—1—
夕飯を食べ終え、洗面所の鏡の前でシュコシュコと歯を磨く。
今日のメニューは唐揚げとレタスとミニトマトのサラダだった。
母さんが作る料理でランキングを付けるなら唐揚げはトップ3に入る。1位はハンバーグで2位が豚の生姜焼き。僅差で唐揚げが3位だ。
世の母親は365日家族が飽きないように、時には文句を言われながら晩御飯のレパートリーを考えているのだから大変だ。
もっと感謝しないとな。
『あ、あ、告知した20時になったのでそろそろ始めたいと思います』
颯にイラスト配信をするから時間を空けておいて欲しいと言われ、机で待機していると指定された20時を回った。
スマホを横画面にしてティシュ箱の側面に立て掛ける。
颯のペンネーム『0→100』のイラスト配信。
今日はオレが依頼した『人嫌いなクラスメイトが茜色に染まるまで』の経過報告も兼ねての配信になるらしい。
『何度かコラボさせて頂いてる深瀬秋斗先生から新作の依頼を受けたのでそちらの進捗をこの場で見せていけたらなと思います。まずは制服ですね』
画面が切り替わり、制服が3パターン映し出される。
オレ達が通う名取西高校の制服をモデルにすると打ち合わせで話していた通り、ブレザーが紺色、青色、赤色の3色で展開されていてデザインが微妙に異なっていた。
事前にテキストでおおよそのイメージは伝えていたのでかなり理想的な仕上がりになっている。
『深瀬:紺色が1番近いかな』
『深瀬先生、紺色ですねー了解です。一応こだわりポイントを言っておくと左胸のワッペンです。自由の象徴として鳥の羽を左右に配置して中央には高校名のイニシャルを置いてみました』
颯はオレのコメントを読み上げ、制服の解説を始めた。
細部まで意味を持たせるイラストの描き方は颯の武器だ。
トラウマを抱えた少女が自由を求めるという物語の大筋とリンクしていて小説を読んだ読者は出来上がったイラストを見て2度楽しむことができるだろう。
『そんな感じで制服はもう少しブラッシュアップしていくとして次は表紙イラストの構図についてですね。画面切り替えます』
灰色の空間に3Dモデルの人形が表示される。
人形には表情が無く、体を斜めにくねらせ、顔は正面を向いている。
人形の左には手書きで『河川敷』『川』と書かれており、少女の背後には同じく『夕陽』と書かれていた。
イラストレーターによってイラストの描き方は様々だが、颯の場合はヒヤリングを基に今回のような3Dモデルを活用した構図案を作成している。
そこから人形をキャラクターとして作り込んでいく。線だけでイラストを描く線画という作業だ。目、鼻、口、髪の毛、胸の大きさ、身長など、キャラクターの特徴を決めていかなければならない。
それが終われば色を塗り、影をつけて完成だ。
キャラクターに区切りが付けば次は背景に取り掛かる。
描いては消してを繰り返す作業はかなりの重労働だ。
『深瀬:構図もイメージ通りです』
『深瀬先生、ありがとうございます。キャラクターの線画が終わった段階でまた意見の方貰いたいと思います。では、今日の経過報告は以上となります。次回の配信日時は『Z』で告知を出すのでそちらを確認して下さい』
颯が視聴者に向けて宣伝をして配信はオフラインとなった。
来場者30人にも満たない小規模の配信だが、根強いファンを獲得することができている。
目先の数字に囚われて挫折するクリエイターが多い中で信念を持って活動している人は強い。
「あれ、藤崎さんだ」
配信アプリVOICEを閉じる前に画面をスクロールしたら【藤崎花火の人生相談枠】がオンラインになっていた。
タイトルには『#164』の文字が一緒に添えられていた。
—2—
『えー、暑いからアイスを食べながら相談に乗っていくけど許してね。夏は好きだけどもうちょっと手加減してくれてもいいと思うんだよね。これじゃあ寝られないよ。とまあ、夏に愚痴ってても涼しくなる訳じゃないので早速相談を読んでいきます』
配信者モードの藤崎さんは素の感じが出てて可愛い。
オレも冷凍庫からアイスを持って来ようかな。
