「こ、こんばんは」
昨日と同様に、更地だった場所にはオレンジ色の温かな光を放つ『エスカル』が存在していた。
今日も私はここにやってきてしまった。
家を出て、気が付けば自然と足はこの場所へと導かれるように歩みを進めていた。
昨夜降り積もった雪が日中に溶けて凍ったせいで、ここに来るまで何度も滑っては転んだ。
おかげさまで、転んだ際に地面についた手が今でもヒリヒリと痛む。
顔を近づけて見ると、少しだけ手のひらの皮が擦りむけている。
でも、今は痛みなんか忘れてしまうくらい綺世さんが、私に向ける微笑みが眩しすぎた。
「こんばんは。今日は何にしましょうか。色んなドリンクを用意しましたよ」
私を待っていたように、手際よくカウンター席へと誘導し、座りやすいように椅子を引いてくれる彼。
「どうぞ」
行動までが紳士なんて、惹かれない女性はいないのではと思ってしまう。
「あ、あの今日は綺世さんのお任せでお願いします」
「わかりました。では、風梨さんにピッタリのものをお持ちしますので、少々お待ちください」
そう言って、厨房へと向かう彼の背中を私は眺めることしかできなかった。
懐かしくもどこか悲しみを含んだようなその背中を。
店内を見渡してみても、私の他には誰もお客さんがいない。
それもそのはず、昨日綺世さんから聞いたお店に選ばれる条件が、真夜中であることと高校生であることなんて、普通に暮らしている高校生には無理に決まっている。
翌日も学校で早く寝ないといけない上に、この時間に外を出歩くなど危険極まりない。
それも女子高校生が1人で人気のない道を歩くなど、このご時世ではかなり注意しないといけないのに。
それでも家を出てしまうのは、どこにも私の居場所なんてないからなんだ。
私は必要とされていない人間なのだから。
まだ出来上がるまでに、時間がかかりそうなので、椅子から立ち上がり店内を見歩く。
昨日は数々の驚きの連続で気が付かなかったが、意外にも店内はさっぱりとしている。
彩りを増やすためか、店の端の方には名前の知らない花が綺麗に生けられている。
まるで、生きているかのようにも見えてしまう花。誰が生けたのはわからないが、不思議と人の目を惹きつける何かがあるようだ。
それが一体何なのかは定かではないが、少なからず私の記憶には残り続けるだろう。
まるで、私が好みそうな彩りで儚く朽ちてしまいそうな花。
「風梨さん?」
「はい!」
背後から話しかけられたことに少しだけ驚いて、肩がビクッと震えてしまった。
振り向くとなぜか綺世さんまで驚いた表情をしているのに笑ってしまう。
「び、びっくりしました」
「ごめんなさい! 急に声をかけられたから驚いてしまって」
「大丈夫です。それよりもドリンクが出来上がったので、よろしければどうぞ」
「あ、ありがとうございます。今日は何を作ったんですか?」
「今日は、いちごサイダーにしてみました」
カウンターに置かれたシュワシュワと弾けるグラス。
炭酸の中に浮かぶ無数のいちごが、彩りを豊かにし、二色の層となって出来上がったパステルカラーに目が奪われる。
カランカランっと氷がグラスにぶつかり合うと、中に沈んでいるいちごも生きているかのように動き出す。
まるで、二つの異なったものが共存しているかのようにごく普通に。
椅子に座ると、微かな甘みを含んだ香りが鼻を掠める。
いちごなのかサイダーの甘みなのかはわからない。だが、自然と体に馴染むようにスーッと入ってくる甘さ。
「いただきます」
「どうぞ」
シュワっとした炭酸が、疲れ切った私の体の隅々まで浸透していく。
直後に口に広がり始めるいちごの甘み。私の痛みきった心には、甘すぎるくらいだが、今だけはついこの甘さに甘えたくなる。
「美味しいです」
「お口にあって良かったですよ。さて、次はどんなドリンク作ろうかな・・・」
独り言のように言い残したまま、厨房へと姿を消してしまった。
1人残されたお店には、怖さは全くなく、むしろ落ち着くという言葉の方がピッタリとくる。
奥の厨房からは、何やらボソボソとした言葉が聞こえてくるが、きっと新メニュー開発に下を唸らせているのだろう。
どんなものでも美味しくなりそうな気がするので、私も混ざって試飲をしてみたい。
それから体感で10分ほど経過したあたりで綺世さんは戻ってきた。
手に抱えられたそれから目が離せなくなるほど、みた事もない飲み物に私は興味津々だった。
「お待たせしてしまい申し訳ないです。試しに作ってみたのですが、良かったら試飲してもらえませんかね?味の保証はします。僕もさっき飲んでみて味は問題なかったんですけど、やはり作る側だけの評価だけでは満足いかなくて」
「ぜひ、飲ませてください!」
私の食いつきように驚いたのか、1歩半退いた数秒後に向けられた私への微笑みで、簡単に心を打ち抜かれてしまった。
(その笑顔はずるいです...)
