちゃんもだ。仕事は大人にまかせて──」

「そうじゃなくて……まじゅうがげんきになっちゃうからね」

 これはイノシシと戦っていた田舎のじいさんと、この世界の師匠であるルーシーから叩き込まれたことだった。

 夜行性の魔獣は存在する。

 でも、人間が魔獣を夜行性にしてしまうこともあるのだ。

 村を挙げて明かりを焚いていれば、夜は眠っているはずのイノシシ──アカキバボアも夜中に活動が可能になってしまう。

 人間が安心するために焚く明かりが、むしろ魔獣を引き寄せる結果になってしまうのだ。

「ひをたいてると、まじゅうがおきてきちゃう」

「なるほど……」

 だからこそ、近くにいる魔獣がどんなやつらなのかをよく知らないといけないのだ。

 平原にはブラックウルフの群れが生息しているというから、火を焚くならばそちら側がいいだろう。それも、なるべく山側には光が漏れないようにしたほうがいいのだ。

「よし、明かりを落とそう」

 マイティの合図で村人たちが動き出す。

 スティンキーが心底感動したように

「坊主、すげぇなぁ……山のことが手にとるようにわかるじゃねえか」

 それはそうだ。

 街のことよりは、山のことほうがよくわかる。

「そうだね。ぼく、やまそだちなので」



 ◆



 翌日、畑の周囲をぐるりと囲う柵が完成した。

 ほっとした表情の村人たちが微笑みあっている。

「みなさん、お疲れ様でした」

 作業中に怪我をした人や疲れ果てて具合が悪くなった人に、サクラが魔力を譲渡して回っている。

 マイティが巨体を縮こめるようにして、サクラを気遣った。

「おい、嬢ちゃん。あんまり無理するなよ」

「大丈夫ですよ。皆さんこそお疲れ様でした」

 ピーターとアキノは、作業を通してすっかり村人から信用を得たようで、あれこれと振る舞われている。

「今度の収穫期には手伝いに来てくれよ」

「ああ、それがいい。祭りにも参加してくれよなあ」

「手伝い屋なんて、おもしれぇこと考える。さすがはトワノライトの人だ」

「ははは、手際がいいのは娘のおかげですし、罠のアイデアもユウキ殿のものですからね」

「そうよ。こんなに魔獣に的確に対処できるなんて、狩人でもなかなかいないわ……あいつら、腕っ節ばっかり鼻にかけるし」

 アキノの言葉に、村人たちがどっと湧いた。

 どうやら、腕っ節を鼻にかける魔獣狩りというのは「あるある」のようだ。

 寡黙なルーシーは例外的な性格だったのかもしれない。

(んー、色んな人に協力してもらえば、子どもじゃできないようなことも達成できるんだな)

 完成した柵を眺めて、ユウキはひとつメモをした。

 この世界のオトナとして生きていくには、やはりルーシーやマイティのように魔獣とタイマンを張ることができないといけない──そう思い込んでいたけれど、他の道もあるかもしれない。

(なんか、魔力とかは人より多いみたいだし、なんとかなりそうだな)

