「フミちゃん!」
三枝文が目の前に立っている。
「あらっ、立花先輩? 偶然ね!」
文は、さもわざとらしく驚いた表情をこちらに向けた。
「な、なんで?」
健祐は口を半開きに目を見開いた。
「せっかくの休日ですもの、先輩の古里って……まさか、ここだった?」
大仰な表情とは裏腹に文の目は笑っている。「先輩、口、開いてますよ」
健祐は思わず口を閉じ、顎を軽くさする。
「フミちゃん……」
「先輩、ゴメンなさい。来ちゃった」
文は肩を竦めながら舌を出した。「邪魔しに来たんじゃないのよ。見届けようと思って、二人の愛の行方を」
「まいったなあ」
健祐は右手の人差し指で首筋を掻きながら左に大きく首を回し、視線を外すと、一旦渋い表情をこしらえる。また視線を戻して文をうかがうと、上目遣いに悪戯っぽく笑っている。
「心配しないで。先輩が章乃さんと無事再会できたら、帰りますから」
「どうしようか?」
「あら、気にしないで、私は勝手にやりますから」
「そうはいかないだろう」
「先輩、ちょっといい?」
「なに?」
「お腹ペコペコ。今朝からなんにも……」
文は自分の腹をさすって見せた。「あのオハギ、美味しそうだったわね……」
「あっ、そうだよ。なんで断ったりしたの?」
「だって悪いもん。せっかく、あのお婆さんが、先輩にって。先輩だって朝食抜きのくせに」
「なんで分かる?」
「必死に食べてたもん。すごい顔で」
文が大きく口を開け、健祐の食べる仕種を真似したので、ばつの悪さに目線だけ天を仰ぎながら苦笑した。
「どこから乗ったの?」
「最初から。駅で切符買って待ってたの。そしたら、先輩見つけたんで、急いであとを追ったってわけ」
「呆れたな。声かけてくれればいいのに」
「えへっ」
文はまた舌を出しておどけた。
「ところで、その格好……」
健祐は文をまじまじと見た。
「そんなに素敵?」
文は腰に手を当て、気取ってポーズを決める。
「ああ、素敵だよ」
健祐が真顔で大きく頷くと、文は顔を赤らめる。
「先輩、そんなお世辞言わなくていいわよ」
「本当に素敵だよ。初めて見るね。いつもスーツか作業着姿だけだから。髪、そんなに長かったんだね」
「惚れ直した?」
文はいきなり大股で近づいた。目の前に立ち塞がると、爪先立ちで顔を寄せ、上目遣いに健祐を見つめる。
その行為にどぎまぎした健祐は、あまりにも近い文の顔から逃れようと上体を反らせながら一歩後ずさった。
「冗談よ。うぶね、先輩」
文もじわりと後ずさり、片手で口を塞いでクスッと笑う。
「悪趣味め」
「それよりなにか食べない? 先輩もオハギだけじゃ物足りないでしょ?」
「分かった、分かった。大食いの文ちゃんにつき合うよ」
「大食い! 私が?」
「そうじゃなかった? てっきり、そうだと……」
「ひどい! だけど休戦ね。もうダメ」
「あそこの食堂に入ろう」
健祐は文を『駅前食堂』に誘った。
*
暖簾をくぐり店内に入ると、左手の奥に厨房があり、その手前のカウンター席には丸椅子が三脚置かれていた。それ以外は四人掛けの長方形のテーブルが四脚あるだけだ。一階が店舗で、二階が住居になっている。
二人はカウンターに近い、窓際のテーブルに健祐が窓を背に、向かい合って座った。
ほかに客はいなかった。
厨房の奥の小部屋から、高校生くらいの娘が姿を見せた。向かいのテーブルの食器を片づけに来たらしいが、二人に気づくと、慌てて厨房に入った。水差しからコップに水を注ぎ、丸盆に載せる。それを健祐たちのテーブルまで運んで、丁寧に二人の前に置いた。
「いらっしゃいませ。なにになさいますか?」
「フミちゃん、なににする?」
「先輩は?」
「チャーハン」
「同じでいいわ」
「じゃあ、チャーハン二つね」
「はい、分かりました。ちょっとお待ちください」
「ねえ、君、ここの娘さん?」
