——毎日、毎日、鏡が気になる。
 なんで遠谷さんの言葉で勘違いしちゃったんだろう。私は可愛くないって知ってたのに。勘違いして浮かれた分だけ落差が激しくて、バカな自分を恨んだ。
 悪いのは自分。だって可愛いって言われた言葉が嘘だったのは、偽物の私を受け入れてくれる言葉が嘘だったのは、そっちの方が事実として間違いなかったから。私が可愛くないことが何よりそれを証明していた。
 やっぱり、まだまだ足りない。憧れを追いかけたって、追いつかなきゃ意味がなかったんだ。私の世界がまた元に戻る出来事だった。これが、私の世界だった。

「……陽ちゃん、最近元気ないね」

 放課後になり、周りに人が居なくなったタイミングで紗央里ちゃんが言う。今日はバイトが無いから一緒に帰ろうねと、帰りの準備をしている所だった。

「え? そんなことないよ」
「ううん。なんか、何て言うんだろう。ちょっと前まで陽ちゃん、にこにこ柔らかい感じで楽しそうだったのに、最近ずっとまた険しい顔してるから」
「……また?」
「あ」
「またってどういうこと?」

 言ってしまった、という顔をした紗央里ちゃんについ詰め寄ると、紗央里ちゃんは「あのね、」と、心を決めた様に話し出した。

「陽ちゃんは可愛いよ。可愛いけど、陽ちゃんにとって可愛さは縛りつけられてるものなのかなって思う時があって。だって陽ちゃん、すごく険しい顔で鏡を見てるでしょ? 間違い一つ起こしちゃいけない、みたいな……それだけ本気なんだろうなって思ってたんだけど、そうじゃない、少しだけ緩くなった陽ちゃんも居たよね?」
「……うん」
「私、楽しそうでホッとしてたんだ。陽ちゃんは可愛いって、やっと自分を受け入れられたのかなって。でも最近の陽ちゃんはまたあの頃みたいで……ずっと、辛そう」
「…………」

 辛そう……か。私、ずっとそうだったのかな。私にとって可愛くなることを目指すのは、辛いことなのかな。だからこんなことになってるの?

「陽ちゃんは陽ちゃんだよ。何か思いつめることがあるなら教えて? 話せば楽になるかも」
「……うん。うん、ありがとう」

 紗央里ちゃん、ずっと気づいてたんだ。私が可愛くなりたくて必死なこと。紗央里ちゃんから見て辛そうに感じる程、私は怖い顔して鏡を見てるのかな。そんなこと、誰にも言われたことなかったし、自分では真剣だったから気づかなかった。
 それだけ紗央里ちゃんは私を見てくれていたんだ。今、二人きりの状態でこの話を出してくれた紗央里ちゃんの優しさが心に沁みる。私にとって大事なことだってわかってくれているから、心配してくれているから、今話してくれたんだ。
 ……もう、言っちゃおうかな。学校に入ってから誰にも言ってない、私のメイクのこと。最近起こった私と遠谷さんのこと。
 紗央里ちゃんになら言えるなと感じた。自分の心の中に押し込んだままでいるのも、もう限界だった。

「……私ね、メイク落とすと全然違う顔なの」
「……え?」
「ずっと怖いとか強いとか言われてね、可愛いって言われたくてメイクをするようになったの。上手く出来て嬉しくて、外に出たらクラスの男子に偶然会って、詐欺だって言われたこともあるよ」
「酷い!」
「ね。でもそれだけ変われたんだって考え方を変えたら自分の自信になって、今は元の私の顔を知ってる人が居ないここで楽しくやってた、はずなんだけど。……なんか、そのうちメイクが崩れて可愛くなくなってたらどうしようって、紗央里ちゃんの言う通り縛られてるみたいになって、疲れちゃってたんだ」
「………」

 でも、そんな日々の中で出会えた人が居て。

「……初めて聞いた歌だったの。私の為に作られたの?ってくらい今の私にぴったりで、私の心が全部包まれた感じだった。優しい歌なの。勇気がもらえて新しい世界へ連れて行ってくれるような。私、つい泣いちゃって、その人にぐちゃぐちゃになった顔も全部晒しちゃった」

