ある晴れた日の午後だった。
ルネは窓際に置いた椅子に座って本を読んでいた。
開け放した窓から流れ込んできた風が本の頁をパラパラとかき乱し、ルネはそれを手で押さえると外に目をやった。
路地には濃い影を落とし佇む人がぽつぽつと見えた。
遠くかすかに葉擦れの音と蝉の鳴き声もきこえた。
ルネの十三歳の夏季休暇が終わろうとしていた。
「ちょっと下へ来てごらん」
階下からアンナの声がした。
その声は午後の静寂の中を弾むようにのぼってきた。
「なに、母さん?」
ルネは部屋の外に顔を出した。
「今面白いことを言ってるのよ」
ルネが下に降りて居間に行くとアンナは小卓に置かれた木製の箱型のラジオを指さした。
「ジジ……の遺跡からジジ……ジった書物ですが、この書物の解読に特別……が設けられるそうです……」
ラジオからは臨時報道を伝える女性の声がとぎれとぎれに流れてきていた。
「あれ、さっきまでちゃんときこえていたのに」
アンナはラジオの箱を右にずらしたり左にずらしたり揺すったりもしたが、なかなかうまくいかなかった。
「遺跡?」
ルネの言葉にアンナは動かしていた手を止めた。
「そうそう、あなたこういう話題好きでしょう? なんでもあの遺跡からまた本が見つかったそうよ」
「トゥルーヌ遺跡のこと?」
「そうそう!」
「すごい!」
ルネは目を見開いた。
トゥルーヌ遺跡は五十年前にここランス国南東部のトゥルーヌ砂漠地帯を旅していた探検家が偶然発見したものだった。
探検家が国にそれを知らせるとすぐに調査委員会が立ちあげられ専門家による解析と研究が行われた。
調査により遺跡は一千年以上前のものだということが判明し、世界中を震かんさせた。
というのも、ちょうど二千年前から一千年前までの約一千年間の歴史は遺跡も記録もほとんど発見されておらず、謎とされてきたからだ。
それはランス国だけでなく、世界中のあらゆる国においてそうだった。
何千年にもおよぶ人類の文明史においてそのころの時代の歴史記録が世界中のどこからもすっぽりと抜け落ちていたのだ。
まるでその時代に一瞬で人類が消えてしまったのではないかと疑ってしまうくらいにぽっかりと。
それよりはるかに古い時代の史料はいくらでも見つかるのに、なぜ文明も科学も発展しているはずの新しい時代の記録が見つからないのかと学者の頭を悩ませていたがトゥルーヌ遺跡の発見で歴史研究が一気に前進した。
遺跡調査を進める中で数十冊の本と遺物が発見され、研究者たちはこぞって本の解読に取り組み、そしてその内容は世界にさらなる衝撃を与えた。
そこには五十年前の当時にはまだ解明されていなかった自然現象や物質の構成、科学技術についての記述があったのだ。
遺物の中の一つに円形の板のようなものがあったが、こちらは最近になって何かしらの記録媒体であることが判明し、解析が進められたが、データの大半が損傷しており詳しい内容は判明しなかった。
しかしこれらの発見で一千年前の文明は恐ろしく栄えて発展していたことがわかった。
ある研究者はこの空白について、その頃文字で記録を残す文化を持っていない民族が世界を支配していたか、急激な地球環境の変化や疫病の流行により人口が大きく減少し、文明の衰退が起こっていたのではないかという仮説を立てていたがそれが覆されてしまった。
記録は存在し、その時代の科学技術はずっと進んでいたのだ。
そしてそれらの本の内容が今日の技術開発に大きく貢献し、数十年で産業に革新が起きた。
そしてこの遺跡の発見を皮切りに世界各地でも同年代の高度文明の痕跡が発見されるようになった。
「父さんはこの放送きいているかな?」
「そうね、あの人のことだからもうすでにこれに関わっているかもしれないわ」
オカノはトゥルーヌ遺跡からもたらされた知識をもとにミクロな分野の研究をしていた。
その際、様々な実験を行い、その功績が学会で広く認められていた。
その夜、オカノが仕事から帰宅するとルネはさっそく新たに発見された本の話をした。
「今回はかなりの冊数が一度に見つかったみたいで騒いでいるね」
「父さんはあの研究に何か関わるの?」
「そうだね、まずは解読だね。僕の専門はその先だ。僕は言語学は得意じゃないんだ。その点ルネは得意だろう。お前の方がよっぽど早く触れる機会があるだろうさ」
「僕が研究に? もしチームに加われるんなら素敵だな」
そう言いながら、そんなことがあるわけないとルネは知っていた。
普通の子どもがそんな研究に加われるはずがなかった。
しかしルネはあまり自覚していなかったがある分野において普通ではなかった。
そしてオカノも変わっていた。
「ルネ、いい知らせだよ!」
書物の発見からひと月過ぎた頃、仕事から帰って来たオカノは嬉しそうにルネの手を取った。
「おめでとう、君は来週から本の解読チームに加わることになったよ」
「え」
ルネはポカンと口を開けた。
そんなルネをよそにオカノは話を続けた。
「元同僚と会って話したんだ。人手が足りないらしいから僕が君を推薦したんだ。来週から、どうだい?」
「本当に!?」
「でも学校はどうするの?」
アンナが台所から声をかけた。
「もう十分行ったさ。学校には僕から話すよ」
オカノの言葉にルネは目を輝かせた。