 大きな仕事を終えて、少し自信がついてきた。

「わん!」

「ポチ! パトロールごくろうさ、ま……うわ」

「わっふ、わふ!」

「あ、ありがと」

 やたらと大きな骨を咥えて帰ってきたポチである。

 おそらく美味しくいただかれてしまった、昨日のアカキバボアだろう。

 骨を受け取って、畑の片隅に埋めておく。

 なむ……とそっと手を合わせた。この世は弱肉強食である。

 とりあえず村人たちが弱肉側に回らないように、手尽くした。

 アカキバボアの駆除は、あとからやってくる英雄グラナダスと肩を並べた程の腕前だという狩人に任せよう。

「よう、坊主」

「まいてぃさん」

 村人の輪から抜け出してきたマイティが、ユウキを抱き上げて肩に担ぐ。

「うわわっ!?」

「……あのとき、坊主が俺を止めてくれなきゃ、今頃こうしてなかった」

 背の高いマイティの肩に腰掛けていると、いつもよりずっと見晴らしがいい。

「ありがとな。気味の悪いガキだと思ってたが、坊主は俺の恩人だ」

「どういたしまして」

 顔は怖いが、本質的には嫌な人ではないことはわかった。

 これからは悪いことに手を染めないでほしいけれど。

「ところで……あいつら、どこ行ったか知らねぇか?」

「え?」

 マイティが探しているのは三人組の他二人だろう。

 わいわいとお祭り騒ぎになったトオカ村から、そっと立ち去ろうとする人影があった。アベルだった。

 マイティに知らせると、ユウキを肩に乗せたままで慌てて駆け出した。

「お、おい! アベル! 俺らも一緒に帰るってば」

 スティンキーが馬車に乗り込もうとするアベルを引き留めようとしているが、げしげしと足蹴にされている。

「だーからー、しつこいぞ。もうお前らとは組まない」

 トレードマークのトンガリ帽子がずり落ちそうになって、スティンキーは半べそになっている。

「おい、アベル! どこ行くつもりだよ!」

 追いついたマイティが、スティンキーと同じようにアベルに食ってかかろうとするが、アベルは聞く耳すら持たずに馬車を走らせた。

 ユウキを肩に乗せたまま、マイティは馬車をおいかける。

(うっわわ、すごい揺れる!)

 舌を噛まないように黙っているしかない。

 アベルは追いすがってくる二人を、振り返らない。

 スティンキーが馬車を追いかけながら叫んだ。

「なんでだよぉ、俺たち仲間だろ?」

 アベルは答えない。

 苛立ったマイティが馬車を片手で掴む。バランスが崩れて馬が嘶いた。

「おい、手を離せ」

「いちいち命令すんじゃねーよ! 勝手に追いかけてきて、勝手に村のこと無賃で手伝って、それで勝手に俺たち置いて帰るだぁ? いつも自分勝手に俺たちのこと振り回しやがってよぉ、ゴロツキやってた俺たち拾ったときもそうだったし!」

「そうだよぉ、いつか人殺しになる前にもうすこしマシなゴミになろうって……仲間だと思ってたのに……」

「もう仲間じゃない。お前らには居場所があるだろ」

「え?」

「居場所がある奴は、俺の仲間じゃないよ。帰ってまっとうに暮らせ」

 マイティとスティンキーが顔を見合わせる。

 作業中に村人たちが話しているのを小耳に挟んだのだが、マイティとスティンキーはこの村で育った悪ガキだったそうだ。乱暴者のマイティが子分だったスティンキーを連れて村を飛び出した。

 あいつはいつか人を殺してしまうのでは、と村人たちは眉をひそめていたのだという。それが今回、ふらりと村に戻ってきて、恵まれた体力と手先の器用さを使ってくれたのが、当時を知る人たちにとっては本当に嬉しかったそうだ。