「これはね、ラベンダーティーって言うんだよ。ストレスや不安を緩和させてくれる飲み物なんです」
「初めて聞きました」
「そうですよね、普段はこういった物は飲まないですからね。でもね、この飲み物は僕にとって大切な物なんです」
ラベンダーティーを見つめる彼の瞳が、今まで見てきたどの瞳よりも悲しげで、懐かしいものを見ているかのようなものだった。
まるで、大切な誰かを失ったみたいに寂しい瞳。
彼の言葉に返答できないまま手渡されたラベンダーティーを覗き込む。
立ち上る湯気と共に鼻腔を刺激するラベンダーの香り。
まるで、ラベンダー畑にでも自分が立っているかのような錯覚さえ覚えてしまいそう。
濃いオレンジの表面上に私の顔が反映されて目が合う。
ここ最近で見てきた顔の中で1番生きている顔をしていた。不安や怖さなど忘れ去ってしまったのか、その顔には不思議と落ち着きが宿っていた。
「いい香りですよね。少しだけ僕の昔話をしてもいいですかね?」
「はい、もちろんです!」
興味があった。綺世さんという人間を作り出した過去。それと、彼が今に至るまでの経緯が...
どうして、彼はこの時が止まった空間の中で生き続けているか。
私たちの夜は長い。時間が止まって欲しいと思えたのは、一体いつぶりだっただろう。
「ありがとうございます」
笑った時にできる垂れ下がった彼の目から、一滴の涙がこぼれ落ちた事に私は気付くことができなかった。
この時、気が付けていたら私と彼の未来も変わったかもしれないのに。
昨日と同様に、更地だった場所にはオレンジ色の温かな光を放つ『エスカル』が存在していた。
今日も私はここにやってきてしまった。
家を出て、気が付けば自然と足はこの場所へと導かれるように歩みを進めていた。
昨夜降り積もった雪が日中に溶けて凍ったせいで、ここに来るまで何度も滑っては転んだ。
おかげさまで、転んだ際に地面についた手が今でもヒリヒリと痛む。
顔を近づけて見ると、少しだけ手のひらの皮が擦りむけている。
でも、今は痛みなんか忘れてしまうくらい綺世さんが、私に向ける微笑みが眩しすぎた。
「こんばんは。今日は何にしましょうか。色んなドリンクを用意しましたよ」
私を待っていたように、手際よくカウンター席へと誘導し、座りやすいように椅子を引いてくれる彼。
「どうぞ」
行動までが紳士なんて、惹かれない女性はいないのではと思ってしまう。
「あ、あの今日は綺世さんのお任せでお願いします」
「わかりました。では、風梨さんにピッタリのものをお持ちしますので、少々お待ちください」
そう言って、厨房へと向かう彼の背中を私は眺めることしかできなかった。
懐かしくもどこか悲しみを含んだようなその背中を。
店内を見渡してみても、私の他には誰もお客さんがいない。
それもそのはず、昨日綺世さんから聞いたお店に選ばれる条件が、真夜中であることと高校生であることなんて、普通に暮らしている高校生には無理に決まっている。
翌日も学校で早く寝ないといけない上に、この時間に外を出歩くなど危険極まりない。
それも女子高校生が1人で人気のない道を歩くなど、このご時世ではかなり注意しないといけないのに。
それでも家を出てしまうのは、どこにも私の居場所なんてないからなんだ。
私は必要とされていない人間なのだから。
まだ出来上がるまでに、時間がかかりそうなので、椅子から立ち上がり店内を見歩く。
昨日は数々の驚きの連続で気が付かなかったが、意外にも店内はさっぱりとしている。
彩りを増やすためか、店の端の方には名前の知らない花が綺麗に生けられている。
まるで、生きているかのようにも見えてしまう花。誰が生けたのはわからないが、不思議と人の目を惹きつける何かがあるようだ。
それが一体何なのかは定かではないが、少なからず私の記憶には残り続けるだろう。
まるで、私が好みそうな彩りで儚く朽ちてしまいそうな花。
「風梨さん?」
「はい!」
