高校生の姿をした母が、店を出てから僕は途方に暮れるように消えた背中を目で追おうとしていた。

でも、当然のことながら視線の先には母はもういない。

本来あるべき時間軸へと戻ってしまったのだから。

店に香る微かな懐かしい残り香。自分からも母と似た匂いがするが、どこか少しだけ違う。

カウンターに置かれたグラスには、無数の水滴が滴っている。

確かに母は先ほどまでここにいた。その証拠にグラスの表面には、手が置かれた位置には水滴が付着していない。

「会えて良かったよ」

この声は誰にも届かない。それでもいいんだ。

僕の想いはきっと母に伝わったはずだから。

母に頑張って欲しいわけではない。苦しい今の現状に立ち向かって欲しいわけでもない。

ただ母が笑って過ごせる未来を自分の手で掴み取って欲しいんだ。

例え、その未来に僕という存在が誕生していなくとも、母が笑っていられる未来さえあれば、僕はそれだけで満足なんだ。

僕の初恋の相手が、母さんだったことは黙っておこう。高校生の姿をした母さんに見惚れてしまったなんて、決して言えるはずもないのだから。

「さてと、次のお客さんは誰なんだろうな。もしかして、若き日の父さんだったりしたら面白いのにな」

今夜も僕は、『エスカル』に導かれる者を待つため、特製のドリンクを作ってあなたを待つ。

『癒やしの場所』

この場所が夜に逃げてきた人たちの憩いの場となり、心を癒すことができる場所になれるように。

夜に逃げたいと願った者たちを導く不思議なカフェ『エスカル』

"カラン"

「いらっしゃいませ」

今夜も誰かがやってきた。

「エスカルへようこそ」

母が守り続けてきたこのお店を今度は僕の手で守りたい。

いつまでもいつまでも。母と再会できる日を待ち遠しにしながら、僕は1人あなたたちを待ち続ける。