ピカリと窓の外が光った。
この日は朝から暗い雲が立ちこめ、風も強く吹いていた。
そして午後には雨が地面を打ちはじめ、その音は屋内にも響いてきた。
放課後、騒がしく教室を出ていく生徒たちに呑まれるようにしてルネも校門へ向かったが、途中で傘を忘れたことに気がつき引き返した。
教室のある廊下に出たとき、前方から雨の音に紛れて言いあうような声がきこえてきてルネは目を凝らした。
声の主はウィリアムとドイだった。
二人は互いに向かい合っていたが、次の瞬間ドイの肩が震えはじめた。
「なに泣かせてるんだ!」
ルネはとっさに叫んだ。
その声にウィリアムの肩がビクリと跳ね上がった。
「これは、なんでもなくて……」
近づいてきたルネにウィリアムは彼にしては珍しく狼狽えていた。
彼は要領がの得ない言葉を繰り出すばかりでルネは仕方なくドイの方へ視線を向けた。
ドイが自分にあまり好感を持っていないことを感じていながら放っておけなかった。
「何があった?」
「ごめんなさいっ」
予期せぬ言葉にさらにわけがわからなくなったルネはドイを連れて場所を移した。
「どうしたの? ゆっくりでいいから」
ルネが懐からハンカチを差し出すとドイは泣きながらそれを受け取った。
しかし彼女はそれで涙を拭うことはせずただ握りしめた。
「あのね、私、ルネのこと、男の子じゃないかもって、言ったの……」
それをきいてルネは凍りついた。
「……それから、目があまり見えてないんじゃないかって、言ったの。あなたの言動を見てて、そう思っちゃって。ウィルは憶測で、そんなこと言うべきじゃないって、私を注意しただけなの……」
しゃくりながら懸命に話すドイの傍らでルネは言葉が出てこず、胸を手で押さえた。
「勝手なこと、無神経なこと言って、ごめんなさい、ごめんなさい」
繰り返される謝罪にルネは息を整えた。
「君は悪くないよ。お願いだからそんなに泣かないで」
「でもっ」
「私のことなんかで泣かせてしまってすまない」
ドイは少しずつ落ち着きを取り戻し、二人はまたウィリアムのいる所へ戻った。
「君は悪くなかったね」
それからルネはその場を離れた。
雨はなお降り続けていた。
帰りのバスで窓際の席に腰を下ろしたルネは外に目を凝らした。
しかしそこに映るはずの景色は打ちつける雨粒にぼやけて歪んで判然としなかった。
翌日、学校に登校したルネをドイが待っていた。
「話があるの」
ルネの心臓は大きく跳ねた。
ドイについていくと、人気のない回廊の隅で彼女は歩みを止め、クルリと反転した。
「ルネ、私の恋人になってください!」
「は……い?」
ルネは思わず返事をしかけてから自分の耳を疑った。
「昨日からドキドキがとまらないの」
さらに続けるドイにルネは首を振った。
「いや、それは気のせいだ、無理だ」
「どうして? 昨日あんなこと言ったから?」
「違う!」
「なら他に好きな人とか、もしかしてつきあってる人がいるの?」
「いない!」
ルネはさらに首を振って否定した。
「だったらお試しでいいから、だめ?」
じっとこちらを見つめるドイにルネはたじろいだ。
「か、考えさせて」
逃げるようにその場を離れたルネは冷や汗が止まらなかった。
(考えてどうにかなるのか?)