「……マイティ。お前がゲスなことに手を染めないでよかったよ。あいつ、故郷のこの村で体を動かしてるほうが俺たちといるよりずっと伸び伸びしてる」

「それは……俺もそう思うけどさ!」

「だから、ここでお別れだ。まっとうに生きな」

 アベルが目深に被っていたフードと付け髭を剥がした。

 小柄な男に扮していた姿が、極めて目つきの悪い女に様変わりする。

「……俺はミュゼオン教団を足抜けしたゴロツキだ。今まで男のフリして騙してて悪かった」

「え?」

「あ?」

 マイティとスティンキーが顔を見合わせる。

「騙してって……男のフリってこと」

「いや、悪いんだが……知ってたぞ」

「えっ!」

「隠してたのか? 髭は、そういう趣味なのかと」

「えええっ!?」

 馬車の上のアベルの顔が真っ赤に染まっていく。

 たすけて、というようにユウキを見つめるアベルであった。

「ぼ、ぼくはきづかなかったです」

「そうか、そ、そうだよな!?」

 ふるふると震えているアベルが、少しだけホッとしたようだった。

「と、とにかくさ。俺はミュゼオンから追われてるんだ。あいつらの陰湿さは舐めちゃいけない……お前らを巻き込みたくないんだよ!」

 アベルがぱし、と鞭打って馬を走らせた。

「あ、おい待てって!」

 どんどん遠ざかっていくアベルの馬車を見送る。

 マイティとスティンキーが肩を落とす。

「まあ、いつかどこかで会えるよな」

「そうだなぁ……だが、アベルがミュゼオンの足抜けだったとはな」

 マイティの声色が暗くなる。

 どうやら、かなり陰湿に追いかけ回されるようだ。

「……それで、見習いから盗もうとしたときにあんなに怒ったのか」

「いやいや、マイティ……そうじゃなくても倒れてる人から追い剥ぎはダメだって」

 どうやら、ミュゼオン教団というのは上納金を納めずに足抜けした人間をどこまでも追いかけていくらしい。

 それだけではない。

 内部での対立が激しく、目の敵にされてしまえば最後、あの手この手で嫌がらせをされるのだという。

 魔力を譲渡する秘術を授けるかわりに、貧しい女子を教団の聖女として養育、養成する……という綺麗事を並べつつ、入団してきたら最後。規律や上納金で締め付けをおこなって、所属している女たち同士を強く対立させている──それがミュゼオン教団のやり方らしい。

「そなんだ……サクラさん、だいじょぶかな」

「いやあ、正直……あんな性格のいい子が教団でやってけるとは思えねえよ」

「だなぁ……とはいえ、上納金の何倍も支払ってやっと教団から独立できるって話だから、普通は無理だよ」

 嫌な話だ。

 一度借金を背負ってしまったら、そこから抜け出すことはほとんど不可能ということなのだから。

 ユウキはサクラの将来を思って暗い気持ちになってしまった。

 たったひとりで村中をサポートしているのだから魔力量については、きっと人一倍すぐれているのだろう。そして、何より優しくて……異様に卑屈なところが鼻についたけれど、それを必死になおそうとしている。

(オトナの社会って、やっぱどこも厳しいよなぁ)

 マイティの肩に乗ったままで、ユウキは溜息をついた。

 ……トオカ村のざわめきに悲鳴が混ざり始めていることに気がついたのは、少しあとのことだ。



 ◆



「ふぅ」

 村人たちの歓迎から離れて、畑の片隅に座り込む。

 ようやく、サクラは一息ついた。

 人間が好きで、誰かの役に立てるのは嬉しい。けれど、やはりたくさんの人に囲まれているのは少しだけ緊張するし、疲れてしまう。

 ぐぅっと伸びをする。

 たった一人で断続的に魔獣に襲われている村に行くように命令されたときには、正直不安でいっぱいだった。

 だが、結果は大成功。

 ……ユウキたちを頼ってよかった。

「あんなにお小さいのに、ユウキ様は……私も頑張らなくちゃ」

 そろそろ村に帰って、魔力の続く限り体の弱っている人たちの治癒をしようとサクラは立ち上がった。

 そのとき。周辺に武装集団がいることに気がついた。

 逆に言えば、そのときまで気がつかずにいたのだ。忍び寄られた。不気味である。サクラは思わず、身を固くした。

「え……? あの?」

 その中心にいたのは、時代錯誤なほどに古い鎧を纏った白髪の男だった。

 魔王時代に流行した、武勲を誇る派手派手しい鎧である。

 サクラはその姿に見覚えがあった。

 傭兵王ブルックス。

 腕の立つ人間たちに片端から声をかけて、魔王時代に多くの武勲を立てたという兵士だ。

 その実力は、魔王を散らした伝説の英雄グラナダスと並び立つほどだった──と本人は言い張っているが、ライバル意識をこじらせていただけだろうというのが多くの人の評価だ。

 ブルックス傭兵団は、しばらく前はトワノライトを拠点にしていたはずだ。

「よぉ、ミュゼオンの見習いさんかね?」

「は、はい。サクラ・ハルシオンと申します。あ! もしかして、トオカ村の魔獣討伐にいらしたのですか? なら、今みなさんにご紹介を──」

「いや、必要ない」

「え?」

 ごつん、と。

 鈍い音とともに、サクラの視界がブラックアウトする。

「……っ?」

 足から力が抜けて、音が聞こえなくなる。

 しぬかもしれない、と恐怖する間もなく、サクラの意識が遠のいていく。

「正義感をこじらせた見習いさんは、勝手に山に押し入って……魔獣どもを下手に刺激して村をめちゃくちゃにしてしまいましたとさ」

 ブルックスのしゃがれ声が聞こえる。

 何を言っているのだろう。

「雇い主からこういう台本を貰ってるんだわ、悪いねえ」

 ──ぶつ、と。

 サクラの意識が途絶えた。

 たすけて。

 つぶやけなかったその言葉。

 脳裏に浮かんでいたのは、ユウキの姿だった。