…それは、どういう意味だろう。

 期待してしまうな、と鮭の切り身を口に運んで咀嚼するのに、今日に限って味がしない。なんだか居心地が悪くて、ざわざわするのに、気分の悪いものではなくて。丁寧に私と同じ定食の魚に箸を入れる西先輩を盗み見て、目があったら慌ててお味噌汁に手を伸ばす。


「本当に恩に切るから、今度お礼させて」

「え、い、いいですよそんな、気にしないでください」
「羽柴がいなかったら餓死するところだった」
「大袈裟な! そんなこと言ったら私だって前にスマホ届けてもらってから何にもしてない」
「じゃ、そのお礼もかねて付き合うよ」
「えっ」

「言ってたじゃんな、卒論苦戦してるって」


 あ、そっちか。まぁ、そうか。いやそうだよね。いまちょっと別のことを期待した3秒前の自分を殴りたい。


「羽柴明日何コマまで?」
「あ、3、で終わりです」

「おっけ。俺も研究早めに切り上げたら落ち合えるから、終わり次第迎えに行くよ」


 迎えに行くよ、だって。

 大学生同士がする、それはなんだかデートみたいで、心が躍っていたのを自分でも感じていた。いつも決められた日常を辿るだけの日々。それをたまには自分から剥がしてみたって、いい。












「何? 今日やけに気合い入ってない?」

「え、ふ、普通だし」
「だーって化粧してるー! いっつも〝マスカラ落とすの面倒、シャドー何つけたらいいかわかんない、髪の毛…冬場とか洗い流さないトリートメント付けとけば終わりじゃない?〟 とか言ってるくせに」
「私だってたまにはちゃんとするよ」

「ふーん…?」


 同じ授業を取っていた理加には隣の席で嫌味っぽい私の物真似と、いつも通りキリッとした眉を持ち上げて含みを持たせた相槌を打たれたけれど、なんとかはぐらかしたつもりだ。

 何かを言い訳にするには違うけれど、地味な生活を送っていたこともあり特別おしゃれをする機会なんてとんとなかった。1、2年の頃こそサークルや理加に連れられるがまま訪れた合コンなんかに顔を出したことがあったけど、結果は、ご覧の通り。

 毛玉だらけのスカートではなく、前に一目惚れして買ってから一度も着ていなかったコーデュロイ生地のタイトスカートを履いた。甘くなりすぎるのを控えるために、黒のゆったりしたニットを着た。いつもおろしている髪は不慣れなアイロンを駆使して軽く撒いてみて、片方に流してみた。

 そして、専攻していた授業が早く終わったのを理由に、構内のベンチで読まない本を持って立ったり座ったりを繰り返していると「羽柴、」と自分を呼ぶ声がする。

 振り返れば、西先輩が息を切らして走って来たところだった。


「ごめん、やば、しんど、息切れた」

「走らなくて良かったのに」
「や、だってなんかそれっぽい子見えたから待たせてる、やべーって。迎えに行く話だったのに、ごめん」
「偶然授業早く終わっただけなんで、気にしないでください」


 そ? と少し苦しそうに唾を飲み込む西先輩を見上げて笑ったら、その澄んだ瞳が瞬いた。それで、走って来たことでおでこが出た状態の彼が、腰に手を当てて呼吸を整える。


「なんか今日、雰囲気違うね」
「…へ、変ですか?」

「いや? 可愛いと思ったんだよ」


 行こっか、と促されたとき既に最高潮の気分だったのが顔に出ていないか、気が気でなかった。