授業にも身が入らず気がつけば昼休みになっていた。
ルネは校内をグルグルと歩きまわり、ふと顔を上げたとき前方に見慣れた後ろ方を見つけて思わず呼びかけた。
「ウィリアム!」
彼はすぐに振り返った。
今朝のドイとのやり取りを説明するとウィリアムは簡潔な答えをくれた。
「つきあってみたら?」
ルネは即座に拒否したがウィリアムはさらに言った。
「ドイは試しでいいって言ったんだろ?」
その言葉にルネは改めてなぜ無理なのかを考えてみた。
自分の正体が明るみになったとき、障害が枷になるとき、きっと相手に幻滅されるだろう。
悲しませ苦しませることになるかもしれない。
(そうなったら私は耐えられるだろうか)
そしてルネはやはりつきあうことはできないと判断した。
(でも……)
ただ断るだけでは不誠実な気がした。
はじめて向けられたこの好意を無下にしたくなかった。
(話そう。できる限り正直に)
ルネはそう決意すると頷いた。
「ドイ」
放課後ルネがそっと呼びかけると、声に気づいたドイが歩きはじめたルネのあとをついてきた。
今朝と同じ回廊の片隅で立ち止まるとルネは口を開いた。
「今朝の返事だけど、その前に私のことを話すからきいてくれる?」
ドイは頷いた。
「私は君の言っていた通り男じゃない。目も片方がよく見えていないんだ」
ドイは目を見開いた。
「じゃあ……」
「そう、君が言っていたことはすべて正しい。騙していてすまない」
そう言ってルネが俯くとドイが一歩近づいてきた。
「どうして謝るの? 私はあなたが悪いことをしたとは思ってないわ」
「でもこれをきいて幻滅しただろう? 嫌われても仕方がないと思ってる」
ルネが顔を上げるとドイは首を振って眉を寄せた。
「勝手な想像しないで。私は幻滅しても嫌ってもいないわ」
ドイは両手でルネの手を取った。
「話してくれてありがとう。それじゃあ、あなたは女の子なの?」
「わからない。……生物学上では女ということになるけれど私は自分をそう思えないんだ」
その問いの答えはまだ自分にも出せていなかった。
「そう」
ドイの握る手が強くなった。
「ウィリアムには?」
「言ってない。彼は知らない」
「これは秘密?」
「学校側は知っているけど、できればあまり知られたくない」
「わかったわ。これは私とあなたの秘密ね」
するとドイはルネの手を持ち上げて手背に軽く唇で触れた。
「私たちこれから友だちよ」
翌朝、ルネが座った席の隣にドイがやってきた。
「おはよう」
ドイはニコリと笑った。
「おはよう」
ルネもぎこちない笑みを返した。
「何か困っていることはある?」
「今のところ大丈夫」
「トイレはどうしてるの?」
「人があまり来ない棟のトイレを使ってる」
それからしばらくルネとドイは顔を寄せあい話をした。
(不思議だ)
その距離はちっとも不快ではなかった。
この日は朝から暗い雲が立ちこめ、風も強く吹いていた。
そして午後には雨が地面を打ちはじめ、その音は屋内にも響いてきた。
放課後、騒がしく教室を出ていく生徒たちに呑まれるようにしてルネも校門へ向かったが、途中で傘を忘れたことに気がつき引き返した。
教室のある廊下に出たとき、前方から雨の音に紛れて言いあうような声がきこえてきてルネは目を凝らした。
声の主はウィリアムとドイだった。
二人は互いに向かい合っていたが、次の瞬間ドイの肩が震えはじめた。
「なに泣かせてるんだ!」
ルネはとっさに叫んだ。
その声にウィリアムの肩がビクリと跳ね上がった。
「これは、なんでもなくて……」
近づいてきたルネにウィリアムは彼にしては珍しく狼狽えていた。
彼は要領がの得ない言葉を繰り出すばかりでルネは仕方なくドイの方へ視線を向けた。
ドイが自分にあまり好感を持っていないことを感じていながら放っておけなかった。
「何があった?」
「ごめんなさいっ」
予期せぬ言葉にさらにわけがわからなくなったルネはドイを連れて場所を移した。
「どうしたの? ゆっくりでいいから」
ルネが懐からハンカチを差し出すとドイは泣きながらそれを受け取った。
しかし彼女はそれで涙を拭うことはせずただ握りしめた。
「あのね、私、ルネのこと、男の子じゃないかもって、言ったの……」
それをきいてルネは凍りついた。
「……それから、目があまり見えてないんじゃないかって、言ったの。あなたの言動を見てて、そう思っちゃって。ウィルは憶測で、そんなこと言うべきじゃないって、私を注意しただけなの……」
