自分という一個人は一つの人格で成り立っているのだろうか。
ルネは頭の中でいくつもの自分の声が交錯するのに疲弊していた。
「私はウィリアムをどう思っている?」
「友人だろう」
「ではどうしてあのときドイにしたようにできなかった」
「羞恥?」
「あんなに狼狽えて」
「あれはウィリアムが怒鳴るから」
「恐かった?」
「驚いた。それから……」
コンコン。
目の前の机を叩かれてルネは我に返った。
「思考の邪魔してごめんよ。少し話があるんだけど、いいかな?」
目の前にポールの顔があった。
ルネが頷くとポールは目の前の椅子に腰を下ろした。
「昼食取らないのか?」
「今は食欲がないから」
「そっか」
「何か?」
ルネはすぐに本題を切り出そうとしないポールを促した。
「いや、ウィルと君、最近目も合わせないだろ。喧嘩したのかなあって」
「私はしてない」
「そうか。いや、このあいだの昼休みに君、ウィルに話があるって連れ出しただろ?」
「ああ」
先日、別棟の手洗い場でのウィリアムとのやり取りを思い出してルネは複雑な思いで頷いた。
「あのあと戻ってきたウィル、これまで見たことないくらいに沈んでたんだよ」
それをきいてルネは思わずまじまじとポールの顔を見た。
ポールはその反応に戸惑ったように苦笑いを浮かべた。
「それが知りたくて君にきいたんだけど。その日からずっとそんな感じだから心配になってさ」
「なぜだ!? 怒ったのは向こうのほうだ」
ルネは困惑して思わず声を上げた。
「ウィリアムは今どこに?」
「少し前に本校舎の方に行ったよ。場所はわからないけど」
それをきいてルネは急いで席を立った。
本校舎は一階に講堂や医務室、事務室などがあり、ルネはまず講堂の中を探した。
しかし中には誰の姿もなく、今度は階段を上がってひとつひとつの教室を見てまわったがどこにもウィリアムの姿は見えなかった。
引き返して階段を降りてもう一度講堂のドアを開いた。
そして中に入って前方のアーチの壁の前に行った。
ルネはそこで両手を組み合わせて目を閉じ、黙祷をしてから前列の長椅子に腰を下ろした。
「いったいどこにいるんだ。私は何かしたのか?」
そう声に出してルネは左右に首を振った。
「あんなに怒鳴って、ウィリアムって意外と短気だな」
その時だった。
真後ろでギイと椅子の軋む音がしてルネの心臓はとびあがった。
ゆっくりと後ろを振り向くと一つ列をまたいだすぐ目の前から人が起き上がった。
「君、ひとりごと言うんだな」
「ウィリアム!」
「短気でごめん」
ルネは返す言葉が見つからず閉口していたが、ようやく一つ尋ねた。
「……寝てたのか?」
「夜あまり眠れなくて」
「出ていくよ」
「僕を探してるみたいだったけど」
ルネははっとして息を吸い込んだ。
「どうして君が落ち込むんだ? このあいだのことなら君が私を拒否したんじゃないか」
「どうしてそうなる」
ウィリアムが頭をふるふると振って立ちあがった。
「拒否されたのは僕の方だ」
「違う。君が私を友人でないと言って去っていったのに」
二人は眉間にしわを寄せたまま見つめ合った。
「「どういうこと?」」
ウィリアムがルネの方へ近づいてきた。
「まず、ひとつずつ確認していこう。ルネにとって唇にキスをするとはどういうこと?」
「恋人同士、夫婦のあいだでの愛情表現」
「じゃあ僕が君にしたことは?」
「友人としての親愛、だと思っていた。でも違うんだろう?」
「どうしてそうなる? はじめに答えたものはなに?」
困惑したようにウィリアムが両手のひらを上げた。
「それは私と君には当てはまらない」
「どうして!?」
「だって、ありえない。性別もはっきりしない、病気も欠陥もある私に誰もそんな感情なんて持てるわけがないだろう?」
ルネがそう言うとウィリアムはこめかみを押さえて首を振った。
そして辛そうに眉を寄せた。
「それは君が勝手に思いこんでいるだけだ。自分のことをそんなふうに思わないで。そして僕の気持ちを否定しないでくれ」
自分をまっすぐに見つめる瞳はルネがこれまで見つけた他者のどの色とも違って見えた。目の奥が熱を持つのを感じて唇を噛みしめると、一度目を閉じた。
「じゃあ、もっと明確に言葉で伝えてくれ。君は行動では示しただろうけど、君は私に何も言ってくれていないじゃないか。言ってくれないとわからない」
そう言って目を開くとひと粒の雫が頬を伝っていくのがわかった。
「わかった」
そう言ってウィリアムが一呼吸置いた。
「性別、病気のあるなし、そんな理由で君を愛せない僕がいたらどんなに淋しくて悲しいだろう。もしそんな自分がいたら僕は不幸だ」
そしてウィリアムはまっすぐにルネを見つめた。
「つまり、僕は君が好きで、すごく幸福だ」
それから少し眉を下げて微笑んだ。
「伝わった?」
ルネはその問いかけに答えることができず、代りに頷いた。
「次は君の番だよ。僕には言葉はいい。代わりに示してくれればそれで」
「……どうしたら?」
ウィリアムは手を差し出した。
「世界を知りたくないか、君の世界の外を」
ルネは伸ばされた手をじっと見つめた。
「これは君の新しい世界を知るチャンスだよ」
ルネはその手を通り越して飛び込んだ。
ウィリアムの心臓は音を立てていた。
