「あ〜腹減った。なんか食いたいな。」
重たい空気を嫌ったのか果たしてただただお腹が空いただけなのか、ソウスケが唐突に言う。
「…ここなら、色んなものがありそうですよね。」
「あ、あれうまそう。」
「ん?どれですか?」
「あれあれ。あのムキムキのおじさんが売ってるとこ。」
スッ、と立ち上がり歩き始めたソウスケについていく。
「中華まんはいかが〜?出来立てほかほか!あったかくて美味しいよ〜!今なら安く、できるかも…?さー見てって見てって〜!」
見た目通りの威勢のいいハリのある声で宣伝をしている。
「すいません、中華まん一つ。」
するとソウスケは隣からものすごい視線を感じた。
ギギギ、と若干目を動かすと、じーっとソウスケを見つめる金糸雀色の目。私も欲しい…っ!と言うアイの訴えだ。
「…やっぱりふたつ。」
ソウスケは押しに弱いらしい。
「あいよっ!ふたつね!小、中、大あるけど、どれがいい?」
「俺は大で…」
「私も、おっきいのがいいですっ!」
「大丈夫?かなりおっきいよ?嬢ちゃんほっそいし、食べきれねーんじゃねーか?」
「私見かけによらず結構食べるんですっ!大丈夫ですっ!」
前に誰かに驚かれたことがあるのかなんなのか、ちょっと気にしてるらしかった。
「そ、そうか!いっぱい食べるのはいいことだ!じゃあ嬢ちゃん可愛いから、嬢ちゃんの分は半額にしてあげよう!」
「え〜っ!ありがとうございます!」
「俺の分は…?」
「んー、お前は…。チャレンジ、してみるか?安くなるかもしれないゲームに。」
「なんだそれ。」
「ちょーっと待ってろー?」
そう言うと店主は屋台の後ろの方から木箱を一つ持ってきた。
「俺は腕っぷしには自信があるんだ。俺と腕相撲をして、勝ったら2人分無料にしてやろう。ただし、負けたら4個分の料金を払ってもらう。さあ、どうする?」
「…いいね。やろうじゃないか。俺も自信あるんだよね。」
「よしっ、じゃあろう!」
2人とも立膝をついて肘を木箱につけ、お互い手をがっしりと掴む。
「じゃ、じゃあ行きますよ…?よーい…スタートっ!」
ふんっ、とお互い思いっきり力を込める。店主は顔を真っ赤にしているが、ソウスケは冷静沈着な顔。かと言って余裕綽々と言うわけではなさそうだ。真剣に勝負はしている。
「すごいっ!頑張ってください!互角ですよ!!」
「……っ、がああぁぁっ!!」
最後のひと吼えと共にソウスケが店主の手の甲を木箱に思いっきり叩きつける。
「やったあ!ソウスケの勝ちです!」
「くそっ…!お前強いなぁー!!」
「まーね。」
「いやぁ、十数年ぶりに負けてしまった…。じゃあ約束通り、中華まん大二つ、くれたやるよ。はい、これがにいちゃんので、こっちは嬢ちゃんの分な。」
「ども」
「ありがとうございますっ!」
「また買いに来てくれよ!」
「はいはーい。」
もわもわと温かい湯気をあげている中華まんを持って、2人は店を離れた。
「よっしゃー無料中華まん!ただより美味いものはないっ!」
「美味しそうです…っ!」
肉まんがかなり大きいと言うのは本当で、アイの両手には収まらない。アイの顔くらいある。
待ちきれない様子のアイは早歩きでソウスケと広場まで行き、ベンチに腰掛ける。
食べていいですか…っ!?と、期待のこもった目でソウスケを見やり、どうぞと呆れ混じりに返す。
待ってましたとばかりに思いっきり肉まんにかぶりつく。
「…っ!!美味しいですっ!!」
「だな。当たりだったわこれは。」
「面白い方でしたね〜!」
「めっちゃ力強かったわ…。」
アイはまたパクッと肉まんを頬張り、へにゃ、と表情を思いっきり緩める。
「嬉しそうだな。」
「…私、攫われてから全部のことが初めてで、ワクワクしっぱなしです!こう言う服も、こんな場所も、食べ物も、人も、全部全部、初めてなんです…っ!!」
「…そっか。」
「まあ、最初はどうなるかと思いましたけど!」
寝てたらいきなり攫われたんですもん、と笑い半分のジト目でソウスケを見る。
「…ごめんごめん。寝てたから取りやすいかなと思ったんだよ。手頃な位置にある宝石がそれくらいだったし。」
「いきなり窓突き破ってくるし…」
「…一番慣れてるんだよ。」
「衛兵さんたちみんな倒しちゃうし。」
「…でも、殺してはいない。」
「なんてすごいことやってて、めっちゃ強いのにペンダントの外し方分かんなくて私ごと攫っちゃうし。」
「…それは想定外だった。」
ぼそぼそと弁解をするソウスケにふふ、と笑って星空を見上げる。
「ここは何もかもがめちゃくちゃです…!でも、私、お城での窮屈なマナーに縛られた食事なんかより、こっちの方が好きです…っ!」
「そりゃよかったね。美味しいものと巡り会えて。」
「……はい。そうですね!」
そう言うとアイは、いつの間にそんな食べていたのか、最後の一口を放り込んだ。
「…あ〜、今日の闘技場での相手、誰だっけ…?」
ソウスケも残っていた4分の1くらいを一気に口に突っ込む。もぐもぐしながらぼーっと空を見て言った。
「闘技場、ですか…?」
「うん。なんか、戦いたい奴が集まって戦うとこ〜。」
「へぇ…。」
「って、げ、VIPじゃん…。」
「びっぷ?ってなんですか?」
「闘技場の中でも特に強い7人。今日やるのはそいつらのうちの1人らしい…。」
「えっ、それってやばくないですか…!?」
「んー…。まぁ、相手が誰であっても戦うは戦うからな。」
「そうなんですか…。」
ソウスケのなんらかの強い意志を感じて、アイはそれ以上追求するのをやめる。
「……そんなこと言って。お姉さん、悲しみますよ?」
「…っ!?」
「ひゃあっ!!」
いつの間にそんなところにいたのか、2人とも一切気配を感じていなかった。
そこには眉をわざとらしく下げて薄く笑う男がいた。革靴にスーツ、黒髪センター分けと言った高級そうな出たち、やたらと整った顔も相俟って、恐ろしく不気味な笑いだ。
「…誰だよ、お前。」
「私ですか?今日の君の対戦相手、闘技場VIPのサトルです。」
「何しに来たんだよ。」
「ひどいなぁそんなにツンツンしないでよ。ただ君とお話ししに来ただけだよ〜。」
にこやかな笑みを浮かべるサトルを思い切り睨みつける。
「そうだ、せっかくソウスケ君と戦うんだ。お姉さんにもご挨拶したいな。生前お好きだった花はあるかな?……お姉さんの、ミヨリさんの。」
「…っ、おま…っ!!」
「ソウスケ!!!!」
サトルの口からその名前が出てきたことに信じられないと言った様子で目を見開くと、ソウスケは唐突に崩れ落ちた。
「ソウスケっ!!ソウスケってば!!」
「大丈夫かい?少し休むといい。じゃあ私は失礼するよ。」
そう言って歩き始めようとするサトルにアイはソウスケを抱えたまま精一杯の声量で叫ぶ。
「…っ、あなた一体なんなんですかっ…!?なんで、ソウスケのお姉さんのことなんてっ、」
「ちょっと小耳に挟んだだけさ?対戦相手の情報は的確に入手しておかないと。」
「……!?」
「まあお嬢ちゃんには分かんないだろうね。"こっちの世界"の話だから。ね、王女様?」
「!?どうして!」
「ああそうだ、彼、対戦までに回復するといいねぇ…。」
「ちょ、ちょっと…っ!!」
アイの言葉に振り向くことなく、サトルはこつりこつりと石畳に革靴を鳴らして歩き去る。
「……なんなんでしょう。」
あまりの不気味さに身震いするも、目の前に倒れているソウスケを見てハッとなる。
「そうだ、ソウスケ。とりあえずベンチに…。」
しかし毎日鍛えまくってるソウスケを箱入りお嬢様が運ぶのは安易ではない。
「…ぅう〜……ゃぁつ!!」
