カプセルを持ち帰ったルネはその夜それを眺めた。
カプセルは半透明で中が見えそうなのに何が入っているのかは判然としなかった。
「どうやったら開くんだろう」
ルネは記憶にある書付けの記述をひとつひとつ辿っていった。
「ルイがマリからカプセルを受け取った際に言われていた言葉は、たしか……」

試験が終わるまでルネはそれを布に包んで寝台の下にしまうことにした。

試験は一週間続き、結果は翌月末に五段階で評価される。
そしてその結果によって進級の可否と次の学年の専攻学科が決まる。
「ルネ、試験どうだった?」
「特に問題ないと思う」
ルネがそう言うとドイはガックリと肩を落とした。
「私は数学と化学がだめかも。ルネに教わればよかったな」
「私に?」
「ウィルは全然捕まらなくって。そういえばあなた、試験前あたり変だったわね」
「へ、変?」
「ずっとウロウロと徘徊してたじゃない。何かなくしたの?」
「なくしてない、探してたんだ」
「探し物?」
「実は……」
ルネはドイにこれまでのあらましを簡単に話した。
「カプセルってどんなの? 私も見たい!」
「それについて今日話すつもりなんだ。一緒に来る?」

こうして図書室にドイを含めた四人が揃い、カプセルを見せるため、日曜にポールの家に集まることになった。
ドイは用事があるということでルネはウィリアムと待ち合わせをしてポールの家に行く予定になっていたが、家を出る前に電話が鳴った。
「はい」
「こんにちは、ルネはそちらにいますか?」
きき覚えがあるようなないような声にルネは考えて黙り込んだ。
「あの、きこえてますか? そちらは丘の上の寺院ですよね?」
「もしかしてウィリアムか?」
ルネは恐る恐るきいた。
「あ、ルネなのか?」
「そうだ」
「今日ポールから用事ができたって連絡があって」
「そうなのか」
「今から君の家に行ってもいい?」



六月初めのさわやかな風が吹き抜けた。
その風は緑の匂いを連れてきて開いたドアからルネの髪をふわりとなびかせた。
「今日はいい天気だね」
晴れ渡った空を背景に半袖の白いシャツと青いズボンが目に鮮やかだった。
ルネは居間に案内すると椅子を勧め、自分は茶を入れるために台所に立った。
「片付いてるね。君の部屋は?」
ウィリアムが部屋の中を見まわしながら言った。
「あるよ。そっち」
ルネは居間の奥に視線を投げた。
湯が湧くまで棚をあちこち探り、昨晩ジョンが焼いた菓子を見つけて皿に盛った。
「はい」
「ありがとう。このお菓子は手づくり?」
「そう、ジョンが焼いたんだ」
ウィリアムは無表情にひとつつまんで口に入れた。
「そうだ。カプセルを持ってくる」
ルネは寝室に入った。
そして寝台の下を探ると布に包んだそれを引き出した。
キィと背後のドアが開く音がしてルネは勢いよく振り返った。
「ウィリアム! 今持っていくから待ってて」
「部屋、少し見せてよ」
ウィリアムは一歩だけ進み出てしげしげと中を見まわした。
ルネが黙ってその様子を見ていると、ウィリアムが突然ある方向でピタリと視線を止めた。
「その写真はなに?」
ルネも同じ方向を見ると窓際の小卓に飾った一枚の写真が目に入った。
その写真はランスの研究所でイオ、リー、ルミエルとともに撮ったものだった。
「この人たちは?」
いつの間にかウィリアムは部屋の奥に入ってきていて、その小卓の上の写真を手に取った。
「研究所の仲間だ」
「研究所?」
ウィリアムの顔色が少し変わった。
「誰か知ってるのか?」
ルネがきくとウィリアムは小さく頷いた。
「あの人だ……」
ウィリアムはそう言って写真の後列の二人を指さした。
「イオとリー?」
「そうだ、イオだ。そう呼ばれていた。ルネはこの人とどういう関係なんだ?」
「私はこの国に来る前、遺跡で見つかった本の解読をしていてそのときチームで一緒だったんだ」
「そう」
ウィリアムの声は低く平坦だった。
「君はどういう関係だったんだ?」
「リーっていう人とは顔を合わせただけで、イオとは少し話をした。それからもう一人、眼鏡の老人」
写真にはルミエルが写っていたが彼は眼鏡をかけていない。
そしてルネは以前コットンからきいた話を思い出した。
「僕、昔実験で一年眠っていたって言ったことがあっただろ?」
声音に違和感を覚えたルネがウィリアムの顔を窺うとその瞳は冷ややかだった。
「あの実験をしたのがイオだ」
ルネは息をのんだ。
そして慌てて口を開いた。
「でもイオは人に危害を加えるようなことをする人ではない!」
それをきいたウィリアムの目が細められた。
「そう、イオは悪い感じの人ではなかった。それに実験は事故で僕は無事だった」
「だったら……」
「僕はね」
ウィリアムはそこで言葉を切り、ふっと表情をやわらげた。
「ごめん、こんな話。あっちの部屋に戻ろう」