確か母さんが買ってきた残りがあるはずだ。
『続いての人生相談、お悩みは青春は不滅さんから』
アイス片手にスプーンを咥えて部屋に戻ってくるといくつめかの相談が始まるところだった。
『私はソフトボール部に所属しています。夏の大会でミスをしてしまい、それが原因でチームは負けてしまいました。先輩が引退してしまい、残ったチームメイトからは腫れ物扱いされています。部に私の居場所はありません。でもソフトが好きな気持ちは変わりません。私はどうしたらいいですか?』
コメントを読み上げる藤崎さんの語気が弱くなっていく。
学生にとって夏は運動部の世代交代の季節でもある。
勝者がいれば敗者もいる。
団体競技であれば主な敗北の原因はチームの力不足か個人のミスだ。
この夏、青春は不滅さんのような経験をした学生は全国にごまんといるだろう。
言わずもがな中学時代の藤崎さんもその1人だ。
『私の知り合いにも似たような経験をした子がいるんだけど、その子は小学生の頃からバスケが好きで地域のミニバスに入って毎日放課後になると誰よりも早く体育館に行ってボールを触ってた』
あくまでも自分の知り合いという設定で藤崎さんが自身の過去を語り出した。
『身長が小さかったからドリブルが武器でシュートが決まると分かりやすくはしゃいでた。試合で活躍するようになってからその子の周りには自然と人が集まるようになった。でも、中学2年生の時に先輩の引退がかかった試合でミスをしちゃってそれが原因で先輩が引退しちゃったんだ』
コメント欄には藤崎さんの架空の知り合いに対する同情の声が多く投稿されている。
『責任を感じたその子は青春は不滅さんのように悩んで悩んでバスケを続ける選択を取ったんだ。バスケが好きだったから。ここで辞めたら後になって振り返った時に必ず後悔すると思ったから』
更科さんの話には無かった情報。
分岐点に立たされた藤崎さんは1度はバスケを続ける選択肢を選んでいた。
『チームメイトからは陰口を言われたり、試合で意図的にパスが回って来なかったり、環境は決して良いものじゃ無かったけど彼女の中でバスケを辞める理由にはならなかった。それだけ強い意志を持ってたんだ。だけど体は正直だった。酷く汚い言葉を浴びせられれば心は傷つくし、直接先輩に呼び出されて詰め寄られて、責められて。それで体調を壊しちゃったんだ。病院でストレス性の胃炎って診断されたみたい』
いつかの配信で藤崎さんが言っていた。
中学時代に腹痛に悩まされていたと。
今の話を聞いて全てが繋がった。
バスケ部の環境がストレスとなって腹痛を引き起こしていた。激しく動き回るバスケットボールにおいてお腹が痛いままプレーをするのは困難だ。
『その子は今でも後悔してるって言ってた。例え病気が原因だとしてもバスケから離れる選択をしてしまったことが。青春は不滅さんは今は中学生なのかな? 高校生なのかな? 学校っていう小さい箱の中だとどうしても1人の力だけでは変えられないこともあるから、今が辛いなら環境が変わってから再出発してみてもいいと思う。それは逃げじゃない』
力強い言葉に胸が震える。
ただのリスナーであるオレでもこれだけ響いたんだ。
青春は不滅さんにもきっと藤崎さんのメッセージが届いたはずだ。
『えっと、予定より早いけど今日の人生相談はこれで終わりにします。また次回の配信でお会いしましょう。バイバイ』
配信が切断され、オレはオフラインになったスマホの画面をしばらく見つめることしかできなかった。
断片的ではあるが藤崎さんがバスケを辞めた経緯を知ることができた。
過去の行動によって生まれた後悔は今そして未来で取り戻すしかない。時間は戻ってはくれないから。
その為にはまずは藤崎さんの過去を知らなくてはならない。
お節介とか迷惑とか嫌われるかもしれないけど、藤崎さんには後悔を残したまま生きて欲しくはない。
時間は経てば経つほど取り返しがつかなくなるし、学生の部活という青春には明確な期限が存在する。
オレの行動に意味はあるのか?
意味が無いと行動しないのか?
何の為にそこまで必死になるんだ?
