「はーしば」
大学構内の図書館にてぼーっとしていたら、声をかけられた。
出所は後ろで、振り向いた時には誰もおらず。「こっちこっち」、とその声を辿ったら、席の向かいに西先輩が座った。
「あ…先輩、こんにちは」
「こんにちは。ってなんかよそよそしいな。お、早速卒論対策?」
「はい、まぁ」
「けど手ぇ全然進んでないな」
図書館に来て、ノートを開いて。参考書を広げて、ペンケースから取り出したシャーペンを3回ノックした、ところまでは覚えている。それからどれくらい時間が経ったのだろう。振り返って確認するのも億劫で、目の前のノートは依然として白紙のまま、罫線に何の文字も見当たらない。
そこでまたトリップしてしまう私を窺うように、向かいの先輩が少し顔を傾けた。
「どうした? なんか悩みごと?」
「…いえ」
「もしかして、那由多くんのこと?」
気取られて視線があったら、やっとその瞬間まともに西先輩を見た。
臙脂色のニットの首元からシャツの襟だけ見えていて、その辺りを見た私の視線を、先輩が迎えに来る。
そして、軽く笑った。
「俺で良かったら相談乗るよ」
「…え」
「俺と羽柴の仲だろ? 水臭いじゃん。仮にも先輩なんだしさ、もっと積極的に頼れよ」
「…」
「…ここだけの話、卒論のこととか抜きにして。…俺も羽柴が心配なんだ」
視線を伏せたら、向かいのテーブルから手を差し伸べられた。臙脂色のニットから覗く大きな手のひらに、ほんの少し触れるだけで緊張してしまうのに。
そのとき、控えめに手を伸ばせば、きゅ、と握られる。
「これは、後輩としてなんかじゃない」
わかる? と静かに問われて、控えめに頷けば、「まじか、やった、」と心底嬉しそうに頭を下げた西先輩に、もう片方の手も取られて両手でぎゅうぎゅう握られて、その力強さに、笑ってしまう。
「…先輩、手、冷たい」
「末端冷え性なんだよ。羽柴あっためて」
「やだ、親父ギャグ」
「ちーがうって」
「おはようございます」
「あら知恵ちゃん、おはよう〜。あらっ今日ちょっとオシャレなんじゃなあい? あっもしかしてデート!?」
花屋のおばさんの言葉に、はにかんで前で持ったバッグの持ち手を握る。そのまま横髪を耳にかけながら小さく頷いたら、おばさんはきゃーっと悲鳴をあげた。
「やだ〜! もしかして前ここにいたイケメンくん!? も〜知恵ちゃんも隅に置けないわねえ!」
「…そんなんじゃなかったもん」
「またまた。ね、那由多くんもびっくりよねえ!」