謎の叫びを発しながらなんとかベンチに寝かせることに成功。
「はぁ…。疲れました。」
ふぅ、と一息ついて、ソウスケの頭を膝に乗せる。
変な汗をかいて苦しそうに寝ているソウスケを見て、またため息をひとつ。
「ほんと、なんなんでしょうね…。」
「あっ、お、お兄ちゃん大丈夫?」
「ちょっと、サヤカ、待ちなさい!」
小さな女の子だ。慌てて呼び止めた女性はお母さんだろう。
まあ止めるのも無理はない。デカすぎるパーカーのフードをすっぽりかぶってベンチで俯いて座っていたら怪しいだろう。
(顔見えて、万が一バレちゃったらと思ってたんですが…。小さな女の子を怖がらせてしまうのはよくないです。)
「ねぇ、大丈夫?」
呼び止めたお母さんと何かもにょもにょと話した後、パタパタとサヤカが走ってくる。お母さんはどこかに行ってしまった。
覗き込んでくるサヤカを見て、フードを取る。
「うん。ちょっと体調悪くなっちゃっただけだから大丈夫だよ。」
「そう…?」
「うん。」
安心させようとしてアイはふわりと笑う。
そのキラキラとした笑顔に、サヤカはぽけーっとしてしまう。
「お姉ちゃんって、お姫様みたいに綺麗でかわいいね…っ!!」
海のように青く澄んだ目を輝かせて、憧れの目でアイを見る。
もちろんアイはぎくりとする。
「そ、そうかな…。ありがとう…」
苦笑いである。
「あの、お水買ってきたから、よかったらどうぞ。」
そう言っていつの間にか戻ってきていたサヤカのお母さんはお水のペットボトルをアイに差し出した。
「あっ、ありがとうございます!」
「いえいえ、いいのよ。…じゃあ、申し訳ないんだけどこのあと約束があるので行かせていただくわね。お大事になさって。」
「はい、すみませんわざわざ!ありがとうございました!」
「ばいばいお姉ちゃん!」
「さようなら!」
ぶんぶんと大きく腕を振るサヤカにくすりと笑ってお上品に手を振りかえす。この仕草にお貴族様みたいね、とサヤカの母が思ったのは無理もない。
「……ん…」
「ソウスケ?起きましたか?」
ソウスケは瞼を薄く開けて瞬きした。
「…ごめん。重いよなすぐ起きる。」
「いえ、いいですよゆっくりで。」
「ん…悪い。」
さすがにすぐ起き上がるのも難しいようで、ぐ、とゆっくり頭を上げる。
「お水、どうぞ。いただいたんです。」
「あぁ。助かる。」
ソウスケはペットボトルを受け取るとキャップを外して一気に半分ほどを流し込む。
「……どうしました?大丈夫ですか?」
「………嫌なことを、思い出して。」
まだ少し青白い顔で、ほんの少しだけ開いた唇の隙間からそう薄く呟いた。
すると、昔の話なんだけど、と言って、ソウスケは話し始めた。
「…っは、っは、」
「待てやこのクソガキぃっ!!」
王城の下街をジグザグとひたすら駆け回る。大人の足の間をすり抜け、時には屋台の台の下も潜り抜けてひたすら逃げる。手には見張りに立っていた衛兵のポケットに入ってた鍵。今回の仕事の依頼内容だ。
(やばいな…どうしよう。他の奴らも来てだんだん人数が増えてる。巻けそうにない…)
「ソウスケっ!」
聞き慣れな声が上から降ってきて走りながら見上げるとボブの女の子のシルエット。立ち並ぶ店の上をソウスケと並行して走っている。
しかしその身のこなしの軽やかさはソウスケより圧倒的だ。
夜空をバックに駆けるそのシルエットは、ソウスケの姉、ミヨリだ。
「姉ちゃん!」
「あ、ソウスケ前見て!」
慌てて前を見ると大きな荷馬車が道を横切っていた。慌てて下に潜り込み、轢かれないように急いですり抜ける。その動きは危なっかしく、ミヨリのように華麗にスライディングしていくなんてのとは全く違う。
「おい小僧!止まれっつってんだろ!」
「どうしよう姉ちゃん!逃げれそうにない!」
走って走って、何度も躓きながら必死で逃げ回りながらミヨリを見上げてくるソウスケを見て、ミヨリは今日はそろそろもういいか、と思った。
「ソウスケ。パス!」
ひょい、とジャンプをして地面に降り立ち、そのまま走り出してソウスケの前を一瞬で走り抜ける。そのタイミングに合わせて鍵を差し出す。
「ナイス。」
小さくソウスケにそう発すると駆けて行き、壁を登って上に行く。そして走り出し、地面に降りたり上がったりを繰り返すうちに、ミヨリはいつの間にか見つけられなくなっていた。
一方ソウスケは任務の遂行義務がなくなったのでサッと裏路地入り、市場への秘密通路に入っていった。
********
「も〜ソウスケは私がいないとダメね〜!」
「うん…。」
「はぁ〜。もうそんな、落ち込まないの!」
地べたにあぐらをかき、項垂れてるソウスケを見てミヨリ眉を下げて笑う。ぐしゃぐしゃとソウスケの髪の毛をかき回す。
「ほら、明日は特訓の日でしょ!早く寝な!」
「うん。」
********
「姉ちゃーん。怪我したぁ〜…。」
「もーそのくらい慣れなさいよ!はいこの先ソウスケの苦手な壁登りっ!」
「う、うん…。」
********
いつも姉に甘えてばかりだった自分。
頼り切っていたくせして、姉に興味を持とうとしていなかった自分。
そんな自分に、罰が当たったんだと思う。
********
「遅いなぁ〜姉ちゃん。」
ある日の夜中。俺はなかなか帰ってこない姉ちゃんを待っていた。
ダ、ダダ、と、重たい足音。振り向くと入り口には姉ちゃんが。けど、明らかに様子がおかしい。
「姉ちゃん…?どうしたの…姉ちゃん!?」
腹部に手を当て、苦しそうに顔を歪めながらよたよたとソウスケの元に歩いてくる。
地面に垂れた血は引きずられた足の形跡をなぞるようにして擦り付けられていた。
「姉ちゃんっ!?姉ちゃんっ!!」
「…ソウスケ、ごめ、んっ…。」
限界が来たのだろう。いや、ここまで歩いて来れた方が奇跡だ。がくりと姉ちゃんが崩れ落ちた。
慌てて駆け寄って見ると腹部が斬られている。ダメだもう、助からない。
「ごめんね…私が、弱かったから…。やられちゃったよ…。」
弱々しい声で眉を下げて笑った。なんで、この期に及んでこの人はあくまで俺に謝るんだろう。俺を安心させるために笑うんだろう。
「姉ちゃんは弱くなんかない…っ!!」
「……ソウスケ。聞いて?」
真剣な声に、思わず唾を飲み込んだ。
「前に、さ。「大切な人はいつもいるもの」って…言ってた、でしょ…?…あれ…よく考えてみて…っ。」
姉ちゃんはゲホッ、ゲホッと、咳をした。その拍子に吐血し、腹部からも血がさらに流れ出る。
「喋らないで!傷口が開く!」
「…ごめんね。…でも、これだけは言わせて…。」
「…なに…?」
姉ちゃんは傷口を刺激しないように、ゆっくりと深呼吸をした。
そして小さな声を少しでも多く空気に乗せるかのように大事に大事に、言葉を言い始める。
「ソウスケは、優し、すぎるよ。…君には多分…ダークヒーローは続けられない…。だから…昼の、世界で…。元気に生きて…。」
「で、でも俺は…っ!」
「優しいソウスケには…明るくて、あたたかい、昼の方が似合うよ…。今からでも…遅くない…。」
「俺は…。」
「ソウスケに、安全な世界へ行ってほしい…その優しさを、仇と取られない世界で、生きてほしい…。それが、私の…姉ちゃんの、願い、だから。」
姉ちゃんは、そう言って薄く微笑み、小さな小さな声で、ありがとう、と呟くと、…そのまま、旅立った。
********
ごめん姉ちゃん。無理だよ。
今更、昼の世界で生きていけない。これ以外にできること、知らないんだよ。俺には昼の世界で生きる術が、ないんだよ。ダークヒーローを諦めたくない。姉ちゃんのこともあるから、余計に…っ!
