冬至祭も過ぎ、年末を迎えようとしていた。
ルネとジョンは外套を着て、帽子、手袋を身につけ、家を出た。
空は重たい灰色の雲に覆われ、まだ昼前であるにも関わらずあたりは薄暗かった。

「コットンは出ていくときなんて言っていたんですか?」
ルネはジョンに尋ねた。
「塔の点検だと言っていました。二、三日で戻るからと」
コットンが家を空けて一週間が経とうとしていた。
「塔というのは、祈りの塔のことですか?」
「はい」

世界中に数カ所存在する祈りの塔は、その一つが連合国南部の海岸近くに立っている。
ルネは幼い頃に一度だけ塔を見たことがあった。
施設の兄弟たちと一緒に北国ののどかな田舎町で遠くからそれを眺めた。

「街の寺院の方が迎えに来てくださるそうです」
ルネとジョンはバスの停留所の標識の前で待った。
しばらくすると自動車が道の向こうからやって来て二人の前で止まり、運転席から黒い外套を着た男が出てきた。
「どうぞ」
長身で体格の良い男は深い皺を刻んだ顔に灰色の顎髭を貯えていた。
ジョンが助手席に、ルネが後部座席に乗り込むとすぐに自動車は動きだした。
「私はロア、街の司祭だ」
運転席の男が言った。
「コットンは南区の司祭と一緒に塔の点検に行っているはずなんだが、どうやらその南区の司祭もまだ戻ってきていないようだ」
「なにかあったのでしょうか?」
「行ってみなければわからない。捜索の応援は要請しているがこの時期は集まるかどうか」

数時間して自動車が停止した。
外に出ると冷たい風が頬を打ち、ルネは身震いした。
顔を上げるとコンクリートの壁の向こうに鈍い光を放ち高く高く伸びる塔がそびえ立っていた。

「一般の信者が近づけるのはここまでだ。この先は許可を受けた者しか入れない」
そう言ってロアは壁沿いに移動して少し凹んだ箇所で立ち止まった。
そこには一見壁と見間違える扉があった。
凹みに沿って線が入っていることでようやくそれが他の壁とは違うことがわかった、
ロアが壁を探り、ある一箇所で手を止めると少しして壁が横に開き始めた。
「入ろう」
「私たちもいいのですか?」
「ああ、この中までだが」
ルネはジョンとともに開いた扉の向こうに足を踏み入れた。

中は広い敷地の奥に塔が、その手前には小さな小屋が建っているだけで、他には何もなかった。
「ここには誰もいないのですか?」
ジョンがロアに尋ねた。
「塔の管理は基本的に全てコンピュータがやっているんだ」
塔の入口の前まで来るとロアが立ち止まった。
「君たちは中に入れない」
「どうすれよいのですか?」
「応援の司祭が来れば私が中に入れる。少し待とう」
そう言ってロアは手前の小屋の鍵を開けてルネらを中に招き入れた。
中はコンピュータとモニター画面がいくつかあり、小窓からは塔の入口が見えた。

モニターの薄暗い画面にはそれぞれ別の方向から外の様子が映し出されていた。
「これは塔の外を監視するカメラの映像だ。これで六日前の記録を見てみよう」
そう言ってロアは手袋を取り、モニターを操作して映像をさかのぼっていった。
「いた。やはり六日前にここを通って中に入っている」
映し出された映像にはコンクリートの壁の扉の前に立つ二人の人物の姿があった。
二人はそのまま中に入り別のモニター画面で塔の入口まで来ると中に入っていった。
「次は二人が外に出てきているかを見てみよう」
それから一日、二日、三日、四日と映像が進んでいったが二人は中から出てこなかった。
五日、六日と進んだところでロアが頭を抱えた。
「二人はまだこの中にいる」
ロアは操作する手を止めて大きく息を吐いた。
「これまでの点検ではこんなことはなかったのですか?」
ルネは画面を見つめながら尋ねた。
「そうだな、私が知る限り少なくともイスト派の中ではなかった。私も一度点検に中に入ったことがあるが、手順通りに進めれば特に問題が起こることはないはずなんだ」
「一度だけってことは、点検は滅多にしないことなのですか?」
「いや、年に数度行われているが世界中の司祭が交代で行うからそうそう回ってはこないんだ。大司祭が毎年担当する宗派を決め、そこから選ばれる」
「大司祭って、世界の塔の取りまとめをする?」
「そう、そして選ばれた宗派の中でさらに点検を担当する会派や区域を決める。今年はイスト派が選ばれ、うちの区域と南区のユニオン会が担当することになったんだ」
「それでは塔へは様々な宗派が点検に携わるんですね」
「そうだ。たとえ争っている国や宗派の者であっても塔に関する名目で訪れる司祭に手を出すことは何者も決して許されない」