背後から話しかけられたことに少しだけ驚いて、肩がビクッと震えてしまった。
振り向くとなぜか綺世さんまで驚いた表情をしているのに笑ってしまう。
「び、びっくりしました」
「ごめんなさい! 急に声をかけられたから驚いてしまって」
「大丈夫です。それよりもドリンクが出来上がったので、よろしければどうぞ」
「あ、ありがとうございます。今日は何を作ったんですか?」
「今日は、いちごサイダーにしてみました」
カウンターに置かれたシュワシュワと弾けるグラス。
炭酸の中に浮かぶ無数のいちごが、彩りを豊かにし、二色の層となって出来上がったパステルカラーに目が奪われる。
カランカランっと氷がグラスにぶつかり合うと、中に沈んでいるいちごも生きているかのように動き出す。
まるで、二つの異なったものが共存しているかのようにごく普通に。
椅子に座ると、微かな甘みを含んだ香りが鼻を掠める。
いちごなのかサイダーの甘みなのかはわからない。だが、自然と体に馴染むようにスーッと入ってくる甘さ。
「いただきます」
「どうぞ」
シュワっとした炭酸が、疲れ切った私の体の隅々まで浸透していく。
直後に口に広がり始めるいちごの甘み。私の痛みきった心には、甘すぎるくらいだが、今だけはついこの甘さに甘えたくなる。
「美味しいです」
「お口にあって良かったですよ。さて、次はどんなドリンク作ろうかな・・・」
独り言のように言い残したまま、厨房へと姿を消してしまった。
1人残されたお店には、怖さは全くなく、むしろ落ち着くという言葉の方がピッタリとくる。
奥の厨房からは、何やらボソボソとした言葉が聞こえてくるが、きっと新メニュー開発に下を唸らせているのだろう。
どんなものでも美味しくなりそうな気がするので、私も混ざって試飲をしてみたい。
それから体感で10分ほど経過したあたりで綺世さんは戻ってきた。
手に抱えられたそれから目が離せなくなるほど、みた事もない飲み物に私は興味津々だった。
「お待たせしてしまい申し訳ないです。試しに作ってみたのですが、良かったら試飲してもらえませんかね?味の保証はします。僕もさっき飲んでみて味は問題なかったんですけど、やはり作る側だけの評価だけでは満足いかなくて」
「ぜひ、飲ませてください!」
私の食いつきように驚いたのか、1歩半退いた数秒後に向けられた私への微笑みで、簡単に心を打ち抜かれてしまった。
(その笑顔はずるいです...)
「これはね、ラベンダーティーって言うんだよ。ストレスや不安を緩和させてくれる飲み物なんです」
「初めて聞きました」
「そうですよね、普段はこういった物は飲まないですからね。でもね、この飲み物は僕にとって大切な物なんです」
ラベンダーティーを見つめる彼の瞳が、今まで見てきたどの瞳よりも悲しげで、懐かしいものを見ているかのようなものだった。
まるで、大切な誰かを失ったみたいに寂しい瞳。
彼の言葉に返答できないまま手渡されたラベンダーティーを覗き込む。
立ち上る湯気と共に鼻腔を刺激するラベンダーの香り。
まるで、ラベンダー畑にでも自分が立っているかのような錯覚さえ覚えてしまいそう。
濃いオレンジの表面上に私の顔が反映されて目が合う。
ここ最近で見てきた顔の中で1番生きている顔をしていた。不安や怖さなど忘れ去ってしまったのか、その顔には不思議と落ち着きが宿っていた。
「いい香りですよね。少しだけ僕の昔話をしてもいいですかね?」
「はい、もちろんです!」
興味があった。綺世さんという人間を作り出した過去。それと、彼が今に至るまでの経緯が...
どうして、彼はこの時が止まった空間の中で生き続けているか。
私たちの夜は長い。時間が止まって欲しいと思えたのは、一体いつぶりだっただろう。
「ありがとうございます」
笑った時にできる垂れ下がった彼の目から、一滴の涙がこぼれ落ちた事に私は気付くことができなかった。
この時、気が付けていたら私と彼の未来も変わったかもしれないのに。