一晩中考えても、いや、何ヶ月考えても、俺に昼の世界に戻るなんて選択肢は出て来なかった。
───もっと、強くならないと。
それから俺は、毎日必死に鍛錬するようになった。この世界で生きる価値を得るために。
でも、そのうちに気がついた。俺は、何も知らなかったことに。
辛くても苦しくても、恨みを思い出して続けようとするたび、ハッとなる。俺の記憶の中にいる姉は、あまりに少ない。
「もっと姉ちゃんを知ればよかった…。」
大切な人と言っても、俺は姉ちゃんの誕生日さえ知らなかった。身長も、好きな食べ物も、そして…好きな花も。
大切な人は、いついなくなるか分からない。
だから人一倍、大切にしないといけない。
いつでもいるなんて、そんな甘えた考えだった自分を、本当に恨んだ。
今も姉ちゃんは、俺の心を蝕んでいる。
「……そんなことが、あったんですね。」
ソウスケが話し終えるとしばらく2人とも黙っていたが、やがてアイが口火を切った。
「俺には向いてないらしい。でも、俺にはこれしかないんだよ…。」
どうしたらよかったんだろうな…、と息を吐くように呟いた。
「……今日の相手、どうしよ。」
「私も手伝います!」
「え?」
途方に暮れたように言うソウスケを見て、アイはあっけからんと言う。
「1人だと怖いかもしれません。でも、2人ならきっと大丈夫です!」
「………。」
「やってみましょう!ね!」
「いや、でも、手伝うっつったってお前戦えないだろ。」
「…うーん…。…あ、応援できます!頑張れーって!」
あまりにも単純すぎるアイにソウスケは思わず少し吹き出した。
「…まぁ、賭けてみるか。俺が折れるくらいのしつこさはあるからな。」
「し、しつこいって!そんなことないですよ!」
ムキになって否定するもの、ソウスケはからりと笑って立ち上がった。
「…さぁ、行くぞ…!」
「はいっ!!」
********
「き、緊張しますね…!」
市場の一番奥にある、闘技場にて。
この国の裏社会のメインである場所だ。
スタイルとしては円形闘技場で、沢山の部屋があり、あちこちで日々戦いが行われている。
VIPの戦いなだけありすでに観客が沢山入っている。基本観客はおしゃべりだったり賭け事だったりの目的なことが多いが。
アイはキョロキョロと客席や会場運営に走り回るスタッフを見渡し、ソワソワしながらソウスケに言う。
「え?なんで?闘うの、俺だよ?」
ソウスケはもうステージに上がっている。アイはギリギリまでここにいるつもりらしい。
「…そうですけど、でも、私もパワー送らなきゃなので!」
「はいはいそーですか。」
苦笑してはいるが、硬かった表情がほんの少し緩んだことにアイは気が付いていた。
そうこうしてるうちに会場のアナウンスが入る。
〈闘技がそろそろ始まります…!本日のメンバーは…ソウスケ VS サトル!〉
観客の歓声と共に相手である男、サトルが入る。
闘うというのに先ほどと変わらない革靴にスーツ姿。相変わらずにこやかな笑みを浮かべてゆったりと歩いてくる。
〈何度も聞いていらっしゃるとは思いますがカンペに絶対言えと書いてあるのでしゃーなしで言います!【闘技場のルール:殺人は不可。相手がギブアップまたは戦闘不可になった場合に勝負がつきます。武器の使用はなんでも可。闘技は基本ステージ上にて行ってください。観客の方は銃弾などが飛んでくる可能性もございますのでご注意ください。】はーほんと長いですよねぇ。〉
なんだかしっかりとアナウンス口調で明るく解説してる割にはやる気がなさげな感じである。会場の人もうんざりした口調のアナウンスに笑っている。いつものことなのだろう。
〈はーいそれではルールを守ればなんでもオッケー!レディー…ファイト!〉
掛け声がかかるがサトルは動かない。
ソウスケもサトルを警戒して、じっと睨むだけだ。
────これですでに、サトルの計画にソウスケは嵌まってしまった。
…こいつ、どうする気なんだ。
さすがにさっきの事がある手前、ソウスケは慎重になっていた。
あくまでサトルの出方を伺う。先行になるとダメな気がする。
『もう元気になったんですね?よかったです。ところで結局教えていただけませんでしたが、お姉さんのお好みのお花はなんだったんですかね?』
「……っ!?」
いや、違う。
なにも聞こえてない。こいつはなにも喋っていない。だって口が一切動いてない。腹話術?そんな訳。
「ソウスケっ?どうしたんですか!?」
アイの声。アイには聞こえてないらしい。つまり観客にも。俺だけ?いや、俺にも聞こえていない。
『教えていただけないんですか…。それじゃあ違うことにいたしましょう。お姉さんの亡くなられた時のお気持ちは?』
目だ。こいつの、目だ。
この目が俺を追い詰めようとして、話しかけてきてるんだ。
…そうわかったところで逸らそうとしてもなぜか目を逸せない。なんでだ…?
『だんまりですか…あ、混乱してましたけど、そろそろ気づいた頃ですかね?まぁある種のテレパシーですよね〜。…これなら、私のことは知ろうとしなくたって知れますね〜?あ、好きな食べ物ですか?うーんババロアですかねぇ。』
んなこと聞いてねぇ。黙れ。黙れ黙れ黙れ!
衝動のままにソウスケは駆け出し、サトルに殴りかかる。しかし軽やかにそれは避けられる。何度も何度も当てようとしても、全て躱されてしまう。
『なんで当たんないんでしょうね〜いつもは強いのに?気づいてますか?精神のコントロールが効いてないから、動きが雑で予備動作も大きい。今のあなたなんて誰でも倒せちゃいます。まるでミヨリさんに頼り切っていた頃のあなたそっくりですね。』
煽られてるのはわかってる。
それに乗ってしまってる自分もわかってる。
けど…っ!!
どうしても姉ちゃんのことは、歯止めが効かなくなるんだ…っ!