「いいえ、私、親戚なんです」
若々しい張りのある声が、健祐の耳に心地よく響いた。
「そう。ここ、誰がやってるの?」
「お婆ちゃんなんです。今、呼んできます」
娘は急いで奥の小部屋へ戻って行った。奥から娘の元気のいい声が漏れてくる。「お婆ちゃん、お客さんよ。チャーハン二つ。早くーっ」
「お婆ちゃん、元気なんだ」
しばらくして、白髪混じりの小太りの老婆が厨房に顔を出した。カウンター越しに愛想のいい笑顔を二人に向ける。
「いらっしゃいませ。チャーハンでしたね。直ぐに」
「お婆ちゃん! 元気だったんだね」
健祐は思わず立ち上がると、老婆の前まで歩み寄った。「お婆ちゃん、変わってないね」
「あれっ、どちらさんですかね?」
「僕だよ、健祐。ほら、昔、アヤちゃんとよく来ただろう」
「ケンスケ……さん? アヤちゃん?」
老婆はいっとき健祐の顔を見つめると、視線を泳がせる。
「そうだよ、立花健祐。健ちゃんだよ!」
老婆は黙って健祐の顔を凝視する。
「えっ! あんた、健ちゃんかい?」
目を激しく瞬き、老婆は叫びながら厨房を出て、健祐の元へ近づいた。「本当に、健ちゃん?」
「久しぶりだね」
「まあ、健ちゃんだよ。面影あるよ。立派になったねえ」
突然明るい表情になった老婆は、両手で健祐の左手を取ると、握り締めた。涙ぐんでいる。
「ご無沙汰しちゃって……」
「なん年振りかねえ……いくつになったね?」
「二十七だよ。十二年振りだね」
「そうかい、そんなになるかねえ……」
しみじみとした口調だ。
「お婆ちゃん、随分若いねえ。若返ったみたいだ」
「なーに言ってんのさ。私は、おばさんだよ」
「おばさん……なの?」
「そうだよ」
「そっくりじゃないか。お婆ちゃんは、元気?」
「それがね、死んじゃったよ。丸六年さ。こないだ七回忌を済ませたばかりだよ」
「そうだったの……」
健祐は肩を落とした。「もう一度会いたかったよ」
「お婆ちゃんも会いたがってたよ。生きてたら、どんなに喜んだか」
老婆はしみじみとした口調で涙を零しながら健祐の手をさすってくれた。
「あとでお線香あげさせてくれる?」
健祐は目の前の老婆と面影を重ねたまま故人をしばらく偲んだのち、口を開いた。
「ああ、いいとも。お婆ちゃん喜ぶよ」
老婆は文を見た。「健ちゃんのお嫁さんかい?」
「私、会社の後輩なんです。三枝文と申します。よろしくお願いします」
文は不意な言葉に少し顔を赤らめながら立ち上がると、お辞儀をした。
「まあ、立派なもんだねえ。私みたいな年寄りに」
「なに言ってるの。年寄りだなんて」
「ありがとね、健ちゃん。でも、もういけないよ、わたしゃ。ところで、健ちゃんは、まだ独身かい?」
「そうなんだ」
「早く、お嫁さんにしてあげなきゃ。何れ一緒になるんだろ、このお嬢さんと?」
健祐は、首筋を掻いた。
文はまた一層顔を赤らめながら静かに口を開く。
「違うんです。私、先輩の婚約者じゃないんですよ。先輩のお仕事のお供でついて来ただけなんです」
「そうでしたか。わたしゃ、てっきり……お嬢さんごめんなさいね」
文は老婆に笑顔を向けると、首を横に振る。
「おばさん。それより、僕たち腹ペコなんだけど」
「ああ、ごめんね。すっかり話し込んで……あんまり嬉しくってねえ」
老婆は健祐の腕をさすりながら笑った。「チャーハンでいいのかい?」
「ここのチャーハンが一番さ」
「ありがとね。待ってておくれ、直ぐに作ってあげるから」
老婆は厨房に入ると、作業に取りかかった。手際のいい慣れた手つきでたちまち作業を終えると、小高くこんもりとした丘陵のような形に整えられ、盛られたチャーハンの皿が二人の前に並んだ。
早速レンゲで丘を崩しながら口まですくい上げる。
健祐は久しぶりの懐かしい味に舌鼓を打つと、レンゲを置き、コップの水を一気に飲み干した。
