早速、翌日から女中たちから、炊事洗濯、裁縫などの家事全般を教わることになった。

 彼女たちは不愉快さを隠そうともせず、失敗をすると容赦なく竹の杖で手や太腿などを叩いてきた。まるで動物を躾けるようだった。
 しかし沙苗は外に出られたことへの解放感のほうがずっと大きかったし、これまでの扱いを考えれば、これくらいどうということもないと思った。
 この苦しい修行さえ乗り切れば、自分は嫁ぐ。つまりこの家から出られる。
 解放されるための代償と思い、じっと耐えた。そもそも反抗したところで意味もない。
 だったら何をされても黙っていたほうが楽だ。これまで通り。
 最初こそ手間取ることも多かったが、一週間、二週間と時間が経つにつれて、少しずつ上達しはじめた。

 学はないが、沙苗は決して愚かではなく、飲み込みも早かった。
 それは沙苗自身もこれまで知らなかった。
 叩かれる頻度も少なくなった。

 そんなある日、扉が開く気配に横になっていた沙苗の意識がゆっくりと覚醒し、うっすらと目を開ける。
 草履のまま、栗色の髪の少女が入って来た。
 少女が沙苗を見下ろしてきたかと思うと、不意に左目が隠れるように伸ばしていた前髪に触れられた。指秋が額に触れ、ひりっとした痛みが走った。

「やっぱり気持ち悪いわね、あんたっ」
「な、何よ、あなたは!」

 沙苗はじんじんと痛む額に触れる。かすかに血が滲んでいた。

 ――この子、私に何をしたの?

「忘れるのも無理はないわよね。お姉様」

 少女はにたり、と不気味に笑った。

「お、ねえさま……?」
「そうよ。私は妹の薫子」

 思い出した。自分の腹違いの妹。
 子どものころ何度か庭先にいるのを見かけた。

 可愛らしい着物をまとった、自分のように監禁されていない、自由に過ごすことを許されたいくらか年下の少女。
 丸窓ごしに目があった。
 沙苗は同年代の少女と会えるのが嬉しくて、笑いかけた。

 しかし少女は手に持っていたものを、投げつけてきた。それは泥団子。里の他の子どもたちを誘い、泥団子をいくつも投げてきた。沙苗は窓辺から逃げ出し、震えるしかなかった。

「その目、半妖の目なのね。気持ち悪い」

 そう履き捨てすながら、また前髪をどかそうと手を伸ばしてくる。

「や、やめて!」

 沙苗は妹の手を払いのける。当然、大して力は入っていない。
 にもかかわらず。

「きゃああああああ! 助けてえええええええ!」

 薫子は悲鳴をあげたかと思うと、その瞳からはぽろぽろと涙をこぼした。
 悲鳴を聞きつけた女中たちが駆けつけてくる。

「お嬢様から手を離しなさい、化け物!」

 容赦なく殴られ、蹴られた。
 沙苗は体をくの字に折り、頭を抱える。

「みんな、もうやめて。お姉様の気が立つのも理解できるわ。だって、ずっと座敷牢に閉じ込められて辛い思いをされていたんですもの。私が不用意に交流を持とうとしたのが気に障られたのね……」

 妹は、明らかな嘘を流れるように口にした。

「ち、違う。その子は、嘘をついてるわ!」

 沙苗が必死に弁明しても誰も耳を貸さない。貸す気がそもそも無い。
 終いには父と、見知らぬ女性がやってきた。目元が妹にそっくりだった。つまり、女は後妻。

「どうしたんだ!」
「お、お父様ぁ!」

 薫子が抱きつくと、父がよしよしと頭を撫でる。

「薫子、一体何があったの?」

 女中たちが、妹の嘘八百の事情をそのまま説明する。

「なんて娘なの! せっかく座敷牢から出してあgて、嫁にまでいかせてやろうっていうのに!」

 後妻が女中がもっていた竹の杖を奪うと、沙苗を打ち据えた。

「おい、やめろ!」

 父が、後妻の手をつかんだ。

「あなた、この化け物をかばうの!? 薫子が襲われたのよ!?」
「嫁入り前だ! 傷つけて、先方にばれたら面倒だろう!」
「チッ!」

 後妻はは舌打ちをすると竹の杖を女中へ押しつけ、「行くわよ」と薫子と一緒に出ていった。
 庇ってくれたと思ったが、父は冷ややかな目を向ける。

「……操ではなく、お前が死ねば良かった」

 そう吐き捨てるように言われた。
 熱いものが頬を伝う。

 ――どうして私がこんな目に遭わなければいけないの?

 一体自分が何をしたというのだ。半妖として生まれたのは自分のせいではない。
 もちろん亡くなった母のせいでも。

 悪いのは、母を襲ったあやかしだ。
 肩を震わせ嗚咽する沙苗の周りに木霊たちが集まり、まるで慰めるように抱きついてくれる。
 ぽかぽかとした温かさが、傷を優しく癒やしてくれる。

「……みんな、ありがとう。大丈夫。こんなのに負けたりしないからっ」

 沙苗は木霊たちへせいいっぱいの笑顔を見せた。