だから、君は夜を知らない

夕日が私の部屋をオレンジ色に染め上げるのと比例しているかのように、私の身体が透け始める。

あぁ、死んじゃう。

私は夜、死んでしまう。

息はしてるし、その場には存在している、相手の声も聞こえるのに私の声は何一つ届かない。
歩けるし、どこでも動かせるのに周りからは見えない。自分でも、見えない。

そんなの、死んでるじゃん。

出来ることは、朝日とともに私が生き始めるのを静かに、息を殺して待つだけだ。

だから。

だから私は、夜を知らない—。
この世界は死ぬほど気まぐれ。
写真部の活動の一環として初めて応募したコンテストで、一年の僕、松乃 怜瀬(まつの りょうせ)が入賞してしまうくらいに。ここはあと数えるほどしか出品できない三年生の先輩や、三年生へ継ぐ意思を込めて二年生の先輩が入賞するべきだろう。なぜ僕が入賞してしまったんだ。嬉しいことなのに、暗い顔と祝福の顔の複雑な表情の先輩の前では心から喜ぶことはできない。
「怜瀬すごいな、今回のコンテスト厳しめの評価だって噂になってたのにそんなコンテストで入賞するなんて。」
顧問の松下先生。ノリが良い男の先生で多くの生徒からの人気を集めている。でも先生、今それ言ったらまずいです。
「本当だよ、これなら心配なく引退できるな。」
三年生の立花先輩。もう神様ですか。この空気の気まずさと顧問の失言で胸が張り裂けそうでした。立花先輩の言葉に他の先輩も祝福の言葉を贈ってくれてなんとか胸は張り裂けなかった。
僕はクラスの中でも一軍などに入るような存在ではなく、読書とカメラが趣味の至って普通の男子高校生だ。だからなおさらコンテストでの入賞は大きなニュースだった。

「松乃くん、コンテストで入賞したんだってね、すごい」
部活動がオフの時、部室で部活動新聞のバックナンバーを眺めていたら急に声を掛けられた。名前は確か、早乙女 桜子(さおとめ さくらこ)。多くの友だちがいる同級生で、僕とは住む世界が違う彼女。そんな彼女が、こんな僕に何の用だろう。
「ありがとうございます、それで、写真部の部室に何か用ですか。」
「松乃くんに、お願いがあってきました。」
「…はい。」
「もうすぐ、学校の近くの河川敷で花火大会があると思うんです。そこの写真を撮って、私にくれませんか。」
部活のみんなでも花火大会の撮影は活動計画に載せていた。そこから印刷すれば良いだけだから問題はない。
「特に問題は無いんですが、どうしてそんなこと…」
「花火、見てみたいんです。」
これ以上、聞けない空気だった。だから僕は分かりました、とだけ伝えた。
「ありがとうございます!ちなみにデータで送るのって難しいんですか。」
「難しくはないです。実際、スマホでの撮影を試みた場合もありますし。」
「連絡先…交換してもらえませんか。」
別に断る理由も無いし、そんなに写真に興味があるのなら僕も嬉しいと感じて彼女と連絡先を交換した。
「名前名乗ってなくてすいません。早乙女桜子です。松乃…怜瀬くんだよね、私写真にすごく興味があるんです。特に夜の写真。よろしくお願いします。」
「松乃怜瀬です。そんなに興味を持ってくれて僕も嬉しいです。もう夏で仮入部は積極的に行っていない部活動も多いと思いますが、写真部ならきっと先輩も歓迎してくれると思うので、良ければ…」
「嬉しいです。明日活動あると聞きました!すこし覗かせてもらうかもしれないです」
写真部の部員が、一人増えるかもしれない。

「早乙女桜子です。花火大会に向けて活動が忙しい中、仮入部させてもらってしまってすいません。ありがとうございます。」
「部長の立花です。早乙女さん、写真部は部員が少ないから大歓迎です、もうすぐ僕達三年は引退ですが、よろしくお願いします」
結局早乙女さんは次の日の部活にやってきた。部員が少ないのは確かなのでカメラのセッティングなど、手伝ってもらえる場面も多いかもしれない。
「では、来週の花火大会に向けての調整に入ってください。早乙女さんは一年生が松乃しかいないからそこに入ってください」
「分かりました!」