 『俺の歌聞いて感動して泣いてくれてる女の子が可愛くないわけないよ』

 汚い顔だって言った私に、遠谷さんは言ってくれた。あの言葉は私にとって特別な、初めて真っ直ぐ受け入れられた言葉だった。
 
「それでも可愛いって言ってくれたから、メイクをしてる私も、してない私も、どっちも自分の中で受け入れられるような気がしたんだ。でもこの間、全部嘘だって、俺に騙されてるんだよって言われちゃって」

 彼の声が好きだった。彼の言葉が好きだった。彼が作った歌が好きで、彼自身が好きだって気がついて。全てが今の私を包んで、支えてくれていたのに。

「なんかもう、全部崩れちゃって。私は私でやっぱり可愛くないし、このままじゃやっぱりダメだって気持ちが戻ってきちゃって。なんだか夢から覚めたような気持ち」
「陽ちゃんは可愛いよ!」

 身を乗り出した紗央里ちゃんが真っ直ぐな目で私を見つめる。

「私は陽ちゃんのこと可愛いと思ってるし、陽ちゃんが可愛くなることに真剣に頑張ってる所も尊敬してるよ。でも……でもさ、完璧に可愛くいることってそんなに思い詰めるほど重要なことなのかな」
「!」

 思い詰めるほど重要なことなのかな、だって。

「重要だよ。だって私、可愛くないし」
「可愛いよ。どんなだって陽ちゃんは陽ちゃんだから可愛いよ」
「どんなだって私は私だけど、可愛いのはメイクした偽物の私だよ。私が手を抜いたらすぐに居なくなるよ」
「でも必要以上に頑張って疲れちゃったら意味ないでしょ?」
「それでも必要なの。私は可愛くないから」
「だから陽ちゃんは可愛いって、」
「可愛くない! 紗央里ちゃんにはわからないよ!」

 元から可愛い人は良いよね。だって何もしなくても可愛いから、目が蛇みたいとか、怖いとか、言われたことなんて無いでしょ? 可愛くなって嬉しい気持ちでいる時に、詐欺だって言われたことだってないはずだよ。だってずっと可愛いんだから。

「紗央里ちゃんは可愛いからわからないんだよ。可愛いってありふれた言葉じゃないんだよ。すごく特別な言葉なの。私は努力しないと手に入らない、結局偽物の私にしかもらえない言葉なの!」
「…………」
「どうせ全部偽物なの。メイクした私が可愛くたって本当の私は可愛くないんだから、結局その言葉だって偽物なの! 誰も本当の私になんて言ってくれない!」

 声を荒げる私の前で、紗央里ちゃんは黙っていた。その瞳にグッと力が宿ったかと思うと、彼女は私を見て言った。

「もし私が整形してるって言ったらどうする?」
「……え?」
「私、してるんだ。プチ整形。一重が嫌で嫌で、中学校を卒業したタイミングでしてるの」
「…………」

 驚きのあまり言葉をなくす私に、紗央里ちゃんはにっこり笑ってスマホの画面を差し出した。そこには今より少し目の小さな紗央里ちゃんが映っていた。

「ね? 可愛くないでしょ? 私、陽ちゃんが思ってるより偽物なの」
「…………」
「だから私、陽ちゃんの気持ちがわかるの。ずっと可愛さに囚われて、自分の事が受け入れられない気持ち……だから私、ずっと陽ちゃんのこと尊敬してるんだ」
「……尊敬?」
「うん。だって、私にとって真っ直ぐ自分と向き合って、ずっと努力し続けるのって本当に辛いことだから。でも陽ちゃんは楽しそうにメイクの話してるから、辛さを前向きに捉えて頑張れる人なんだって。諦めない人なんだって、そう思って」
「…………」
「戦い続ける陽ちゃんは素敵だよ。でもね、いつか疲れちゃうんじゃないかって心配で、ずっと陽ちゃんに可愛いよって伝えてきたつもりだったんだけど、私の声は届かなかった?」
「……紗央里ちゃん」

 知らなかった、紗央里ちゃんがそんな風に思ってくれていたなんて。

「外見だってもちろん可愛い。でも、私はその頑張り屋な陽ちゃんも可愛いと思ってる。整形前の私、どうだった?」
「……可愛いよ。目が二重だって、一重だって、紗央里ちゃんはいつも素直で優しくて明るくて可愛い」
「だよね! 陽ちゃんは絶対そう言ってくれると思った!」

