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「──だからさ、いちいち突っかかってくんのやめてくれない?」
「はぁ!?アンタから話しかけてきたんでしょ?」
「こんな低レベルな嫌がらせしないでって言ってるのが分からないわけ?」
朝、教室へ入ってすぐ、優里と紗奈の声が飛び交っていた。
「(もしかして……!)」
もしかしたら仲直りしたのかも。そんな甘い考えを持っていた私の期待は、一瞬にして突き落とされてしまった。
「別に修一くんはもう優里の彼氏じゃないんだからさぁ。鬱陶しいからいつまでも執着すんのやめてくれる?」
「執着なんかしてないから。ただ人のもの奪った気分はどうかって聞いただけじゃん?」
「そんなに彼を取られて悔しいなら、なんで付き合ってるときから大切にしなかったわけ?」
「あのさぁ、何か勘違いしてるようだけど、あんな男もうどうだっていいから。あたし、もう新しい彼氏いるし」
二人の激しい言い合いに、クラスメイト達は驚いて教室の隅のほうに避難している。何があったのか不安そうに見つめている人もいれば、面白そうに眺めている人もいた。
やっと二人が話し合いをしてくれたんだって、少しでも喜んでいた自分がバカだった。
「……っ」
どうしてあんなにも仲がよかったのに、そんなふうに牽制し合うの?
もっと他に言いたいことがあるんじゃないの?なんで……っ、傷つけ合うようなことばかりするの!?
「──やめてよ!」
気付けば私は、この中の誰よりも大きな声でそう言い放っていた。
「優里も紗奈も、もういい加減にして!」
「……愛美?」
「顔真っ青だけど、大丈夫?」
優里のとなりにいた知夏が、私のほうを見てそう言った。
顔も青ざめてしまうよ。だって学校でこんなに大きな声を出したのは初めてだから。
そんな大きな声とは正反対に、だんだんと体は萎縮して、呼吸が浅くなっていくのが分かった。
だけど、ここで止めちゃいけない。
『ちゃんと自分の言いたいこと、もっともっと言っていいんだよ?』
『本音が言えなかったり、機嫌を伺うようになっちゃったら、それってもう友達とはいえないと思うから』
『愛美ちゃんがお友達に思ってること、全部吐き出していいと思う』
梨々花がくれた何よりも信用できるあの言葉達を、何度も頭の中で繰り返していく。
「……私、もっと三人と一緒に思い出作りたいよ」
私の声はみっともないくらい震えてしまっている。
無理もない。こんなにも大勢の人達に見られながら何か意見をしたことなんて、今まで生きてきた人生の中で初めてなのだから。
「そりゃあ、私は三人と違って二年生になってからの付き合いだから、まだまだ一緒に過ごした時間も少ないけど……っ。でも、これから一緒に文化祭とか回りたいし、放課後はもっといろんなことして遊びたいし」
「ちょっ、愛美?」
「恋バナだってみんなとしたいのに……っ!」
一つ言い出したら、勢いよくネジが外れたように止まらない。
あれだけ言葉を掻い摘んで、選び抜いて喋っていたはずなのに、今はもう頭の中で整理すらつかないまま思ったことが全部口から放たれていく。
「こ、恋バナ?」
「優里の、新しい彼氏ができたって何?どうやって彼氏って作ればいいの?紗奈だって、三年の先輩とどうやったらあんなふうにラブラブになれるわけ?」
「愛美、何言って……」
「私なんて……っ、好きな人に彼女がいるのかどうかさえ聞けないままなのに!」
「……え?」
「こういう話をもっともっとしたかったし、これからも四人でお弁当食べたいし、受験いやだね、授業だるいねって、言い合いたかったのに!なんで……っ、なんで喧嘩しちゃうの!?二人は一番仲がいいんじゃないの!?」
自分でも何を言っているのか意味不明だった。
勢いあまって溢れ出てくる涙のせいで、少しずつ視界がぼやけていく。
「そんなに喧嘩したいなら、もう一生やってればいいよ!」
最後の捨て台詞を吐き出して、来たばかりの教室を出て行った。
