オリバーが義母の怒りを買ったのは流行の化粧品を捨てようとしたことだ。そんな行動に移す前にもオリバーは彼女に様々な忠告をした。本人にはもちろん、時には侍女やメイド達にも。だが、その言葉は全て聞き入れられず、結局直接それを廃棄しようとしたところを見つかり、激しく叱責されたのだ。
そんな経緯を聞いたアレクシスは少し眉を顰める。
「僕、あの化粧品は体に良くないものだと思うんだ」
「でもその根拠はないのよね」
「うん、だから信じては貰えなかった。アレクシスさんも…」
オリバーの前にしゃがんだアレクシスはその頭に手を置くと微笑む。その手は温かく優しさに溢れていた。
「バカね!言ったでしょう?あたしは美容家アレクシスよ。美を求める人々を救うのはあたしの仕事よ。ほら、いつまでもそんな顔するもんじゃないわ!なんたって、あたしが力になるんだからね」
「ふふ、ありがとう」
『で、どうするんだよ。この草を使うんだろ?』
そう華やかなサロンに似つかわしくない草がたんまりと猫足の白いテーブルに置かれている。見つけたこの毒消しの草をオリバーはどうするつもりなのだろう。すると、アレクシスが何かに気付く。
「この草…昔、母が作っていた軟膏の香りに似ているわ。あたし、小さい頃によく肌が荒れてね、母がよくその軟膏を塗ってくれたものよ」
その言葉にオリバーはこくりと頷く。桃色の瞳を通して見た良い物は触れることでより正確な情報を得ることが出来る。以前、ジェニファーに助けられる前に拾った毒消しの草は効果がある分、苦みもひどいと知った。そのため、食事の代わりにはならなかったが違う用途があるのだ。
「うん、味はひどく苦いからアレクシスさんが言った通りに塗り薬にするといいみたい。肌に出来た問題を緩和してくれるんだって。これを丁寧にすり潰したものをゆっくりと香油を混ぜて作ると軟膏になるんだ。他にも薬草や好みの香油にしたらいいんだと思う」
そう話すオリバーの隣で、アレクシスは指で毒消しの草をすり潰す。その香りは確かに母が塗ってくれた軟膏と同じであった。アレクシスは深いため息をついた。おそらくこの軟膏の作り方は母から彼に渡された伝書の中にあるはずだ。だが、その名が売れていくうちにアレクシスは華やかで目新しい物に販売する商品を切り替えていった。母の軟膏もそんな中で埋もれてしまったものであった。
彼が今まで販売したものも決して質の悪い物ではない。だが、より華やかに、より高級に、そんな思いから貴族相手の見た目を重視したものとなっていたのだ。
「ありがとう、オリバー。あんたはあたしを正しい道へと引き戻してくれたわ。ずっと美を追求してきたつもりだった、私が求めていた美しさはもう古いのかとすら思ってしまった。でも、あたしが求める美しさはずっと前から傍に会ったんだわ…母の想いと共に」
アレクシスは立ち上がると自分の頬をパンと叩く。そんな姿に驚くオリバーにニッと笑うアレクシスは今まで以上に自信に溢れている。
「あれは質の悪い物なのよね?きっと肌にも悪影響だわ。それを高価な値段で売って美を求める人を苦しめるなんて!あたしがこの軟膏を作って解決するわ!そうよ、他にも母の知恵とあたしの想像力で今までよりも良い物が作れるはずよ!」
「ありがとう!アレクシスさん。僕の言葉じゃ届かなかったけど…有名なアレクシスさんならみんな聞いてくれるよ!」
オリバーのおでこをアレクシスの長い指がつつく。優しい眼差しで、だが少し困ったような笑顔を浮かべたアレクシスがオリバーに言う。
「バカね。あんたの言葉はあたしに届いたわ。だからあたしは動くのよ」
「…アレクシスさん」
テーブルいっぱいに置かれた土まみれの毒消しの草を前にアレクシスは腕まくりをする。毒消しの草を採取するために服も汚れ、顔にも土がついていた。だがその表情は生き生きとして美しい。
「ほら、あんたも洗うの手伝ってくれるんでしょ?」
「うん!」
アレクシスの声にオリバーも明るい表情で頷き、これから化粧品の影響を受けるであろう人々のために軟膏作りへと乗り出すのであった。
