「ここで大丈夫か?」
イオが通りの一角で車を停めて後部座席を振り返った。
「はい、ありがとうございます」
ルネはドアを開けようと取手に手をかけた。
「君……」
イオが何か言いかけたがルネはそのままドアを開けて外に出た。
そして家へと続く暗く細い路地へ足早に入っていった。
静まり返った家の中は薄暗くヒヤリとしていた。
ルネはそのまま自室に行きたかったがその前に台所へ向かった。
ひどく喉が渇いていた。
そっと居間のドアを開け足を踏み入れると締めきった部屋の空気は少し生暖かかった。
「医者に何か言われたか?」
ルネは声のした辺りをじっと見た。
「何か?」
「君の体のことだよ。そろそろ異常が出てくる年頃だからね」
「……何か知ってるの?」
ルネは恐る恐る尋ねた。
「ああ。僕が君を生み出してずっと観察してきたから当然だよ」
「観察? 父さんが、僕を、生み出した?」
オカノの言葉を理解しようとルネは努めて冷静に繰り返した。
「人工授精だよ。ある男女の冷凍保存された精子と卵子で君をつくった」
「どういうこと?」
今日はルネには実感の湧かない言葉が降ってくる。
自分が女の子だなんて、人工授精でつくられたなんて。
「ユージェニックだよ」
「それって……」
ユージェニックは今から十年前までの数十年間行われていたランス国の政策の一つで、当時は他の国でも試みられていた。
「君を生み出したあたりでちょうど廃止されてしまったがね」
現在その政策を行っている国はない。
理由は非人道的であること、効率が悪かったこと、民衆の大反対にあったことなどが挙げられる。
この政策は「劣等な遺伝子を駆逐し優秀な遺伝子だけを残して、人類を品種改良する」という考えのもとに行われた。
そして有識者を中心に国の繁栄を推し進めるという主張のもとに広まっていった。
具体的には、男女が結婚するには少なくとも男性の方は政府の発行する証明書を持っている必要があった。
そしてそれは主に優秀と評される男女にのみ発行された。
審査は厳しく、政府が認知する結婚率は激減した。
しかしその裏で隠れて結婚し子どもをつくる国民が急増した。
これを取り締まるため政府は証明書の発行されていない者同士が結婚した場合、罰として夫婦双方に不妊または去勢手術を強制的に行った。
このような政策に国民の不満は高まり暴動が起こった。
「僕はいい考えだと思っていたんだけど、人権とか倫理とか持ち出す連中が出てきた。だから僕は急いで研究を進めた。優秀な者らの遺伝子を掛け合わせて優秀な人間をつくる。これが僕の研究だった。それは成功して何人もの優秀な子どもたちを生み出すことができた。その一人が君だよ」
ルネは自分の体が冷えていくのを感じた。
オカノはさらに続けた。
「君がいたあの施設は僕や共同研究者たちが人工授精させて産ませた子どもたちのための施設だ」
ルネの頭に施設で最後に会ったあのときのマダムの顔が浮かんだ。
「僕とアンナには子どもができなかった。アンナは毎日悲しそうにしていて、それで僕のこの研究に協力してもらった。僕が人工授精させたものをアンナに代理母として産ませたんだ」
そのあとのオカノの話はこうだった。
アンナはルネを産んでとても喜んでいたという。
そしてその赤ん坊を自分で育てたいと言った。
しかし生まれた子は施設で育てるきまりであったためそれは認められなかった。
精子と卵子の提供者はすでに故人だったがそういうわけでオカノとアンナに親権は認められなかった。
その後すぐにユージェニック政策は廃止され、国は非難の的であったその政策の痕跡を消そうと施設にまで立ち入り、子どもたちの記録を押収し戸籍ごと抹消した。
だが施設の養護者たちから抗議を受け、世間にもその噂が広まり非難が集中したことで政府は新たに子どもたちの戸籍を再登録した。
しかしその作業はあまりにも杜撰だった。
全員の氏名、生年月日、性別などは本人もしくは施設の職員の記憶により再現されることになり、曖昧なものが多かった。
そのため政府は以降施設の子どもたちは年明けに一律に年を取ることとし、世間ではその戸籍を持つ子らを「ユージェニックの子どもたち」と呼んだ。
政策が廃止されたあと、引き取り手が現れて施設を出ていく子もいたがルネはそのままそこで育てられた。
それはルネがさまざまな問題を抱えていたからだ。
紫外線に対する抵抗性が低く、自己免疫や遺伝に関する疾患も見つかった。
オカノは施設に出入りしルネの経過観察を続けた。
そしてルネが六歳になった年にようやくオカノはルネを養子とすることが認められた。
「アンナはすごく喜んだ。僕も嬉しかった」
話し終えるとオカノは居間を出ていった。
