ルネは家と図書館の往復を続け、手に取った本を次々に読んでいった。

「今は何を読んでいるんだい?」
コットンが食卓で本を開くルネに尋ねた。
「言語学に関する本です」
「興味があるんですか?」
ジョンが茶の入ったカップを持ってやってきた。
「はい。ランスの研究所にいたときに興味が湧いたんです」
「ランスの研究所にいたんですか?」
「イオやリーもそこにいたんだよ」
コットンの言葉にジョンは眉を上げた。
「あの二人ですか」
「ジョンは二人を知っているんですか?」
「ええ、何度かここへ来ましたから」
「そうなんですか! そういえばコットンはイオとリーとはとどういう関係なのですか?」
コットンと彼らの関係について以前からルネは疑問に思っていた。
イオもリーもコットンに敬意を払ってはいたが、親しみのようなものを持っており、それは司祭と信徒という関係とはどこか違う気がしていた。
「私は数年前まで司祭をするかたわら国の研究所でも働いていたんだよ」
「コットンが研究所で?」
思わぬ答えにルネは目を丸くした。
「ここから少し離れた研究所でしたので、向こうで寝泊まりする司祭に代わり重要な祭祀以外は私が代行していました。その時は家政婦がいましたが大変でしたよ」
ジョンが苦笑いを浮かべた。
「今はその研究所はやめたんですか?」
「事故が起きてね。原因不明のまま私はランスに派遣されることが決まって、それを機に私は退いた。子どもを巻き込んでしまって、それに携わっていたイオはひどく落ち込んでいたよ」
「イオが!?」
「だから子どもが傷ついたり苦しんだりするのをよけい嫌っていたんだよ」
コットンの話にルネは唾を飲み込んだ。
「その巻き込まれた子どもはどうなったんですか?」
「今は元気に過ごしているときいている」
ルネはほっと息を吐いた。

コットンは茶をひと口飲むとルネを見た。
「ところで君は言語を専門的に学んでみたいと思わないかい?」
「専門的に、というと……」
「例えば大学です。大学ではより専門的な研究ができます。一人では考えつかないような多様な考え方や発想に触れることもできます」
コットンの言葉にジョンがつけ足した。
「大学ですか」
ルネの心は動いていた。
それを見て取ったようにジョンがさらに続けた。
「ただ、大学に入るには高等教育課程を卒業して入学資格を得る必要がありますが」
その言葉にルネは顔をピクリとひきつらせた。
そして結局学校は避けられないのだと悟った。


「僕、こちらに国籍を移そうと思います」
学校の資料を集める中で連合国の教育制度を知ったルネは寺院から戻ってきたジョンに茶を差し出して言った。
「そうですね、その方があとの大学での学業支援が受けられます」
ルネは頷いた。
「それで手続きですが、僕ではできないんです」
「大丈夫です。それはこちらで済ませますよ」
「ありがとうございます」
ルネはほっと息を吐き、席を立とうとするとジョンが引き止めた。
「待ってください。お菓子があるので食べませんか?」
その言葉にルネはまた椅子に座り直した。
すぐにジョンが戻ってきて食卓に焼き菓子の載った皿を置いた。
ジョンはたまに菓子を作っては礼拝に訪れる子どもたちに配ることがあり、これはその残りだった。
「試験勉強はどうですか」
「大丈夫です」
「そうですか」
その後ジョンは何か言いたそうにしながらも茶をすすった。
ルネは菓子を一つ取って口に入れた。
素朴でやさしい甘みが口の中に広がった。
「性別はどうしますか?」
ジョンがようやく口を開いた。
「その体でこのまま男として生きるのは大変だと思います」
ルネは口につけかけていたカップを食卓に置いた。
たしかに、ルネの今のこの体で男として生きるのはいろいろと不都合があった。
学校に行くとなると今以上に不都合な場面がでてくることは明らかだった。

(もし何か問題が起きたなら)
もうジョンにもコットンにも迷惑をかけたくなかった。
(この世界ではどちらかに属さなければならないのなら、僕は……)
だからそれはルネにはほとんど諦めの「許容」だった。
「変更の申立てをします」
ルネは絞り出すような声で言った。
「私は、女として生きます」