その音は自身と重なるようだった。
ルネは頭の中でいくつもの自分の声が交錯するのに疲弊していた。
「私はウィリアムをどう思っている?」
「友人だろう」
「ではどうしてあのときドイにしたようにできなかった」
「羞恥?」
「あんなに狼狽えて」
「あれはウィリアムが怒鳴るから」
「恐かった?」
「驚いた。それから……」
コンコン。
目の前の机を叩かれてルネは我に返った。
「思考の邪魔してごめんよ。少し話があるんだけど、いいかな?」
目の前にポールの顔があった。
ルネが頷くとポールは目の前の椅子に腰を下ろした。
「昼食取らないのか?」
「今は食欲がないから」
「そっか」
「何か?」
ルネはすぐに本題を切り出そうとしないポールを促した。
「いや、ウィルと君、最近目も合わせないだろ。喧嘩したのかなあって」
「私はしてない」
「そうか。いや、このあいだの昼休みに君、ウィルに話があるって連れ出しただろ?」
「ああ」
先日、別棟の手洗い場でのウィリアムとのやり取りを思い出してルネは複雑な思いで頷いた。
「あのあと戻ってきたウィル、これまで見たことないくらいに沈んでたんだよ」
それをきいてルネは思わずまじまじとポールの顔を見た。
ポールはその反応に戸惑ったように苦笑いを浮かべた。
「それが知りたくて君にきいたんだけど。その日からずっとそんな感じだから心配になってさ」
「なぜだ!? 怒ったのは向こうのほうだ」
ルネは困惑して思わず声を上げた。
「ウィリアムは今どこに?」
「少し前に本校舎の方に行ったよ。場所はわからないけど」
それをきいてルネは急いで席を立った。
本校舎は一階に講堂や医務室、事務室などがあり、ルネはまず講堂の中を探した。
しかし中には誰の姿もなく、今度は階段を上がってひとつひとつの教室を見てまわったがどこにもウィリアムの姿は見えなかった。
引き返して階段を降りてもう一度講堂のドアを開いた。
そして中に入って前方のアーチの壁の前に行った。
ルネはそこで両手を組み合わせて目を閉じ、黙祷をしてから前列の長椅子に腰を下ろした。
「いったいどこにいるんだ。私は何かしたのか?」
そう声に出してルネは左右に首を振った。
「あんなに怒鳴って、ウィリアムって意外と短気だな」
その時だった。
真後ろでギイと椅子の軋む音がしてルネの心臓はとびあがった。
ゆっくりと後ろを振り向くと一つ列をまたいだすぐ目の前から人が起き上がった。
「君、ひとりごと言うんだな」
「ウィリアム!」
「短気でごめん」
ルネは返す言葉が見つからず閉口していたが、ようやく一つ尋ねた。
「……寝てたのか?」
「夜あまり眠れなくて」
「出ていくよ」
「僕を探してるみたいだったけど」
ルネははっとして息を吸い込んだ。
「どうして君が落ち込むんだ? このあいだのことなら君が私を拒否したんじゃないか」
「どうしてそうなる」
ウィリアムが頭をふるふると振って立ちあがった。
「拒否されたのは僕の方だ」
「違う。君が私を友人でないと言って去っていったのに」
二人は眉間にしわを寄せたまま見つめ合った。
「「どういうこと?」」
ウィリアムがルネの方へ近づいてきた。
「まず、ひとつずつ確認していこう。ルネにとって唇にキスをするとはどういうこと?」
「恋人同士、夫婦のあいだでの愛情表現」
「じゃあ僕が君にしたことは?」
「友人としての親愛、だと思っていた。でも違うんだろう?」
「どうしてそうなる? はじめに答えたものはなに?」
困惑したようにウィリアムが両手のひらを上げた。
「それは私と君には当てはまらない」
「どうして!?」
「だって、ありえない。性別もはっきりしない、病気も欠陥もある私に誰もそんな感情なんて持てるわけがないだろう?」
ルネがそう言うとウィリアムはこめかみを押さえて首を振った。
そして辛そうに眉を寄せた。
「それは君が勝手に思いこんでいるだけだ。自分のことをそんなふうに思わないで。そして僕の気持ちを否定しないでくれ」
自分をまっすぐに見つめる瞳はルネがこれまで見つけた他者のどの色とも違って見えた。目の奥が熱を持つのを感じて唇を噛みしめると、一度目を閉じた。
「じゃあ、もっと明確に言葉で伝えてくれ。君は行動では示しただろうけど、君は私に何も言ってくれていないじゃないか。言ってくれないとわからない」
そう言って目を開くとひと粒の雫が頬を伝っていくのがわかった。
「わかった」
そう言ってウィリアムが一呼吸置いた。
「性別、病気のあるなし、そんな理由で君を愛せない僕がいたらどんなに淋しくて悲しいだろう。もしそんな自分がいたら僕は不幸だ」
そしてウィリアムはまっすぐにルネを見つめた。
「つまり、僕は君が好きで、すごく幸福だ」
それから少し眉を下げて微笑んだ。
「伝わった?」
ルネはその問いかけに答えることができず、代りに頷いた。
「次は君の番だよ。僕には言葉はいい。代わりに示してくれればそれで」
「……どうしたら?」
ウィリアムは手を差し出した。
「世界を知りたくないか、君の世界の外を」
ルネは伸ばされた手をじっと見つめた。
「これは君の新しい世界を知るチャンスだよ」
ルネはその手を通り越して飛び込んだ。
ウィリアムの心臓は音を立てていた。
その音は自身と重なるようだった。