*****
「おかしいわ」
そんなディアーナの一言にメイド達はびくりと肩を揺らす。今日は侯爵家での晩餐会がある。そのため、いつもより念入りに化粧を施して華やかさを出して欲しい、そんな注文に応え飾り立てたはずだが何かが気に入らなかったらしい。
話し方こそ娘達より柔らかいが、内面の激しさは娘たち以上であるディアーナの怒りを買いたくないメイド達は彼女と目を合わせることが出来ない。だが、沈黙を通せば更なる怒りを買う事になる。この中では古株のメイドが勇気を奮い起こし、ディアーナに話しかける。
「…奥様、どうかなさいましたか」
「このシミ、以前からあったかしら?」
「…まぁ、どうでしょう。ですが、決して奥様の美しさを…」
バン!と扇子を強く打ち付ける音がしてメイドは黙る。周りのメイドも怯えて体を竦ませる。そんな様子を気にする素振りもなくディアーナは確認をする。
「私はこのシミが以前からあったかと聞いたのよ?」
「…申し訳ございません」
「…まぁ、いいわ。新しい化粧品は効果が強いもの、しっかりと隠せるでしょう?」
「…では、失礼します」
その指示に従い、メイドはあの化粧品をしっかりとディアーナの肌に塗る。この化粧品は高価ではあるが人気が高く、入手も困難である。ディアーナはそれを懇意にしている商人から譲ってもらい、今回の晩餐会では他の貴族にも譲るつもりである。
そのためにはディアーナ自身がいつも以上に輝いている必要があるのだ。気合を入れたディアーナは晩餐会へと向かうのを頭を下げて見送る。
「確かに最近、奥様お肌の調子が良くないわよね」
「しっ!余計な事は言うもんじゃないわ」
本当の事を言えば強く叱責されるだけでは済まないだろう。近くにいるメイド達も本当の事には触れられない。そのため、ディアーナは化粧品に問題がある事に気付くのが遅れてしまう。
一方でその化粧品に問題がある事がわかり、国はその化粧品の販売を禁じる。それを他の貴族に譲ったディアーナも罪には問われないものの、譲った貴族との折り合いは悪くなっていく。
そんな貴族達を救ったのは美容家アレクシスの調合した軟膏である。問題の化粧品を使った者は勿論、肌に悩みのある者を救うその軟膏は、安価で市民にも手に入れやすいものだ。他にも彼は以前の化粧品を一新し、自然の素材を生かしたもの。母の教えと彼の考えで生まれた新しい化粧品は多くの美を求める人達に希望をもたらすのだった。
*****
「ねぇ、このごはんいつ食べる?」
『乗合馬車に乗って、そのあとの休憩中で降りたときな』
「…じゃあ、見てもいい?」
『ダメだ!楽しみはとっとくもんだぞ』
アレクシスは旅立つオリバー達を心配し、金銭と食事、手製の軟膏も持たせてくれた。出来れば、もう少しここで暮らしても構わないというアレクシスだったが、伯爵家を追われた身であるオリバーは迷惑を掛ける事を恐れたのだ。
そしてオリバーは初めての手渡された食事に浮かれている。それはまるでピクニックのようだ。貴族であるのも理由ではあるが、彼は家族とそういった関係にはなかったのだ。そのため、アレクシスに手渡された食事に大喜びし、そんな様子にアレクシスは涙を溢し、オリバーとの別れを惜しんだ。
「…ねぇ、コナン。僕、家を出て良かったかもしれない」
『あぁ?』
「だって、外に出なければこんなに優しい人たちがいることに気付かなかったもの」
オリバーの言葉にコナンは黙る。本当は家の中でもオリバーが安心して過ごせる、優しい人々が家族であれば、成人前のオリバーを旅立たせる必要はなかったのでは、そんな思いもコナンにはあった。だが、実際にオリバーが出会った人々は優しく、またオリバーもそんな人々に素直に触れ合い、その桃色の瞳で幸せをもたらしている。
そして今日もオリバーの表情は明るい。コナンはオリバーの首元にしっかりと巻き付く。
「…コナン?」
『まぁ、あれだ。お前にはオレもいるんだからな』
「うん、そうだね」