「ああ、ごちそうさま。おばさん、美味しかったよ」
文も余程の空腹だったと見えて、少し多めに盛ってくれたチャーハンを平らげようとしていた。しばらくして、健祐のあとから文も食べ終え、両手を合わせた。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったわ」
「二人ともありがとね。まだ、なにかいるかい?」
「いや、もう大満足だよ」
「私も、お腹いっぱい」
文は自分と健祐の食器を重ねて立ち上がり、カウンター越しに老婆に手渡した。
「まあ、お嬢さん、そんなことまで……いいからゆっくりしといでよ。気が利くお嬢さんだね」
老婆は申し訳なさそうな表情を見せ、食器を流しの中に浸け込むと、厨房を出て文の隣の椅子に腰かけた。「可愛いお嬢さんだねえ。この方を見てると、アヤちゃんを思い出すよ」
「おばさん、アヤちゃんは……」
健祐は老婆の方へゆっくりと視線を向ける。
「そうだねえ、残念だよ……今日、健ちゃんに会いたかったろうねえ」
老婆は一旦健祐に顔を向けて頷くと、また文を見ながら懐かしそうに章乃のことを語り始めた。「健ちゃんがここを出てった日のことは、忘れられないよ。アヤちゃん、健ちゃんを見送ったあともずっと泣き通しでね。ホームに座り込んでさ、動こうとしなかったらしいんだよ。お母さんが、やっとのことでこの店に連れて来てねえ。どうにかなるんじゃないかと、私らも心配でさ。泣いて、泣いてねえ。可哀想なくらいだった。ほら、アヤちゃん、心臓の持病があっただろう。本人から、随分よくなったって聞いてたけど、場所が場所だからねえ、お母さんもそれを心配してさ。私も、お婆ちゃんも、皆でアヤちゃんを、どうにかこうにか宥め賺して帰したんだけど……。見てられなかったよ。今でもあのときのことを思うと涙が出るよ」
今の話を初めて聞いた健祐の胸は、張り裂けんばかりに章乃への思いで膨らんでいた。
三枝文が目の前に立っている。
「あらっ、立花先輩? 偶然ね!」
文は、さもわざとらしく驚いた表情をこちらに向けた。
「な、なんで?」
健祐は口を半開きに目を見開いた。
「せっかくの休日ですもの、先輩の古里って……まさか、ここだった?」
大仰な表情とは裏腹に文の目は笑っている。「先輩、口、開いてますよ」
健祐は思わず口を閉じ、顎を軽くさする。
「フミちゃん……」
「先輩、ゴメンなさい。来ちゃった」
文は肩を竦めながら舌を出した。「邪魔しに来たんじゃないのよ。見届けようと思って、二人の愛の行方を」
「まいったなあ」
健祐は右手の人差し指で首筋を掻きながら左に大きく首を回し、視線を外すと、一旦渋い表情をこしらえる。また視線を戻して文をうかがうと、上目遣いに悪戯っぽく笑っている。
「心配しないで。先輩が章乃さんと無事再会できたら、帰りますから」
「どうしようか?」
「あら、気にしないで、私は勝手にやりますから」
「そうはいかないだろう」
「先輩、ちょっといい?」
「なに?」
「お腹ペコペコ。今朝からなんにも……」
文は自分の腹をさすって見せた。「あのオハギ、美味しそうだったわね……」
「あっ、そうだよ。なんで断ったりしたの?」
「だって悪いもん。せっかく、あのお婆さんが、先輩にって。先輩だって朝食抜きのくせに」
「なんで分かる?」
「必死に食べてたもん。すごい顔で」
文が大きく口を開け、健祐の食べる仕種を真似したので、ばつの悪さに目線だけ天を仰ぎながら苦笑した。
「どこから乗ったの?」
「最初から。駅で切符買って待ってたの。そしたら、先輩見つけたんで、急いであとを追ったってわけ」
「呆れたな。声かけてくれればいいのに」
「えへっ」
文はまた舌を出しておどけた。
「ところで、その格好……」
健祐は文をまじまじと見た。
「そんなに素敵?」
文は腰に手を当て、気取ってポーズを決める。