ルネは窓際に置いた椅子に座って本を読んでいた。
開け放した窓から流れ込んできた風が本の頁をパラパラとかき乱し、ルネはそれを手で押さえると外に目をやった。
路地には濃い影を落とし佇む人がぽつぽつと見えた。
遠くかすかに葉擦れの音と蝉の鳴き声もきこえた。
ルネの十三歳の夏季休暇が終わろうとしていた。
「ちょっと下へ来てごらん」
階下からアンナの声がした。
その声は午後の静寂の中を弾むようにのぼってきた。
「なに、母さん?」
ルネは部屋の外に顔を出した。
「今面白いことを言ってるのよ」
ルネが下に降りて居間に行くとアンナは小卓に置かれた木製の箱型のラジオを指さした。
「ジジ……の遺跡からジジ……ジった書物ですが、この書物の解読に特別……が設けられるそうです……」
ラジオからは臨時報道を伝える女性の声がとぎれとぎれに流れてきていた。
「あれ、さっきまでちゃんときこえていたのに」
アンナはラジオの箱を右にずらしたり左にずらしたり揺すったりもしたが、なかなかうまくいかなかった。
「遺跡?」
ルネの言葉にアンナは動かしていた手を止めた。
「そうそう、あなたこういう話題好きでしょう? なんでもあの遺跡からまた本が見つかったそうよ」
「トゥルーヌ遺跡のこと?」
「そうそう!」
「すごい!」
ルネは目を見開いた。
トゥルーヌ遺跡は五十年前にここランス国南東部のトゥルーヌ砂漠地帯を旅していた探検家が偶然発見したものだった。
探検家が国にそれを知らせるとすぐに調査委員会が立ちあげられ専門家による解析と研究が行われた。
調査により遺跡は一千年以上前のものだということが判明し、世界中を震かんさせた。
というのも、ちょうど二千年前から一千年前までの約一千年間の歴史は遺跡も記録もほとんど発見されておらず、謎とされてきたからだ。
それはランス国だけでなく、世界中のあらゆる国においてそうだった。
何千年にもおよぶ人類の文明史においてそのころの時代の歴史記録が世界中のどこからもすっぽりと抜け落ちていたのだ。
まるでその時代に一瞬で人類が消えてしまったのではないかと疑ってしまうくらいにぽっかりと。
それよりはるかに古い時代の史料はいくらでも見つかるのに、なぜ文明も科学も発展しているはずの新しい時代の記録が見つからないのかと学者の頭を悩ませていたがトゥルーヌ遺跡の発見で歴史研究が一気に前進した。
遺跡調査を進める中で数十冊の本と遺物が発見され、研究者たちはこぞって本の解読に取り組み、そしてその内容は世界にさらなる衝撃を与えた。
そこには五十年前の当時にはまだ解明されていなかった自然現象や物質の構成、科学技術についての記述があったのだ。
遺物の中の一つに円形の板のようなものがあったが、こちらは最近になって何かしらの記録媒体であることが判明し、解析が進められたが、データの大半が損傷しており詳しい内容は判明しなかった。
しかしこれらの発見で一千年前の文明は恐ろしく栄えて発展していたことがわかった。
ある研究者はこの空白について、その頃文字で記録を残す文化を持っていない民族が世界を支配していたか、急激な地球環境の変化や疫病の流行により人口が大きく減少し、文明の衰退が起こっていたのではないかという仮説を立てていたがそれが覆されてしまった。
記録は存在し、その時代の科学技術はずっと進んでいたのだ。
そしてそれらの本の内容が今日の技術開発に大きく貢献し、数十年で産業に革新が起きた。
そしてこの遺跡の発見を皮切りに世界各地でも同年代の高度文明の痕跡が発見されるようになった。
「父さんはこの放送きいているかな?」
「そうね、あの人のことだからもうすでにこれに関わっているかもしれないわ」
オカノはトゥルーヌ遺跡からもたらされた知識をもとにミクロな分野の研究をしていた。
その際、様々な実験を行い、その功績が学会で広く認められていた。
その夜、オカノが仕事から帰宅するとルネはさっそく新たに発見された本の話をした。
「今回はかなりの冊数が一度に見つかったみたいで騒いでいるね」
「父さんはあの研究に何か関わるの?」
「そうだね、まずは解読だね。僕の専門はその先だ。僕は言語学は得意じゃないんだ。その点ルネは得意だろう。お前の方がよっぽど早く触れる機会があるだろうさ」
「僕が研究に? もしチームに加われるんなら素敵だな」
そう言いながら、そんなことがあるわけないとルネは知っていた。
普通の子どもがそんな研究に加われるはずがなかった。
しかしルネはあまり自覚していなかったがある分野において普通ではなかった。
そしてオカノも変わっていた。
「ルネ、いい知らせだよ!」
書物の発見からひと月過ぎた頃、仕事から帰って来たオカノは嬉しそうにルネの手を取った。
「おめでとう、君は来週から本の解読チームに加わることになったよ」
「え」
ルネはポカンと口を開けた。
そんなルネをよそにオカノは話を続けた。
「元同僚と会って話したんだ。人手が足りないらしいから僕が君を推薦したんだ。来週から、どうだい?」
「本当に!?」
「でも学校はどうするの?」
アンナが台所から声をかけた。
「もう十分行ったさ。学校には僕から話すよ」
オカノの言葉にルネは目を輝かせた。