翌朝、沙苗は台所に立って朝食を作る。

 ご飯を炊き、大根の味噌汁、玉子焼きに焼き鮭を仕上げる。
 鮭の身に綺麗な焼き目がついたのを確認し、お皿に盛り、卓袱台へ並べていく。

 そこへ重たい足音が近づいてくる。

「景虎様、おはようございます」
「……おはよう」

 景虎は手に、昨日繕った羽織を持っていた。

「あ、それ……すみません、勝手に」

 景虎は「謝るな」と少しうんざりした顔をする。

「怒ってるわけじゃないから頭を下げるな。繕ってくれて助かった。ありがとう」
「!」

 景虎から感謝してもらい、それだけで心臓が飛び跳ねる。それからじんわりと体が熱くなる。

「いえ……出来ることをしただけですから」

 たった一言の感謝で、高揚してしまう。

「ところで朝食だが、俺の食べる分はあるか?」
「え?」
「わざわざ俺のために花嫁修業をしたのだろう。食べさせてくれ」
「それは……!」

 予想もしない要請に、困惑し、慌ててしまう。

「もちろん、無理にとは言わない」
「そういうわけではありませんが……よ、よろしいのですか。外で食べたほうがずっと美味しいと思います……」

 自信がなくて、声が尻すぼみになってしまう。

「少なくとも匂いは、うまそうだ。それに、繕いもしっかりできているんだ。料理のほうも問題ないんじゃないか?」

 ――せっかく景虎様がこう仰ってくださってるんだから。

「そちらを召し上がってください」
「これはお前の分だろう」
「そのつもりでしたが、景虎様はこれから出勤されますよね。お時間もないでしょうし。どうぞ。私はのちほどゆっくり頂きますので」
「そうか。すまない」

 景虎は美しい姿勢で正座になると、手を合わせ、「いただきます」と食事をはじめる。

 まずは味噌汁から。

「具材は大根です」

 向かいに座った沙苗は、緊張の面持ちでじっと見つめてしまう。
 花嫁修業で最低限の料理は習ったが、沙苗の作った食事を女中たちは手をつけてはくれなかった。

 結局、自分で作って自分で食べただけだったから、こうして料理を誰かに食べてもらうのは、生まれて初めて。

 味見はしているから不味いということはないだろうが、景虎がどう思うかはまた別の話。
 
 景虎が味噌汁に口をつける。

「いかがですか?」
「美味い。しっかり出汁の味が出ているな」
「良かったです」

 景虎は焼き鮭を箸でほぐして口に含み、ご飯を食べる。

「ご飯もちょうどいい硬さで、美味い。焼き鮭の焼き加減もちょうどいい」
「お世辞ではなくて、本音でお願いしますっ」
「不味いものを無理して食うほど、食には困ってはいない」
「実は、玉子焼きは少し焦がしてしまって……それはどうですか?」
「気にするほどではない。十分、うまい」

 景虎はあっという間に朝食を食べ終えてしまう。

「ごちそうさま」
「御粗末様でございました」

 食器を片付けようとして手を伸ばすと、景虎も同時に食器に手を伸ばす。
 危うく手が触れかけ、バチッと二人の間で火花が散った。

 はっとして手を引っ込める。

「大丈夫ですか?」
「問題ない。お前こそ」
「触れてなかったので大丈夫です。私が片付けますから。今、白湯をお持ちしますね」

 食器を片付けて水を溜めた桶に浸け、水を火に掛け、湯飲みに注ぐ。

 ――今日、お茶葉を買いにいこう。

 花嫁修業でお茶の淹れ方も勉強した。白湯では味気ないだろう。

「どうぞ」
「すまない」

 景虎はほとんど表情は変えない、冷ややかな仏頂面なのに、お礼をきっちり言ってくれる律儀さが、可愛いなと感じた。

 玄関のほうで「おはようございます」と、声がかかった。

 沙苗は玄関に立った。

「おはようございます、三船様」
「様づけなんて、おやめください。三船で結構でございます。大佐は?」
「景虎様でしたら……」
「来たか」

 景虎が居間から出てくる。

「いってらっしゃいませ」

 沙苗は三つ指をついて見送る。

「基本的に帰りは遅くなる。待ってないで寝ていろ。それから、今日から朝はお前の料理を食べたいと思うが、どうだ? 無論、作るのに抵抗がなければだが」

 沙苗は自然と目を細め、笑みに口元をほころばせた。

「作らせていただきます。お夕飯はどうしますか?」
「帰りの時間は不規則になる。無駄にしてしまう可能性もあるから朝食だけで構わない」
「かしこまりました」

 沙苗はいつものように門前まで景虎たちを見送った。

 ――景虎様が私の料理を美味しいと言ってくれた!

 景虎たちをのせた馬車を見送りながら、喜びのあまり小さく跳びあがった。