白いふわふわした狐のような家族をオリバーは優しく撫でる。
きっと新しい街でもまた優しい誰かとの出会いがあるだろう。そんな期待がオリバーの心を弾ませるのだった。
そんな経緯を聞いたアレクシスは少し眉を顰める。
「僕、あの化粧品は体に良くないものだと思うんだ」
「でもその根拠はないのよね」
「うん、だから信じては貰えなかった。アレクシスさんも…」
オリバーの前にしゃがんだアレクシスはその頭に手を置くと微笑む。その手は温かく優しさに溢れていた。
「バカね!言ったでしょう?あたしは美容家アレクシスよ。美を求める人々を救うのはあたしの仕事よ。ほら、いつまでもそんな顔するもんじゃないわ!なんたって、あたしが力になるんだからね」
「ふふ、ありがとう」
『で、どうするんだよ。この草を使うんだろ?』
そう華やかなサロンに似つかわしくない草がたんまりと猫足の白いテーブルに置かれている。見つけたこの毒消しの草をオリバーはどうするつもりなのだろう。すると、アレクシスが何かに気付く。
「この草…昔、母が作っていた軟膏の香りに似ているわ。あたし、小さい頃によく肌が荒れてね、母がよくその軟膏を塗ってくれたものよ」
その言葉にオリバーはこくりと頷く。桃色の瞳を通して見た良い物は触れることでより正確な情報を得ることが出来る。以前、ジェニファーに助けられる前に拾った毒消しの草は効果がある分、苦みもひどいと知った。そのため、食事の代わりにはならなかったが違う用途があるのだ。
「うん、味はひどく苦いからアレクシスさんが言った通りに塗り薬にするといいみたい。肌に出来た問題を緩和してくれるんだって。これを丁寧にすり潰したものをゆっくりと香油を混ぜて作ると軟膏になるんだ。他にも薬草や好みの香油にしたらいいんだと思う」
そう話すオリバーの隣で、アレクシスは指で毒消しの草をすり潰す。その香りは確かに母が塗ってくれた軟膏と同じであった。アレクシスは深いため息をついた。おそらくこの軟膏の作り方は母から彼に渡された伝書の中にあるはずだ。だが、その名が売れていくうちにアレクシスは華やかで目新しい物に販売する商品を切り替えていった。母の軟膏もそんな中で埋もれてしまったものであった。
彼が今まで販売したものも決して質の悪い物ではない。だが、より華やかに、より高級に、そんな思いから貴族相手の見た目を重視したものとなっていたのだ。
「ありがとう、オリバー。あんたはあたしを正しい道へと引き戻してくれたわ。ずっと美を追求してきたつもりだった、私が求めていた美しさはもう古いのかとすら思ってしまった。でも、あたしが求める美しさはずっと前から傍に会ったんだわ…母の想いと共に」
アレクシスは立ち上がると自分の頬をパンと叩く。そんな姿に驚くオリバーにニッと笑うアレクシスは今まで以上に自信に溢れている。
「あれは質の悪い物なのよね?きっと肌にも悪影響だわ。それを高価な値段で売って美を求める人を苦しめるなんて!あたしがこの軟膏を作って解決するわ!そうよ、他にも母の知恵とあたしの想像力で今までよりも良い物が作れるはずよ!」
「ありがとう!アレクシスさん。僕の言葉じゃ届かなかったけど…有名なアレクシスさんならみんな聞いてくれるよ!」
オリバーのおでこをアレクシスの長い指がつつく。優しい眼差しで、だが少し困ったような笑顔を浮かべたアレクシスがオリバーに言う。
「バカね。あんたの言葉はあたしに届いたわ。だからあたしは動くのよ」
「…アレクシスさん」
テーブルいっぱいに置かれた土まみれの毒消しの草を前にアレクシスは腕まくりをする。毒消しの草を採取するために服も汚れ、顔にも土がついていた。だがその表情は生き生きとして美しい。
「ほら、あんたも洗うの手伝ってくれるんでしょ?」
「うん!」
アレクシスの声にオリバーも明るい表情で頷き、これから化粧品の影響を受けるであろう人々のために軟膏作りへと乗り出すのであった。
*****
「おかしいわ」
