「ウィル!」

石畳の舗道を少女が手を振り駆けてきた。
道の脇の川沿いには黄色いコルザがやわらかな風に吹かれて静かに揺れていた。

「どうして先に行くの!」
ウィリアムのそばに来た少女は息を弾ませながら不満の声を上げた。
「ドイ、お母さんは?」
「何言ってるの、私もう五年生よ!」
「あ、そうだったね」
一つ年下の幼なじみはウィリアムと同じ学年になっていた。
「よかった、本当にもう大丈夫なんだね」
ドイがウィリアムの顔を覗き込んで言った。
「昨日話しただろ。大丈夫だよ」
「だって、この前退院してきたばかりじゃない」

——ウィリアムは二ヵ月前に病院で目が覚めた。
目を開けると白い天井が見え、すぐそばで母が自分の名前を呼ぶ声がした。

「もう目を覚まさないかと思ったわ」
ウィリアムは覗き込まれた茶色の二つの瞳を見つめ返した。
母のその言葉からウィリアムは懸命に一番新しい記憶をたどっていった。
「カプセル……」
一つ思い出すとそれを手がかりに次々と記憶が戻ってきた。

日も短くなり秋も深まってきたころ、学校であるテストを受けた。
その数週間後、学校から帰ると母が電話で誰かと話をしていた。
「……ええ、はい。ええ!?」
その困惑した顔と声にウィリアムは眉をひそめた。
母は電話を切ったあと両手で頬をはさんでうーんと唸っていた。
このしぐさは何か不安に思ったり困ったことがあるときの母の癖だった。
「母さん、どうしたの?」
ブロンドの髪がふわりと揺れた。
「それが明日、国の研究所の人があなたを迎えに来るそうなのよ」
「どうして?」
「以前受けたテストの結果から選ばれたそうよ。とりあえずリアムに相談しなくちゃ。電話電話……」


ウィリアムの父は工場の経営をしていた。
近年一般家庭にも普及しはじめたコンピュータの精密機器の部品をつくる小さな工場だ。
父は毎朝早くに家を出て、帰宅するのはすっかり暗くなってからだった。
少し遅くなるが家族そろっての夕食時が忙しい父とウィリアムがゆっくり話せるひとときだった。
ここ数年このように多忙な父も昔はもっとウィリアムと一緒に過ごしていた。

父はウィリアムのご機嫌を取るのがうまかった。
お菓子を一緒に食べたりキャッチボールをしたり。
ウィリアムが特に気に入っていたのが父の弾くギターだった。
休日の午後、夕飯のあと、ウィリアムの元気がないとき、父がコードをいくつか弾くとそれに合わせて母が歌った。
ウィリアムが学校に通うようになると父はギターを教えた。
大きさの違うおそろいのギターを二人が弾く間、母はクッキーを焼きながらきいていた。


部屋に行って宿題を済ませたウィリアムは最近のお気に入りの本を開いた。
「今日は何を読んでるの?」
母が手作りのクッキーを持って部屋に入ってきた。
「鉱石の本だよ」
「トマス叔父さんにもらった本?」
「そうだよ。ねえ知ってる? 地球は岩石の惑星なんだよ。そのへんの石にも歴史があるんだ」
ウィリアムは本の写真を母に見せた。
「これがパイライト。昔ラジオに使われてたんだよ」
「へえ、おもしろい形してるわね。こっちの石もきれいね」
「それはトルバナイトだよ。珍しいんだ。暗闇で光る石もあるんだ。でも身近な石でもキレイでおもしろい石はあるんだよ」
「へえ、どんなの?」
「クオーツだよ。氷みたいに透明でピンクにイエローもあるし、力や電圧を加えるとある特性を示すんだ。それでコンピュータの部品や時計にも使われていて……」
母はウィリアムを見て微笑んだ。
そしてある懸念が頭をかすめたように眉根を少し寄せた。
「まさか今度は石を集めだしたりしないわよね?」
「もうヘビのようなことはしないよ!」
ウィリアムは母の言葉にすぐに返した。
以前、ウィリアムはヘビの抜け殻を大量に集めて引出しにため込んでいたのだが、あるときそれが母に見つかった。
数年かけてコツコツと集め、大事にコレクションしていたが、母が絶句し青ざめているのを見て、非常に残念に思いながら手放したという過去があった。
それ以来、母はウィリアムの言動にとても過敏になってしまった。
「そうしてくれると嬉しいわ」
そう言うと母は部屋の中をぐるりと見まわしてから出ていった。
「石もダメか……」
ウィリアムはため息をついて、また本に目を落とした。

玄関の戸が開く音がしてウィリアムはテーブルの席を立った。
「父さん!」
父は疲れた顔をしていたが、近づいて来た息子に笑顔を見せ、抱き寄せて頭をなでた。
「帰ったよ、リズ。夕方電話で言っていたのは本当なのか?」
父が顔を上げて、遅れてやって来た母に話しかけた。
「そうなの! 国の研究所で明日から数日ウィルを預かるって言ってるのよ」
「「え、数日!?」」
ウィリアムと父の声が重なり、二人とも驚いて母を見た。
「リアム、どうしましょう。このまま預けていいのかしら」
「国からの要請なら応じなくてはならないだろう。他には何か言われたか?」
「特には。明日迎えに来るっていうことと、必要なものは向こうで揃えるから何も準備はいらないって」
「そうか」
「待って! それからもう一つ。これは家族以外には口外しないようにって」
母のその言葉に父が眉をひそめウィリアムを見下ろした。
ウィリアムは父の険しくなった顔を見つめ返した。