自動車の窓から見える景色は全てが奇妙な規則性をもって進んでいた。
人の歩み、自動車の走行、日の傾き。
流れは淀まずしかしゆっくりと着実に進んでいった。
滞りそうで滞らない、川の流れとも違うそれはしっかりと己のあるべき場所に正しく向かっていた。
そしてルネの乗る自動車もある建物の前に流れついた。
街外れの人家から少し隔てた緩やかな丘の上で自動車が停まり、後部座席のドアが開いた。
「ここは……」
ルネは古い石造りの寺院を見上げた。
「大丈夫だ、ここは寛容な所だから」
三人は自動車を降りると寺院の横に併設された二階建ての小さな家まで歩いた。

イオが呼び鈴を鳴らすと少ししてドアが開いた。
中から出てきたのはルネの目線ほどの背丈の初老の男だった。
黒い僧服を身に纏い灰色の髪が印象的だった。
「コットン、お久しぶりです」
コットンは眼鏡のツルを少し手で持ち上げてやわらかく微笑んだ。
「これは、イオ、リー。この国で別れて以来だね」
コットンはルネにも同じ笑みを向けた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
ルネが挨拶を返すとコットンはまたイオに向きなおった。
「何かあったかな?」
「急に押しかけて申し訳ありません」
「構わないよ。ここはいつでも誰にでも開かれている」
「ありがとうございます。ひとつ頼みがあるんです」
そう言ってイオはルネを見た。
「この子を預かっていただけませんか?」
その言葉にルネは驚き、声を上げようとしたがイオに手で制された。
それを見たコットンはドアから一歩身を引いた。
「中できこうか」

暗い廊下を抜けた突き当りを左に折れると台所に入った。
仕切りを挟んだ向こう側に四人がけの机があって、コットンはそこに座るよう言った。
「その子の親は?」
「親は……保護者はいません」
「違う!」
ルネは抗議した。
「違わない。オカノはもう君の保護者ではない」
ルネはひたすら首を左右に振った。
しかしそれに構わずイオは話を続けた。
「無理なら一時だけでもいいんです。そのあいだに他を当たります」
「詳しい事情はわからないが、こちらは構わないよ」
「感謝します」

ルネは二階の小部屋に案内された。
「ここを使いなさい。掃除はしてあるよ」
「……はい」
ルネが小さく返事をするとコットンは微笑んで下へ降りていった。
イオとリーはルネを置いてすぐに帰ってしまっていた。
コットンの雰囲気は穏やかで、ルネの混乱はおさまってきてはいたが、代わりに先の見えない不安が押し寄せてきた。
寝台に腰掛けてしばらくじっとしていたが、そのあだ家の中は静かで人の気配が感じられなかった。
手持ち無沙汰になったルネが一階に降りていくとコットンは台所の机にいて、黙々と何か書きものをしていた。
「おや、何かあったかい?」
ルネに気がついたコットンは顔を上げた。
「いえ、あの何かすることはありませんか?」
「そうだね、ではお茶でも淹れてもらおうかな」
「はい」
ルネは台所から空の薬缶を見つけて、それで湯を沸かしはじめた。
すると玄関の方から数人の話し声がきこえてきた。
その声は足音とともに台所に入ってきた。
「ただいま戻りました、司祭さま。あら」
最初に入ってきたのは恰幅の良い女でそのあとに黒い僧服を着た二人の中年の男が続いた。
「司祭この子は?」
男の一人が言った。
「今日から預かることになってね」
「まあ、それじゃあ多めにご飯を作らなくちゃね」
女はそう言って持っていた荷物を台所に置いた。
「あら、お湯を沸かしているの?」
「お茶を淹れようと……」
「私がやるわ。茶葉の場所を知らないでしょ」
そう言って女はルネを机のある仕切りの外へ押し出した。
机には僧服の男たちがすでに座っていてコットンと話をしていた。
ルネは空いている席にそうっと座った。

女と男らは夕方になると家を出ていった。
「彼らには別に家があるんだよ。ここには私だけが住んでいる」

この日からコットンとの生活が始まった。
朝の八時になると昨日の女と男がまた家にやって来た。
女はマーサ、男は背の高いほうがオムナ、低いほうがギャルといった。

コットンと僧服の男らは寺院で一日に何度も礼拝し、訪れる信徒の話をきき、空いた時間は家の裏の畑で農作業をするか台所の机で書きものをしていた。
マーサは食事を作り、掃除、洗濯、小屋に飼われている鶏の世話などをした。
コットンは朝早く起床し夜も早めに就寝し規則正しい生活をした。
ルネもマーサの手伝いをしつつ日々を過ごした。