余計な思考を頭を振って蹴散らす。
行動に対していちいち意味を求めていたら動き出すことなんてできない。
気になっている人の力になりたい。単純明快でいいじゃないか。
よし、藤崎さんの中学時代を知る人を探すところから始めよう。
夕飯を食べ終え、洗面所の鏡の前でシュコシュコと歯を磨く。
今日のメニューは唐揚げとレタスとミニトマトのサラダだった。
母さんが作る料理でランキングを付けるなら唐揚げはトップ3に入る。1位はハンバーグで2位が豚の生姜焼き。僅差で唐揚げが3位だ。
世の母親は365日家族が飽きないように、時には文句を言われながら晩御飯のレパートリーを考えているのだから大変だ。
もっと感謝しないとな。
『あ、あ、告知した20時になったのでそろそろ始めたいと思います』
颯にイラスト配信をするから時間を空けておいて欲しいと言われ、机で待機していると指定された20時を回った。
スマホを横画面にしてティシュ箱の側面に立て掛ける。
颯のペンネーム『0→100』のイラスト配信。
今日はオレが依頼した『人嫌いなクラスメイトが茜色に染まるまで』の経過報告も兼ねての配信になるらしい。
『何度かコラボさせて頂いてる深瀬秋斗先生から新作の依頼を受けたのでそちらの進捗をこの場で見せていけたらなと思います。まずは制服ですね』
画面が切り替わり、制服が3パターン映し出される。
オレ達が通う名取西高校の制服をモデルにすると打ち合わせで話していた通り、ブレザーが紺色、青色、赤色の3色で展開されていてデザインが微妙に異なっていた。
事前にテキストでおおよそのイメージは伝えていたのでかなり理想的な仕上がりになっている。
『深瀬:紺色が1番近いかな』
『深瀬先生、紺色ですねー了解です。一応こだわりポイントを言っておくと左胸のワッペンです。自由の象徴として鳥の羽を左右に配置して中央には高校名のイニシャルを置いてみました』
颯はオレのコメントを読み上げ、制服の解説を始めた。
細部まで意味を持たせるイラストの描き方は颯の武器だ。
トラウマを抱えた少女が自由を求めるという物語の大筋とリンクしていて小説を読んだ読者は出来上がったイラストを見て2度楽しむことができるだろう。
『そんな感じで制服はもう少しブラッシュアップしていくとして次は表紙イラストの構図についてですね。画面切り替えます』
灰色の空間に3Dモデルの人形が表示される。
人形には表情が無く、体を斜めにくねらせ、顔は正面を向いている。
人形の左には手書きで『河川敷』『川』と書かれており、少女の背後には同じく『夕陽』と書かれていた。
イラストレーターによってイラストの描き方は様々だが、颯の場合はヒヤリングを基に今回のような3Dモデルを活用した構図案を作成している。
そこから人形をキャラクターとして作り込んでいく。線だけでイラストを描く線画という作業だ。目、鼻、口、髪の毛、胸の大きさ、身長など、キャラクターの特徴を決めていかなければならない。
それが終われば色を塗り、影をつけて完成だ。
キャラクターに区切りが付けば次は背景に取り掛かる。
描いては消してを繰り返す作業はかなりの重労働だ。
『深瀬:構図もイメージ通りです』
『深瀬先生、ありがとうございます。キャラクターの線画が終わった段階でまた意見の方貰いたいと思います。では、今日の経過報告は以上となります。次回の配信日時は『Z』で告知を出すのでそちらを確認して下さい』
颯が視聴者に向けて宣伝をして配信はオフラインとなった。
来場者30人にも満たない小規模の配信だが、根強いファンを獲得することができている。
目先の数字に囚われて挫折するクリエイターが多い中で信念を持って活動している人は強い。
「あれ、藤崎さんだ」
配信アプリVOICEを閉じる前に画面をスクロールしたら【藤崎花火の人生相談枠】がオンラインになっていた。
タイトルには『#164』の文字が一緒に添えられていた。
—2—
『えー、暑いからアイスを食べながら相談に乗っていくけど許してね。夏は好きだけどもうちょっと手加減してくれてもいいと思うんだよね。これじゃあ寝られないよ。とまあ、夏に愚痴ってても涼しくなる訳じゃないので早速相談を読んでいきます』
配信者モードの藤崎さんは素の感じが出てて可愛い。
オレも冷凍庫からアイスを持って来ようかな。
