「ねぇ、アラン!見てこれ、食べられるんだよ!」
森の中に来たオリバーがすぐに黒い果実を見付けた事にアランは驚く。見た事がない黒い果実は食べていいのか、その見た目に躊躇する。だが、オリバーが食べられるというのだからとアランはその果実を口に運ぶ。
「…旨いな」
少し酸味を感じるがしっかりと甘みもある。初めて食べるが、その味はアランも納得できるものだ。アランはオリバーへ笑いかける。
「確かに旨いな。よく知っていたな!」
「ううん、今日初めて見たよ。僕はまだ、食べたことないし!」
「うっ…」
コリンズ家の桃色の瞳を知っていなかったら、すぐに果実を吐き出していただろう。だが、オリバーが初めて見た果実が食べられるといったのはその瞳で見極めたからだ。
オリバーと出会って数日、こうして彼が見つけ出した食材を2人で採って食料としている。アランの足はかなり良くなった。だが、彼はここを去ることが出来ずにいる。
それはオリバーの事だ。もうすぐ成人するのであれば、ここで別れても彼が生きていける事は間違いない。だが、彼は桃色の瞳を持つ、コリンズ家の正統な後継者である。もしも彼が国の外に出る事を選べば、建国以来続くコリンズ家、そして桃色の瞳はこの国から失われるのだ。
「これね、ルルベリーに近い種類みたい」
「ルルベリー?」
「僕とコナンとジェニファーで見つけた新しい果実だよ!」
おそらくはこの果実と同じようにオリバーの瞳で見つけ出したのだろう。アランはため息を付く。
ここ数日過ごしてわかったのは、オリバーという少年の善良性だ。見知らぬアランを助けた事もそうだが、彼は生まれが貴族でありながら驕らず素直で心優しい少年である。
そんな彼を国のためにと連れ戻すべきか、彼の自由のためにここで出会ったことをなかったことにするか、そんな葛藤を抱きながらアランは過ごしていた。
隣で嬉しそうに笑うオリバーの姿に、アランは再びため息を付くのだった。
*****
「ねぇ、アランは帰らなくっていいの?」
「え?」
「おうちの人、心配するんじゃない?」
『オイ!余計な事を聞くんじゃない!そいつは貴族だぞ!』
「…家はないよ」
何気なく投げかけられたオリバーの問いはアランには答えに迷うものであった。冒険者であるアランは家というものを持たない。旅をしながら、生活をしているアランは定住しないため、家と言えるものはないのだ。だが、そう答えたアランはさらに答えに迷う問いをされる。
「でも、生まれた家があるんじゃないの?」
「…それもない。追い出されたからな」
「僕とおんなじだ!」
『なんで喜んでるんだよ…』
なぜか嬉しそうに言うオリバーにアランは少し笑ってしまう。この少年と話していると自分の悩みなどちっぽけに感じられるのだ。
「…家が合わなくてな。母親違いの兄が二人いるから、俺がいなくとも問題はない。まぁ、政治的な意味合いで婚姻を結ぶ点では利点はあっただろうがな。今では廃嫡された上で、縁を切られたよ」
「はいちゃく…」
『えっと、相続とか諸々の権利はないってことな』
「ふぅん…それは困るの?」
やはり、アランの事情などオリバーは深刻には捉えない。それどころか、困るのかと聞かれる始末だ。
アランは貴族であったことを今まで人に明かしたことがない。同じような状況にあり、少年であるオリバーだからこそ話せたのだ。
だが、初めて打ち明けた秘密はオリバーにとっては些事らしい。1人長く抱えてきた分だけ、打ち明けたあっけなさがある。
「…っはははははっ!」
「アラン、どうしたの?」
長い古傷がまるでかすり傷のように感じられる。どこかで貴族である自分が冒険者となっている事に、アラン自身も無意識のうちに負い目を感じていたのだ。負い目は父や兄弟にではなく、今まで続いてきた家の歴史に対するものだ。
そんなときに、建国以来の歴史を持つコリンズ家のオリバーに出会った。家を離れても彼は自然であり、生き生きとしてそこにいる。特別な瞳を持つコリンズ家の子息であることを置いても、アランにとってこの出会いは驚きに満ちたものでだった。
「いや、君は面白いな」
「そうかな?だって、僕はそんなに困らなかったよ」
「あぁ、その瞳のおかげだな」
そう言われたオリバーは首を傾げる。確かに瞳のおかげで危険や善し悪しを見極められたというのはある。だが、それ以上にオリバーが感じたのは別の事だ。
「うーん、皆が優しくって色々助けてくれたんだよ。ほら、このバッグにも皆がくれた食べ物があるし!」
