ーーー 夕食を久しぶりにダイニングで済ませると、僕は足早に家を後にした。

出掛け際に、「ありがとう」と父さんに伝えると、父さんは笑って、「行ってこい」と背中を押してくれた。その言葉だけで、これほど心強いとは思わなかった。

その父さんの言葉をお守りとして、全ての始まったあの場所へと向かう。

僕が、いつもの場所へと辿り着くと、そこには冬樹の姿はなく、小さなテントと、毛布やらの暖房グッズが置かれていて、夏樹との、冬樹との名残を感じる。

まだ、ほんの少し前の出来事だというのに、随分と昔に感じてしまう。それほどに、密度の濃い時間を過ごしてきたということだろう。

そんな感傷に浸っていた僕の耳に、駆け寄る足音が聞こえてきた時、僕の心臓は小躍りしそうなくらいに、脈を打ち始める。

最後に茂みを掻き分け現れた小さな影。その影はスピードを緩めることなく、僕に向かって駆け寄ってくる。

「夕夜!!」

「冬樹………って、うわぁ!」

その刹那、冬樹は僕の胸に飛び込むようにして、背中に手を回した。

「良かった。もう、会えないと思ってた。良かった。本当に」

涙声で、強く抱き締められ、伝わる温もりに心地よさを感じる。

「冬樹。ごめん。あの時、酷い事ばかり言って。でも、冬樹は、大切なお姉さんが、苦しんでいる姿を見ていながら、僕に、変わらずに接してくれて、父さんとの関係を、修復するきっかけもくれて。大袈裟じゃなく、僕の人生を変えてくれた。ありがとう。本当にありがとう。冬樹が居てくれて……良かった」

僕は、浮かんだ言葉をつらつらと並べて、充分に伝わらない感情を、強く抱き締め返す事で伝えた。

互いにそれ以上に言葉を交わすことなく、互いの体温に身を捧げて、傷を塞ぐようにして、心臓の音を交換する。

そんな永遠にも感じる時間を超えて、僕らはいつもの場所に、横並びに腰かけ、肩を寄せあい、毛布にくるまった。

「実はね。お姉ちゃんと、夕夜が会っている時に、私もこっそりとついてきて、後ろの木陰で、2人の話を盗み聞いてたんだよ」

「え!? 噓! 絶対、恥ずかしい会話とかしてたよね? 」

 そういえば、たまに、風もないのに茂みが揺れた事もあった気がする。

「ううん。そんなことないよ。どれも、夕夜らしくて、私は。きっとお姉ちゃんも、夕夜との会話は好きだったよ」

「そ、そうか。それなら、いいんだけど」

「それとね。あの日、急に小説を読ませて、なんて言っちゃって、ごめんね。実は、お姉ちゃんの容態が更に悪化して、最悪を考えたら、居てもたっても居られなくなって」

そういう事だったのか。つまり、夏樹に読ませるために。

「じゃあ、夏樹は、読んでくれたんだね」

「うん。とても幸せそうだった。読み終わった後に、スマートフォンを抱き締めたりして。それはそうだよね。大好きな人からもらった、ラブレターだもん。嬉しくないはずはないよ」

「え? そ、そうなんだ。そうか。そう、思ってくれてたんだ」

胸の辺りが熱くなる感覚。よく、耳にした言葉だが、今ならよく分かる気がする。

「うん。絶対にそう。姉妹だもん分かるよ。お姉ちゃんも、夕夜のこと、好きだったよ。間違いなく」

「そうか。ありがとう。教えてくれて………ん? お姉ちゃんも? 」

「え? 私、そんなこと言った!? いやいや、言葉の誤かな? うんうん。深い意味はないんだよ! 本当に! 」

冬樹の体温が、また一段階高くなった事は、触れるくらい近くにいるのだからお見通しだ。

「そうか。ありがとう」

「え!? だから、何!? 何の事!?」

分かりやすく、動作や顔に出るものだから、思わず吹き出してしまう。

それに拗ねたように、毛布を引っ張り一人占めしようとする冬樹に、「ごめんって」と謝りつつも、毛布なんて必要ないくらい、心は温もっていた。

ーーーー 6年後。

僕は、冬樹と共に、花村家と書かれた墓石の前にしゃがみ座りをしていた。

「夏樹。来月、籍を入れる事になったんだ」

ちらりと、横に並び座る冬樹と視線を合わせて微笑みあう。

「良かったねお姉ちゃん。新しい家族が増えるよ!義弟(おとうと)と、それから、姪っ子も! 名前はもう決まっているの! 陽葵(ひまり)。お姉ちゃんのように、明るく、真っ直ぐで、周りの人を照らしてくれる。そんな人になって欲しいんだ」

夏の陽射しが、墓石を照して、水に濡れて輝きを放っている。それは、いつか月明かりに照された、夏の終わりに咲いた向日葵のようで、初恋の人の微笑みを思い出す。

「よし!お姉ちゃんにも報告できたし、戻ろうか! 夕夜!」

そんな初恋の人に良く似た声で、良く似た笑顔で笑う、それでも、同じではない僕の大切な人。

僕はもう二度と見過ごさない。精一杯生きた先で後悔できるように、生きてみようと思う。