鐘が鳴ると同時に教室のドアが開き、軽快な足取りで女が入ってきた。
この日最後の選択科目で、ウィリアムは地下の教室にいた。
「今日は心理研究をしましょう」
哲学教師のクローバーは教卓に両手をついて生徒らに呼びかけた。
「まず二人一組のペアを作ってください」
クローバーが手を叩くと教室はにわかに騒がしくなった。
「ウィル、組もうぜ」
ポールが隣のウィリアムに声をかけた。
「僕、組む人いないんだけど」
そう言ったのはポールの隣に座っている生徒で、列の真ん中で身動きが取れずに手を上げていた。
「この列奇数だな。誰か連れてくるか?」
「いや僕が他の列に移動するからポールが組んでやってくれ」
ウィリアムは席を立って教室を見渡し、まだペアのできていない生徒を探した。
そしてすぐに相手を見つけて近づいた。
「やあ」
ウィリアムの呼びかけに、その生徒はぎこちなく振り向いた。
「君もまだ相手がいないなら組まないか?」
「どちらでも」
ルネはそう言うとそっぽを向いた。
「どうしてそんなによそよそしいんだ。僕たち仲良くなっただろ?」
「そうなのか?」
「え?」
ウィリアムが呆気にとられているとすぐにクローバーが手を叩いた。
「では、今から記録者と回答者に分かれて研究を行います。まずは役割を決めてください。決まりましたら記録者は前に来てください」

「私が行く」
席を立とうとしたウィリアムを制してルネが前に出ていった。
クローバーが前に集まった生徒たちに何か説明したあと、生徒たちはまたそれぞれの席に着いた。
戻ってきたルネの手には一枚の紙が握られていた。
「それは何?」
ウィリアムが覗き込むと、紙には縦に数十個の単語とその右横に空白のマスが二つ並んだものが印刷されていた。
「今から私が三十個の単語を読み上げます」
クローバーが説明を始めた。
「回答者は私が読み上げる単語から連想する言葉をできるだけ早く自由に答えていってください。そして記録者はさっき説明したことに気をつけてその回答者の答えを記録していってください」
「つまり僕が答えて君が記録するんだね」
ウィリアムの言葉にルネはそうだと頷いた。
「では始めます」
クローバーは間隔をあけて単語を読み上げていった。
海、山、猫、犬、子ども、母、卵、火、氷……
「もう一度同じ単語を繰り返します。また同じように答えていってください」
そして同じ単語が繰り返された。
そのあいだルネはウィリアムが答えた言葉を記録していった。

「これで終了です」
クローバーの声にウィリアムは息を吐いた。
ウィリアムはルネが記録した紙を見た。
そこにはウィリアムが回答した言葉とは別にいくつかの印と記号も記されていた。
「同じ単語でも一度目と二度目でいくつか回答に違いがあったはずです。それについてペアで話をしてみてください」

ウィリアムは自分の回答を確認していった。
「その取り上げた単語について回答者は記録者に話をしてみてください。その単語から連想した言葉の意味、空想や体験した出来事、なんでも結構です」
クローバーがそう言うと生徒たちは互いに話しはじめた。
「君はどの単語について話したい?」
ルネの声にウィリアムは顔を上げた。
「そうだな、『氷』……かな」
「君は『氷』について一度目が『凍結』二度目が『原生代』と答えた。何を連想したんだ?」
「この前授業でやった地質時代を思い出したんだ」
「原生代に起こったとされる地球全体が氷床に覆われた出来事か」
「うん、それ」
「『卵』についてはなにかある? この回答が私は気になった。一度目は『春と寺院』、二度目は『カプセル』と答えている。春と寺院と卵といえば聖夜祭のことか?」
「そうだよ。ランスでも聖夜祭はするの?」
「一般的にはしていると思う。私も六歳までは参加していた」
「へえ、じゃあそのあとは?」
「家で母さんの卵料理を食べていたくらいで特には……」
ルネの声はだんだん小さくなっていった。
「そうなんだ。じゃあこっちに来ても聖夜祭には参加してないんだ?」
「参加はしてないが準備は手伝った」
「準備って?」
「今の家が寺院なんだ。でも会派が違うから……」
ルネはハッと顔を上げ頭を振った。
「私の話はいいだろ。それで二度目に『カプセル』って答えているのは?」
ルネが回答用紙を指さした。
ウィリアムは口をつぐんで首に手をやった。
なかなか話しはじめないウィリアムをルネはただ黙って見つめていた。
しかしその視線に耐えられなくなったウィリアムはようやく口を開いた。
「……僕、昔ある実験で卵型のカプセルに入ったんだ。そこで奇妙な体験をして」
「どんな?」
「海に潜ったり、大昔の地球のような景色を見たり」
「ふうん、それで?」
ルネは興味津々というように目を大きくした。
「いや、体験じゃなくてあれは夢だ。あ、そういえば実験をしていた研究者もなんだか奇妙で……」
そのとき教室の前方から手を叩く音がした。
「はい、そこまで。前を向いてください」
クローバーが手を上げた。
「これは古くから伝わる精神分析法のひとつです。一度目と二度目の回答の違いや内容からその人の内面を見ていくというものです」
ウィリアムはもう一度自分の回答を見た。
「自分では意識していない無意識を探る方法のひとつです」