世界にあふれる物事の多くは、絶妙なバランスの上で成り立っているのだ。
「羽柴」
移動教室のために構内を歩いていたところで、斜め前から声をかけられた。
顔を上げれば手にした教材ごと軽く手を挙げる、赤茶の髪をしたその人。風に、少しだけ当てた彼のパーマが揺れるので、一度前髪を整えてから振り返る。
「西先輩」
「次移動?」
「あ、はい。D館なんですけど、遠いし早めに行っとこうって」
「そっか、俺も途中まで一緒。いこ」
こっち近いよ、とさりげなく近道を指し示してくれる先輩との思いがけない遭遇に心の中でガッツポーズをする。でもまさかそんな予定じゃなかったから今日の格好は全然やる気がないし、履いたチェック柄のサーキュラースカートは少し毛玉が付いていて、目についた大きめのそれを手でちぎって払ってからニットカーディガンを羽織り直す。
「羽柴、就活してる?」
「全然。最近みんなに訊かれますそれ、私卒論でいっぱいいっぱいです」
「やー、後輩の動向気になるじゃん。俺らの時も今時分で結構差ついて来てたからさ、これがけっこー今って正念場」
「なんか進研ゼミのCMみたい」
「おちょくってる?」
からかうように覗き込まれて笑いながら左右に首を振ったら、軽く肩をぶつけられた。それ一つでどぎまぎしているのは、恐らく、私だけだ。
「…先輩はすごいです。教育心理学専攻しながら4年間ちゃんと休まず単位取って、臨床心理士になる夢のために院まで通っちゃうんですもん。…私なんか到底」
「修士取っといた方がスムーズだから選んだだけだって。俺結構ズボラだよ? 余裕で単位落としかけたことあるし、羽柴だって児童福祉士なりたいって頑張ってるじゃん、こちらこそ到底知恵さまには及びません」
「やめてくださいよ」
ははぁ、と歩きながら前に出てお辞儀ポーズを取る姿すら王子さまみたいで、口に手を添えて笑っていたら俺ここ、って建物を指をさして微笑まれた。それで頭を下げて軽く手を挙げて「じゃ、」と告げれば、「じゃ、」と返ってくる。
「あ、羽柴」
「? わ」
「あげる」
集中力アップ、と両手ガッツポーズをして目尻に皺を作る先輩が建物の中に消えてから、投げられてすかさずキャッチした両手をゆっくり開く。そこにあったのは、いちごミルクの飴で。
「…可愛い」
「ちょっと、ちょっとちょっとちょっと!」
そこで突如隣から突っ込んできた誰かのせいで首が鞭打ちになった。