 にっこりと、それはとても眩しい笑顔だった。

「陽ちゃんがくれる言葉だから、本当は可愛くない私だって分かってても、こんな私でも可愛いって言ってくれる人が居るって信じられるんだよ。大事なのは言葉そのものじゃなくて、自分がその言葉をどう受け取るかだと思うの。だって私のことどうでもいいって思ってる人に可愛いって言われたって信じられないもん」
「…………」
「私は可愛くなる為に頑張ってきた陽ちゃんのことを信じてる。陽ちゃんの言葉だから心に響くんだよ。いつも真っ直ぐに私を褒めてくれる、そんな優しい陽ちゃんが私は大好きなの」

 紗央里ちゃんの笑顔は、言葉は、私を明るく照らしてくれた。ぐるぐると迷子になっていた私を導いてくれるように。
 そうか。受け取る私の気持ち次第で、言葉は形を変えるんだ。紗央里ちゃんはずっと私のことを可愛いって言ってくれてたのに、メイクをしてるからだって私が勝手に決めつけて、ちゃんと受け取ろうとしてこなかった。紗央里ちゃんはずっとそんな私を信じてくれて、心のこもった言葉をくれていたのに。

「……私も、紗央里ちゃんが大好き。紗央里ちゃんは私の憧れで、きっとずっと変わらないよ。いつもありがとう」

 私、なんてバカだったんだろう。紗央里ちゃんに教えてもらえてよかった。紗央里ちゃんと出会えてよかった。大事な人からもらった言葉には心がこもっているのだと、信じているからその言葉は宝物になるのだと、知ることが出来てよかった。
 信じていたあの時、確かに私にとって彼の言葉は宝物であったから。

「……遠谷さんと話した中にも、心のこもった言葉はあったのかな」
「…………」

 つい彼を思い出してしまいぽつりと呟く。すると紗央里ちゃんはうーんと、一緒に考えてくれる。

「あのさ、その人がどんなつもりで嘘だって言ったのかわからないけど、騙してる人が本人に騙されてるって教える必要あるのかな」
「……私が好きだって言いだしたから、鬱陶しくなったのかなって」
「そんな泣いちゃうくらい優しい歌を作る人が? 泣いてる陽ちゃんに可愛いって言ってくれる人が? そもそも初めからヤバそうな人だったら陽ちゃん察するんじゃない?」
「…………」
「……何か隠してるんじゃないかな」
「……何かって?」
「わかんないけど。でも嘘ってさ、何かを隠す為にするものじゃない? それをわざわざ本人に言うなんて、何か思う所があって言ったのかも」
「…………」

 紗央里ちゃんの言葉に、ハッと自分の中で何かが見えたような気がした。それは私が聞いた初めての曲の中。嘘で塗り固めた自分が重いって。知られたくないから隠すけど、本当はもう受け入れられたいって。これってもしかして、遠谷さんのこと?

「……もしかしたら遠谷さん、見つかってもいいって思ったのかも」
「何を?」
「嘘で隠した本当の自分を。ただ突き放されたんだと思ったけど、それならもっと酷いこと言えたはずだよね? 酷い態度を取ることだって。もしかしたら嘘の裏に、見つけてもいい大事な気持ちがあったのかな」

 嘘の裏には真実がある。彼の優しい言葉の裏にもう一人の彼が居るのなら、私はその彼に会いに行きたい。

「……もう一度、行ってみようかな」
「うん。前を向いて行動する、それでこそ陽ちゃん!」

 「ずっと応援してるよ」と、紗央里ちゃんは笑って手を握ってくれて、私はその温かさに小さく泣いた。泣いてばかりだ、私は。
 いつもそう。あの時、彼の前でもそう。彼がくれた言葉は全部、私を救ってくれた。それが例え嘘だったとしても、あの時彼の言葉を信じて受け入れた私にとって、それは紛れもなく真実だった。あなたを信じたい。あなたが隠した本当の気持ちを知りたい。
 ——でも、嘘で固めた私には、嘘を剥ぎ取る怖さが分かる。真実を話してもらうには、それ相応の覚悟が必要だ。
 ……決めた。これが私の最後のチャンスだ。