他人の目が怖くて、思いきり廊下を走り去っていく。
「(ま、間違えた。本当はあんなことが言いたいんじゃなかったのに)」
もう当分の間、教室には戻れない。
むしろ余計に優里と紗奈に嫌われてしまったに違いない。
自分が言った言葉を一つずつ思い出しては反省する。行く当てもないまま校内を走りながら、後悔ばかりが募っていた。
「──坪井さん!」
「……っ!」
そんなどうしようもない私のことを呼ぶ声に、走っていた足はすぐに止まった。
その心地良い低音が、私の苗字を呼んだのはもう何度目だろう。
「青葉、くん?」
もしかして、優里と紗奈に言ったあの一見を青葉くんも見ていたかもしれない。
そう思うと余計に恥ずかしくなって、呼ばれたほうへ振り向くことができなくなった。
「坪井さん、ちょっと俺についてきてくれない?」
「え?」
鬱々とした私とは正反対に、青葉くんはゆっくりと私との距離を縮めて、にっこりと笑いながらそっと片方の手を取った。
彼の温もりを感じ取った瞬間、私の胸がドキッと大きな音を立てた。
青葉くんに手を引かれながら連れてこられた場所は、誰もいない体育館だった。
「ここ……なんで?」
「今ね、体育館の修繕作業が入ってて使えなくなってるんだよね」
青葉くんは『だから今は先生も生徒も入ってこられないと思うから安心してね』と言って、私をそっと座らせた。
もしかして彼は、教室で言いたい放題言って逃げてきた私を追いかけてきてくれたのかな。
きっと変なやつだと思われているに違いない。初めて好きになった人に、あんな姿を見られるなんて最低だ。
広い体育館に、シンと静まり返った沈黙が私達二人を纏った。
「さっきの坪井さん、めっちゃかっこよかったね」
「……!?」
そんな沈黙を破ったのは、青葉くんの予想外の一言だった。
「か、かっこいい!?」
「うん。誰もあの二人の喧嘩を止めようとしなかったから、強引にでも割って入ろうかなって思ったんだけど、そしたらものすごい勢いで坪井さんがストップをかけたから、かっこいいって思って」
「わ、忘れてほしい。あのときは私、ちょっとおかしくなってて」
「ううん。ずっと手を握りしめてたから、きっとめちゃくちゃ勇気振り絞ってるんだなって思ってた」
「……」
「二人を、仲直りさせたいんだよね」
青葉くんの言葉は、どことなく梨々花に似ていた。
なんだか私の気持ちを汲んでもらえたようで、また泣きそうになってしまう。
「……泣いていいよ。坪井さんがこの体育館の裏にあるベンチで一人でいたときも、泣かなかったもんね」
「な、なんでそれを……っ!?」
「あの寂れたベンチ、実は俺の特等席」
「!?」
「ボロボロで誰も近寄らないから、部活の休憩時間とか、ちょっと一人になりたいときとか、いつもあそこに座ってたんだよね」
「そ、そうだとは知らずに……!ご、ごめんね勝手に座っちゃって」
だからあの日、青葉くんは私に声をかけてくれて、一緒にお弁当を食べてくれたのかな。
青葉くんと彼女がカフェに来たあの日から、彼のことは忘れなくちゃいけない人だと思っていた。
……ううん。今でもそう思っている。
だけど──。
「いいよ、あのベンチは坪井さんに譲るよ」
「……っ」
「だから何かあるときは、いつでも来ていいよ」
少しずつ関わりを持っていくたびに、彼に芽生えた初恋の芽はどんどん大きくなっていくばかり。
このままだと、抑えられなくなりそうで怖くなる。
「で、でも青葉くんの彼女さんに悪いから、今度からあのベンチには……」
「俺ね、坪井さん。彼女いないよ」
「……え?で、でも」
「あの雨の日のカフェのことを言ってるよね?あれは俺の彼女じゃなくて、俺の親友の彼女なの」
「!?」
ポカンと口を開けて驚いてる私に少しだけ微笑んで、青葉くんは今の状況を教えてくれた。
青葉くんの親友と彼女が喧嘩をしていて、あの日は彼女の機嫌を伺ってくれと頼まれていたから話し合いをしていたのだと。
外で話をしていたら突然雨が降ってきて、慌てて近くにあったカフェに避難したこと。
