瞬間、男を誰かが押し退けた。
体当たりされ、突き飛ばされた男を目で追う合間に手を握られ、そのぬるさに暗がりで身に覚えを感じる。明るい茶髪が外灯に晒されて光ったら、遠くで西先輩がヒュウ、と口笛を鳴らした。
「おー!! 最後までロマンティック! ドラマ的!! すげー! ガイジでもヒーロー出来るんだ!」
「動画録っとこ」
「バカ身元バレんだろ」
こいつ、と横倒しになった男が体勢を立て直して彼を、那由多を殴った。それですぐさま彼に馬乗りになるから、私は必死で男の腕に噛みついた。咆哮をあげた男にお腹を蹴り飛ばされたけれど、那由多がその手を掴んで立ち上がり、走った。
「お幸せに、知恵ちゃんきみは一生変われないけどねー」と悠長な声が背中から追いかけてくる。
それでもただ夜を、前を走る那由多に連れられて。私はただがむしゃらに走り続けた。
どれくらい、走ったのだろう。
際限なく、地球の果てまで逃げたつもりで、どこにも逃げられない気がする。ただ、こんな知恵遅れのヒーローと出来損ないのヒロインじゃ、悪役もまともに後を追ってこない。
闇雲に走るなか、それでも信号を渡るときは片手を上げたり、時に減速したりしながら、那由多は私を捕まえて連れ出した。春はまだ遠い、夜の中。
湖の見える公園のベンチに腰掛けて、震えていたら肩にコートをかけられた。
イエローオーカーのトレーナーに、趣味の悪い虹色のマフラー。息を整えて霞んでいた飴色が、それでもこく、と苦しそうに精一杯唾を飲み込んで、私の前に座って。それで、それで。
にこ、と微笑んだ。
…なに、それ。
なんなの。
やさしく笑われてしまったら、もうだめで。
散々泣き腫らしてメイクもぼろぼろで、整えていた髪もぐちゃぐちゃで、自分がどうしようもなく情けなくて、子どもみたいに涙がまた、あふれ出した。変わろうとして飾った全部が、意味のないものだった。そうだ。先輩が言っていたことが、全部正解、当たってる。だって綺麗になんてなり方がわからない。心の在り方なんて人はそう簡単に変えられない。ずっとこうやって生きてきたんだ。
どこまで足掻いても、私は私にしかなれない。
背伸びをしても。誰かを羨んでも。指を咥えて物欲しげに見ていたって、私は私だ。もがいたって、あがいたって。
ぼろぼろ、とあふれて、そんな私の両手を那由多のあたたかい手が握って、なだめるみたいに、少しだけ上下に振る。