ルネは食卓の上にカプセルを置いて布を広げた。
「開けてみた?」
ルネは首を振った。
「開け方がわからない」
カプセルの中心にうっすらと切れ込みがありそこから半分に開きそうであったが、ぴったりと固く閉じられていてルネには開けることができなかった。
ウィリアムも同じように真ん中からこじ開けようとしたがビクリともしなかった。
「試したい方法があって、その前にもう一度書付けを確認したいんだ」
「わかった。ポールに言っておくよ」
そのあともウィリアムはカプセルをくるくると回して眺めていた。
「ウィリアム」
「ん?」
「イオは私の恩人なんだ。すごく優しい人なんだ。だから……」
ルネがそう言いかけるとウィリアムは手を止めた。
「だから?」
その声音は平坦で感情を読み取ることはできなかった。
ルネは話を続けようか迷ったあと意を決してまた口を開いた。
「だからあまり悪く思わないでやってほし……」
「だから、僕はイオが悪いとは言ってないだろ!」
ウィリアムの語気の強さにルネは体から血の気が引いていくのを感じた。
「そうだったね、すまない」
「どうしてあいつの肩を持つんだ? どうして僕を責める?」
「責めてない。ただ私は……」
「僕が意識をなくしてから父さんは過労で倒れた。あの実験がなければ父さんは死ななかったはずだ。そして母さんも精神を病むことはなかった!」
ルネの頭は殴られたようにグラグラした。
「毎日のように自分も死ねばよかった、死にたいと母親がつぶやくのをきいて、自傷行為を見せつけられて、薬を飲んで眠りこむ姿を見て、ある日は血を流した腕を見て、こっちがどんな思いだったかなんてわかるか!?」
ウィリアムの目はルネを捉えて訴えかけていた。
吐き出されたその感情はドロドロとうねり、この場を呑みこむようだった。
(違う。私じゃない。ウィリアムは私を介して違う誰かを見てる)
ルネはこの場に呑まれまいと必死に自分に言いきかせた。
「そしてあなただけと言いながら叔父さんとうまくやってた。別に僕は必要なかった。なんなんだ、いったい!」
ウィリアムの頬を一筋の涙がつたった。
そして我に返ったかのようにハッと目を見開いた。
そして背を向けると早足で部屋を出ていった。
パタンと玄関のドアが閉まる音がしてようやくルネは家を飛び出した。
「ウィリアム!」
ルネは走って坂を下った。
そしてその先のバス停まで駆けた。
「ごめん。無神経なことを言った」
ルネはウィリアムの袖を掴んだ。
「今日は帰るよ」
ウィリアムはそう言って掴まれた袖を振り払った。
そしてそれ以降ルネの方を見ようとはしなかった。
ルネはそれでもそのままバスが来るまで黙ってウィリアムの後ろに立っていた。
そしてバスが去ってからもしばらくそうしていた。

「ルネ、どうしたんですか?」
家に戻ってきたジョンが慌てたように近寄ってきた。
ルネは食卓に突っ伏してぐったりとしていた。
「少し日に当たりすぎたようです」
「いつも気をつけていたのにどうして? とにかく部屋で休みなさい」

翌日、ルネは高熱を出して学校を休んだ。
途切れ途切れに目が覚める以外はずっと眠っていたが、夕方ふと目が覚めると小卓の上に数輪の花が花瓶に生けられているのが目に入り、起き上がった。
居間に顔を出すとジョンが夕食の支度をしていた。
「もう大丈夫ですか?」
「はい、だいぶ良くなりました。あの花はジョンが?」
「いいえ、あなたの友人が届けてくれましたよ。たしかウィリアムという男の子」
「ウィリアムが? いつ来たんです?」
「少し前ですね。花を私に預けてすぐに帰っていきました」
ルネは急いで家の外に出て坂の下のバス停に目を凝らしたが、そこには誰もいなかった。

翌日、学校に登校したルネはウィリアムを見つけると近寄った。
「おはよう。昨日は花をありがとう。あれはマルグリットだね」
「マルグリット? ああ、僕が渡した花か」
ウィリアムは首をひねったあと頷いた。
「昨日ジョンにきいたよ。日曜はごめん。君が日差しに弱いって知らなくて」
ルネは首を振った。
「あれは私の落ち度だ。私こそあのとき無神経なことを言った」
「いや、もともと君には怒っていない。あれは僕自身を許せなかっただけなんだ」
「君自身を?」
「起こったことにはそれぞれに責任があるんだってわかってるのに、いつまでも囚われて僕は自分の都合で怒っていた」
そう言うとウィリアムは顔を伏せた。
「だけど、思うようにならないんだ。愚かだ、理不尽な感情だってわかっているのに、どうしても憎く思ってしまうんだ」
ルネはその言葉にはっとした。
(似ている)
以前、オカノに向けられた感情とその根源。
再び目撃したそれにルネはぎゅっと胸を押さえた。