しゃくりながら懸命に話すドイの傍らでルネは言葉が出てこず、胸を手で押さえた。
「勝手なこと、無神経なこと言って、ごめんなさい、ごめんなさい」
繰り返される謝罪にルネは息を整えた。
「君は悪くないよ。お願いだからそんなに泣かないで」
「でもっ」
「私のことなんかで泣かせてしまってすまない」
ドイは少しずつ落ち着きを取り戻し、二人はまたウィリアムのいる所へ戻った。
「君は悪くなかったね」
それからルネはその場を離れた。
雨はなお降り続けていた。
帰りのバスで窓際の席に腰を下ろしたルネは外に目を凝らした。
しかしそこに映るはずの景色は打ちつける雨粒にぼやけて歪んで判然としなかった。
翌日、学校に登校したルネをドイが待っていた。
「話があるの」
ルネの心臓は大きく跳ねた。
ドイについていくと、人気のない回廊の隅で彼女は歩みを止め、クルリと反転した。
「ルネ、私の恋人になってください!」
「は……い?」
ルネは思わず返事をしかけてから自分の耳を疑った。
「昨日からドキドキがとまらないの」
さらに続けるドイにルネは首を振った。
「いや、それは気のせいだ、無理だ」
「どうして? 昨日あんなこと言ったから?」
「違う!」
「なら他に好きな人とか、もしかしてつきあってる人がいるの?」
「いない!」
ルネはさらに首を振って否定した。
「だったらお試しでいいから、だめ?」
じっとこちらを見つめるドイにルネはたじろいだ。
「か、考えさせて」
逃げるようにその場を離れたルネは冷や汗が止まらなかった。
(考えてどうにかなるのか?)
授業にも身が入らず気がつけば昼休みになっていた。
ルネは校内をグルグルと歩きまわり、ふと顔を上げたとき前方に見慣れた後ろ方を見つけて思わず呼びかけた。
「ウィリアム!」
彼はすぐに振り返った。
今朝のドイとのやり取りを説明するとウィリアムは簡潔な答えをくれた。
「つきあってみたら?」
ルネは即座に拒否したがウィリアムはさらに言った。
「ドイは試しでいいって言ったんだろ?」
その言葉にルネは改めてなぜ無理なのかを考えてみた。
自分の正体が明るみになったとき、障害が枷になるとき、きっと相手に幻滅されるだろう。
悲しませ苦しませることになるかもしれない。
(そうなったら私は耐えられるだろうか)
そしてルネはやはりつきあうことはできないと判断した。
(でも……)
ただ断るだけでは不誠実な気がした。
はじめて向けられたこの好意を無下にしたくなかった。
(話そう。できる限り正直に)
ルネはそう決意すると頷いた。
「ドイ」
放課後ルネがそっと呼びかけると、声に気づいたドイが歩きはじめたルネのあとをついてきた。
今朝と同じ回廊の片隅で立ち止まるとルネは口を開いた。
「今朝の返事だけど、その前に私のことを話すからきいてくれる?」
ドイは頷いた。
「私は君の言っていた通り男じゃない。目も片方がよく見えていないんだ」
ドイは目を見開いた。
「じゃあ……」
「そう、君が言っていたことはすべて正しい。騙していてすまない」
そう言ってルネが俯くとドイが一歩近づいてきた。
「どうして謝るの? 私はあなたが悪いことをしたとは思ってないわ」
「でもこれをきいて幻滅しただろう? 嫌われても仕方がないと思ってる」
ルネが顔を上げるとドイは首を振って眉を寄せた。
「勝手な想像しないで。私は幻滅しても嫌ってもいないわ」
ドイは両手でルネの手を取った。
「話してくれてありがとう。それじゃあ、あなたは女の子なの?」
「わからない。……生物学上では女ということになるけれど私は自分をそう思えないんだ」
その問いの答えはまだ自分にも出せていなかった。
「そう」
ドイの握る手が強くなった。
「ウィリアムには?」
「言ってない。彼は知らない」
「これは秘密?」
「学校側は知っているけど、できればあまり知られたくない」
「わかったわ。これは私とあなたの秘密ね」
するとドイはルネの手を持ち上げて手背に軽く唇で触れた。
「私たちこれから友だちよ」
翌朝、ルネが座った席の隣にドイがやってきた。
「おはよう」
ドイはニコリと笑った。
「おはよう」
ルネもぎこちない笑みを返した。
「何か困っていることはある?」
「今のところ大丈夫」
「トイレはどうしてるの?」
「人があまり来ない棟のトイレを使ってる」
それからしばらくルネとドイは顔を寄せあい話をした。
(不思議だ)
その距離はちっとも不快ではなかった。