脂汗をかいて、ソウスケは思わず膝から落ちた。
ダメだ。ここでまた倒れたら、負けだ。
ソウスケは遠のく意識を必死で手繰り寄せた。
********
────ソウスケが乱雑にサトルを殴り始めた頃。
(あれ…?なんか、ソウスケが変です。いつもはもっとこう、相手を見て的確に急所に入れていくスタイルで無駄がないのに、無駄まみれと言うか…。)
アイはソウスケのペアとしてステージ横の座席で観戦していたが、ソウスケの異変に気がついていた。
感情のままに動いているソウスケは周りが見えていないらしい。
(大丈夫、でしょうか…。)
「あっ…」
ソウスケが、膝をついた。
何かを考える前にアイは走り出していた。
(何か声をかける…?いや、なにも私には言えません。ソウスケなら…ソウスケならきっと、)
「ソウスケっ!!目、覚ましてくださーーーーい!!」
バチーン!!
思いっきり叫ぶと同時にアイはソウスケにビンタした。
生まれて初めてのビンタである。
「……っ!?あ、アイ!?」
「起きてください!」
「……ありがと。」
(あ、目が戻りました…っ!)
どことなくぼやっとしていた目がキリリと鋭く戻る。
「あれ。調子が戻った感じかな?」
今度は紛れもない、サトルの声である。
ソウスケはいつも通りの機敏な動きでサトルに突っ込み、目にも留まらぬ速さで後ろへ回り込む。サトルは精神戦メインなので基礎的な戦闘力はあまり強くないらしい。ソウスケよりも遥かに動きが鈍い。
ソウスケはそのままサトルの後ろから高くジャンプし、サトルに強烈な踵落としを入れた。
「……っ!!」
あまりの痛みに目を見開き、そのままサトルは崩れ落ちた。
〈…っあ、さ、サトルさん戦闘不可!ソウスケの勝ち!!〉
シン、と静まり返っていた観客が、アナウンスの声で我に帰る。VIPを倒した、と言う偉業を成し遂げたソウスケに、会場に大きな歓声が響いた。
「ソウスケっ!おめでとうございます!」
「やったな。」
アイはソウスケの元に駆けて行きハイタッチをする。
「あ、これ湿布です!」
「ありがと。」
「お揃いですねっ!」
ふふふ、と笑ってそう言った。
ソウスケは自分がやった罪悪感から微妙な顔をしているが。
〈…ん?あ、あ〜。なんかコメント届いたんですけど…なになに?『闘技場での奪い合いに勝ってないのにソウスケなんかペア組んでね?』あー確かに。えーっと、じゃー今から奪い合いイベント始めまーす!〉
うおおおおおおおおお、と会場がまた違う種類の歓声に包まれる。すごい熱気だ。
「う、奪い合いイベントってなんですか!?」
「じきに説明がある。」
〈え〜月一回不定期に開催される〜奪い合いイベント!大抵は高価な宝石かペア組みたい強い人ー!などですが、今回はソウスケが攫ってきたと噂の王女、アイ!!あ、VIPは参加不可ですのでご了承くださーい!えーそれではー、よーい、スタート〜!!〉
アナウンスと共に客席から大量の人が傾れ込んできた。
「えっ、えっ、どうしましょう!ってかなんでこんなに人来るんですか!?」
「んー知らんけど王女持ってる〜って自慢できると思ってるか売りたいだけじゃね?」
「えぇ…っ!?」
「落ち着けって。…俺が奪えばいいだけだろ。」
そう言うと、ソウスケはアイを急に持ち上げ、力一杯上に放り投げた。
「ん?え、へ……っ!?……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
空中に放り出されたアイは混乱と驚きと恐怖で悲鳴をあげる。
ソウスケはそんなアイを放置して押し寄せて来る観客を見渡した。
観客は迷わずソウスケを倒そうとする。いくらソウスケだとしても、これだけの人数で押せば倒せるだろうと思っているのだ。
実際、いくらソウスケでもアイを抱えては太刀打ちできない。
…そう、アイを抱えていれば。
「…来いよ。バカども。」
ソウスケはとびきりの笑顔で観客を煽った。ステージにはすでに前列の方に座っていた観客が15人ほど入ってきていた。
殴りかかって来る男にそのスマイルのまま駆け出していき、両足で軽やかにジャンプ。そのまま顔面を蹴り飛ばし、その男を足場しにて後ろにバク宙。その振り下ろした足で後ろにいた男を蹴り、そのまま片足で着地して浮いてる足を回し蹴り。2人分の首に命中させた。
掴みかかってきたやつの腹に一発入れ、そいつの持っているバールを奪い取る。それを振り回して3人を一掃。そしてついでのように近くにいた相手をローキックで体勢を崩し、バールをぶつける。
(んー、これ、なんか飽きたしいっか。)
ソウスケはバールを投げ捨てると迫り来る観客にどんどん打ち込んでいく。ソウスケは基本肉弾戦派なのだ。
一方その頃アイは、闘技場の天井近くまで飛ばされていた。
(…あっ、ぶつかる…っ!)
そう危惧してぎゅっと目を瞑り、手のひらを天井に向けた。
しかしぶつかるスレスレでアイの体にふわりと浮く感覚。あ、落ちる、と思ったその時。やっぱり体が落下していく。内臓が浮いているような感覚と、頭から真っ逆さまに落ちているその状況にまたアイは悲鳴を上げた。
ソウスケは基本無心で戦う派なので余裕の様子。秒数的にそろそろ落ちて来る頃だ。相手を殴り倒しながらそんなことを考えるくらいには。
横から横蹴りをしてきた男の足を掴み、そのままを振り回す。これで5人ほどを一掃。
…相手の武器だろうが、相手本人だろうが武器にする。これがソウスケのやり方なのである。
ちょうどいいところでパッと手を離す。男は遠心力のまま吹っ飛ばされた。別のやつに真正面から殴りかかられるも避けて腹部に潜り込み、強く一発打ち込んだ。
足を掬おうとされたのでそのくるぶしを思い切り踏みつけ、相手が怯んだその隙に踵落としを入れる。後ろから飛びかかってくるやつはしゃがんで避け、着地にバランスを崩しているその状態の腹部を思い切り蹴り上げた。もう敵はステージにいない。
手持ち無沙汰なソウスケにちょうどよくアイが落ちてくる。上下逆さまのままソウスケはキャッチ。
「うわっ。頭から来た。」
「「うわっ」じゃないですよ!」
「…ちょっと煽るか。」
ソウスケはそう呟き、上下逆さのアイを立たせた。
そして、アイを後ろから緩く抱きしめて、アイの肩に頭を乗せて挑発的に言い放った。
「お前ら、まだこいつに指一本も触れられてねーじゃん。どうしたどうした〜そんなもんかぁ〜?」
見事なほどに煽っている。分かりやすいが、逆にその分かりやすい煽りがウザいのだ。観客は一気にアイに集中した。
「んじゃ、10秒待ってやるよ。ほら。」
ソウスケはアイをステージの前に立たせた。
そのままソウスケは後ろに下がる。アイは突然の状況に意味がわかっていないようだった。
「え?」
「ほらほら。10秒待ってやるっつってんのに。なんもしなくていいわけ〜?」
「え…!?」
客席から先ほどとは比べ物にならないほど大量の観客が傾れ込んでくる。
アイはゾッとする。箱入り王女にどうしろと…!?
「え!?ソウスケ?!ソウスケっ!!」
「ほら、逃げろ逃げろ〜。」
振り返ってソウスケに助けを求めるも、ニヤニヤとするばかりで完全に楽しんでいる。アイを助ける気などさらさらない。
「ええええええ!?」
(この人実はドSだったりします…っ!?)
