「太陽が照りつけ、鷹が空を舞う。
枯れた大地の彼方から、白の賢者はやって来た。
足首までの長いマントに身を包み、国から国へと渡り歩く。
彼女の名はマリ、忘れさられた歴史を紡ぐ者。
もう皺くちゃの手としわがれた声で語り伝える。
『世界に光が放たれ、そして破壊と再生が始まった』
私も皆も息をのんで話をきいた。
『もっときかせて、物語を』
そして再び彼女は語る。

マリが村に滞在するあいだ、私が彼女のお世話をした。
そして私にこっそり教えてくれた。
『私はあれを知る最後の生き残りなの』」



「消灯ですよ」
ルネが顔を上げると開いた扉の前に手提げライトを持った中年の女性が立っていた。
その女性は小麦色の髪を後ろでひとつに丸くまとめて、眉間と口元に深い皺を刻んでいた。
「はい、マダム」
ルネは開いていたページに栞をはさむと脇の小卓に本を置いた。
同室には他に三人の子どもがいたが、みんなすでに各々のベッドで寝息を立てて眠っていた。
「夜はきちんと眠るように。次はありませんよ」
「はい、マダム」
その返事にマダムは小さく息を吐いた。
「そうだわルネ、明日はあなたに面会があります。朝の身支度が済んだら事務室まで来るように」
ルネは黙って頷いて卓上のテーブルスタンドの明かりを消して布団にもぐった。
部屋の扉が閉じられて小さくなっていく足音をきいているとルネの意識はしだいに遠のいていった。

翌朝、ルネはマダムに言われたとおりに事務室へと向かった。
室内には職員が数人いるだけでマダムの姿はなかった。
ルネが扉の前で立ちつくしていると奥のしきりの向こうから顔を出してこちらへ手招きする人物がいた。
「オカノ!」
ルネはおもわず声を上げ、手招きされるままそちらへ近づいていった。
「来ていたんですね」
「君に会いにね」
オカノは彼のトレードマークともいえるえくぼのできるニコニコの笑みを作って言った。
「今日のあなたの面会人です」
向かいに座っていたマダムが言った。
孤児のルネは生まれてからこのかた施設で育ち暮らしてきた。
このオカノという男はたまに施設にやって来る科学者で、ルネが心を開くことのできる数少ない人物の一人であった。
「君は今年で六歳になったね」
「はい」
「あなたに養子の話が来ているの」
マダムが言った。
「え?」
ルネは首をかしげ目の前で満面の笑みを浮かべる人物をもう一度見た。
オカノはそんなルネにさらに目を細めてうなずいた。

「ようやく願いが叶って嬉しいよ」
「僕も嬉しいです、オカノ」
「オカノじゃなくて、よければ父と呼んでくれ」
「はい、父さん」
ルネはオカノに笑顔を見せた。
普段表情の乏しいルネだったが、このオカノの前ではよく笑った。
オカノはもの知りで、ルネに様々なことを教えた。
そしてルネのすることに反対も禁止もしなかった。
「アンナ、今日はお祝いだ」
「ええ、準備はできていますよ」
オカノ夫人のアンナはテーブルの上に次々と料理を並べていった。
キッシュにビーフにフルーツケーキが並んだのを見てルネは目を輝かせた。
「ルネ、明日から学校だけど日焼け止めと帽子は忘れちゃだめだよ」
「はい」
「うまくいかないものだね。神様はいじわるだ」
オカノはため息を吐いた。
ルネの肌は日に弱く、当たり過ぎたあとは寝込んでしまうこともあった。
施設でルネと会うとオカノは嬉しそうにもするが同時にこうして悲しそうにすることも多かった。
「僕はね、君のことをずっと我が子のように思っていたんだよ。だからこうして家族になれたことが夢のようだよ」
これはルネにとっても夢のようだった。
施設では衣食住を与えられてはいたが常に誰かの目があり、自由な時間はあまり与えられていなかった。
朝は起床後に身体検査を受け、朝食後に授業、昼食と少しの休み時間のあともまた授業、そして運動や器楽のレッスンを受け、夕食と入浴を終えるとすぐに就寝だった。
すべての時間が決められ、規則も多く、それを乱す者には罰が与えられた。
些細なことでも二度注意を受けると、ただでさえ少ない休み時間が奪われた。
施設にいた頃はそれが日常だった。

しかしオカノの家で暮らすようになり、ルネは自由を知った。
遅くまで起きていても咎められず、たくさんの本が与えられ、好きなだけ読むことができた。
そして自分について考えることも増えた。

(僕は本が好きだ。この家が好きだ。でも、学校は嫌いだ)