イオが通りの一角で車を停めて後部座席を振り返った。
「はい、ありがとうございます」
ルネはドアを開けようと取手に手をかけた。
「君……」
イオが何か言いかけたがルネはそのままドアを開けて外に出た。
そして家へと続く暗く細い路地へ足早に入っていった。
静まり返った家の中は薄暗くヒヤリとしていた。
ルネはそのまま自室に行きたかったがその前に台所へ向かった。
ひどく喉が渇いていた。
そっと居間のドアを開け足を踏み入れると締めきった部屋の空気は少し生暖かかった。
「医者に何か言われたか?」
ルネは声のした辺りをじっと見た。
「何か?」
「君の体のことだよ。そろそろ異常が出てくる年頃だからね」
「……何か知ってるの?」
ルネは恐る恐る尋ねた。
「ああ。僕が君を生み出してずっと観察してきたから当然だよ」
「観察? 父さんが、僕を、生み出した?」
オカノの言葉を理解しようとルネは努めて冷静に繰り返した。
「人工授精だよ。ある男女の冷凍保存された精子と卵子で君をつくった」
「どういうこと?」
今日はルネには実感の湧かない言葉が降ってくる。
自分が女の子だなんて、人工授精でつくられたなんて。
「ユージェニックだよ」
「それって……」
ユージェニックは今から十年前までの数十年間行われていたランス国の政策の一つで、当時は他の国でも試みられていた。
「君を生み出したあたりでちょうど廃止されてしまったがね」
現在その政策を行っている国はない。
理由は非人道的であること、効率が悪かったこと、民衆の大反対にあったことなどが挙げられる。
この政策は「劣等な遺伝子を駆逐し優秀な遺伝子だけを残して、人類を品種改良する」という考えのもとに行われた。
そして有識者を中心に国の繁栄を推し進めるという主張のもとに広まっていった。
具体的には、男女が結婚するには少なくとも男性の方は政府の発行する証明書を持っている必要があった。
そしてそれは主に優秀と評される男女にのみ発行された。
審査は厳しく、政府が認知する結婚率は激減した。
しかしその裏で隠れて結婚し子どもをつくる国民が急増した。
これを取り締まるため政府は証明書の発行されていない者同士が結婚した場合、罰として夫婦双方に不妊または去勢手術を強制的に行った。
このような政策に国民の不満は高まり暴動が起こった。
「僕はいい考えだと思っていたんだけど、人権とか倫理とか持ち出す連中が出てきた。だから僕は急いで研究を進めた。優秀な者らの遺伝子を掛け合わせて優秀な人間をつくる。これが僕の研究だった。それは成功して何人もの優秀な子どもたちを生み出すことができた。その一人が君だよ」
ルネは自分の体が冷えていくのを感じた。
オカノはさらに続けた。
「君がいたあの施設は僕や共同研究者たちが人工授精させて産ませた子どもたちのための施設だ」
ルネの頭に施設で最後に会ったあのときのマダムの顔が浮かんだ。
「僕とアンナには子どもができなかった。アンナは毎日悲しそうにしていて、それで僕のこの研究に協力してもらった。僕が人工授精させたものをアンナに代理母として産ませたんだ」
そのあとのオカノの話はこうだった。
アンナはルネを産んでとても喜んでいたという。
そしてその赤ん坊を自分で育てたいと言った。
しかし生まれた子は施設で育てるきまりであったためそれは認められなかった。
精子と卵子の提供者はすでに故人だったがそういうわけでオカノとアンナに親権は認められなかった。
その後すぐにユージェニック政策は廃止され、国は非難の的であったその政策の痕跡を消そうと施設にまで立ち入り、子どもたちの記録を押収し戸籍ごと抹消した。
だが施設の養護者たちから抗議を受け、世間にもその噂が広まり非難が集中したことで政府は新たに子どもたちの戸籍を再登録した。
しかしその作業はあまりにも杜撰だった。
全員の氏名、生年月日、性別などは本人もしくは施設の職員の記憶により再現されることになり、曖昧なものが多かった。
そのため政府は以降施設の子どもたちは年明けに一律に年を取ることとし、世間ではその戸籍を持つ子らを「ユージェニックの子どもたち」と呼んだ。
政策が廃止されたあと、引き取り手が現れて施設を出ていく子もいたがルネはそのままそこで育てられた。
それはルネがさまざまな問題を抱えていたからだ。
紫外線に対する抵抗性が低く、自己免疫や遺伝に関する疾患も見つかった。
オカノは施設に出入りしルネの経過観察を続けた。
そしてルネが六歳になった年にようやくオカノはルネを養子とすることが認められた。
「アンナはすごく喜んだ。僕も嬉しかった」
話し終えるとオカノは居間を出ていった。