ーーーー 君と初めて出会ったのは、夏の暑さがまだ残る、それでいて、肌を撫でる風は爽やかで、繊細に心を揺るがすそんな月夜だった。

早くに母を亡くし、父との二人暮らしの日常は、不自由とは言わなくても、とても窮屈に思えた。

誰もが僕を、可哀想な子と哀れんでは、腫れ物を扱うかのように接してくる。そんな息苦しい日常から僕を救ってくれるのは、小さな山の小道を抜けた先にある、文明の入り込む余地のない世界。

そこでは、風が揺らした木々と、虫達の声のオーケストラが鳴り響き、僕だけを照らしているかのように降り注ぐ、月明かりが幻想的な、僕しか知らない秘密の楽園だった。

絵画に溶け込むように、感傷に浸るこの時間に訪れた、君との出会いは、どこまでも純粋で、どこまでも奇跡めいていて、ドラマチックに思えた。

「蚊に刺されないようにね」

そう君は夏に似つかわしくない長袖姿で現れて、スキップをするように歩く君を不思議な子と思った。

「こんにちは。ううん。こんばんわかな? 私、夏樹(なつき)。春夏秋冬の夏に、樹木の樹で夏樹。この季節にピッタリな名前でしょ? 」

某、鬼電を繰り返し、徐々に近づいてくる都市伝説のような突然の自己紹介に、人と接する事の苦手な僕は言葉を発することは出来なかった。

「ねぇ? 唖然として私を見つめる君の名前は? 」

「あ、えっと。僕は………夕夜(ゆうや)。夕焼けの夕に、夜で夕夜」

「夕夜………か。うん。この時間にピッタリな名前だね! 」

黒く艶やかに腰まで伸びた神を、月明かりが照らす度に、ガラス細工のように輝きを纏って見える。

そのくしゃっと目皺を作った笑顔も、僕にはないもので、新鮮で、尊く、羨ましく、あっという間に虜になった事を覚えている。

「それで、夕刻過ぎて、あっという間に黒い帳の下りたこんな時間に、夕夜くんは何をしているのかな? 」

「それを言ったら、夏樹さんだって。こんな人気の無い場所に、たった1人で」

「まぁ、そうだよね。そういう反応になるよね」

夏樹は、羽根のように手を広げながら、木々をくり抜いてできた小さなステージを踊るように優雅に歩く。

「私はね。窮屈な生活から逃げ出すために、ここに来たの。本当に、たまたまね。このお山に、こんな拓けた場所があるなんて思わなかった」

窮屈な生活。その言葉には僕も心当たりがあった。

「なんだ。君もか。僕も同じだよ。窮屈な日常から逃げ出すために、ここに通っているんだ。生憎、僕には、こんな夜に家を抜け出しても、心配するような人はいないしね」

そんな僕の言葉に同情したのか、夏樹はゆらりと僕に歩み寄ると、無邪気な笑みを浮かべる。

「私達は似た者同士だ! 世界から見放された、ならばここは、2人だけの、小さな世界だ! 」

両手を広げた夏樹は、今にも空へ昇りそうなほど、壮大な羽根を広げているように見えた。

その日から始まった。僕たちの、僕たちだけの夜の逢瀬は、小さな世界で収まるものではなくなると、その時の僕には思いもよらなかった。