窓から見える空は相変わらず重苦しく、今が昼間なのか夕方なのかすら判然としなかった。
「あ」
ルネは窓の外に見えた人影に声を上げた。
ロアとジョンもルネの声につられてそちらを見た。
「司祭!」
ジョンは叫んですぐに小屋の外に飛び出していった。
ルネもすぐあとを追った。

塔の中から白いマントを羽織った人物が二人出てきて、その場に崩れ落ちた。
「コットン!」
駆け寄ってきたルネたちに白いマントの一人が顔を上げた。
「ああ……」
コットンの顔は青白く体は震えているようだった。
「心配かけたみたいだね」
その声は掠れて弱々しかった。
ロアが近づいてきてコットンと南区の司祭の羽織っている白いマントを脱がせた。
「地下の点検を終えたあと電灯が消えてしまって、迷っていたんだ」
南区の司祭が言った。
二人とも衰弱がひどかった。
「詳しい話はあとできこう。とりあえず小屋の中へ」
ロアがそう言うとルネとジョンも加勢して二人を支えて小屋の中に移動した。

ほどなく応援の司祭がやって来ると南区の司祭は運ばれて行き、ルネたちもコットンを連れて帰ることになった。

「ロア司祭、大変ご迷惑をおかけしました」
ジョンが頭を下げた。
「いや、無事でよかった」
ロアは丘の上までルネたちを送り届けたあと、街の寺院へ帰っていった。


家に戻ってから数日のあいだコットンは熱を出して寝込み、年が明けて数日してようやく起きられるようになった。

「具合はどうですか?」
ルネは寝台から起き上がったコットンに声をかけた。
「だいぶいいよ。心配かけたね」
それをきいてルネはほっと胸をなでおろした。
「コットン、少し話をしてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
ルネは寝室に足を踏み入れ、隣の寝台に腰掛けた。
「あのときいったい何があったのですか?」
「すまないが、塔の中のことは話せない」
予期していた答えだったがルネは肩を落とした。
「塔について私は何も知りません。私には神がわかりません」
「みんなそうだよ。だから人々はその答えを求めに寺院にやって来る」
ルネの言葉にコットンは微笑んで優しく答えた。
「では教えてください。私たちの信仰する神は、塔はいったいなんなのですか? 経典には神は世界と人、動物を創ったと書いてあります。そのあと塔の立つ場所から世界を見守っていると。神についての記述はそれくらいです。あとは神の遣わしたという使者や聖人の逸話はばかりです。あまりに曖昧で実態が掴めないのではありませんか?」
「それそのものについて語るより他者の視点から語るほうがその本質がわかってくることもある」
変わらないコットンの表情にルネは小さく息を吐いた。
「私はこの寺院に来てずっと疑問に思っていることがあるんです」
ルネがそう言うとコットンは少し眉を上げた。
「それはなんだい?」
「この国には南部に塔がありますよね。だからこの国の人たちは多くがその方向に祈りを捧げる」
「そうだね」
「でもこの寺院は東向きに建てられています」
「礼拝は南を向いて行っているよ」
「建物の構造的にわざわざ向きを変えなくてはいけません。なぜそのような造りになっているのでしょう?」
「塔があるのはこの国だけではないからね。この寺院は古い。きっとその当時は東の塔に向けて建てたんだろう」
それをきいてルネははっとした。
「そうだ! ここだけでなく私の知っている他の古い寺院もほとんどが東向きに建てられている……」
ルネはコットンを見た。
「なぜでしょうか?」
「それについて私が答えるとするなら先程と同じになるよ」

寝室を出てからルネはしばらくそのまま立ちつくした。
今しがたの会話を思い返していると、部屋の中から小さくつぶやく声がした。
「あそこは闇だ、深く底のない……」