薄暗い空の下を二人で歩く。骨の芯まで響く寒さに身を縮め、肩を寄せ合いながら歩みを進めた。
「一番好きな時間っていつ?」
「まぁ、夜とか」
 右側からの急な問いに答えた。
「なんで?」
「なんとなく」
「あー……」
 数秒の間の後、次は私が訊く。
「逆にいつが好きなん?」
「いやうちは特に無いけど」
「マジか」
 自然と笑いが溢れる。これは私達の中ではお決まりの流れで、ここから話が発展する事も弾む事も無いのだが、なぜか何度も繰り返してしまうものだ。そう、それが心地好い空気感。
 そして私は笑みの下に本音を隠した。

(この時間が一番好き)

 何も考えなくても続く時間。ゆっくりと流れて行く時間。小波みたいに落ち着く時間。少し考えれば分かる明日の時間割を訊いてしまうぐらい、思考が停止していても許される時間。そんな時間が一番好きだ。
 他愛の無い話をする。中身の無い会話をする。合唱曲を歌う。多少会話が噛み合わなくても良い。無言で周囲の音に聴き入っても良い。ある意味雑な空気感が好き。
 こんな本音を隠した。でも口に出す事は無い。その言葉は二人の空気を乱してしまうから。
 どこか居心地が悪く、適当に話題を変えた。
「もう三学期なんですけど。時の流れどうなってる?」
「一年がめっちゃ短い気ぃするわ」
「ね。気分はまだ二年生ではあるよ」
「分かる。……去年もおんなじ話したよね」
「あーしたわ。はぁ、あれからもう一年ですか」
「ちょっと早すぎやしませんか?」
「あっという間に受験生ですよ」
 お互いに「やばすぎ」「やばいね」「一旦やばいか」などとやり取りをした後、隣から「てかうちら語彙力終わってんね」と飛んで来る。全く間違っていないから「それな」と同意を示した。
 すると君は言う。
「やばいよね」
「え、嘘でしょ?」
 その発言によって私達は笑いに包まれた。
「けっきょく、結局言うんだよね」
「流石に現代人がすぎるか」
 笑い過ぎて上手く言葉を発せない。語彙力が……と言う話をしたばかりなのに軽々しく「やばい」と口にする君がどうも面白かった。
 十数秒の笑いの嵐の末、君は「まじでなんも考えて無かった」そんな供述をした。


 そんな調子で歩いていると、あっという間に別れの場所に着いてしまう。
「んじゃ、ばいばーい」
「ばいばい。またねー」
 軽く手を振り背を向けて歩き出す。隣が居なくなると、より寒さが身に染みた。彼女と別れるとどこか心に風穴が空いた気分になる。それだけ彼女は大切な存在で特別な時間なんだ。
 ただの下校。傍から見ればたったそれだけ。
『二人共冷めてるよね』
 そう言われた事だってある。でも私達にとっては温度のある関係。
『何も知らないクセによく言えるわねぇあなたぁ』
 茶化す様な彼女の発言が温かかった。そしてそれが全てだった。
 全てが怖くなった日も、一人で壊れそうだった時も、何も言わずに隣に居てくれたのは彼女だ。否定も肯定もせずいつもの時間を提供してくれた。それがどれだけ嬉しかったか。
 お互いの弱さを背負い背負われ、雑と適当がキーワードの絶妙なバランスで成り立つ私達の仲。互いを蔑ろにしてしまう事もあったし、喧嘩をする事もあった。決して全てが美しいものでは無いかもしれないが、それぐらいが丁度良い。むしろその方が良い。
 残り数ヶ月。高校へ行けば彼女も私もきっと新しい交友関係を持つだろう。どれだけ交友関係が広がっても、私はこんなにも最高な存在とは出会えない気がする。
 しかしどうだろう。未来なんて分からないから、漠然とした不安感を持っている。もしかしたら、とか思ってしまう。でも、私は彼女が一番だと信じていたい。
『小テストどうだった?』『誰にも言えないぐらいには酷いよ』『いや分かる。ムズかったよね』
『犬派? 猫派?』『うさぎ派』『はぁ、やってらんねっ』
『昨日顧問が盛大に転けててさぁ』『詳しく詳しく』『詳しくは知らんけど……』
『鈴木先生可愛くね』『ね。一年生良いなぁ』『待って鈴木違いかも』
『明日映画観に行かね?』『良いよ。なんの映画?』『いや、なんか、テキトーに』
『今日の給食なんだったっけ』『覚えてない』『だよね』
『やべお茶こぼした!!』『ナイス』『ナイスじゃねぇ』
『数学教えてください』『他当たってくれ』『はい……』
『えーもう解散ですか?? さみしいなぁ』『はい。じゃあな』『はー傷付いたわ。またね』
 全て実際に交わした会話。こんなにも雑なのに、全部温かい。書き出してみて分かる。何も考えずにこうやって話す事が出来るのはきっと彼女とだけだ。
 卒業までの月日をどう消化しようか。いつも通りで良い。そんな事は分かっている。でも、この落ち着く時間が後少しで無くなってしまうと考えるとやはりちょっとだけ寂しくて、彼女と長く居たい、と引き止めてしまう。面倒臭い人間でごめんね。今度引き止めてしまった時に謝ろう。
 あれもこれも、彼女に言いたい事が山ほどある。それを卒業までに言いたい。「ありがとう」も「ごめん」も、全部言いたい。ずっと言いたかった。
 
「君と話してる時間が一番好き」
「君が一番最高な友達」

 いつか言ってみたい。恐らく私達を取り巻く気流が少々乱れるだろうけど、冗談では無く、心の底から伝えたい。ただ、多分今じゃない。心の中で何かが片付いたら、純粋に、真正面から言うべき言葉だ。
 そしてもう一つの言えない事。これは、これまでも、これからも、この先ずっと言う事は無いだろう事。

「私は、君が好き」

 likeじゃない、それ。長い日々を過ごす間に、段々と彼女の温かさに、優しさに惹かれていったのだ。別れの時、多少の寂しさで荒れる心を落ち着かせて吐いた『またね』がいつも少しだけ痛かった。
 でもこれだけは絶対に彼女に言わない。誰にも言わない。そう決めてきた。だから冷やして、消えないように、表に出ないように、冷凍保存をしてきた。これからもそう。それは変わらない。
 きっとこれは誰の為でも無い言葉だから。
 私達にはlikeの関係がよく似合うから。
「ただいま」
 鍵を開け、誰も居ない部屋に小さくこぼした。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


「待った?」「めっちゃ待った」「ごめ」
 変わらない下校の時間。いつか言いたい言葉の為に、日々を積み重ねる。
 残りの時間の中で、いつか言えるように何度も何度も繰り返すのは、小波のように静かなチルタイム。