「松乃くん、昨日はありがとうございました、本入部も考えちゃうくらい楽しいです」
「良かったです。良ければ花火大会の撮影一緒に行いませんか。学年ごとっていう話なので僕は一人なんです。」
まぐれでコンテストで入賞した僕が、花火大会の撮影を一人で行うのは少し心細かった。カメラに触ったことは少ないそうだが一人よりも作業がはかどるだろう。
「えっと…。ごめんなさい、花火大会の日には用事があって…」
「あ、じゃあ仕方ないです。また手伝えそうな日部活動ぜひ来てください」
「…はい!」
彼女はどこか、引きつった笑顔だった。僕の気のせいかもしれないけど。
何度かの調整を重ね、花火大会当日がやってきた。
『花火、見てみたいんです。』
僕は今日、燃えていた。彼女にコンテストの写真以上の花火の写真を撮って、渡してあげたいと思っていたから。
打ち上げ開始まであと一時間。普通の見物客はおそらく三十分前ごろから場所を取り始める。少し早めにカメラのセットを行い、シャッターが正確に押せるかの確認をする。大丈夫、問題ない。人が来て倒されないよう、カメラから目を離さず打ち上げられるまで待機をする。
ふと、彼女の顔が浮かんだ。
肩の下くらいまでの黒髪で、身長は低めの彼女。どこか名前のような華やかさがある。早乙女、桜子—。彼女と写真を撮れる日は来るだろうか。来年の夏は花火大会の写真撮影に同行してもらいたい、叶わぬ願いとは知らず、僕は花が咲く前の真っ黒な夜空へ期待を込めた。
打ち上げ開始まであと五分。もう多くの見物客で場所は埋まっている。最後の確認をして、秒針が脈打つのをじっと待っていた。
そろそろと夜空を見上げシャッターに指を置いた時、どこまでも黒く染まっていた夜空に花が咲いた。花火。誰が付けた名前だろう。これほどぴったりな名前はあるだろうか。

—彼女も、同じ空を見上げているのだろうか。

そんなことを考えていたら三十分程度の花火大会も一瞬にして過ぎ去った。過去になった。一人の撮影ではよく撮れた方だと思う。

「桜子ぉ、名札取ってぇー」
「めんどくさいなぁ」
そんな会話を聞き流しながら今になって実感する。彼女とは、クラスメイトだった。でも世界が違う。僕の休み時間はいつもカメラを見つめているか本を読んでいるか。それに対し、彼女は未だ覚えきれないほどの人数の友だちに囲まれている。もしかしてカメラの話できるかもと期待を込めた足取りで登校した僕が情けない。現実は甘くないどころか辛いほどだ。部活まで、何も考えず時間が過ぎるのを待とう。

やっと最後の授業の終わりのチャイムが鳴り、多くの人の愚痴やため息とともに今日の授業が終わった。

「今日もよろしくね、松乃くん」
今日からは花火大会も終わり、また学年ごとで校内を撮り合うほぼ自由時間が始まる。だから早乙女さんは僕との活動になるだろう。
…僕なんかで良いのか!?でも部長が決めたからしょうがない。早乙女さん、僕なんかでごめんなさい。悪気は無いので許してください。

二人で多くの場所の撮影をし、屋上での撮影にとりかかったとき、僕は彼女に花火の写真を渡すのを忘れていたことに気が付いた。
「早乙女さん、これ。昨日の写真なんだけど。一応データはスマホにも送ってあるから時間がある時見てみて」
「良いの!?スマホ見れてない、ごめん。今見ます。…うわぁ、すごい。花火ってすごいね。生で見てみたいなぁ」
「来年、良ければ見に行かない?撮影もあるし。」
「…松乃君だから。」
小さい声で彼女は何か言っているようだった。僕は何のことか分からない。
「松乃くんだから、言う。」
理解できない。それが素直な感想だろう。でも僕は同時に、理解したい、そうとも思った。
彼女はこう言った。

「私、夜になったら、死んじゃうの—。」

僕はなんて言えばいいのかわからなかった。時間が止まったのか、僕の鼓膜が破れたのだろうと思うほどの沈黙。しばらくして説明してくれた。
「私、不治の病って言われる病気なんだ。太陽が沈むのと同じようにだんだん体が透けていくの。それで、完全に暮れると見えなくなっちゃう。周りの声は聞こえる。私も自分では聞こえる。なのに相手には聞こえないし、自分でも見えなくなっちゃうんだ。…そんなの、死んでるよね。生きてるって言わない。私、死んじゃってるんだよ。だから、君の半分しか生きれない。だから私は、花火を生で見たことないし、撮影も同行できないんだ。ごめんね。」
「…なんで。」
「…?」
「なんで謝るの。君は悪くないよね。悪いのは病気でしょ。だから君は悪くないし、一方通行になっちゃったとしてもどちらかの思いが相手に届くなら、生きてるよ。君はずっと、生きてるよ。」
「嬉しい」
彼女は噛み締めるように言ってくれたと思う。
だとしたら、良かった、と思う。
もしも僕の写真で僕に病気のことを言おうと思ってくれたのなら。
良かったと思う。

