着ぐるみは膝を折り、順番に並んだ子どもたちに風船を渡していくのに、突如大人の那由多が現れたことで、ちょっと驚いたようなリアクションを取ってから風船を手渡す。そして那由多が赤色の風船を受け取って嬉しそうに笑ったところで、彼の前に並んでいた子どもが誤って風船を離したのか、空に黄色の風船が飛んでいった。


「う、うわあああああん」

「ゆうくん、もっかい並ぼう? ね?」
「あああああやだああああ」


 堰を切ったように泣き出す4歳くらいの男の子に、お母さんが宥《なだ》めに入るけれど、泣き止まない。うさぎの着ぐるみも他の順番待ちの子達の方にいっぱいいっぱいみたいで、こっちまで手が及ばないみたいだ。困ったようにお母さんが泣き喚く男の子を抱きしめたところで、隣で立ち止まった彼が、


 那由多がその子に風船を差し出した。


「あげます」

「…え、いいんですか?」
「はい!」
「…」
「ゆうくん、お兄ちゃんにありがとうって言って」

「お兄ちゃん、ありがとう」

「はーい!」


 片手を挙げて元気に那由多が笑えば、泣いていたその子も次第につられて笑顔になる。

 ありがとうございます、と何度も頭を下げて男の子を抱えるお母さんに、風船をもらった男の子が肩口からばいばいをすれば那由多も両手で手を振り返して。

 また列の一番後ろに並び直した所で、私と目があって、とびきりの笑顔を向けられた。


 …那由多は、ばかだ。




 やさしい、ばかだ。




「…那由多ー、私、ちょっとお手洗い行ってくるから、風船貰ったらまたここにいて!」

 こくこく、と頷いたのを確認すると頷き返してショルダーバッグを肩に提げる。確か、トイレは会場入ってすぐのところにあったはずだ。あんまりのんびりしているとどこかに行ってしまっても困るし、早めに行かないといけない。

 席を立って、辺りを見回しながら歩き出す。それでも一度那由多がいるところを見て手を振ったところで、「そいつ」とすれ違った。



「…羽柴?」



 私は気がつかなかった。

 たぶん、相手が確信を持ったんだ。私が「那由多」を呼んだから。


 振り返り、イベントスタッフのジャンパーを着たツーブロックの黒髪の男と視線が合う。不審そうに目を細める相手のその顔と、過去。

 教室で那由多を蹴り飛ばして笑っていた、渡利の顔が重なった。