「……そう、だったんだ」
「坪井さんの誤解は解けたってことでいい?」
「あ、えっと……うん」
「ならよかった」
胸の痞えが一つ取り除かれたみたいに、心が軽くなった気がした。
「(じゃあ私、青葉くんのこと……まだ諦めなくていいってこと?)」
優里や紗奈たちのことと、青葉くんの一件で、私の情緒はぐちゃぐちゃだ。
嬉しい気持ちと不安な気持ちが交互に混ざり合って、このあと自分が何をするべきなのか見当もつかない。
そのとき、朝のHRが始まるチャイムが鳴り響いた。
けれど、青葉くんはまだその場から動こうとはしなかった。
「もう少しだけ、ここにいよっか」
「い、いいの?先生に怒られない?」
「俺、もう少し坪井さんと話がしたいから」
青葉くんは優しい人だ。
きっと私が今教室に戻りづらいことを知っていて、だからこうして隣にいてくれる。
「(この人を好きになれてよかった)」
梨々花にもこのことを報告したい。次に会えるのは明日の金曜日だ。
「坪井さんはあのカフェでバイトしてるんだよね?」
「あ、うん。実はあのカフェ、私のおばあちゃんのものなの。だから夜は私がお手伝いしてるって感じかな」
「なるほどね。すごく雰囲気よかったし、坪井さんがくれたケーキもおいしかったから、また行ってもいい?俺の親友と彼女を仲直りさせなくちゃ、だから」
「もちろん。夜は割とお客さんも少ないから話しやすいと思うし」
「ありがとう、二人に伝えておくね」
またカフェに青葉くんが来てくれる。それだけで心が躍り出しそうなくらい嬉しくなった。
ちょうど今、梨々花と共同で作っている試作のケーキが出来上がったばかりだ。梨々花が考案してくれた焦しチーズケーキは、試作を重ねるにつれてどんどん美味しくなっている。
「……二人が早く仲直りしてくれたらいいね」
「そうだね。坪井さんもそうだと思うけど、間に挟まれた人間って結構しんどいよね」
「そ、それだよね!本当にそれ!」
「俺達、気が合うね」
「そのお友達は同じ学校?」
「ううん、二人とも違う学校。あ、でも同じバスケ部」
「そうなんだ」
「中根っていうんだけど……坪井さんわかるかな?結構バスケうまくて、練習試合で何度かうちの学校にもきてるよ」
──……中根?
青葉くんが出した名前に、違和感が走った。
そして、青葉くんがスマホで見せてくれた写真を見て……私は思わず息を呑んだ。
「その人……っ」
写真に写っている中根くんは、梨々花が彼氏だといって見せてくれた人だった。
「あ、やっぱり坪井さんも知ってる?」
「あ、あの、中根……くんの彼女さんが、この前青葉くんと一緒にきていた人、なんだよね?」
「そうそう。二人とも幼馴染で、本当は仲がいいくせにいつも喧嘩ばっかりするから困ってる」
頭の中が激しく混乱していく。じゃあ、梨々花が言っていたのは……誰のこと?
だって彼女は嬉しそうに彼氏だと言って中根くんを見せてくれた。
「……」
でも、確かに梨々花が見せてくれた写真は、彼が一人で写っている姿だった。
中根くんが梨々花のことを騙している……とか?だけど青葉くんから話を聞く限り、そんなことをするような人には思えない。
「(そういえば私、梨々花のこと……何も知らない)」
梨々花が通っている学校のことも、『県外の遠いところ』ということ以外は知らない。
どうしていつも夜の決まった日にしか会えないのかも、学校のできごとも、休日に何をしているのかも、私は全然梨々花のことを知らなかった。
いつも私の話を聞いてくれて、そのたびにたくさんの言葉をかけてくれて、アドバイスもしてくれる彼女に、私は甘えていた。
明日は梨々花に会える金曜日。今度は話を聞いてもらうんじゃなくて、私が梨々花の話を聞こう。
梨々花と、もっともっと仲良くなりたい。
同じ学校じゃなくても、なかなか会えなくても、今では私のかけがえのない人だから。
そう、思っていたけれど──。
まさか、明日が彼女と会える最後に日になるなんて、このときは想像すらしていなかったんだ。