洗面所の鏡に映る自分はくるりと反転していた。
それは上下でも左右でも前後でもあるようだった。
しかしいずれであったとしても目の前には現実の自分が映っていた。
眼鏡は素晴らしかった。
あんなにぼやけていた世界がくっきりと美しく見えるのだから。
しかしそれによって自分に損なわれたものを自覚し、また見慣れない自分の姿に憂鬱な表情を浮かべてルネは家を出た。

休暇明けの学校は騒がしかった。
「ルネ、おはよう」
隣にやってきたドイがルネの顔を覗き込んだ。
「眼鏡だ。そのデザインいいわね、似合ってる」
その言葉にルネは微笑んだ。
「ありがとう」

放課後、図書室に連れて来られたルネは目の前に差し出されたものをじっと見つめた。
「この中見てくれるか?」
それは色褪せた赤い布張りの表紙の本で、開くと中の頁は所々破損しボロボロだった。
幸いにも文字の判読はできたため、ルネは慎重に頁をめくり、書かれている内容を見ていった。

「これどうしたんだ?」
最後の頁をめくるとルネは思わず声を上げていた。
書かれていた内容が「ある女の手記」の一節と酷似していたのだ。
さらに興味を引いたのが卵型のカプセルについての記述で、そのカプセルの中には「真実の歴史」が記録されているという。
ポールの家に代々伝わるものだというこの書付けにはカプセルをどこかに隠したとあった。
明確な場所は記されていなかったが、書付けにあったいくつかの情報を手がかりにルネは隠し場所は学校なのではないかと推測した。

「ここも、そしてここも。やっぱり似ている」
帰宅して「ある女の手記」を開いたルネはもう一度内容を辿っていった。
この本はランスを出るときイオが鞄に入れて持たせてくれていた。


翌日、ルネはさっそくカプセル探しを始めた。
「使われていない教室か、または隠し部屋があるとか……」
「人目につかない場所なら地下とか?」
ぶつぶつとそんなことを呟きながら校内をぐるぐると回ったり、かと思えば地面に目を凝らしながら草むらを探ったり、数日そんなことを続けていたルネは傍目にとても怪しかった。
それを見かけた生徒たちははじめギョッとして訝しんでいたが、しだいに慣れてきたのか見て見ぬふりをするようになった。

「学校じゃないのか?」
いくら探しても手がかりすら見つからなかった。
草地に腰を下ろしたルネは向こうに見える回廊を走り去っていく生徒の姿に気がつき目で追った。
そしてその生徒が去ったあと、周りに自分以外に誰もいないことに気がついて慌てて立ち上がった。
「しまった、授業に遅れる!」

放課後、いち早く教室を出たルネは再び同じ場所にやってきた。
そのとき同じ構図で今度は前とは逆方向に生徒が回廊を渡っていった。
「ウィリアム?」
ルネがあとをついていくと資料室にたどり着いた。
中に入ってみたが立ち並ぶ棚と雑多に置かれた備品が死角になって、ウィリアムの姿は見えなかった。
棚を一つ一つ確認していき一番奥の列へ来たとき、ようやく彼を見つけた。
「何してるんだ」
「ルネ! どうして」
ウィリアムは現れたルネに驚いて目を丸くしていた。
いつもと違うその様子に違和感を覚えながらルネは資料室の地下で念願の卵型のカプセルらしきものを見つけ、持ち出した。
そして階段を上がって地上に出てきてようやくウィリアムの姿がないことに気がついた。
「あれ?」
しばらく待ってみたがウィリアムはいっこうに地下から出てこなかった。

ルネは手提げ灯を持って再び地下へ降りていった。
つまずきそうな段差をしっかりまたいで、そしてすぐにウィリアムは見つかった。
「気にしない」
そうぽつりとつぶやく声がきこえた気がしてルネは胸の奥がザワザワと逆立つのを感じた。
駆け寄って思わず掴んだウィリアムの腕は冷たかった。
沈んでいきそうにかがみ込んでいるその体を引き上げようとルネは力を込めた。
手を離したら何かを失ってしまいそうな気がしてよりいっそう力がこもった。

地下から出てきたウィリアムは笑っていたがルネは別のものを感じとった。
(いったい何があったのだろう。暗闇で何を見たのだろう)
頭にふとコットンのあのときの表情が浮かんだ。
(塔でコットンは何を見たのだろうか)
地下で、暗闇で。