アイは人の少ない方の観客席へと必死で駆け出した。
「2、3…」
後ろには観客が迫っている。全力で逃げるも、もともとあまり走り回る方ではない上、相手は日々戦い合っている成人男性達だ。すぐ追いつかれてしまうに決まってる。
「7、8、9…」
ソウスケは優雅にカウントダウンをしながらアイが必死で逃げる様と目の色を変えて押し寄せる大群達を眺めていた。
「10。」
そう言い放つと同時にソウスケは観客たちへ走り出した。
逃げるアイを追いかける大群を追いかけるソウスケ…。新手の鬼ごっこである。
アイは、人の少ない上のフロアに逃げるも、体力が限界を迎えている。息は切れるし、足は酷く重たい。だが、後ろには大勢の追手が迫っていた。
(呼吸が、苦しい。喉の奥がギュウっと閉まるような感覚がする。足はもう上がりそうにない。どうしよう、捕まる…っ!!)
その時。何か後ろで、大きい衝撃音がした。でも今振り向いたらその分の時間だけでも追っ手が来て捕まるんじゃないかと思い、アイはそのまま必死で足を動かし続けた。
「はい、捕まえた。」
…声に振り向くと、ソウスケが後ろにいた。
「え…?」
(あの人々はどこへ…?)
更にソウスケの向こう側を見ると、そこにはたくさんの敵が倒れていた。
みんな死んではないようだが明らかに戦闘不能である。流石に目が信じられない。
(え、だって、この短期間で、この人数を…!?)
「上にほとんど行っちゃったみたいだし、後は下の数人を片付けるだけかな〜。」
ソウスケは、ニコッと笑って軽やかに下のフロアへと飛び降りた。
また衝撃音がしたのち、すぐに誰の声も聞こえなくなった。
「おーい。こっち来てー。もう全員やっつけたから。キャッチするから飛び降りてー。」
あとはアイがソウスケの元へ行けば、イベント終了だ。
でも、この高さを飛び降りろというのは…
無理です、と言う意を込めてソウスケを見つめるも、腕を広げたままソウスケは動かない。
「うぅ……。…い、行きまーす!」
なけなしの勇気を振り絞り、もうどうにでもなれと無駄に元気な掛け声と共にアイは宙に身を投げる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
(やっぱり落ちるのは無謀すぎました…っ!!)
アイは恐怖で目をギュッと瞑った。
「おかえり。」
急に体が止まったので目を開けると…アイはソウスケの腕の中にいた。
これが本当の「お姫様抱っこ」である。
「…ただいまです。」
アイはなんだか恥ずかしくなり、ソウスケから目を逸らした。
ソウスケの笑みは、いつのまにか消えていた。戦闘モードとのオンオフがわかりやすいタイプらしい。
〈おめでとうございます!本日の奪い合いイベントの勝者は、ソウスケです!!〉
…こうして、アイとソウスケはこの裏の世界で正式に認められたのだった。
「はぁ〜!!おつかれ様でした!」
「おつかれ〜。」
「勝ちましたね…っ!!」
「はいはいよかったよかった。…いやそんなに喜ぶか?」
ソウスケとアイは闘技場を後にし、広場に戻ってきていた。
アイの手には大きな紙袋。賞金の入った封筒と、景品がどっさり入っている。
「VIPだったから賞金多めだな〜。ラッキー。」
「これすっごく美味しそうです…っ!!」
アイが目を輝かせて見ているのは、景品のお菓子詰め合わせだ。
クッキーやフィナンシェ、マドレーヌなんかの焼き菓子が詰まっている。
「んー、お菓子かぁ。」
「好きじゃないんですか?」
「ものによるな。チョコは好きだけど。でも前は肉だったんだよ。肉がよかったなーと思って。」
「育ち盛り男子って感じです…っ!」
「いや普通に肉の方がテンション上がるだろ。高級肉なんて普段そんな買わねーし。」
「…私はもう食べたくないです。」
「…そうか。」
(お肉なんてあの場所で散々食べました。私にとってあの味は、最悪な空気の食事の味です。…もうお城で、あの人たちと食事をするなんて嫌です。…私は、いつまでここにいていいんでしょうか。いれるんでしょうか。)
暗い顔をして俯くアイに、ソウスケは何を言えばいいのかよくわからなかった。
そんな少し重たい空気が流れた時、アイの後ろから1人の女性が現れ、ベンチ越しにアイを抱きしめた。
「つーかまーえたっ!」
「ア、アヤメさん!?」
アイがびっくりして後ろを振り向くと、そこにはアヤメがにっこりして立っていた。その後ろにはたくさんの人が。
「みんな噂の王女様に自分のお店を見て欲しくて騒いでんだよ〜?はい立つ!そう!そして、ゴー!いくぞー!」
「「「「「おーー!!」」」」」
「えっ、え、え?」
促されるままにアイが連れていかれる。
アイは助けを求めようとソウスケを見るが…諦めた顔をして荷物を持ち、ついてきた。
ソウスケはアヤメが暴走し始めたら止まらないのを知っている。
********
「お嬢さんそんなパーカーなんかじゃなくて素敵なワンピースはどう?今王都で流行りのデザインで若い子に大人気なの!」
「お嬢さんまだこっち来たばっかりでしょ?武器持っといた方が便利だよ〜なにがいい?」
「可愛いお菓子はいかが?今どきのカラフルなスイーツもバッチリ揃えてるよ!混ぜると色が変わる水飴もあるんだよ!おひとついかが?」
「あなたの未来を占ってあげましょう…生年月日は?血液型は?さぁ教えてちょうだい…」
「す、すみません大丈夫ですっ!!」
アイはあちこちの店で勧誘され、ありとあらゆるものを買われそうになるが必死に断る。
しかし向こうは昔からこの地で商売をやってきたプロ。なかなか手強い勧誘にアイは苦戦していた。
「あのっ、お気持ちありがたいんですが、ちょっと疲れたので帰らせていただけないでしょうかっ!!」
アイはたまらなくなって周りの人々の腕を振り解き、全身全霊で叫んだ。
驚きでみんながぴたりと固まる。
「…確かにそーじゃねーか。」
「しかも今まで昼夜逆転してたんだようちらと比べて。それでこんなわらわらされちゃあ疲れるわ。」
「帰ろ帰ろ!」
「ごめんなぁ嬢ちゃん」
「ほら、みんな解散だ解散!」
「「「イェッサー!!」」」
それまでアイにかかりっきりだった店主たちはそれぞれ自分の店に戻って行った。
そんなアイを遠巻きに見ていたソウスケがやって来る。
「やるじゃん。」
「ありがとうございます…って言うか助けてくれたっていいじゃないですか!」
もう、酷いです!とむくれるアイにソウスケはスッとバームクーヘンを差し出す。
「ごめんて。な?」
「…しょうがないのでバームクーヘンに免じて許してあげます」
むぐむぐとバームクーヘンを頬張るアイを見てほっとソウスケは息をつく。
「なぁ…汗かいたし汚れたし、銭湯いかねぇ?」
「銭湯…ですか?」
「あー、風呂風呂。公衆浴場って言えば伝わる?」
「お風呂ですか!私も行きたいです!」
「んじゃ、それ食い終わったら行くぞ。」
「はい!」
********
(ど、どうすればいいのでしょう…。)
アイは銭湯の前で佇んでいた。
ソウスケは「…入り方は他の人見て。あ、これお風呂セット代。」とだけ言い残し、アイにお金を渡して行ってしまった。