オリバーが言っている事に間違いはない。確かに出会いの中で様々な人々がオリバーに手を貸してくれたのだ。他者をその桃色の瞳で幸せにしてきたオリバーであったが、人々もまた何も持たないオリバーを案じ手助けしてくれていたのだ。
「…そうか。なぁ、君はもしも今までと違う扱いを受けるのなら家へ、いやこの国で暮らしていこうという気持ちはあるかい?」
『!』
アランの問いにコナンは警戒を高める。確かに環境が変わればオリバーは貴族として正しく扱われるだろう。アランは家ではなく国で彼を保護する考えをオリバーに示しているのだ。
だが、コナンからすれば祖父や母の他界後のオリバーの暮らしの責任の一端は国にもあると思える。彼らの目的はコリンズ家の血を外に逃がさないことだ。
コナンの緊張が伝わったのかはわからない。だが、めずらしくオリバーはその表情に真剣さを浮かべる。そして、彼は口を開く。
「僕はコナンと一緒ならどこでもいいよ。今、僕の家族はコナンだけだから」
『…!』
「…そうか。他に何か望むことはあるかい?」
「うーん、今みたいにいろんな人と出会って、たくさんの事を見たり聞いたりして、生きてみたいなぁ。家を出なければ、アランとこんな風に出会う事もなかったんだもの」
アランの中で決断が下された。それは特別な瞳を持つオリバー、その存在に相応しい形となるだろう。
そんな中、コナンは考えている。オリバーにとって最善の道はなんであろうと。幼い頃よりオリバーの側にいた彼だからこそ、それを誰よりも思うのであった。
*****
『それ』からすると建国以来続くコリンズ家という言われ方は些か納得出来ぬものがある。彼らは建国以前よりもそこにいた彼の古き友である。この一族は皆、桃色の瞳を持ち、物事の良しあしを見極める瞳を持っていた。そんな彼らは『それ』を自らの友として、家族のように扱った。
そのとき、『それ』は今とは違う姿であった。立派な体躯を持ち、野山を駆け巡る彼はその土地の長であり、彼がその土地を守っていたのだ。彼がいれば、そこに天災はなく穏やかな日々が続く。温厚で優しいその一族とその土地を守る『それ』は良き関係であった。
だが、それは突然壊された。穏やかなその一族から土地を奪おうとする者達が現れたのだ。天災がなく肥沃な土壌を持つその大地は、周囲からすれば垂涎の場所であったのだ。
『それ』も一族も初めは抗った。だが、その中で失われていく命を見て、一族はある決断を下す。それは彼らと共に生きる道だ。その一族らしい判断だと『それ』は思い、自身もその考えに従った。
土地を奪おうとした者達は「建国」した。そして、桃色の瞳を持つ一族もその傘下に加えたのだ。『それ』からすれば些末な事であったが、人は体裁や形にこだわるものだ。
『それ』を建国した者達は利用したかったようだが、『それ』にとって彼らは敵であった。あくまで桃色の瞳を持つ一族のために、牙を納めただけなのだ。だが、彼らにとって『それ』は脅威だった。
ある日、『それ』は自身の体に変化がある事を悟った。力が少なくなっていくのである。それに従い、その大きな体躯も縮んでいった。建国した者達が行った術により、『それ』の力は弱く、姿も小さくなっていった。
桃色の瞳の一族は『それ』の身を案じた。『それ』からすると心配なのは彼らのほうであった。何かあった時に『それ』の力で彼らを守ることが出来ぬのだ。だが、彼らは笑った。共に生きられるだけでいいと。
小さくなった『それ』に安堵したのだろう。建国した者達は必要な時以外、桃色の瞳の一族を丁寧に扱わなかった。何かあった時にだけ縋ってくる彼らを『それ』は軽蔑していたが、桃色の瞳の一族はどんなときにでも力を貸した。それもあって2つの一族の関係は特に問題がないままであった。
『それ』の力もあり、土地は安定し、建国した一族の治世も長く続いた。その中で小さくなった『それ』は忘れられていった。だが、『それ』にとってはどうでもよかった。相変わらず、桃色の瞳の一族は変わらない。『それ』が力をなくしても彼らは良き友でいてくれたのだ。
だが今、『それ』は力を失った事を悔やむこととなる。穏やかで温かな桃色の瞳の一族の末裔が苦境に陥ったのだ。その小さな少年は生まれた時より共に過ごし、彼に名を与えた者である。その小さな体を助け起こす事も、その小さな存在をこの国より連れ去る事も今の『それ』には困難なのだ。
『それ』は考える。どうすれば自分を家族と呼ぶ、この桃色の瞳の一族の末裔オリバーを守ることが出来るのか。名の無かった彼を『コナン』そう名付けたオリバーがどうすれば自由になれるのか。
白い小さな狐は静かに眠る彼の家族を見つめながら、1人考えるのだった。