僕の一枚の花火で、彼女に少しだけでも光を差せたのなら—。
僕は彼女に諦めてほしくない。夜を生きるのを、諦めてほしくない。

だから僕は、ある作戦をたてた。

それを成功させるために、僕は夜空の撮影を河川敷で行いながら何度も声に出して練習をした。

彼女が僕に病気のことを言ってくれた、同じ場所、同じ時間。僕は産まれてから今までこれほど緊張したことはない。先に言っておくが僕は彼女に告白するわけではない。ずっと夜中まで撮影の練習をしながらも練習を重ねた作戦を実行するための緊張。それだけだ。
「松乃くん、撮れた?」
「あのさぁっ!!」
「はい!何でしょうかっ!」
緊張が裏目に出た。僕は今までに出したことのないほどの高音の〝あのさ〟を言ってしまった。情けない。恥ずかしい。
「あの、君。勘違いしてる。みんな夜になると見えなくなるんだよ。」
「へっ…?」
何を言っているんだという目で見つめないで欲しい…。こんな嘘でごめんなさい。でもまだ、ギリギリセーフだよね?気づかれてないよね?自分に言い聞かせ、ペラペラと嘘を並べる。
「だから、何もおかしくない。さすがに声はお互い聞こえるけど、それ以外は全然おかしくないから。安心して。ちゃんと君は夜だって、生きてるよ。」
「本当?」
「そうだよ、医者も多分、声が届かなくなることだけ難病って言ってる。」
「そうだったんだ…。」
どうにか彼女は信じてくれたみたいだった。安堵の息が漏れる。
「じゃあ私、生きてるんだ。ちゃんと、みんなと同じ時間生きてるんだ。」
「うん、だから来年、花火大会行こう」
「うん。楽しみにしてるね」

屋上で交わした不器用にもほどがある嘘と約束。

今思えば、そこで時間が止まればと思う。僕はとにかく不器用で、馬鹿な嘘をついている。
そんな僕を、彼女は許してくれるだろうか—。

「松乃くん、下の名前で呼んでも良い?」
「うん」
「怜瀬くん。良いね。怜瀬くんもほら、下で呼んでよ」
「…桜子…?」
「嬉しい」
僕は言葉にこそしないけど、桜子はこの世で一番桜子に合う名前だと思う。
どこか華やかで、桜のような優しい性格の君に、これ以上無い名前だと思う。

だって君は—。

君は僕の嘘に気づいているよね。

だってみんな見えなくなったらこの世の夜はみんな自分のこと見えなくなっちゃうから。
お互い見えなくなっちゃって、この世には声しか無くなっちゃうもんね―。
そんな夜、過去に一度もなかったよ。

なのに、信じたフリをしてくれたよね。

こんな僕だけど。

同じ部活に入ってくれてありがとう—。

来年の花火大会は君について行くって言ってくれてありがとう—。
朝日が昇るのと同時に、だんだんと私の身体が姿を現す。

『君は生きてる。』

生き始めてるんじゃない、ただ、一回消えちゃった身体が帰ってきただけ。

私は、死んでない。

私は、君の不器用だけど優しい嘘のおかげでそう思えているよ。

私を変えた、真夜中の嘘。

君は真夜中に嘘ついたつもりなんてないと思うけど。

河川敷で練習してるの、聞いちゃった。

どうしても、君の撮影、夜の撮影が見てみたくて。

―ごめんね。

私のために、嘘つく練習、夜まで重ねてくれてたんだね。

でも、嬉しいよ。

部活の仲間に入れてくれて、今年も一緒に花火行こうって言ってくれて。嬉しいよ。

だから、少し早いけど、浴衣…出しちゃった。

浴衣着て消えちゃっても良いよね。

だって。

私は、生きてるんだから—。

君の隣で、また今日も。

写真を撮って、生きてるんだから—。

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