夜になら逃げられると思っていた。

実際、私が望んでいたものは夜には存在しなかった。

どこを探しても見つかるのは、孤独感ばかり。

悴む手を両手で握りしめるようにしながら、1人歩く夜の道は寂しいなんて言葉では測りきれないほど。

それでも私は夜に逃げる。私にとっての逃げ道は孤独な夜しかないのだから。



「あぁ、今日も寒いな」

ポツリポツリと空から降る雪に視界を奪われながら、誰もいない深夜の住宅街を歩く。

暗くてはっきりは見えないが、空には分厚い灰色の雲が鎮座している。

明日の朝になっても、あの雲が消えることはなさそう。

今日も私は、夜に逃げている。

正確には夜にしか私が逃げる場所がないだけなのだが...

足首まで埋め尽くす雪に足を掬われているせいか、普段よりも歩くのに時間を要してしまう。

一歩踏み出し、また一歩を出そうとするも雪が足に纏わりついて重たい。

スニーカーに纏わりついた雪は、次第に私の足の熱で溶け始め、スニーカーが瞬く間に水気を帯びる。

地面に足をつくたびに、靴底と靴下の間で吸収した水分が絞られる。

ぐちゃぐちゃと人が嫌う不快音と履き心地の悪さに嫌気がさす。

そんな悪態だらけの私だが、これでも冬は好きな季節だ。

ただ、靴が濡れるのと、降り積もった雪が翌日凍ってしまうのだけは嫌。

ハーッと息を吐くと、私の口から出た吐息が白く見えてスーッと消えて無くなる。

これが私は好きなんだ。冬の間にしかできないこと。

吐く息が白くなり始めると、冬が来たのだと実感できる。

「今日はどこに行こう」

誰に語りかけているのかわからない言葉たち。当然、周りには誰もいないので独り言になってしまう。

今日1日を通して、私が発した言葉はこれが2回目。

誰とも話さない生活に慣れすぎたせいか、以前までどうやって他人と会話していたのかすら思い出せない。

他人からすると、たった数ヶ月かもしれないが、私には何年にも感じられた。

完全な独りになってから、数ヶ月しか経過していないのかと思うと、この先が思いやられる。

私が夜に逃げるようになってから、何人もの人間が私という存在を忘れ、くだらないことで笑い転げているのだろう。

そんなことを考えるだけで虫唾が走る。

1人の人間の心を完膚なきまでにボロボロにしたというのに...

一体今日が何月何日で何曜日かすらわからない。ずっと他者と関わらないせいか、日付間隔は完全にバグってしまった。

毎日が休日。言葉の響き自体はいいが、実際は地獄のような日々の連続。

毎日が憂鬱で、何もすることがない。何もしたいと思えない。

何かをしたところで、何の成果も得られないだけなんだ。

それなら、いっそのこと何もしないでいた方がまだマシかもしれない。

「このままここで、寝たら死んじゃうのかな」

最近では、『死』を肌で感じる日もあるが、臆病な私にはその最後の選択肢すら選ぶことができない。

生きるのは辛い。でも、死ぬのは嫌だ。

死んでしまえば、私は今よりもさらに誰の記憶にも残らない。

私が生きてきたことすらも全て否定されたような気がして怖い。

崖っぷちに立たされている状況でも、後ろに飛ぶことができないのは、己の心の弱さが関係しているのかもしれない。

あと一歩でも下がれば落ちてしまいかねない断崖絶壁。

私は今そこに独り残されている。

目の前には誰もおらず、手を差し伸べてくれる人は皆、私に背を向けて消えていった。

いつか夢見るかもしれないと思っていたが、今朝方初めてその夢を見た。

起きた瞬間、恐ろしさのあまりか、背中は汗でびしょ濡れ。

ベッドの上には汗でできたシミが浮き上がっていた。

眠りについてから三時間ほどしか経っていなかったが、もう寝ようとは思えないくらいに目が冴えてしまった。

今も若干睡魔が押し寄せているように感じるが、ここで寝るわけにはいかない。

むしろ、冷たさで眠ることなど不可能に感じる。

歩き始めて、10分ぐらい経っただろうか。

目の前にぽつんっと建つ喫茶店。周囲の家々の明かりは消えているのに、ここだけは明かりが灯っている。

店の前に立てかけられた看板には、『ご自由にお入りください』と書かれた文字。

どこを探してみても営業時間が書かれていなく、他にはお店の名前らしきものしか書かれていない。

『エスカル』

どうやら、これがお店の名前らしいが、まったくお店の名前の由来が想像できない。

人の名前のような、何かしらの意味はあるのだろうけれど、生憎私のちっぽけな脳みそでは分かり得ない。

少々、怪しさはあるものの外に漏れ出す光は、夜を彷徨う者を誘うような異彩を放っている。

一瞬でも目が奪われてしまえば、赴くままに足が勝手に進んでしまうような...

まるで、心が癒される温かさを纏った光。

お店のドアノブに手をかけると、フワッとした熱が手を伝って全身へと駆け巡る。

魔法のような非現実的な不思議な感覚。

多少の警戒心を持ち合わせ、グッと体の方へとドアを引き寄せた。

外の寒さを忘れてしまうくらい、私の体を包む店内から溢れてくる風は和やかなものだった。