ーーー 僕には夢があった。小さい頃からずっと僕の味方でいてくれた存在。高校3年生になった今でも、僕の標準装備となっている存在。

今日もまた、休み時間の度に開いた文庫本に綴られた物語は、絶えない幻想を魅せてくれる。

いつしか僕は、そんな物語達に魅せられて、自ら物語を綴りはじめていた。

インターネットの大海原に漂わせた僕の物語。数少ない訪問者からの評はなく、批評でもいい。何か反応がみたいと思いながらも、いざ批評がきたら、きっと僕は折れてしまうだろうというジレンマと同居した、趣味を抜け出せない夢。

はじめは楽しみだけで始まった物語は、いつしか苦しみに変わっていき、完結にすら届かなかった物語もあった。

そうしてスランプと一丁前と言ってみたりして、少しだけ執筆から距離を空けていた時期に、夏樹との逢瀬が始まった。

「小説!? 読みたい! 読んでみたい! 」

夜の闇が心を惑わしているのか、彼女と出会ってまだ半月過ぎたくらいだと言うのに、誰にも話して来なかったそんな夢すらも、彼女には話す事ができた。

「う~ん。読んでくれるのはありがたいけど………。正直、今まで作り上げてきた作品を読ませるのは………ちょっと、恥ずかしいかも。だからさ、これから新しく書こうと思っている作品があるんだ! それが完成したらさ、読んでくれるかな? 」

当時は意気揚々と書きあげた作品も、自ら読み返してみれば、どこにも引っ掛かるものがなく、あっさりとした印象を持っていた。

それでも、書き続けてきたスキルはある。だからこそ、今、これから綴る物語を、読んでもらえるなら読んで欲しいと、そう願っての言葉だった。

「勿論だよ! わぁ~楽しみだなぁ~。どんな物語なんだろう? ファタジー? ホラー? サスペンス? 」

「そうだね。今、浮かんでいる物語は、青春とは言えない、それでも青春。そんな物語かな」

「おぉ。流石作家さん! 深いこと言うね! 」

どんな言葉でも、どんな話でも、彼女はそうやって笑ってくれた。だからこそ、つらつらと言葉を並べてしまう。今までだったら、浮かんでも形にならなかった言葉も声になった。

「ねぇ。夏樹にはさ。夢はないの? どんな夢でも。笑わないからさ。聞いてみたいな」

何気ない言葉だった。生まれてこのかた、覚えている限りで、人に興味を持つ事はなかったと思う。そんな僕には馴染みの無い言葉だった。それだけできっと、彼女が僕の中で、特別になりかけているという事の証明となる。

「う~ん。夢かぁ。そうだなぁ~」

夏樹は、夏夜空に浮かぶ大三角形を見上げて、柔らかく微笑む。

「普通に大人になって。普通に笑って。普通に泣いて。普通に怒って。そんな普通の幸せを、ただ普通に浪費したい。これが、私の夢かな」

いたってシンプルで、いたってありふれたそんな未来図。それを夢と呼ぶにはきっと貧相すぎるんだと思う。

それでも、その普通がいかに難しい事なのか。生憎、僕はそれを知っている。そして似た者同士の夏樹も。

だからこそ、その夢がどれほど壮大なものか理解することができた。

「素敵な夢だね。うん。とっても素敵な夢だ」

作家を夢見るくせに、気の利いた言葉なんて出てこない。口下手と言ってしまえば楽だが、今の気持ちを伝えるのに、回りくどい言葉を必要としなかっただけなのだと思う。

「あ! まって! もうひとつだけ! 今、もうひとつだけ、思い浮かんじゃった!」

「瞬間的に浮かんだ夢なら、きっと、強く叶えたい夢なんだと思う。だから、聞かせて」

「うん! 夕夜の小説を読みたい! これが、もうひとつの夢になったよ!」

思いがけない言葉に、呆気に取られてしまい、返答が喉の奥で渋滞をおこしている。

「で、でも。そんなの、夢にする程のものじゃないよ」

何とか絞り出した答えは、なんとも後ろ向きなものだった。

「ううん! もしかしたら、夕夜にとってはそうかもしれない。でも、私にとっては、すごく、すっごく、大きな夢なんだ! 夢ってそんなものでしょ? 誰かに分かって貰えない事の方が多い。それでも揺るぎ無い信念を、人は夢と呼ぶ。私はそう思う」

僕よりも作家向きなのではないかと疑うほどのその言葉は、自然なくらいに僕の言葉となった。

きっと僕が心底で秘めていた想い。言葉に出来ず、反抗すらもできず、溜め込んだ鬱憤。

そんな憤りさえも、憂鬱さえも、今僕なら夢と呼ぶ事が出きる気がした。