そんなディアーナの一言にメイド達はびくりと肩を揺らす。今日は侯爵家での晩餐会がある。そのため、いつもより念入りに化粧を施して華やかさを出して欲しい、そんな注文に応え飾り立てたはずだが何かが気に入らなかったらしい。
話し方こそ娘達より柔らかいが、内面の激しさは娘たち以上であるディアーナの怒りを買いたくないメイド達は彼女と目を合わせることが出来ない。だが、沈黙を通せば更なる怒りを買う事になる。この中では古株のメイドが勇気を奮い起こし、ディアーナに話しかける。
「…奥様、どうかなさいましたか」
「このシミ、以前からあったかしら?」
「…まぁ、どうでしょう。ですが、決して奥様の美しさを…」
バン!と扇子を強く打ち付ける音がしてメイドは黙る。周りのメイドも怯えて体を竦ませる。そんな様子を気にする素振りもなくディアーナは確認をする。
「私はこのシミが以前からあったかと聞いたのよ?」
「…申し訳ございません」
「…まぁ、いいわ。新しい化粧品は効果が強いもの、しっかりと隠せるでしょう?」
「…では、失礼します」
その指示に従い、メイドはあの化粧品をしっかりとディアーナの肌に塗る。この化粧品は高価ではあるが人気が高く、入手も困難である。ディアーナはそれを懇意にしている商人から譲ってもらい、今回の晩餐会では他の貴族にも譲るつもりである。
そのためにはディアーナ自身がいつも以上に輝いている必要があるのだ。気合を入れたディアーナは晩餐会へと向かうのを頭を下げて見送る。
「確かに最近、奥様お肌の調子が良くないわよね」
「しっ!余計な事は言うもんじゃないわ」
本当の事を言えば強く叱責されるだけでは済まないだろう。近くにいるメイド達も本当の事には触れられない。そのため、ディアーナは化粧品に問題がある事に気付くのが遅れてしまう。
一方でその化粧品に問題がある事がわかり、国はその化粧品の販売を禁じる。それを他の貴族に譲ったディアーナも罪には問われないものの、譲った貴族との折り合いは悪くなっていく。
そんな貴族達を救ったのは美容家アレクシスの調合した軟膏である。問題の化粧品を使った者は勿論、肌に悩みのある者を救うその軟膏は、安価で市民にも手に入れやすいものだ。他にも彼は以前の化粧品を一新し、自然の素材を生かしたもの。母の教えと彼の考えで生まれた新しい化粧品は多くの美を求める人達に希望をもたらすのだった。
*****
「ねぇ、このごはんいつ食べる?」
『乗合馬車に乗って、そのあとの休憩中で降りたときな』
「…じゃあ、見てもいい?」
『ダメだ!楽しみはとっとくもんだぞ』
アレクシスは旅立つオリバー達を心配し、金銭と食事、手製の軟膏も持たせてくれた。出来れば、もう少しここで暮らしても構わないというアレクシスだったが、伯爵家を追われた身であるオリバーは迷惑を掛ける事を恐れたのだ。
そしてオリバーは初めての手渡された食事に浮かれている。それはまるでピクニックのようだ。貴族であるのも理由ではあるが、彼は家族とそういった関係にはなかったのだ。そのため、アレクシスに手渡された食事に大喜びし、そんな様子にアレクシスは涙を溢し、オリバーとの別れを惜しんだ。
「…ねぇ、コナン。僕、家を出て良かったかもしれない」
『あぁ?』
「だって、外に出なければこんなに優しい人たちがいることに気付かなかったもの」
オリバーの言葉にコナンは黙る。本当は家の中でもオリバーが安心して過ごせる、優しい人々が家族であれば、成人前のオリバーを旅立たせる必要はなかったのでは、そんな思いもコナンにはあった。だが、実際にオリバーが出会った人々は優しく、またオリバーもそんな人々に素直に触れ合い、その桃色の瞳で幸せをもたらしている。
そして今日もオリバーの表情は明るい。コナンはオリバーの首元にしっかりと巻き付く。
「…コナン?」
『まぁ、あれだ。お前にはオレもいるんだからな』
「うん、そうだね」
白いふわふわした狐のような家族をオリバーは優しく撫でる。
きっと新しい街でもまた優しい誰かとの出会いがあるだろう。そんな期待がオリバーの心を弾ませるのだった。