キョロキョロと周りを見渡すも、皆楽しそうに話して銭湯に入って行ってしまい、話しかけるタイミングがない。
「あれれ〜今日の奪い合いイベントの子じゃ〜ん!見てたよー。すごかったねー!」
アイは突然女の子に話しかけられた。振り返るとそこにいるのはくすみピンクの髪の毛をツインテールにした明るい子。年下っぽいが、態度は砕けていて年上に対する恐れが微塵もなく、何よりそのモルガナイトのような透き通っていて力強いピンク色の目がどこかただものではないようなオーラを発していた。
アイがその目に圧倒されて黙っていると、女の子は「ん?どうしたの?」と不思議そうに首を傾げる。その声にハッとし、アイは慌てて返事をする。
「えっ、あ、ありがとうございます!」
「こんなところに突っ立ってどうしたの?」
「いや、あの、お風呂に入りたいんですか、銭湯に入ったことなくて…ソウスケには置いて行かれてしまいまして…。」
「あははっ、そりゃそうだよだってソウスケくん男湯だもん!おいで!私も入るから一緒に入ろう!」
何も知らないことが恥ずかしくなり、もじもじとしてアイは白状した。
すると女の子は弾けるようにケラケラと笑った。そして笑顔でアイの手を掴んで銭湯の入り口へと引っ張る。
「ありがとうございます…!」
女の子に手を引かれるままにアイは人生初銭湯へと入って行った。
********
「銭湯ってすごいんですね…!色んな人と一緒にお風呂に入るって面白いです!」
「ふふふ、初めてだと珍しいよね。」
「はい!コーヒー牛乳も初めて飲みましたけどとっても美味しいです!」
お風呂から上がり、2人はロビーでくつろいでいた。
初めてのお風呂に最初は緊張していていたアイも、お風呂でリラックスしてふにゃふにゃになっている。
女の子の名前はヤエと言った。
なんとアイより一つ年下なのにも関わらず闘技場のVIPなんだそうで。
その幼なげな見た目に反するオーラはそのせいかとアイは納得した。
「ヤエちゃん手伝ってくれてありがとうございました!ヤエちゃんがいなかったらどうなってたことか…。」
「ふふふ〜どういたしまして!」
満足気にニコニコしているヤエを見てかわいいなぁとアイはほっこりする。
しかしこれを言うと年下扱いされてるとヤエが機嫌を損ねるので心の中に留めておく。
「あっ、忘れてた今日私依頼入ってたんだった!ごめん行くね!バイバイアイちゃん!」
「あ、はい!頑張ってください!ありがとうございました!」
ヤエが行ってしまい、アイはどうしたらいいのかわからない。
ソウスケはまだ来ないのか。あまり長風呂するタイプには見えないし、そもそもアイはヤエとおしゃべりしながら入っていたのでかなり長く入っていた。
(…もしかして長すぎて置いていかれちゃいました…!?)
アイは慌てて外に出ようとして、トンっと人にぶつかった。
「わっ、ごめんなさい!」
「ん?アイ?どこいくんだよ。」
「ソウスケ…!?」
そこには腕に大きな箱を抱えてソウスケが。訝しげな顔でアイを見ている。
「ソウスケに置いて行かれちゃったかと思って…。」
「置いてかねーよ。」
「…そうですよね、すみません。」
「いや。…これ、好みかは知らんけどとりあえずお前の生活用品揃えたから。」
そういって箱の中を開けて見せる。基本モノトーンなチョイスはいかにもソウスケだ。しかしシンプルなので誰でも使いやすい。アイはびっくりしてソウスケを見る。
「ここで暮らして、いいんですか…っ!?」
「…そゆこと。はい、帰るよ。」
「…はい!」
そっぽ向いてさっさと歩き出すソウスケをアイは嬉しそうに小走りで追いかける。
「あ、私お友達ができたんですよ!」
「…へぇ。そうなんだ。よかったね。」
「あ!見てください!朝日です!」
「はいはい、ほら段差。こけるよ。」
「もう、そんな子供扱いされなくても大丈夫ですー…ひゃぁっ!!」
「フラグ回収早すぎだろ。」
「むぅ〜…。」
ジト目を作ったソウスケとわざとらしく膨れっ面をしたアイは目を合わせるとお互いの変顔に吹き出した。
「ソウスケの笑った顔初めて見ました!」
「そうか?仕事の時はいつも笑顔って言われるけどな。」
「えーこわー…。」
「引くなよ〜。」
朝日が差す街を2人は楽しげに歩いていく。
そんな2人を街の人々は微笑ましげに見ていた。
───お前の価値は金だけなんだよ
…っ!!どうして?なんでお兄様が…ここは…王宮。
私を突き飛ばしたのは兄のエイタ。兄の隣で扇を扇ぎながら意地悪く笑っているのは妹のフウカ。
アイはバランスを崩して床に座り込んだ。
───やだ〜お兄様、そんなにはっきり言ってあげないでくださいませ。
───しっかり本人に自分の立ち位置をわからせるのも優しさだろう?
───あら、そうですわねお兄様。勘違いしてることほど恥ずかしいことはありませんもの。なんでお兄様は優しいのかしら。それにしても見てくださいませ!こんなふうに惨めに床に崩れ落ちて。髪も乱れていてみすぼらしいこと。こんなの金にもなるのかしら!
可愛らしく兄を上目遣いで見たあと、わざとらしく扇で顔を隠し、アイを見下す。
それに応じるように兄は爽やかな王子様スマイルをしたあと呆れたように笑う。
───これ単体じゃないさ。王族の血ってだけさ。
───まあ、こんなのに私達とと同じ王族の血が流れてるなんて信じられませんわ!
───本当だよねぇ。まぁただ僕らにはそれ以外の価値がたっぷりついてるけど、こいつには何もなかったってことさ。
───幸運でしたのね。こんなのにも神様はお慈悲を与えてくださる。いくら「力」を与えないからと言っても見捨てはしない。我が国の守護神ユテリル様はなんて素晴らしいのかしら!本当に感謝しかありませんわ!
───ははは、本当だね。ほら、お前も感謝しないと。何もないお前に金という価値を与えてくれたのだから。
───そうですわよ、お・ね・え・さ・ま ♪
…私はこのフウカが言う「お姉様」が本当に嫌いだった。
他人の前でだけ可愛こぶって甘えたで私を呼ぶこの声が。そうでない時は心底見下して私を呼ぶこの声が。
───フウカはきちんとお姉様と呼ぶのかい?なんていい娘なんだろうね。
───だってそうでないとお父様がうるさいのですもの。一応外面はよくしておかないと私の品位が下がりますわ。
───それもそうだね。さて、こんなのほっといて、今日は街に行く約束だろう?
───ええそうでしたわねお兄様!早く行きましょう私新しくできたパティスリーのチョコレートミルクレープが食べたいのです!美味しいと今お友達の間で評判ですの!早く行かないと売り切れてしまいますわ!
───あぁ、そうなのかい。こんなやつに構ってる暇なんてなかった。行こう。
フウカは綺麗に巻いたクリーム色の髪の毛と華やかなドレスを翻し、お兄様の腕に自分の腕を絡めてニヤリとアイを見下し、部屋を出て行った。
…私だけ、王族の中で唯一髪がクリーム色ではなく銀髪だから。
…私だけ、ストレートじゃなくて癖っ毛だから。
…私だけ、王家代々に伝わる恩恵である「力」がないから。
しょうがない。どうしようもない。
…けど、つらい。つらい…っ!