「ああ、素敵だよ」
健祐が真顔で大きく頷くと、文は顔を赤らめる。
「先輩、そんなお世辞言わなくていいわよ」
「本当に素敵だよ。初めて見るね。いつもスーツか作業着姿だけだから。髪、そんなに長かったんだね」
「惚れ直した?」
文はいきなり大股で近づいた。目の前に立ち塞がると、爪先立ちで顔を寄せ、上目遣いに健祐を見つめる。
その行為にどぎまぎした健祐は、あまりにも近い文の顔から逃れようと上体を反らせながら一歩後ずさった。
「冗談よ。うぶね、先輩」
文もじわりと後ずさり、片手で口を塞いでクスッと笑う。
「悪趣味め」
「それよりなにか食べない? 先輩もオハギだけじゃ物足りないでしょ?」
「分かった、分かった。大食いの文ちゃんにつき合うよ」
「大食い! 私が?」
「そうじゃなかった? てっきり、そうだと……」
「ひどい! だけど休戦ね。もうダメ」
「あそこの食堂に入ろう」
健祐は文を『駅前食堂』に誘った。
*
暖簾をくぐり店内に入ると、左手の奥に厨房があり、その手前のカウンター席には丸椅子が三脚置かれていた。それ以外は四人掛けの長方形のテーブルが四脚あるだけだ。一階が店舗で、二階が住居になっている。
二人はカウンターに近い、窓際のテーブルに健祐が窓を背に、向かい合って座った。
ほかに客はいなかった。
厨房の奥の小部屋から、高校生くらいの娘が姿を見せた。向かいのテーブルの食器を片づけに来たらしいが、二人に気づくと、慌てて厨房に入った。水差しからコップに水を注ぎ、丸盆に載せる。それを健祐たちのテーブルまで運んで、丁寧に二人の前に置いた。
「いらっしゃいませ。なにになさいますか?」
「フミちゃん、なににする?」
「先輩は?」
「チャーハン」
「同じでいいわ」
「じゃあ、チャーハン二つね」
「はい、分かりました。ちょっとお待ちください」
「ねえ、君、ここの娘さん?」
「いいえ、私、親戚なんです」
若々しい張りのある声が、健祐の耳に心地よく響いた。
「そう。ここ、誰がやってるの?」
「お婆ちゃんなんです。今、呼んできます」
娘は急いで奥の小部屋へ戻って行った。奥から娘の元気のいい声が漏れてくる。「お婆ちゃん、お客さんよ。チャーハン二つ。早くーっ」
「お婆ちゃん、元気なんだ」
しばらくして、白髪混じりの小太りの老婆が厨房に顔を出した。カウンター越しに愛想のいい笑顔を二人に向ける。
「いらっしゃいませ。チャーハンでしたね。直ぐに」
「お婆ちゃん! 元気だったんだね」
健祐は思わず立ち上がると、老婆の前まで歩み寄った。「お婆ちゃん、変わってないね」
「あれっ、どちらさんですかね?」
「僕だよ、健祐。ほら、昔、アヤちゃんとよく来ただろう」
「ケンスケ……さん? アヤちゃん?」
老婆はいっとき健祐の顔を見つめると、視線を泳がせる。
「そうだよ、立花健祐。健ちゃんだよ!」
老婆は黙って健祐の顔を凝視する。
「えっ! あんた、健ちゃんかい?」
目を激しく瞬き、老婆は叫びながら厨房を出て、健祐の元へ近づいた。「本当に、健ちゃん?」
「久しぶりだね」
「まあ、健ちゃんだよ。面影あるよ。立派になったねえ」
突然明るい表情になった老婆は、両手で健祐の左手を取ると、握り締めた。涙ぐんでいる。
「ご無沙汰しちゃって……」
「なん年振りかねえ……いくつになったね?」
「二十七だよ。十二年振りだね」
「そうかい、そんなになるかねえ……」
しみじみとした口調だ。
「お婆ちゃん、随分若いねえ。若返ったみたいだ」
「なーに言ってんのさ。私は、おばさんだよ」
「おばさん……なの?」
「そうだよ」
「そっくりじゃないか。お婆ちゃんは、元気?」
「それがね、死んじゃったよ。丸六年さ。こないだ七回忌を済ませたばかりだよ」
「そうだったの……」
健祐は肩を落とした。「もう一度会いたかったよ」