確か母さんが買ってきた残りがあるはずだ。
『続いての人生相談、お悩みは青春は不滅さんから』
アイス片手にスプーンを咥えて部屋に戻ってくるといくつめかの相談が始まるところだった。
『私はソフトボール部に所属しています。夏の大会でミスをしてしまい、それが原因でチームは負けてしまいました。先輩が引退してしまい、残ったチームメイトからは腫れ物扱いされています。部に私の居場所はありません。でもソフトが好きな気持ちは変わりません。私はどうしたらいいですか?』
コメントを読み上げる藤崎さんの語気が弱くなっていく。
学生にとって夏は運動部の世代交代の季節でもある。
勝者がいれば敗者もいる。
団体競技であれば主な敗北の原因はチームの力不足か個人のミスだ。
この夏、青春は不滅さんのような経験をした学生は全国にごまんといるだろう。
言わずもがな中学時代の藤崎さんもその1人だ。
『私の知り合いにも似たような経験をした子がいるんだけど、その子は小学生の頃からバスケが好きで地域のミニバスに入って毎日放課後になると誰よりも早く体育館に行ってボールを触ってた』
あくまでも自分の知り合いという設定で藤崎さんが自身の過去を語り出した。
『身長が小さかったからドリブルが武器でシュートが決まると分かりやすくはしゃいでた。試合で活躍するようになってからその子の周りには自然と人が集まるようになった。でも、中学2年生の時に先輩の引退がかかった試合でミスをしちゃってそれが原因で先輩が引退しちゃったんだ』
コメント欄には藤崎さんの架空の知り合いに対する同情の声が多く投稿されている。
『責任を感じたその子は青春は不滅さんのように悩んで悩んでバスケを続ける選択を取ったんだ。バスケが好きだったから。ここで辞めたら後になって振り返った時に必ず後悔すると思ったから』
更科さんの話には無かった情報。
分岐点に立たされた藤崎さんは1度はバスケを続ける選択肢を選んでいた。
『チームメイトからは陰口を言われたり、試合で意図的にパスが回って来なかったり、環境は決して良いものじゃ無かったけど彼女の中でバスケを辞める理由にはならなかった。それだけ強い意志を持ってたんだ。だけど体は正直だった。酷く汚い言葉を浴びせられれば心は傷つくし、直接先輩に呼び出されて詰め寄られて、責められて。それで体調を壊しちゃったんだ。病院でストレス性の胃炎って診断されたみたい』
いつかの配信で藤崎さんが言っていた。
中学時代に腹痛に悩まされていたと。
今の話を聞いて全てが繋がった。
バスケ部の環境がストレスとなって腹痛を引き起こしていた。激しく動き回るバスケットボールにおいてお腹が痛いままプレーをするのは困難だ。
『その子は今でも後悔してるって言ってた。例え病気が原因だとしてもバスケから離れる選択をしてしまったことが。青春は不滅さんは今は中学生なのかな? 高校生なのかな? 学校っていう小さい箱の中だとどうしても1人の力だけでは変えられないこともあるから、今が辛いなら環境が変わってから再出発してみてもいいと思う。それは逃げじゃない』
力強い言葉に胸が震える。
ただのリスナーであるオレでもこれだけ響いたんだ。
青春は不滅さんにもきっと藤崎さんのメッセージが届いたはずだ。
『えっと、予定より早いけど今日の人生相談はこれで終わりにします。また次回の配信でお会いしましょう。バイバイ』
配信が切断され、オレはオフラインになったスマホの画面をしばらく見つめることしかできなかった。
断片的ではあるが藤崎さんがバスケを辞めた経緯を知ることができた。
過去の行動によって生まれた後悔は今そして未来で取り戻すしかない。時間は戻ってはくれないから。
その為にはまずは藤崎さんの過去を知らなくてはならない。
お節介とか迷惑とか嫌われるかもしれないけど、藤崎さんには後悔を残したまま生きて欲しくはない。
時間は経てば経つほど取り返しがつかなくなるし、学生の部活という青春には明確な期限が存在する。
オレの行動に意味はあるのか?
意味が無いと行動しないのか?
何の為にそこまで必死になるんだ?
余計な思考を頭を振って蹴散らす。
行動に対していちいち意味を求めていたら動き出すことなんてできない。
気になっている人の力になりたい。単純明快でいいじゃないか。
よし、藤崎さんの中学時代を知る人を探すところから始めよう。