…お願い、もうやめて…。
********
「…っ、ぅ……ぅっ…」
午後3時。
ソウスケが起きるとアイが隣でうなされていた。
「…?」
多少マシになるんじゃないか、となんとなくアイの手を握る。
(…って、いや俺キモいな。)
寝起きで頭がぼんやりしてたんだと自分の奇行を誤魔化し、慌てて手を離す。
「…ん、ぁ。」
それで起きた訳ではなさそうだが、アイが起き上がった。
「…起きたか。」
「…怖い、夢を見ました。」
ソウスケはアイの寝起きの顔についた涙の跡を見て「そうなんだ」とだけ呟いて立ち上がる。
「行くよ。朝飯。」
「朝って…今何時ですか?」
「ん?お昼の3時過ぎくらい。」
「えぇっ、そんなに遅いんですか!?」
「早いよ。こっちの世界は完全に昼夜逆転なんだから。朝6時就寝、午後3時起床。」
「…そ、そうなんですね。」
「ほら、早くしねーと置いてくぞ。」
「ま、待ってください!」
********
「あ。」
家の外に出た途端、ソウスケが急にぴたりと立ち止まった。アイは不思議そうにソウスケを見るが目が合わない。何かを考えてるようだ。
「あー。えー。どーしよ。」
「…えっと、どうしましたか?」
そうアイが聞くとまたうーんと唸り、首を傾げて頭を掻いた。
「いやー、いつも朝この時間、俺色々と練習しながら行ってんだけど…。お前がついて来れるわけねーし、どーしよっかなって。」
「…私やります!ついていけますっ!」
「え?マジで言ってる?」
「はい!」
「えぇ〜…。じゃあ…行くよ?」
「はい!頑張ります!」
「…一応後ろは確認しながら行くから…。んじゃ、ついてきて。」
ソウスケは不安気にアイを見るものの、いざ決めると潔く走り出した。アイは慌ててソウスケについていく。
(最初っから全力疾走なんですけど…!?)
ダッシュの状態のまま4分ほど、距離で言うと1キロほどを走り抜け、建物と建物に挟まれた遊歩道に出た。ソウスケは勢いを殺さずそのまま壁に向かっていく。
(えぇ…っ!?壁に向かって突っ込んでいきます…っ!!)
アイはぶつかると思いその場にとどまりソウスケを見ている。するとソウスケは両サイドの壁を交互に足場にして跳び、上昇して4階建ての建物の上に飛び乗った。
(え……っ!?)
アイが絶句しているとソウスケが上から顔を出してアイを覗き込む。
「…えっとー、行ける?」
(いやいけるわけないじゃないですかっ!!)
アイはぶんぶんと顔を真横に振った。
10秒後。
アイはソウスケに抱えられて建物の上に降り立っていた。
しかしこんなのまだまだ序の口だ。ソウスケは四つ先のビルを指差した。
「あのオレンジのね。あそこまで行くから。途中でスピード落とさない方がいいよ。逆に落ちるから。落ちたら…うーん、ドンマイ?」
(ドンマイどころの話じゃなくないですっ!?)
ソウスケは助走もつけずに隣のビルへ軽くトンッと弾みをつけて跳び移る。
空中で静止したかのように見え、一瞬アイは息を呑むがソウスケはそのまま着地、勢いを止めずにさらにもう一個向こうのビルへ。身体を捻って柵に足を乗せ、ビル一個分をジャンプで横断するとバク宙し、最後のビルへと着地した。
(…え、次、私ですよね…。無理ですよね絶対…!…でも、言い出したからにはやるしかない…っ!)
アイは覚悟を決めて走り出した。
「とりゃぁっ!!」
王女らしからぬ掛け声とともに思いっきりビルの淵からジャンプ!
(やばいやばい落ちる…っ!あ!でも手が届いた…っ!!)
アイはギリギリビルの端のレンガを掴んだ。落ちたら終わり、その恐怖がアイの体を無理矢理その手一つからビルの上へと登らせた。
「……ぅっ、ぐぁっ!…はぁ、はぁ…。」
さて、まだ一つ目を飛び越えたばかり。続いて二つ目。
さっきより距離が遠い。しかも柵で囲まれていて柵に着地しないといけない。つまり上にも跳ばないといけない。
もはやため息のような息を吐いて、アイはキッと次のビルを睨む。
よしっ、と呟いて走る。地面を思いっきり蹴り上げる。身体の内側に慣れない浮遊感。必死でアイは腕を伸ばす。これまたギリギリ、片手で柵を掴んだ。
体を振り子のようにして勢いをつけ、もう片方の手も柵を掴む。そのまま懸垂のようにして体を持ち上げ、腕をぱっと離して柵の上を掴み、さらに上に。ようやく足が地面につき、無意識に止めていた呼吸を再開する。
さぁ、あと一つだけ。けど、まだあともう一個ある。しかも今度は路地ではなく広めの道を挟んでいる。ごんな幅を飛び越えられるわけがないとしか思えない。
…まぁ、とりあえず跳ぶしかない。
もはや半端諦めた状態でアイは助走をつけ、弾みをつけて跳ぶ。
あ、落ちる。まずい。
明らかに届かないことを悟り、アイは絶望を感じた。
「…よっ…と…。大丈夫そ?」
ソウスケがアイの腕を掴み、軽々と引き上げる。グッと上に引っ張られ、アイはなんとか落ちるのを回避した。生きた心地がしない。
「ありがとうございます…。」
「はいはーい。んじゃ、次行くよ。」
ソウスケは急にビルの淵から飛び降りた。え!?と叫んでアイは下を覗き込むと、ビルの外に取り付けられた排気用のパイプの上に立っていた。
「そんなところ通るんですか…!?」
「ほら、早く来ないと置いてくよー?」
「うぅ…行きますっ!」
意を決してアイはビルから飛び降りた。
そのままあちこちのビルのパイプに飛び移りながらパイプの上を走っていく。
またビルを飛び越えたり、ベランダの柵を踏み場にして跳んだりとめちゃくちゃな場所を通り、やっと市場の入り口に着いた。
「はい、終了。お疲れ〜。」
「う…疲れた…なんてもんじゃないです……っ!」
ソウスケは涼しい顔をして無傷。ところが対してアイは痣、擦り傷、切り傷と傷だらけ。息も上がっていてボロボロだ。
「…ドンマイ。でもまあ、よくついてきた方だとは思うよ。」
「ありがとう…ございます…。」
「じゃあ、朝飯食いに行こ。」
「はい…。」
毎日これを軽々とこなしているソウスケは人間じゃないんじゃないかとアイは思わず疑った。
「なんですかあれ…!とてつもない魅惑の香りがします…っ!」
市場ではあちこちの屋台からいい匂いが漂っている。屋台での朝食が定番なこちらの世界。午後2時くらいから朝食のために屋台が出ており、毎日たくさんの人々が仕事前のエネルギー補給にと訪れていた。
そんな美味しいもの溢れる朝の市場だが、その中でも一際アイの鼻にアプローチをしてくるこの匂いはなんだろうとアイは匂いの元の屋台をキラキラとした目で見つめる。
「ん?あー、これ?醤油醤油。そうか王宮じゃフレンチのコースみたいなもんしか出ねーのか。」
「醤油…。知識としては知っていましたが実際に出会ったのは初めてです!」
「食べるか〜」
「いいんですか…っ!?食べたいですっ!!」
「ん。ちょっと待ってて。…すいませーん肉巻きおにぎり2個ください。」
ソウスケは屋台まで歩いて行き、炭火の上で茶色くて細長い、匂いの正体のそれを転がして焼いているおばさんともお姉さんとも言えない微妙な歳の女性に声をかける。
「はいはーい。あらソウちゃんじゃないの!まぁおっきくなって…」