「お婆ちゃんも会いたがってたよ。生きてたら、どんなに喜んだか」
老婆はしみじみとした口調で涙を零しながら健祐の手をさすってくれた。
「あとでお線香あげさせてくれる?」
健祐は目の前の老婆と面影を重ねたまま故人をしばらく偲んだのち、口を開いた。
「ああ、いいとも。お婆ちゃん喜ぶよ」
老婆は文を見た。「健ちゃんのお嫁さんかい?」
「私、会社の後輩なんです。三枝文と申します。よろしくお願いします」
文は不意な言葉に少し顔を赤らめながら立ち上がると、お辞儀をした。
「まあ、立派なもんだねえ。私みたいな年寄りに」
「なに言ってるの。年寄りだなんて」
「ありがとね、健ちゃん。でも、もういけないよ、わたしゃ。ところで、健ちゃんは、まだ独身かい?」
「そうなんだ」
「早く、お嫁さんにしてあげなきゃ。何れ一緒になるんだろ、このお嬢さんと?」
健祐は、首筋を掻いた。
文はまた一層顔を赤らめながら静かに口を開く。
「違うんです。私、先輩の婚約者じゃないんですよ。先輩のお仕事のお供でついて来ただけなんです」
「そうでしたか。わたしゃ、てっきり……お嬢さんごめんなさいね」
文は老婆に笑顔を向けると、首を横に振る。
「おばさん。それより、僕たち腹ペコなんだけど」
「ああ、ごめんね。すっかり話し込んで……あんまり嬉しくってねえ」
老婆は健祐の腕をさすりながら笑った。「チャーハンでいいのかい?」
「ここのチャーハンが一番さ」
「ありがとね。待ってておくれ、直ぐに作ってあげるから」
老婆は厨房に入ると、作業に取りかかった。手際のいい慣れた手つきでたちまち作業を終えると、小高くこんもりとした丘陵のような形に整えられ、盛られたチャーハンの皿が二人の前に並んだ。
早速レンゲで丘を崩しながら口まですくい上げる。
健祐は久しぶりの懐かしい味に舌鼓を打つと、レンゲを置き、コップの水を一気に飲み干した。
「ああ、ごちそうさま。おばさん、美味しかったよ」
文も余程の空腹だったと見えて、少し多めに盛ってくれたチャーハンを平らげようとしていた。しばらくして、健祐のあとから文も食べ終え、両手を合わせた。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったわ」
「二人ともありがとね。まだ、なにかいるかい?」
「いや、もう大満足だよ」
「私も、お腹いっぱい」
文は自分と健祐の食器を重ねて立ち上がり、カウンター越しに老婆に手渡した。
「まあ、お嬢さん、そんなことまで……いいからゆっくりしといでよ。気が利くお嬢さんだね」
老婆は申し訳なさそうな表情を見せ、食器を流しの中に浸け込むと、厨房を出て文の隣の椅子に腰かけた。「可愛いお嬢さんだねえ。この方を見てると、アヤちゃんを思い出すよ」
「おばさん、アヤちゃんは……」
健祐は老婆の方へゆっくりと視線を向ける。
「そうだねえ、残念だよ……今日、健ちゃんに会いたかったろうねえ」
老婆は一旦健祐に顔を向けて頷くと、また文を見ながら懐かしそうに章乃のことを語り始めた。「健ちゃんがここを出てった日のことは、忘れられないよ。アヤちゃん、健ちゃんを見送ったあともずっと泣き通しでね。ホームに座り込んでさ、動こうとしなかったらしいんだよ。お母さんが、やっとのことでこの店に連れて来てねえ。どうにかなるんじゃないかと、私らも心配でさ。泣いて、泣いてねえ。可哀想なくらいだった。ほら、アヤちゃん、心臓の持病があっただろう。本人から、随分よくなったって聞いてたけど、場所が場所だからねえ、お母さんもそれを心配してさ。私も、お婆ちゃんも、皆でアヤちゃんを、どうにかこうにか宥め賺して帰したんだけど……。見てられなかったよ。今でもあのときのことを思うと涙が出るよ」
今の話を初めて聞いた健祐の胸は、張り裂けんばかりに章乃への思いで膨らんでいた。