久しぶりに、先見を見た。

 先見は眠っている時にみるが、夢のように曖昧模糊としていたり、ぼんやりしているようなものではないから、すぐにそれと分かった。

 まるで実際にそこに立っていると錯覚するような生々しさを全身で感じる。
 夜気の冷たさ、鼻の奥にくるような冷たい風、踏みしめる地面の感触までも。

 景虎と同じ軍服姿の人たちが大勢いた。
 この中に景虎がいるかもしれない。
 沙苗は周囲を見回したくてしょうがなかったが、先見では自分の見たいものが見られるわけではない。

 ただ目の前で繰り広げられる芝居を観客として見ていることしかできない。
 介入もできず、かといって中座することも許されない。

 先見が終わるまで、その場を立つことも許されず、それだけに見たくないものを見続けなければいけない。
 星空のまたたく夜空を、黒い影が飛び回っている。
 成人男性より一回りは大きいだろうか。

 あやかし。

 巨大な翼を大きくはばたかせるそれが、建物を過ぎった瞬間、煉瓦造りの尖塔が大きくずれたかと思うと、煉瓦をぼろぼろと地上へ降らせながら、大勢の人々めがけ落下する。

 ――逃げて!

 無駄だと知りながら思わずにはいられない。
 尖塔が地面に落下する。地響きが、沙苗の元にまで伝わった。

 呻き声と、流れ出る鮮血。
 大勢の人々が混乱し、右往左往し、悲鳴を上げる。

 そこへ、飛行するあやかしがさらに追い打ちをかけた。

 体勢を立て直せないまま、軍服姿の人々が食われていく。その咀嚼音を、沙苗は耳を塞ぐこともできず、聞き続けた。



 目覚めた沙苗は気持ち悪さに口を押さえた。
 頭の中ではまだ先見の余韻がありありと残り、えづいてしまう。

 断末魔に、あやかしが人を食らう咀嚼音。周囲に立ちこめる、鉄錆の臭気。
 それを目を閉じることも許されず、沙苗は見せられていたのだ。

 まばたきすると、涙がじわりとにじみ、頬を流れる。

 木霊たちが心配して寄り添ってくれる。
 沙苗は小刻みに体を震わせ、木霊たちを抱きしめた。

「……だ、大丈夫……大丈夫……」

 木霊がいてくれて良かった。もし一人だったらとても起き上がることができなかっただろう。

 ――朝ご飯、用意しないと。

 木霊たちのおかげで、どうにか気持ちを取り戻すことができた。
 深呼吸を繰り返し、早鐘を打つ鼓動が鎮まるのを待つ。

 ――あの中に、景虎様もいらっしゃった?

 巨大な尖塔が落下し、大勢の人が下敷きになった。

 先見は将来、必ずおこる。
 見たものを言うべきだろう。もしかしたらあの悲惨な結末を避けられるかもしれない。
 でも信じてくれるだろうか。

 わけのわからない夢を見たと一笑に付されて終わりにならないだろうか。

 これまで先見を伝えた人たちと同じように、お前のせいで不幸がやってきたんだ、半妖の血が不運を招き寄せたんだと罵倒されないだろうか。

 ――って、私は一体何を見てきたの。景虎様が里の人たちみたいなひどいことをしたことが一度でもあった? 文字を教えてくれて、色々な景色を見せてくれて、食べたことがないものをごちそうしてくれて……。

 景虎はそんな人ではない。それは短い間、一緒にいただけでも分かること。
 里にいる怪物たちと、景虎は同じじゃない。

 ――頭ごなしに否定したりはしないはず。そうよ。先見を伝えることだって、立派な恩返しになるじゃない。

 部屋を出ようとしたその時、木霊たちが足にしがみついて引き留める。

「みんな、遊んであげたいけど、今からご飯を」

 木霊たちは一斉に手で文机を示す。

「机がどうしたの? ……って、紙?」
 眠る時にはなにもなかったそこに、丁寧に四つ折りにされた紙が置かれていた。
 そこには『沙苗へ』と沙苗がとても真似できないような美しい筆遣いで書かれていた。
「沙、苗……私の名前!」

 ということは、これを置いたのは景虎だ。

 沙苗は手紙を開く。

「あ!」

 笑みが、口の端にのぼった。

『べんとう おいしかった またつくってくれるとうれしい 景虎』

「!」

 嬉しさをこらられず、紙をぎゅっと抱きしめてしまう。
 鼓動がとくとくと早くなった。

 ――それに、この最後のこの文字はきっと……景虎様の名前なんだわ。
 沙苗という自分の名前はもちろんだが、景虎という名前もしっかり書けるようになりたい。いつ使うのかということより、知っておきたいと強く思った。

 ――そうよ、これが私の知っている景虎様。言ってみるべきよ。

「……っと、いけない。朝ご飯」

 台所に向かうと、弁当箱が洗われて乾かされていた。
 夜遅くに帰宅したから、景虎が洗ってくれたのだろう。

 沙苗は朝食、それからお弁当の準備をする。あんなお手紙をもらったのだから、恩返しとかそういったこととは無関係に作りたくなってしまう。

 起床した景虎と一緒に朝食を取る。

「お手紙、ありがとうございます! すごく嬉しかったです!」
「お前が書いてくれたものに返事をしただけだ」
「ふふ、そうですね。でもありがとうございます。私にとってははじめてのお手紙ですから。一生大切にしますっ」
「そこまでのものじゃないだろう」
「いいえ、私にとっては、そこまでのものなんです。あのお手紙のおかげで、景虎様の漢字を知ることができたんですから。練習します!」
「俺の名前はあとでいいから、まずは自分の名前を優先しろ」
「う。が、がんばります。あ、こちら、どうぞ」

 朝食を食べ終え、お茶を飲む景虎にお弁当を渡す。

「今日の弁当も楽しみだ」
「ご期待に添えればいいのですが」
「添えるさ」

 そんな他愛のないやりとり一つとっても、沙苗の鼓動は早鐘を打ってしまう。

 ――今はドキドキしてる場合じゃない。ちゃんとお伝えしないと。

「……景虎様、お話があるのですが……その……信じられないと思うのですが、わ、私には未来が見えるんです」

 景虎の無表情が揺らぎ、その目がかすかに瞠られた。

「それは、半妖だからか。それとも、春辻の血か?」
「……おそらく半妖のせいだと思います」

 もし春辻の血にそんな不思議な力があれば、あんな風に邪険にされることなどなかったはずだ。

「昔から、先のことが見えたりするんです。私はれを先見と呼んでいます。でも実家ではそれを告げても気持ち悪がられるどころか、私のせいで起こったことだと叱責されてしまって」
「……それを今日見たのか?」
「はい。景虎様と同じ軍服姿の方々が大勢いて――」

 沙苗は自分が見た先見について語った。

 景虎はいつも通り背筋を伸ばしたまま口を挟むことも、笑うこともなく、ただ耳を傾けてくれた。

「それはいつ起こるか分かるか?」
「……分かりません。すみません。肝心なことをお伝えできず」
「いや。あやかしの出現に関しては気を配ろう。よく知らせてくれた」

 沙苗は聞き届けてくれたことに安堵を覚える。