なんとソウスケが小さい頃からの顔見知りらしく、ソウスケの顔を見てあら、と驚く。三角巾の下の髪の毛は艶やかな栗色の髪で、パッチリとした目が印象的な美人さんだ。しかしそこまで若いわけでもなく、美しく歳をとるタイプらしい。羨ましい。
「毎回そのくだりいいから…。」
「もう、いっつも冷たいんだから〜。」
おしゃべりをしながらも棒に刺さった肉巻きおにぎりを屋台らしいプラスチックのフードパックに手早く詰める。忙しい朝の市場で長年商売をしている証拠だ。
「はい、熱いから気をつけなさいね。」
「あんがと。」
ソウスケは熱々の肉巻きおにぎりを持ってアイの元へ戻ってきた。肉巻きおにぎりはかなり大きく、ボリュームたっぷり。なんとアイの肘から手首くらいまでの長さと同じくらいだ。
アイは炭火で焼かれた醤油だれの甘辛い香りと艶やかなその見た目に完璧にロックオンされている。
「わぁ〜〜っ!!これは肉巻きおにぎりなんですね…っ!!なんて美味しそう…。」
「ほら、はいこれ。食べよーぜ。」
「ありがとうございます…っ!いただきまーすっ!!」
「いたーきまーす。」
アイは待ちきれないといった様子で肉巻きおにぎりにかぶりつく。口いっぱいに広がるお肉の旨みとじゅわりと溢れる肉汁。そこに絡みつく醤油だれの病みつきになる甘辛さ、鼻に抜けるその香ばしい香り、それだけだと濃く感じるそれらの味を華麗に受け止めるご飯はなんともち米でできていて炊き方も絶妙。もちもちさが最大限に生かされている。
この肉巻きおにぎりの全てがアイの空腹な身体を刺激して、アイは言葉が出なくなるほどの幸福感でいっぱいになり、パァっと目を見開く。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!おい…っしいです〜〜〜〜っ!!」
「ほんとエマさんの肉巻きおにぎりは昔から絶品なんだよな…。」
「やばいです…っ!!こんなに美味しいの初めてです…!!」
「よかったな〜。」
「…ところで、なぜおにぎりなのに棒に刺さっているんですか?」
「あーほら、それは市場特有の。朝って仕事前で忙しい人が多いから、食べ歩きしやすいようになってんだよ。片手で持てるものとか、こぼれにくいのとか。その一環で細長い系のとか棒に刺さってるのが多いんだよ。」
「へぇ〜!市場の皆さんの工夫であり、優しさなんですねっ!」
「そーだな。」
そう話してる間にアイはパクパクとおにぎりにかぶりつき、ペロリと平らげていた。
「ごちそうさまでしたっ!」
「ごちそうさま〜。」
「あらあら、どうも。お嬢さんいい食べっぷりねぇ…」
「…っ!…うぅ、お恥ずかしいです…。なんかすみません…」
「いーえ!とんでもない!あんまり美味しそうに食べてくれるから嬉しくて…!ありがとね!」
「そんな滅相もない…。」
「ほら、行くぞ。」
「あら〜ソウスケ拗ねちゃったかしら?」
「ちげーよ…。」
「もう、そんな怖い顔しないの!じゃあね〜ぜひまた!」
「はい!ありがとうございました!」
********
「わぁ…すごいですね…。」
2人は朝ごはんの後、闘技場に来ていた。
ソウスケが試合準備のため舞台裏に行ってしまったので、アイは1人客席でのんびりと模擬戦を見ているが、これが思いの外面白い。
見たことないような武器や技ばかりで、えっ、そんなことが!?とハラハラドキドキするのだ。最後までどちらが勝つのかちっともわからないのもすごくいい。
「あれれ〜?アイちゃんだ!」
「わぁっ、ヤエちゃん!」
なんと後ろから鈴の音のような声が。パッと振り向くとヤエが立っていた。
「私、次ソウスケ君と闘うんだ〜。」
「え!そうなんですね!」
「応援しててね!」
「はい!わかりました!」
ヤエはパチンとアイにウィンクすると、軽やかに階段を降りて舞台の方へと歩いていった。
********
「それじゃあ…よろしくね〜。」
弾むような足取りで舞台に上がったヤエは、すでにスタンバイしているソウスケにゆるっと笑いかける。しかしその目の奥はしっかりと相手をヤる目だ。
「…よろしく。」
「お、いいね〜。スイッチ入った。あ、そうだ。この前、うちのサトルがやられちゃったって聞いたけど。」
「そうだけど。」
「へえ〜。ってことは強いんだ〜。…精神的には、ね。」
そうニヤリと微笑んでヤエはベルトに刺さった小型の銃を取り出す。
ソウスケはヤエに殴りかかった。
(…っ!?なんでだ。全く当たらない。)
ソウスケは何度打っても当たらない攻撃に焦り、さらにフォームが雑になっていく。しかしヤエの小柄な体は小回りをきかせてのらりくらりと逃げていく。
「もーなんだ全然面白くないじゃーん。こっちおいでよ。」
ソウスケを煽るとヤエは軽やかに上に跳んだ。距離を取られてその銃を撃ち込まれてはたまらないとソウスケもそれを追ってジャンプした。
しかし空中はヤエの場所。ソウスケはヤエのテリトリーに入ってしまった。
「遊ぼうよソウスケくん!」
空中なはずなのに自由自在に体を動かすヤエ。予測不能な動きとこっちを見ていないように見えるのに的確に飛んでくる弾丸に、ソウスケは翻弄されていた。
不意にヤエは空中で跳んだまま銃をカチャカチャと弄り始めた。
「あ。弾切れだ。」
ソウスケはその言葉を聞いて思いっきりヤエとの距離を詰め、殴りかかった。しかしそれでもここはヤエの舞台。VIPである彼女の十八番で勝てるわけがない。
ヤエは銃を放り投げて素早くソウスケの腹部に潜り込む。ヤエの目がきらりと光った。勝利を確信してる目。やったいけた、という無邪気な喜びと、獲物を狩る猛獣のような色が共存している目。思わずアイは息を呑んだ。
その小柄な体のどこにそんな力があるのかと疑うほどの力でソウスケは上に突き上げられ、なんとその手が離れぬままソウスケとヤエの体の位置が反転する。ソウスケは一気に叩き落とされた。
「…っ!!」
ソウスケはかなりの勢いで地面に叩きつけられ、反動で反った状態で苦しげに顔を歪める。ヤエはそんなソウスケを踏みつけて着地し、ひらりと体を翻して鮮やかな手つきでソウスケの首に手をかける。
「おやすみ〜ソウスケくん。」
身動きの取れない動けないソウスケの首に、ヤエは微笑んで手刀を入れた。
アイは初めて、ソウスケが負けたところを目にした。
「ソウスケ!」
居ても立っても居られずアイは思わず舞台へと走り出していた。ソウスケの元に駆け寄ったが、ソウスケは目を開かない。泣きそうになっているアイの肩を安心させるようにしてヤエがぽんぽんと叩かれる。
「大丈夫。そんなに強くやってないから、ちょっとしたら起きるよ。」
「…ヤエちゃん、強いんですね。」
「まあね〜。私の武器はなんと言っても機動力!空中戦なら誰一人として負けるわけないと思ってるよ〜えへへっ!すごいでしょ〜」
ヤエは無邪気に笑っているが、さっきの戦いを見せられては笑い返せない。
アイは恐れから強張った顔でヤエを見る。
「…またね、アイちゃん。」
そんなアイを見るとやっぱり微笑んでそう言い残し、ヤエは闘技場をあとにした。